10 / 57
11. 技術の対価
しおりを挟む「伊織……伊織、起きて」
遠くの方で誰かの声がする。
低くて心地良い声だ。
「伊織……、起きないとキスするぞ」
バッと目を開いて首がガクッとなっていた状態から急に顔を上げたから、頭がクラクラした。
「ご、ごめんなさい! 完全に寝てました!」
そうだ、髪を染めてもらってて……。
いつの間にか完全に寝てたみたいだ。
「ふふっ、起きなかったらキスできたのに」
「……友達はそんなことしませんよ」
カラーリングが終わったからと再びシャンプー台に移動して、カラー剤を洗い流してもらう。
「気持ち悪いとこない?」
「大丈夫です」
良い匂いのするシャンプーで髪を洗った後に、また違った匂いのトリートメントか何かを付けられている。
視覚をタオルで遮られているから、嗅覚とチャラ男の動く気配が妙に鋭く感じ取れる。
「このカラーリングはね、染めれば染めるほど綺麗になるやつだから」
「そんなのあるんですね」
「俺の店は髪に優しく、人に優しくがモットーだからさ」
「そんなだからモテるんですね」
僕がそう言うと、チャラ男はタオルで遮られた向こうでクスクスと笑う気配がした。
「伊織も俺のこと好きになってくれないかな」
「またそんなこと言う」
「だってこんな風に思ったの、初めてだからさ。誰かを本気で好きになったのも、相手に好きになって欲しいと思ったのも。本当は今、動けない伊織にキスしたい」
「……ッ!」
思わず仰向けで施術を受けている身体を硬くした僕に、チャラ男はまた笑った。
「嘘だよ。そんなことしたら伊織は俺のこと好きになってくれないだろ? なってくれるって言うならいくらでもするけど?」
「……結構です」
「ほらね。だからしないよ」
トリートメントらしきものを流してから、再びカット用の椅子に戻った僕はチャラ男にドライヤーで髪を乾かされていた。
「人に乾かしてもらうのって楽でいいよね」
「まあ、確かにそうですね。あまりない経験です」
「僕ならいつでも乾かしてあげるよ? 伊織になら何でもしてあげたい。そうだなぁ……、料理は伊織の方が上手そうだけど。他のことなら何でもやるよ」
「……なんでそんな話になってるんですか」
段々と話が怪しい方向に向いてきた。
友達といいながらも、アプローチはグイグイくるらしい。
「ねえ、伊織の好きなタイプってどんなの? あ、もちろん女でもいいよ? 今までの彼女とかってどんなタイプだった?」
「誰かと付き合ったことはありません。仕事のことなら人と関わる事は得意だけど、プライベートで他人と深く関わることは避けてきました。異性にも、勿論同性にもあまり興味が無いです。友人は居ますけど」
僕がそこまで一気に話すと、チャラ男は首を傾げて呟いた。
「勿体ない……」
勿体ない? なんだそれは?
「何が勿体ないんですか?」
「いや、だって伊織ってめちゃくちゃ綺麗な外見なのにさ。付き合ったことも無ければ好きになったことも無いって……。勿体ないなぁと思って」
「それはあなただって、好きになったことは無いって言ってたじゃないですか」
ハッとして両手をパチンと合わせたチャラ男は、納得したように大きく頷いた。
「そっか! 確かに! でも俺はほら、来るもの拒まず去るもの追わずだからさ。伊織は来るものすら拒んできただろ?」
「まあ、そうですね。あなたのことも現在進行形で拒んでます」
「うっ……! いや、まあそれは置いといて。伊織、めっちゃ綺麗な顔してるのによく無事だったなぁ……」
そんな噛み締めるように言うセリフでもないと思うけれど。
僕は同僚の鈴木さんのことや、今まで食虫植物のように僕に近付いてきた女たちのことを思い浮かべてみた。
「待ち伏せされたり、押し倒されたりしたことはありましたけどね。まあ、一応こう見えて男ですから上手く対処しましたよ」
「えっ、押し倒される……。待ち伏せ……」
「あなただって同じようなもんでしょう?」
「いや、まあ……。待ち伏せはしたけど」
すっかり乾いた髪をワックスでセットしながら、チャラ男はぶつぶつと呟いている。
「あのさ、あの友達は? ガタイのいい、グッドネイバーズに良く一緒に来てた男」
「明ですか? どうかしました?」
「あの男は友達? ただの同僚?」
明のことを何故そんなに聞くのか分かんないけど、返事を待つチャラ男に僕は素直に答えた。
「明は友達ですよ。年上だけど、仲の良い職場の同期で友達なんです」
「そうなんだ、友達……。あっ! そうだ、後でカルテ作るから書類に色々書いてくれる?」
その頃目の前のミラーにはいつもより数倍小綺麗になった僕がいた。
いつもセルフカットで、清潔感は心掛けていたけれどあまりパッとしない感じだった髪型は、雑誌でも見た今風のマッシュヘアとかいうやつになって、後頭部がスッキリしている。
若くして店を持てるだけあってやはり腕は良いらしい。
「……施術は今日限りじゃないんですか?」
「まさか! こんなチャンス逃す気ないよ。伊織は他人に切られるの嫌なんでしょ? 俺は秘密を知ってるから気にしなくていいし、伊織の髪を触れるだけで幸せ。だから費用も要らない。これからも俺に施術させてよ」
前に明が嘆いてたからこの辺りの美容院の料金が割と高いのは知ってる。
カットとカラーでも二万出してお釣りが来るくらいだと言ってたから。
「プロの技術に対しての対価を払わないなんて、申し訳なくてお願いできませんよ」
「うーん、それなら俺と付き合ってよ」
「それとこれとは別でしょう」
全く、友達になると言いながらも本当にグイグイくるんだな。
「お金はきちんと払います。だけど……仕上がりが気に入ったから……また、お願いします」
僕はこのチャラ男の強い押しにいつか負けてしまいそうだ。
そうならないように、気を強く持たないと。
10
お気に入りに追加
131
あなたにおすすめの小説
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
僕が玩具になった理由
Me-ya
BL
🈲R指定🈯
「俺のペットにしてやるよ」
眞司は僕を見下ろしながらそう言った。
🈲R指定🔞
※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨
ので、ここで新しく書き直します…。
(他の場所でも、1カ所書いていますが…)
その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました
海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。
しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。
偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。
御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。
これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。
【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】
【続編も8/17完結しました。】
「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785
↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
腐男子ですが、お気に入りのBL小説に転移してしまいました
くるむ
BL
芹沢真紀(せりざわまさき)は、大の読書好き(ただし読むのはBLのみ)。
特にお気に入りなのは、『男なのに彼氏が出来ました』だ。
毎日毎日それを舐めるように読み、そして必ず寝る前には自分もその小説の中に入り込み妄想を繰り広げるのが日課だった。
そんなある日、朝目覚めたら世界は一変していて……。
無自覚な腐男子が、小説内一番のイケてる男子に溺愛されるお話し♡
こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件
神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。
僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。
だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。
子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。
ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。
指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。
あれから10年近く。
ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。
だけど想いを隠すのは苦しくて――。
こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。
なのにどうして――。
『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』
えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる