18 / 53
18. 人間のような欲を持つ
しおりを挟むいつの間にか訓練場からサビーヌが居なくなったことに、他の騎士たちは気付くことはなかった。
サビーヌはいくら強いとはいえ女であるから、手洗いに行くにしても男の騎士よりは時間がかかることがあるからだ。
薬師のヴェラと時々入れ替わらなければならないことも考えて、普段から時々いつの間にかサビーヌが居ないことに、騎士達を慣れさせるよう仕向けているということもある。
そんな風にして、薬師のヴェラと騎士のサビーヌは、誰にもバレることなくそれぞれを使い分けて生活することが出来ていたのだ。
プリシラとエタン卿が去った後、暫くはグスグスと泣いていたヴェラも、気持ちが落ち着いた後は治療室へと戻って行った。
「それにしても団長……、ヴェラ先生ってあんな風に泣いたりするんですねぇ」
「あんな風にって……どんな風にだ?」
相変わらず、女のこととなるとまるっきりダメな団長に向けて、副長ポールは丁寧に説明した。
「いつも余裕で大人、色香がムンムンのヴェラ先生が、あんな風に子どもみたいに泣きじゃくることですよ」
三白眼で何もない景色の上方を見据えながら、ユーゴは顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「まあ、確かにそうだな。先生には巻き込んでしまって嘘を吐かせ、申し訳ないことをした」
「いや、団長。それだけですか?」
「それだけ……とは?」
ポールはこの非常に鈍い男に、ガツンと一発お見舞いしたくなるほどの衝動に駆られたが、そこは何とか堪える事に成功した。
「団長……、先生はきっと……。いや、やめときましょう。僕の口から伝えるのは……」
「なんだ?」
「いえ、いいです。またそのうち……」
あえて艶っぽい悪女のような演技をしてまで、騎士団長ユーゴの無理な縁組を防いだ薬師ヴェラの気持ちは、副長ポールには知られることとなった。
その日、勤めを終えた薬師のヴェラは、アフロディーテの神殿へと向かった。
「我が愛し子、可愛い子。今日は泣くようなことがあったの? 目の周りが赤いわ」
白い女神は衣擦れの音を立てながら、跪くヴェラの頭を撫でてやる。
「アフロディーテ様、今日私はユーゴを助ける為とはいえ、人に酷いことを言ってしまいました。たくさんの言葉が、いつの間にか口をついて出たんです。まるで私が私ではないように、きつい言葉が次々と……」
モフは元々気が小さくて、人を傷つけるようなことをすることが出来ないような生き物である。
パン屋のルネの時には、一方的にプリシラに詰め寄られても我慢するしかしなかった。
だけれども、薬師のヴェラとなった時には、時々思った以上に他人に対して艶めかしい態度をとる時があった。
「あら、ごめんなさい。気付いてしまった?」
アフロディーテは歌うように、悪戯がバレてしまった子どものように笑いながら答えた。
「アフロディーテ様? 私が人間の姿になった時、何か自分が自分でないような、おかしい時があるのです……」
ヴェラの姿をしたモフは、不安げにしてアフロディーテに尋ねる。
「実はね……パン屋のルネも、薬師のヴェラも、そして女騎士のサビーヌも、過去に実在した人間なのよ」
「過去に、実在した人間?」
「そう、昔々にね。可愛い愛し子、あなたは元々無垢で人の心をまだよく知らない、とても可愛らしい生き物よね。そんなあなたを人間にするには、誰かの人格を借りなければいけなかったの」
アフロディーテが言うには、ルネやヴェラ、サビーヌといった娘達は過去に実在したのだと言う。
もう既に、彼女達はこの世には存在しないが、それでもこの女神アフロディーテの神殿に熱心に通い詰めた彼女たちの人格を、ケサランパサランであるモフに貸し与えたそうだ。
「どうりで、作ったことがないはずのパンが焼けたり、薬師としての知識や、騎士としての身体の動きが自然と出来ると思いました」
モフは納得した。いくら女神の加護とはいえ、あまりにも上手く出来過ぎていると思っていた。
「アフロディーテ様、それでは私がルネやヴェラ、サビーヌである時には、私は私であって……、でも厳密には私ではないのですか?」
サラリと長い白髪を、肩から胸に流したアフロディーテは、切長のアメジストのような神秘的な瞳を細めた。
そして薄い唇を微かに持ち上げたのちに、目の前の愛し子に向けて言葉を紡いだ。
「そうね、厳密に言えば確かに私の愛し子は、ルネであり、ヴェラであり、サビーヌであるの。あなたが本当にあなたとして人間になる方法はあるのよ。知りたい?」
モフが、過去の娘達の人格を借りずして人間になる方法……。
それはつまり、モフがモフとして人間の姿になれるということ。
「アフロディーテ様、知りたいです。私は……、出来ればユーゴのそばに、私として寄り添いたい」
プリシラという存在によって、そしてユーゴのことを知れば知るほどに、モフはユーゴに対する気持ちが膨らんだ。
ユーゴのそばに他の誰かが居ることを考えただけで胸が苦しくて痛むのだ。
「ケサランパサランの私が、まるで人間のような欲を持ってもいいのですか?」
ヴェラの顔立ちと声音で、しかしケサランパサランのモフとして言葉を発した。
10
お気に入りに追加
380
あなたにおすすめの小説
【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み
ひなのさくらこ
恋愛
ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイ。低い爵位ながら巨万の富を持ち、その気になれば王族でさえ跪かせられるほどの力を持つ彼は、ひょんなことから路上生活をしていた美しい兄弟と知り合った。
どうやらその兄弟は、クーデターが起きた隣国の王族らしい。やむなく二人を引き取ることにしたアレクシスだが、兄のほうは性別を偽っているようだ。
亡国の王女などと深い関係を持ちたくない。そう思ったアレクシスは、二人の面倒を妹のジュリアナに任せようとする。しかし、妹はその兄(王女)をアレクシスの従者にすると言い張って――。
爵位以外すべてを手にしている男×健気系王女の恋の物語
※残酷描写は保険です。
※記載事項は全てファンタジーです。
※別サイトにも投稿しています。
子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる
佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます
「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」
なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。
彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。
私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。
それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。
そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。
ただ。
婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。
