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番外編 はぐれウサギと孤独なオオカミ

なんのために

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 ――てなことが、あったんだ。

 お姫様が居なくなって、だいたい一ヶ月。
 久々に故郷に帰って来たペトラは、長老ウサギに報告しました。

 ――そうか。お主はなかなか、得難い経験をしたようじゃのう。

 話を聞き終えた長老ウサギは、一回り大きくなったペトラを見て言いました。

 ――お前さんも、今回の経験で、かなり強くなったみたいじゃ。おそらく、自分で思っておる以上に成長しておるよ。
 ――う~ん、そうなのかな? それでさ、オヒメサマは、もうほんとうに、かえってこないのかなあ?

 強くなった自覚がいまいち無い灰色耳のペトラ。とりあえず自分のことは置いといて、彼女はお姫様についてたずねます。
 すると、長老ウサギは目を閉じました。

 ――まあ……これはあくまで、ワシの予想じゃが……たぶん帰ってこんじゃろうな。
 ――どうして?

 ペトラが小首をかしげると、長老は静かに教えてくれます。

 ――それは、お姫様が、王子様とになる生き物だからじゃ。 黒オオカミの巣穴に来たヒトたちは、おそらく王子様と、それに仕える騎士ナイトだったのじゃろう。

 帰ってきた答えに少ししょんぼりしながらも、ペトラは長老の博識ぶりに感心します。

 ――そうなのか……あれ? じゃあ、オヒメサマがいなくなったあたいたちは、もうナイトじゃないってこと?

 ペトラはふと、疑問に思いました。

 ウサギが騎士になる……実態はどうか分かりませんが、高確率でやんちゃな子ウサギの、微笑ましいごっこ遊びでしょう。長老ウサギはそう考えます。
 わざわざそれを否定するつもりは、長老にありません。

 ――うーむ……まあ、そういうことになるのかのう?

 これについて長老は、あいまいに誤魔化して答えました。

 知りたがりな子ウサギの質問は続きます。

 ――じゃあ、くろオオカミをげんきづけるほうほうは? オヒメサマがいなくなってから、まいにちかなしそうなんだ。
 ――そうか……じゃが、こればかりは、時間が解決してくれるのを待つしかないのう。強いて言えば、お主がなるべく一緒に居てやるぐらいか……。

 それなら、ペトラにもできそうです。ペトラは耳をピンッと立てます。

 ――そうか、わかった!
 ――もちろん、くれぐれも相手が嫌がらん範囲でな?

 はたしてこの念押しが、彼女に伝わっているかどうか……。

 ――それにしても、あいかわらず、ちょーろーはものしりだな。だいたい、ヒトのことなんて、どうやってしったんだ?

 考えてれば、冬に呪われた世界に人間は住んでいません。ペトラはふと気になりました。

 ――まあ、の……随分と昔のことだが、ワシにだって、いろいろあったということじゃ。

 懐かしむような表情で、長老は言いました。

 さて、その話は一旦置いておいて、今度はペトラ自身の話です。長老ウサギは真面目な態度で彼女の顔を見ます。

 ――ところでお前さん、これからどうする心算つもりなんじゃ?
 ――どうするって?
 ――まだこれ以上の強さを手に入れたいかってことじゃよ。今のお主は、十分に強い。この冬の地において、お主に敵うけものは、もう少ないじゃろう。ならば、お前さんが言ってた最初の目的は、じゅうぶん達成できたのではないか?

 言われてみれば、確かにそうです。今のペトラなら外敵に怯えて穴倉で隠れながら暮らす必要もないでしょう。
 しかし、黒い甲羅の化け物を思い出して、ペトラは首を横に振りました。

 ――ダメだ。あたいはまだ、あのばけものに、かってない。
 ――フム……じゃが、もうお姫様はおらんのじゃ。今となっては、無理に戦う意味も無かろうて。それでもまだ、チカラを求めるのか?

 長老にそう言われますが、黒オオカミと一緒にあれだけコテンパンにされたままでは、ペトラの胸にはモヤモヤとしたものが残ります。
 この世にあんな化け物が居ると知ってしまったら――今あるチカラだけでは到底満足できません。

 ――こんなのじゃ、ぜんぜんたりないよ。もっともっと、つよくならなくちゃ!
 ――じゃが、無意味に大きすぎれば、巣穴に入ることもできなくなる。チカラおぼれてはいかんぞ?

