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11. 技術の対価

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「伊織……伊織、起きて」

 遠くの方で誰かの声がする。
 低くて心地良い声だ。
 
「伊織……、起きないとキスするぞ」

 バッと目を開いて首がガクッとなっていた状態から急に顔を上げたから、頭がクラクラした。

「ご、ごめんなさい! 完全に寝てました!」

 そうだ、髪を染めてもらってて……。
 いつの間にか完全に寝てたみたいだ。

「ふふっ、起きなかったらキスできたのに」
「……友達はそんなことしませんよ」

 カラーリングが終わったからと再びシャンプー台に移動して、カラー剤を洗い流してもらう。

「気持ち悪いとこない?」
「大丈夫です」

 良い匂いのするシャンプーで髪を洗った後に、また違った匂いのトリートメントか何かを付けられている。

 視覚をタオルで遮られているから、嗅覚とチャラ男の動く気配が妙に鋭く感じ取れる。

「このカラーリングはね、染めれば染めるほど綺麗になるやつだから」
「そんなのあるんですね」
「俺の店は髪に優しく、人に優しくがモットーだからさ」
「そんなだからモテるんですね」

 僕がそう言うと、チャラ男はタオルで遮られた向こうでクスクスと笑う気配がした。

「伊織も俺のこと好きになってくれないかな」
「またそんなこと言う」
「だってこんな風に思ったの、初めてだからさ。誰かを本気で好きになったのも、相手に好きになって欲しいと思ったのも。本当は今、動けない伊織にキスしたい」
「……ッ!」

 思わず仰向けで施術を受けている身体を硬くした僕に、チャラ男はまた笑った。

「嘘だよ。そんなことしたら伊織は俺のこと好きになってくれないだろ? なってくれるって言うならいくらでもするけど?」
「……結構です」
「ほらね。だからしないよ」

 トリートメントらしきものを流してから、再びカット用の椅子に戻った僕はチャラ男にドライヤーで髪を乾かされていた。

「人に乾かしてもらうのって楽でいいよね」
「まあ、確かにそうですね。あまりない経験です」
「僕ならいつでも乾かしてあげるよ? 伊織になら何でもしてあげたい。そうだなぁ……、料理は伊織の方が上手そうだけど。他のことなら何でもやるよ」
「……なんでそんな話になってるんですか」

 段々と話が怪しい方向に向いてきた。
 友達といいながらも、アプローチはグイグイくるらしい。

「ねえ、伊織の好きなタイプってどんなの? あ、もちろん女でもいいよ? 今までの彼女とかってどんなタイプだった?」
「誰かと付き合ったことはありません。仕事のことなら人と関わる事は得意だけど、プライベートで他人と深く関わることは避けてきました。異性にも、勿論同性にもあまり興味が無いです。友人は居ますけど」

 僕がそこまで一気に話すと、チャラ男は首をかしげて呟いた。

「勿体ない……」

 勿体ない? なんだそれは?

「何が勿体ないんですか?」
「いや、だって伊織ってめちゃくちゃ綺麗な外見なのにさ。付き合ったことも無ければ好きになったことも無いって……。勿体ないなぁと思って」
「それはあなただって、好きになったことは無いって言ってたじゃないですか」

 ハッとして両手をパチンと合わせたチャラ男は、納得したように大きく頷いた。

「そっか! 確かに! でも俺はほら、来るもの拒まず去るもの追わずだからさ。伊織は来るものすら拒んできただろ?」
「まあ、そうですね。あなたのことも現在進行形で拒んでます」
「うっ……! いや、まあそれは置いといて。伊織、めっちゃ綺麗な顔してるのによく無事だったなぁ……」

 そんな噛み締めるように言うセリフでもないと思うけれど。

 僕は同僚の鈴木さんのことや、今まで食虫植物のように僕に近付いてきた女たちのことを思い浮かべてみた。

「待ち伏せされたり、押し倒されたりしたことはありましたけどね。まあ、一応こう見えて男ですから上手く対処しましたよ」
「えっ、押し倒される……。待ち伏せ……」
「あなただって同じようなもんでしょう?」
「いや、まあ……。待ち伏せはしたけど」

 すっかり乾いた髪をワックスでセットしながら、チャラ男はぶつぶつと呟いている。

「あのさ、あの友達は? ガタイのいい、グッドネイバーズに良く一緒に来てた男」
あきらですか? どうかしました?」
「あの男は友達? ただの同僚?」

 明のことを何故そんなに聞くのか分かんないけど、返事を待つチャラ男に僕は素直に答えた。

「明は友達ですよ。年上だけど、仲の良い職場の同期で友達なんです」
「そうなんだ、友達……。あっ! そうだ、後でカルテ作るから書類に色々書いてくれる?」

 その頃目の前のミラーにはいつもより数倍小綺麗になった僕がいた。

 いつもセルフカットで、清潔感は心掛けていたけれどあまりパッとしない感じだった髪型は、雑誌でも見た今風のマッシュヘアとかいうやつになって、後頭部がスッキリしている。

 若くして店を持てるだけあってやはり腕は良いらしい。
 
「……施術は今日限りじゃないんですか?」
「まさか! こんなチャンス逃す気ないよ。伊織は他人に切られるの嫌なんでしょ? 俺は秘密を知ってるから気にしなくていいし、伊織の髪を触れるだけで幸せ。だから費用も要らない。これからも俺に施術させてよ」

 前に明が嘆いてたからこの辺りの美容院の料金が割と高いのは知ってる。
 カットとカラーでも二万出してお釣りが来るくらいだと言ってたから。

「プロの技術に対しての対価を払わないなんて、申し訳なくてお願いできませんよ」
「うーん、それなら俺と付き合ってよ」
「それとこれとは別でしょう」

 全く、友達になると言いながらも本当にグイグイくるんだな。

「お金はきちんと払います。だけど……仕上がりが気に入ったから……また、お願いします」

 僕はこのチャラ男の強い押しにいつか負けてしまいそうだ。
 そうならないように、気を強く持たないと。





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