上 下
22 / 67

22. キリアンは何故か安眠できない

しおりを挟む

 ジュリエットの部屋から出たキリアンは、なんとも言えない表情をしている。

「何で俺がこんなモヤモヤした嫌な気持ちにならないといけねぇんだ?」

 先ほど出てきた部屋からは、微かに嗚咽が漏れてきている。
 きっと箱入り娘のお嬢様にとっては酷い仕打ちだったのだろう。
 それでもこの出来事に巻き込まれたのはキリアンの方で、金の為とは言え約束通りジュリエットと婚姻を結んだ上に傍に置いているのだ。

「あんな生粋のお嬢様を、好きでもないのに簡単に抱ける訳ねぇだろうが」

 ポツリと零した独り言は誰にも聞こえるはずもなく。

 キリアンはソファーにドカッと勢い付けて寝転んだ。
 頭の上で手を組んで木目の天井を見つめていると、先程の場面が何度も頭を過ぎる。
 今までキリアンはその整った顔立ちも相まって、それなりに女には苦労してこなかった。
 集落にもキリアンを好いていて近寄る女もいたし、街に出れば娼館に行くこともあった。
 だがキリアンが本心から愛した女などおらず、皆刹那的な快楽のためにお互いに割り切った関係だったと思っている。
 集落の女の中にはキリアンに好意を寄せて近寄る者もいたが、自分は好きになることはないと忠告した。
 それでもと言われて仕方なく一度関係を持てば、ややこしいことにならぬようなるべく距離を置くようにしている。

「金の為とは言え、面倒なことに首を突っ込んじまったなー……」

 真面目に妻を持つことなど考えてもいなかったが、戸籍上の妻を持つだけで大金が手に入るならと簡単に考えていた。
 しかし思いの外、あの箱入りお嬢様は頑張るのだ。

「まあそのうち、ここの不便な暮らしと俺のいい加減さに嫌気がさして勝手に出ていくだろ。婚姻は結んだし、できることはしてやってるんだ。あとのことは知らねぇよな」

 そう言ったのは本心なのか、自分に言い聞かせているのか分からないような口調である。
 キリアンはジュリエットの部屋の扉の方に目をやった。
 もう扉から離れていることもあって嗚咽は聞こえない。

「クソッ、さっさと寝ちまおう」

 何故か苛々した様子のキリアンは、身体を捩って狭いソファーになんとか収まり良く嵌まり込んだ。
 室内には満月の月明かりがすうっと走り、いつもと家の中が違ったように見える。
 もう最近では見慣れた天井の木目を見つめていたキリアンは、やがてジュリエットの好む黒曜石のような瞳を隠すようにギュッと瞼を閉じたのであった。

 耳に聞こえてくるのは森の木々のざわめきと風の音。

 そして……

「キリアン様……」
「……は?」

 いつの間にかウトウトしていた。

 誰かに名を呼ばれた気がしてキリアンは瞳を開けてみれば、自分のすぐ傍に立つジュリエットの影にひどく驚いた。

「な、なんだよ?」
「申し訳ありません。キリアン様に謝らないといけないと思いまして……もうおやすみでしたか?」

 キリアンはバッと起き上がってソファーに座り、両手の肘を開いた脚の膝のあたりに置いて話を聞く体勢になった。
 ジュリエットはその前に立って、視線を下げていたがやがてキリアンの瞳に目を合わせて口を開いた。

「私が無理矢理お願いして妻にしていただきましたのに、あまりにキリアン様がお優しいから私は勘違いを起こしておりました。私は愛していただく為の時間の猶予を頂いたにすぎません。当たり前のように初夜を迎えられるなどと烏滸がましいにも程がありましたわ」
「いや……、そこまでは……」
「いいえ、キリアン様。どうか許してくださいませね。私、また明日から頑張りますから! 見ていてくださいませ。そしてもし、私のことを愛してくださるようになった暁には……その時には……だ、抱いてくださいませ!」

 ジュリエットは着ている夜着のスカートの部分をギュッと掴んで皺を寄せている。
 顔は暗がりではあるが、きっと真っ赤に染まっているであろう。
 自らあれだけのことを言っておきながら目線を下に背けて必死に羞恥に耐える姿に、キリアンはフッと笑いを零した。

「分かったよ。まあその時はな。とにかくもう寝ろ。明日からまた忙しいぞ」

 片手を上げてシッシッと犬を追い払うようにして手を振ったキリアンに、ジュリエットは花が綻ぶような笑みを向けた。

 その微笑みはちょうど雲が晴れた満月の月光に照らされて、はっきりとキリアンの目に映ったのである。

「はい。おやすみなさいませ」

 クルリと後ろ向きになったジュリエットは、自分に与えられた部屋へと戻って行った。

「はあー……」

 どういう意味のため息なのか、キリアンは一つ息を吐いてから再びソファーで眠りにつくのであった。
 
 その後月光が照らすキリアンの寝顔は、どこか苦悶に満ちて非常に寝苦しそうなものであった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

【完結】愛とは呼ばせない

野村にれ
恋愛
リール王太子殿下とサリー・ペルガメント侯爵令嬢は六歳の時からの婚約者である。 二人はお互いを励まし、未来に向かっていた。 しかし、王太子殿下は最近ある子爵令嬢に御執心で、サリーを蔑ろにしていた。 サリーは幾度となく、王太子殿下に問うも、答えは得られなかった。 二人は身分差はあるものの、子爵令嬢は男装をしても似合いそうな顔立ちで、長身で美しく、 まるで対の様だと言われるようになっていた。二人を見つめるファンもいるほどである。 サリーは婚約解消なのだろうと受け止め、承知するつもりであった。 しかし、そうはならなかった。

処理中です...