『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と同じような意味でしょうか?
 長老ウサギが、急に厳しい声で言いました。

 ――チカラに、おぼれる?
 ――いや、この場合は、『とらわれる』、じゃったかのう……?

 いまいち締まらない長老ウサギ。
 しかし、何か大事なことを伝えようとしていることは確かです。

 ――こういったことを、上手く伝えるのは難しいのう……そうじゃ。すこし、昔話をしてやろうか。
 ――むかしばなし? とうとつだな、ちょーろー!
 ――ああ、これは、この地が冬に閉ざされるより前の、この世の全てを支配しようとした邪神たちと、それらにあらがった英雄たちのお話じゃよ……。

 長老ウサギは、ぽつりぽつりと、一つひとつ思い出しながら、大切な記憶を語りだします。

 ――ワシがあの娘に会ったのは、まだ毛が生えたての子ウサギだったころじゃ。邪神たちが暴れ、ワシらは住処すみかを奪われ、お腹が減って死にそうになっていた……そんなとき、彼女はワシを拾い上げてくれたんじゃ……。
 ――じゃしんって?

 初めて聞く言葉の意味が分からないペトラは、質問のために口を挟みます。

 ――残念じゃが、ワシにも詳しくは分からん。ただ、あれはよくない存在……ワシが知る限り、あやつらこそが、本物の化け物じゃ。
 ――ほんものの、ばけもの……くろいカチコチこうらのあいつよりもか?
 ――ああ、それは間違いないじゃろうな。そして、その化け物と戦うことを決めた者たちが、かつて英雄と呼ばれたんじゃ。

 ペトラには、あの黒い甲冑の騎士ばけものより強い存在なんて、もはや想像もつきません。

 ――あいては、あいつよりも、ばけものなのに?
 ――さよう。
 ――じゃあ、それとたたかった『えいゆう』も、ばけものなのか?
 ――いや、それは違う。本当のことを言えば、英雄は、何処どこにでもいて何処どこにもおらん。なぜなら、大いなる敵に立ち向かった事実こそが、英雄が英雄たる所以ゆえんなのじゃから……ただの子ウサギだったワシに、色々と教えてくれた、あの幼いヒトの少女。あの娘もまた、まわりの連中から英雄と呼ばれとった……。

 長老の昔話は続きます。
 とは言っても、当時は子ウサギにすぎなかった彼の視点では、英雄と呼ばれた少女が、邪神と呼ばれる怪物たちと戦い、奴らを見事追い払った……その程度しか分かっていません。

 ただ、当時の子ウサギでさえも、自分を助けてくれた彼女が、言葉では言い表せない高潔な思いを抱いて、生けとし生ける者たちすべての敵に挑んだことは分かっていました。

 そして、自分を助けてくれたあの娘が、ある日突然帰ってこなくなった理由も、察することができました。
 彼女たちが居なくなった代わりに、自分が今日まで生きている――その皮肉な因果関係も、長老ウサギは理解していました。

 ――ちょーろーは、どれだけながいきしてるんだ?

 話が終わると、ペトラはたずねます。

 ――さあのう……ワシは百まではなんとか数えられるが、それでもあまりに長すぎて、それより多くはもう数えておらん。

 長老はそう答えました。

 さらに補足すれば、異界と化している冬に呪われた地では時が凍りついていますから、一概に外の世界と同じようには考えられません。長老を助けてくれた少女……異世界から英雄たちの物語は、実は、全て千年以上も昔のお話なのです。
 しがない老ウサギにすぎない長老が、その事実を知るよしはありませんが。

 ――灰色耳……いや、ペトラよ。

 長老ウサギは改まって、ペトラの名前を呼びます。

 ――お主は、これ以上の強さを望むのは、『なんのため』じゃ?
 ――なんのためって……。

 そんなのもちろん、例の黒い甲羅の化け物とか、平穏な生活を脅かす奴らをやっつけるために決まっています。
 でも、守るべきお姫様が居なくなってしまった以上……何のためと尋ねられると、言葉に詰まってしまいました。

 長老ウサギは続けます。

 ――強さを求めること自体は、決して悪いことではない。問題は、その後どうするかじゃ。手に入れたチカラって、邪神となるか、英雄となるか――其処そこが、その分かれ目となる……。
 ――う~ん、でもさ。