切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。
彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。
「どうか、私と結婚してください」
「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」
私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。
彼のことはよく知っている。
彼もまた、私のことをよく知っている。
でも彼は『それ』が私だとは知らない。
まったくの別人に見えているはずなのだから。
なのに、何故私にプロポーズを?
しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。
どういうこと?
============
番外編は思いついたら追加していく予定です。
<レジーナ公式サイト番外編>
「番外編 相変わらずな日常」
レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。
いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。
※転載・複写はお断りいたします。
お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!
奏音 美都
恋愛
まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。
「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」
国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?
国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。
「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」
え……私、貴方の妹になるんですけど?
どこから突っ込んでいいのか分かんない。
【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?
雨宮羽那
恋愛
元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。
◇◇◇◇
名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。
自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。
運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!
なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!?
◇◇◇◇
お気に入り登録、エールありがとうございます♡
※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。
※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))
【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!
美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』
そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。
目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。
なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。
元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。
ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。
いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。
なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。
このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。
悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。
ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――
Emerald
藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。
叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。
自分にとっては完全に新しい場所。
しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。
仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。
〜main cast〜
結城美咲(Yuki Misaki)
黒瀬 悠(Kurose Haruka)
※作中の地名、団体名は架空のものです。
※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。
※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。
ポリン先生の作品はこちら↓
https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911
https://www.comico.jp/challenge/comic/33031
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
有能なメイドは安らかに死にたい
鳥柄ささみ
恋愛
リーシェ16歳。
運がいいのか悪いのか、波瀾万丈な人生ではあるものの、どうにか無事に生きている。
ひょんなことから熊のような大男の領主の家に転がりこんだリーシェは、裁縫・調理・掃除と基本的なことから、薬学・天候・気功など幅広い知識と能力を兼ね備えた有能なメイドとして活躍する。
彼女の願いは安らかに死ぬこと。……つまり大往生。
リーシェは大往生するため、居場所を求めて奮闘する。
熊のようなイケメン年上領主×謎のツンデレメイドのラブコメ?ストーリー。
シリアス有り、アクション有り、イチャラブ有り、推理有りのお話です。
※基本は主人公リーシェの一人称で話が進みますが、たまに視点が変わります。
※同性愛を含む部分有り
※作者にイレギュラーなことがない限り、毎週月曜
※小説家になろうにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる