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35. 鋼の心を持つ将軍
しおりを挟むそもそも婚前旅行なんていうものはアルント王国には存在しなくて。私も夜の事に関してはそう深く考えていなかったのだけれど、クニューベル帝国は婚約者同士が同棲する事は許されていなくとも、婚前交渉は許されているというのだ。
「そんな事ってあるの?」
「……どうやらあるらしいのです。私も知らなかったのですよ。知っていたら……エリザベート様にきちんとした閨作法を伝授しましたのに」
「ね、ね、閨作法⁉︎ まさか、アルフ様はきっとそんな事をこの旅行ではなさらないわよ!」
そうに決まっているわ。アルフ様に限って、婚姻前に私とそのような事をなさるはずが……。
いつもなら嘆いてくれるはずのレンカも、他人事だと思っているのかそれともアルフ様がお相手だから良いと思っているのか、今宵ばかりは頼りになりそうにない。
「エリザベート様……どうかもう諦めてくださいませ。それが帝国のやり方だというのなら仕方ありません。初めては痛みが強いと聞きますが……まぁ、その辺りは閣下にお任せしましょう」
「レンカ! どうしたらいいの? 私……何も分からないわ!」
「申し訳ありません。私も未婚ゆえ経験がありませんので。とにかく閣下にお任せすれば良いのです」
湯船でレンカと延々押し問答をしているうちに、私はすっかりのぼせてしまって、部屋に戻った時には頭がぼうっとしていた。
「こちらを。少し身体が冷えるはずです」
「ありがとう、レンカ」
用意されていた果実水を口にすると少し身体が冷えたような気がしたけれど、レンカは結局「閣下にお任せするのです」しか言わずに終わった。
レンカが下がると部屋の中には私一人で、アルフ様はまた部下の方々ところへ行っているとの事で手持ち無沙汰になる。
「ここはアルント王国とは違う事は確かだけれど、私にはまだ心の準備が出来ていないのに……」
どうしたら良いのか分からずに、広々とした寝台の縁に腰掛けてアルフ様を待つ事にする。
「それにしてもこのお部屋の雰囲気、とても素敵……」
グルリと見渡すと部屋の装飾がアルント王国とは随分趣が違っている事を実感した。壁や天井は白で統一され、一部の壁と窓枠に青を基調とした数色のタイルを使った装飾が施されている。ドアは瑠璃色で街並みと同じ色使いは海の街にふさわしいものだった。
そしてドアに目を向けた時にちょうどガチャリと音を立てて開いたので、寝台の上で驚きビクリと身体を跳ねさせる。
「エリザベート? どうかしたのか?」
「いえ、少し長湯でのぼせてしまったようで……」
「大丈夫なのか? 水を……」
心配そうに眉を下げ、すぐさま果実水をグラスに注いでくださるアルフ様を見ていたら、緊張が解けて肩の力が抜ける。
「ありがとうございます。少し、楽になったような気がします」
同じ果実水なのに、先ほどより甘く感じるのはアルフ様の優しさが嬉しかったから。私は自然に頬を緩ませて、アルフ様へ微笑みかけた。
「う……っ、旅の疲れもあるのかも知れない! 今宵は早目に休もう! 私も湯浴みをしてくるから、エリザベートは先に休んでいれば良い!」
何故か突然大きめの声で不自然にそうおっしゃって、さっさと寝台のそばから離れていくアルフ様の頬とお耳は少し赤らんでいるように見えた。そうであれば良いと願ったせいで、そのように見えたのかも知れないけれど。
きっと、アルフ様も私と同じで緊張なさっているのだわ。
ズンズンと浴室へ向かって歩いて行くアルフ様の後ろ姿を見つめながら、ふふっと声に出して小さく笑った。
「エリザベート……、このような場所で寝てしまったのか?」
遠くの方でアルフ様の声が聞こえた気がした。けれどやはり身体は慣れない旅路で疲れていたようで、重い瞼は持ち上がりそうもない。アルフ様を待っている間にいつの間にか眠ってしまったみたい。
「風邪をひいてしまうぞ」
そっと抱き上げられてフワリと身体が宙に浮き、優しく運ばれる。まるで宝物を運ぶようなその慎重な手つきに、私は夢現の中で微笑んだ。
アルフ様……とてもお優しいのね。
「全く……、このような薄手の夜着と羽織ものだけを身に付けて寝台で待つなど。無防備にも程がある。私がどれほどエリザベートの前で己の欲望を自制しているのかなど、思いもよらないのだろうな」
アルフ様……怒ってらっしゃるのかしら……。あぁ、ごめんなさい。もう……どうしても瞼が持ち上がらないの。
「こんなにも……欲深い自分が情けなるほどに、心から愛している……エリザベート。おやすみ」
私も……愛しています。アルフ様……。
そのあと唇に感じた柔らかな感触は夢だったのか、それとも……。
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