 首を捻りながら、ペトラはふと思ったことを言いました。

 ――つよいやつが、すきかってにいきるのは、あたりまえじゃないか?
 ――ふむ。突き詰めてしまえば……まあ、それも間違いではない。そうじゃな、これはワシの勝手な願いで、ただの望みなのじゃよ。

 ペトラには、長老が何を言いたいか、よく解りませんでした。

 ――じゃが、お主なら大丈夫だと、ワシは信じとるがの……。
 ――う~ん……?
 ――今はそれでよい。お主が満足いくほど強くなったら、もう一度、今の話を思い出してみるのじゃ。

 確かに、今の彼女には難しすぎた話なようです。
 長老の言う通り、ペトラは将来、考えることにしました。

 ――わかった。とりあえず、きょうのところはあっちのすあなにかえるよ! オヒメサマがいなくなっても、あたいにとっては、あそこがいちばんすごしやすいや。
 ――そうか、そうか。じゃあ、気を付けるんじゃぞ。

 長老の言葉を背に受けながら、ペトラは帰路へときました

 * * *

 お姫様が居なくなってから、冬のお城は物寂しい雰囲気でした。
 彼女が居ないだけで、お城全体がまるで、灯りが消えてしまったように暗く沈んでしまったのです。

 やっぱり一番の原因はあの黒オオカミでしょう。
 彼女が居なくなってから、黒オオカミは自分の寝床に引きこもり、しおれたバラの花を眺めるだけの日々を繰り返しておりました。

 ――いまのままじゃ、つまらないからな。

 ペトラは黒オオカミに、早く元気になってほしいと思っていました。
 だって、近ごろの彼は全然相手にしてくれないし、からかって特訓に付き合ってもらおうにも、張り合いがないからです。

 だからわざわざ故郷の森まで行って、長老に相談したのでした。

 ――ただいま~。

 荘厳な白亜の城も、今でなすっかり彼女の巣穴すあな
 正門を塞ぐ鉄格子の隙間から、堂々と入ります。

 ――もどったぞ~……あれ?

 真っ直ぐに黒オオカミの寝床を除くペトラ。しかし、お目当ての相手は姿が見えません。

 ――おーい、どこだ~?

 クゥクゥと鳴いて、地面を足でトントントン……と叩いてみますが、返事はありません。

 ――もう、しかたないなあ……

 ペトラは黒オオカミの姿を、城中探します。

 ――どこだ? どこ?

 本当にお城中を探し回って、ペトラはついに黒オオカミの姿を見つけます。

 その場所は、そこはペトラも黒オオカミも滅多に入らない、ただっぴろいだけの部屋。
 かつてヒトが居た頃は、『玉座の間』と呼ばれていた部屋でした。

「……俺は、何も間違っていない!」

 ――あっ、いた! こんなところにいた、の、か……?

 黒オオカミの怒鳴り声が、玉座の間に響きました。
 どうやら、たまに来る萌木色のドレスを着た少女と喧嘩をしているようす。

 しかし、ペトラを驚かせたのは、その大声ではなく、黒オオカミの変わり果てた姿だったのです。

 一言で言い表せば、黒オオカミではなく藍オオカミになっていました。
 しかし、問題はそこではなく、たてがみが白く染まり、鱗にはしもが降りています。


 冷たい、寒い、怖い――それがペトラから見た、今の黒オオカミの印象でした。


 そして、何より恐ろしいのは、背中に刺さった無数の剣と、全身を赤黒く染める返り血でした。
 そのせいでペトラは、毛皮の色が変わっていることに気づくまでしばらくかかりました。

「だから俺は、そのルールにのっとってやっただけだぜ? なあ、俺は何か間違ったことを言っているか!? どうなんだ、えぇ!? 魔女!!」

 黒オオカミがまくしたてますが、問われた少女はそっと目を閉じ、首を横に振ります。
 そして、そのまま何も答えず黒オオカミに背を向けると、いつものようにフッと姿を消したのです。

「オイコラ! ちゃんと答えろ! 逃げんな!! 逃げてるんじゃねえ!! ふざけるな! ふざけるな!! 魔女ォ!!」

 黒オオカミの慟哭どうこくが響きました。
 しかし、ウサギのペトラは、その姿が恐ろしくて、ただ呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。


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