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9. モフの怪我
しおりを挟むモフはヴェラとしての勤めを終えて、急いでユーゴの邸宅へと帰る支度をする。
ルネの時もヴェラの時も、王城を出たらそのあとは、人気のないところでケサランパサランの姿となって、フワフワと風に乗って邸宅まで帰っていた。
姿を変えるその様子は実に神秘的で、人間の女の姿がキラキラとした小さな光の粒に包まれたと思えば、次の瞬間にはモフっとした毛玉が現れる。
女の姿でユーゴの邸宅へと帰れば、おかしな噂が立っては大変と、モフはいつもケサランパサランの姿でこっそりと屋根裏の隙間から帰るのだ。
「モキュッ⁉︎」
ユーゴの居室まで帰ったモフは、ケサランパサランの姿で鏡の前で驚いたような声を上げた。
フワフワと白い毛玉のケサランパサランに、小さな赤い出血がポツリと染みていた。
膝の傷部分からまだ出血がしていたのに、ケサランパサランに戻ったから包帯が取れてしまったのだ。
体が小さくなった分、出血も少なくて済んでいるが、隠しきれない鮮血にモフは焦っていた。
「モキュッ、キューッ」
焦った様子でフワフワとその辺りを浮遊するが、真っ白な体に鮮血のシミは目立つ。
そうこうしている間にユーゴが帰宅して、ズンズンと居室に近づく足音が聞こえた。
バンッと音を立てて開いた扉から入ってきたユーゴは、モフに一目散に近づいて抱き締めた。
「モフー! 帰ったぞ! はぁー……、やはり癒される……。ん?」
いつものように、モフのフワフワの毛の中に手を入れて優しく撫でていたユーゴは違和感に気づく。
「モフ⁉︎ 怪我したのか? 血が出てるぞ!」
「キュー……」
「え⁉︎ どこで怪我したんだ⁉︎ 一体どうしたら良いんだ⁉︎」
冷静な騎士団長の姿は吹き飛び、アタフタと慌てて、モフを抱いたままそこら中を走るユーゴ。
ふと思い出したように騎士服のポケットから赤い蓋の傷薬を取り出した。
「そうだ! 今日これを部下に使って、ここに入れたまま帰ってしまって……。丁度いい! ほらモフ、塗ってやろう」
「モキュゥ」
赤い血のシミがある部分に、ヴェラが調剤した傷薬を塗ってやると、モフはピクピクと体を震わせた。
人間用の薬は、体の小さなケサランパサランには滲みるのかも知れない。
「少し滲みるかも知れないが、この軟膏は良く効くからきっとすぐ治るぞ」
「モキュッ」
ヴェラでもある自分が調剤した軟膏を褒めてもらえて、モフはとても嬉しそうに揺れた。
ユーゴには決してそれが伝わることは無いが、それでもモフはフワフワと揺れてユーゴに頬擦りをした。
「……モフ、聞いてくれるか? 今日少し気になる事があってな」
「キュー」
「いつも、パンを売りに来るルネの事だが……。今日は代わりに他の者が売りに来たんだ。余程の事があったのだろうが……」
ルネのことを心配して、モフに話しかけるユーゴ。
モフは、今日あったことを思い出しては恐怖でプルプルと震えた。
悪意に満ちた目でルネを睨みつけたプリシラは、躊躇なくルネを突き飛ばした。
モフは、明日からどうしたら良いのか決めかねていた。
プリシラはまさか治療室の方までは来ないであろうから、薬師のヴェラの姿で治療にあたるのは可能だろうが。
パン屋のルネをどうするか……。
「ルネのパンは好物だ。だが、同じものをプリシラ殿が手渡してくれても、何故か味気ない。何故だろうな?」
「モキュー……」
モフにとって、その言葉はとても嬉しかった。
だから、明日からもまたルネのパン屋で騎士団に美味しいパンを届けようと思えるほどに。
たとえまたプリシラに悪意をぶつけられたとしても……。
「あとな、今回来てくれた薬師の先生は凄い人でな。女性ということで、俺も初めは驚いたんだが……。的確な診断と治療は、今までの薬師とは全く違うタイプの人間のようだ」
「キュー!」
「あのように、仕事に真摯に取り組む姿勢は俺も見習わねばならん」
どうやら、薬師のヴェラも役に立てているようだと、モフは安心した様子でユーゴにすり寄った。
モフは大好きなユーゴの為に、日に日に姿を変えて役立とうと頑張っている。
ユーゴがモフに愛情を注いでくれるほどに、人間になれる時間は増えていくとアフロディーテは言った。
ユーゴに撫でられながら、フワフワと体を揺らして、モフは真っ黒でつぶらな瞳を細めた。
「モキュッ」
餌である天花粉を与えつつ、撫でたり頬擦りしながら、モフとユーゴの癒しの時間は過ぎて行く。
翌日、当然のように王城の入り口で待ち伏せしていたプリシラは、パン屋のルネの強情さに舌を巻くことになる。
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