上 下
86 / 91
第三章 新しい未来

87. 人影の正体、思わぬ人物

しおりを挟む

「アイシャ! ダメだろう、人前に突然飛び出したりしたら。それに、この方達は大切なお客様なんだよ」

 小さな人影に向かってそう言ったエドガーの声は、叱るような内容に反して驚くほど慈しみ深く、優しかった。

「ごめんなさい、お父様。だって、異国のお客様が来るって言うからお庭を見てたの。そしたらとても綺麗なお姉さんが見えたから……」
「彼らが庭園に来た時に?」
「うん。だって魔術師様の不思議な力で飛んで来るって言うから、皆で窓から見てたのよ。お母様も、他のお妃様達も……」
「なるほど。それで、ここで待ち伏せしてたってわけかい?」
「『こくおうへいか』と『こうていへいか』のお話が終わるまでは、お部屋から出ちゃダメって言われてたから……。まだダメだった? ごめんなさい」

 少しだけ肩をすくめて詫びたのは、まだ小さな女の子。
 五、六歳くらいだろうか。ふっくらとしたほっぺたは、幼い子ども特有のなんとも言えない柔らかさを想像させた。
 エドガーと同じ褐色の肌に可愛く編み込まれた焦茶色髪、甘えるように潤んだ緑色の瞳はじっとレティシアの方を見ている。

「すまないね。この子は二番目の妻の娘、アイシャだ。お転婆で、言う事を聞かないから僕はいつも怒ってばかりだよ。どうやら君達がここに来た時から目をつけていて、話が終わったのを見計らって飛んで来たらしい。ほら、ご挨拶をして」

 エドガーはアイシャと呼ばれた女の子の髪をクシャクシャと撫で、挨拶を促した。
 アイシャは改めてレティシア達を前にすると、少し照れくさそうに身体を捻った。

「えっと……アイシャ……です。女神様みたいに綺麗なお姉さんを見て……会いに来ました」
 
 何とも可愛らしいその仕草に、レティシアは母性本能をくすぐられた。
 レティシアは隣に立つリュシアンの方を見上げると、確認するようにほんの少し小首を傾げた。するとリュシアンは優しい眼差しで頷く。

「せっかく会いに来てくれたんだ。少し時間を取ろう」
「ありがとうございます。リュシアン様」

 レティシアはリュシアンに向かって微笑み返し、まるで小さなエドガーのような女の子に近付くと、きちんとしたカーテーシーを披露した。

「私はレティシア・フォン・ベリルです。可愛いアイシャ姫、お会い出来て光栄ですわ」
「わぁぁ! なんて素敵なの! お父様、レティシア様に私の育てているお花をプレゼントしてもいい? お願い!」

 アイシャは目をキラキラと輝かせ、サッと近付くとレティシアの左手を握った。少しだけしっとりとした柔らかくて小さな手に、レティシアも自然と頬が緩む。

「うーん。リュシアン、どうかな? 帰る前に少しだけ、アイシャに時間をくれるかい? 僕には子どもがアイシャだけだからね。周りは大人ばかりの中で、レティシアに会えたのが余程嬉しいらしい」

 エドガーにそう言われてリュシアンも嫌とは言えず、アイシャからのキラキラとした眼差しに負けたように了承した。

「ありがとう! 素敵なこうていへいか!」

 そう言って、アイシャはレティシアの手を力強く引っ張った。どうやらアイシャが育てている花のところまで案内してくれるらしい。
 リュシアンとパトリック、そしてエドガーは、仲良く手を繋ぐレティシアとアイシャの後ろからついて歩き、庭園へと向かった。

「レティシア様、皇帝陛下はとてもカッコいいですね。私のお父様よりも若くて素敵だから、レティシア様がお父様を選ばなかったのも仕方がないわ」
「あら、それは一体どういう事?」
「帝国から帰った時、お父様はレティシア様をお妃様にしたかったってメソメソ泣いていたの。女神を甥っ子に取られてしまったって」

 純粋なアイシャの無垢な言葉に、レティシアはそっと後ろを振り返る。自身の娘にまでそんな冗談を言うなんて、という呆れた眼差しを向けた。
 そんな事も知らず、エドガーはリュシアンと穏やかな表情で会話を交わしている。
 リュシアンはというと、レティシアとエドガーが近づき過ぎなければまぁいいと、そのように思っていたのだが、そんな事はレティシアは知る由もなかった。
 
 パトリックは周囲に視線を巡らせて、レティシアに何らかの危険が及ばないか気にしているようだ。先程のアイシャのように突然イリナが現れたりしないかと、その事も密かに警戒している。
 そうしながらもパトリックはレティシア達の少し斜め後ろを歩いていた。女同士の会話を邪魔しないようにと遠慮しているようだ。

