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21. ヴェラを襲う罠

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 翌日は騎士のサビーヌが出仕しない日であったから、モフは薬師のヴェラとして駐屯地で勤めていた。

 一般にも広く開放されて、市井の民たちも訪れる治療室とはいえ、今日はやけに患者が多い。
 それも、若い男の患者から年配の男性が多くを占めていた。

 そして、それらの人達は何故か皆ヴェラに親しげに話しかけては、手を握ろうとしてきたり、身体に触れようとするのだ。
 その都度ヴェラはやんわりとあしらっていたのだが、ある浮浪者風の男の患者が下卑げひた笑いを含んでいやらしく告げた。

「先生、アンタ噂になってるよ」
「噂……? ですか?」
「アンタはとんでもない男好きで、男の患者が来ると喜ぶってな」

 ヴェラは麦わら色をした肩までの髪を、サラリと揺らして首をかしげた。

「まあ、そんな噂が?」
「ああ、だから俺が浮浪者仲間をたくさん連れて来てやったからよ」
「……腹痛というのは嘘ですか?」

 ヴェラは目の前の男を睨みつけた。
 しかしその手は小刻みに震えている。

 下卑た男の笑い顔から、あの時の父と母のケサランパサランが連れて行かれた時の光景が思い出されたのか。
 自分はあの時、非力で何も出来なかったと。

 また目の前の悪い人間に恐ろしい目に遭わされようとしているのだから、怖くて震えても仕方のないことであった。
 
「まあ、俺らみたいな浮浪者は年がら年中女には飢えてるからさ。それが病気みたいなもんで辛いんだよ。先生、助けてくれよな」

 浮浪者の男は患者用の椅子から立ち上がり、廊下に向かって声を上げ、仲間を呼んだ。
 廊下にも何人か患者が待っていたが、それらは全てこの男の仲間だったのだろう。

「先生、俺ら体が辛いんだよぉ」
「助けてくれよな。アンタ薬師だろ?」
「へへ……こんないい事教えてくれた、あのお嬢さんに感謝しないとな」

 騎士達は患者の少ない時を選んで治療に訪れるから、今の状況では助けに来る望みは薄い。
 診察室で五人の浮浪者たちに囲まれたヴェラは、ジリジリと壁際に追いやられる。

 その頃、治療室の入り口あたりで中の様子をそっと伺う女がいた。
 頭からスカーフを巻いて、それでも仕立ての良いワンピースは裕福な家庭の娘のようだ。

「治療室に、何か御用でも?」

 背後から声を掛けられ、びくりと身体を震わせて、恐る恐るといった感じで振り返ったのはプリシラだった。

「ユーゴ様……」

 プリシラの背後に立っていたのは、額を怪我した騎士を連れたユーゴであった。

「プリシラ殿……? どうかしたのか?」
「いえ、あの……。酷い頭痛がしたので診てもらおうと……」
「それなら、入ったらどうだ?」
「でも……、まだ患者さんが多くいらっしゃるようなので……」

 あれほど薬師のヴェラとのいさかいがあった後に、頭痛で受診するなど不可思議ではないかと、流石に鈍いユーゴもいぶかしんだ。

 怪訝そうな顔つきでユーゴがプリシラを見やった時、ガタン! と大きな音が治療室の方から聞こえたのだった。
 そして続いて聞こえて来たのは、短く途切れたヴェラの叫び声で……。

「先生……⁉︎」
「あ……っ! ユーゴ様っ!」

 頭部を負傷して傷を押さえていた部下の騎士も、中へ向かって走り出したユーゴの後に続いた。
 プリシラはそんな二人を制止しようと試みるも、そのようなことは間に合わないほどにあっという間にユーゴは駆けて行く。

 ユーゴと騎士が辿り着いた診察室の扉には鍵が掛けられている。
 普段ならば診察中には鍵など掛けるはずもなく、二人は部屋の中の音に耳を傾けた。

 聞こえて来たのは複数の男たちの声と、くぐもった叫び声、それとガタガタと揺れる診察台だか椅子だかの音である。

 隣の部下がヒヤリとした空気を感じるほどに、ユーゴの周りには殺気がみなぎっている。
 元々無愛想な顔つきで恐れられる団長ではあったが、今その顔は殺意を持って敵を睨みつける鬼のような形相である。

 あっという間もなく、ユーゴは診察室の扉を蹴破った。

 室内へ扉が倒れた音と衝撃で、振り向いた男たちは診察台の辺りに群がっている。
 そこにチラリと見えた、薬師の証である緑色のワンピースと、細く白い四肢がユーゴの瞳に映った時、すでに男たちのうちの一人は吹き飛ばされていた。

「ぐぁぁッ!」
「だ、誰だ⁉︎」

 元々浮浪者の集まりであるから、特に腕に覚えがある輩ではない。
 そんな奴らが次々にユーゴの逞しい拳や足技によって薙ぎ倒されていく。

 診察台に押さえつけられて、声を出せぬよう口元を手で覆われていたヴェラ。
 そんなヴェラの上からのし掛かる下卑た男の影が消えた時には、声を出すことも忘れて固まっていた。

「先生! 大丈夫か⁉︎」
「……ユーゴ?」
「無事か⁉︎」

 診察台に押し倒されたまま、衣服が僅かに乱れたヴェラは天井に向いたままポロポロと涙を零した。
 そんな姿を目の当たりにしたユーゴは、ヴェラが思わず「ユーゴ」と呼んだことも気付かない。

「うっ……怖い……。怖いよぉ……ぐす……ッ」

 ヴェラは大人びた声音を忘れたように、子どものように泣きじゃくる。

 ユーゴはすぐに自分の騎士服の上着をヴェラに掛けてやりながら、抱え起こそうとして……さっと手を引っ込めた。

「先生、俺が触れても大丈夫か?」
「……だいじょぶ……」

 再びそっと手を伸ばして、診察台に縫いとめられたように動けないヴェラを抱き起こした。
 暫くユーゴの騎士服に包まれて、ヴェラはやっと落ち着いた様子でホウッと息を吐いた。

「大丈夫か? 怪我は?」

 この問いの、怪我というところには色々な意味も含まれていたのだろう。
 幸いにもヴェラは、男たちに診察台に押し倒されたところですぐにユーゴが助けに来たから、そういう意味では無事であった。

「大丈夫……ありがとう……」









 





 
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