「でも、エドガー殿下は新しいお妃様を帝国から連れ帰ったでしょう?」

 レティシアはパトリックから聞いたイリナの窮状について、まだ幼いアイシャから聞くのは残酷だと思っていたが、つい口にしてしまった。

 パトリックから聞くところによれば、イリナはこの国で豊かな暮らしとは程遠い生活を強いられているのだというのだから。

「あぁ、あの人……ここに来て早々、自分がお父様の一番のお気に入りだって、そう言いふらして他のお妃様達から嫌われてた」

 そう告げたアイシャの横顔は、これまでのものと打って変わって大人びた表情だった。
 レティシアはそんな少女の様子に、何か暗いものを感じて言葉を失ってしまう。

 帝国の庭園に負けじと劣らぬ多くの花々が咲き誇るフィジオ王国の庭園に、帝国よりも幾分か乾いた風が吹き抜けた。

「お父様って一応王子様だけど第八王子だし、そんなに贅沢な暮らしは出来ないんだよ。お妃様達だって全員『せいりゃくけっこん』で、それでもそれなりに皆で仲良くして来たのに……」
「お妃様達は皆、仲が良いのね。アイシャ姫もお妃様達と仲良くしているの?」
「うん! だけどあの人が来てしばらくはギスギスしてた。今はもう大丈夫だけど。あ! あそこ!」

 今はもう大丈夫という言葉の意味をレティシアが考える間もなく、アイシャは手を引いたままでタッと駆け出した。
 どうやら目的の場所が見えて来たらしい。

 先程は思わず自分から口にしてしまったものの、レティシアはまだ幼い子どもの口から悲惨なイリナの近況を聞かずに済んで、実のところはホッとしているようだ。

「レティシア様! 来て!」

 何とも楽しげに、子どもらしい溌剌とした声で、アイシャはレティシアを急かした。

 

 

 
 
 
 
しおりを挟む
感想 89

あなたにおすすめの小説

心がきゅんする契約結婚~貴方の(君の)元婚約者って、一体どんな人だったんですか?~

待鳥園子
恋愛
若き侯爵ジョサイアは結婚式直前、愛し合っていたはずの婚約者に駆け落ちされてしまった。 急遽の結婚相手にと縁談がきた伯爵令嬢レニエラは、以前夜会中に婚約破棄されてしまった曰く付きの令嬢として知られていた。 間に合わせで自分と結婚することになった彼に同情したレニエラは「私を愛して欲しいなどと、大それたことは望んでおりません」とキッパリと宣言。 元々結婚せずに一人生きていくため実業家になろうとしていたので、これは一年間だけの契約結婚にしようとジョサイアに持ち掛ける。 愛していないはずの契約妻なのに、異様な熱量でレニエラを大事にしてくれる夫ジョサイア。それは、彼の元婚約者が何かおかしかったのではないかと、次第にレニエラは疑い出すのだが……。 また傷付くのが怖くて先回りして強がりを言ってしまう意地っ張り妻が、元婚約者に妙な常識を植え付けられ愛し方が完全におかしい夫に溺愛される物語。

自滅王子はやり直しでも自滅するようです(完)

みかん畑
恋愛
侯爵令嬢リリナ・カフテルには、道具のようにリリナを利用しながら身体ばかり求めてくる婚約者がいた。 貞操を守りつつ常々別れたいと思っていたリリナだが、両親の反対もあり、婚約破棄のチャンスもなく卒業記念パーティの日を迎える。 しかし、運命の日、パーティの場で突然リリナへの不満をぶちまけた婚約者の王子は、あろうことか一方的な婚約破棄を告げてきた。 王子の予想に反してあっさりと婚約破棄を了承したリリナは、自分を庇ってくれた辺境伯と共に、新天地で領地の運営に関わっていく。 そうして辺境の開発が進み、リリナの名声が高まって幸福な暮らしが続いていた矢先、今度は別れたはずの王子がリリナを求めて実力行使に訴えてきた。 けれど、それは彼にとって破滅の序曲に過ぎず―― ※8/11完結しました。 読んでくださった方に感謝。 ありがとうございます。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ
恋愛
ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイ。低い爵位ながら巨万の富を持ち、その気になれば王族でさえ跪かせられるほどの力を持つ彼は、ひょんなことから路上生活をしていた美しい兄弟と知り合った。 どうやらその兄弟は、クーデターが起きた隣国の王族らしい。やむなく二人を引き取ることにしたアレクシスだが、兄のほうは性別を偽っているようだ。 亡国の王女などと深い関係を持ちたくない。そう思ったアレクシスは、二人の面倒を妹のジュリアナに任せようとする。しかし、妹はその兄(王女)をアレクシスの従者にすると言い張って――。 爵位以外すべてを手にしている男×健気系王女の恋の物語 ※残酷描写は保険です。 ※記載事項は全てファンタジーです。 ※別サイトにも投稿しています。

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

処理中です...