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エピローグ 強靭不死身の魔獣王

水晶の薔薇

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 ――あの戦いから、早くも数ヶ月が経過した。
 外の世界は、もう新年を迎えたらしい。

 なお、この辺りの国々における新年とは、春の始まり……つまり、冬の終わりが基準だそうだ。
 きっと外の世界は今頃、新芽が萌え、春の花が柔らかなつぼみを開かせていることだろう。

 ……まあ、この冬に呪われた地にとっては、春の訪れなんて何も関係がないがな。
 今日も相変わらず、チラチラと雪が降る冬の城。
 この雪と氷の世界において花と言えば、空よりも青いフランドロープの花や、それをはじめとした限られた種類だけ。

 ああ。それと、最近になって新しい花が一つ増えた――例のバラである。

 この城に来た最初の日、魔女から手渡されたバラの花。
 今は水晶のバラとして作り直された俺の心の具現は、冬の城の中庭で今日も咲き誇っていた。

「……って、いや、これは流石さすがに、咲き誇り過ぎじゃないか?」

 目の前に広がるは、満開に咲き乱れる水晶のバラ園。
 俺は思わず、横に居る放浪の魔女にツッコミを入れる。すると彼女はあきれたように口を開いた。

「この異界の管理者あるじはおぬしじゃからな。お主の魂、その具現であるバラが馴染なじむのは当然じゃろうが」
「そんなものなのか?」

 よく分からない理屈だ。だが、魔法使い的には当たり前の話なのだろうか? 薔薇に囲まれながらピョコピョコと跳ねまわるウサギのペトラを後目しりめに、俺は自分を納得させた。

「そうじゃとも。むしろ、冬に呪われた地の全てを、おぬしのバラがおおい尽くしてもおかしくないんじゃぞ? なのに城の中庭に留まっている事実。まるで、お主のを表しとるようじゃのう」
 麦畑のような金髪を揺らしながら、魔女が小馬鹿にするようケラケラと笑う。

「……ほっとけ」
 いちいち余計なことを言う魔女の頭を、俺は尻尾の先で小突いた。

 ――しかし、まあ、なんと言うか。
 風に吹かれてコテンと倒れた、あの頼りない一輪いちりんのバラ。

 え木が必要なほど貧弱だったはずなのに、なぜかミントかドクダミのように異常繁殖。

 そして殺風景だったあの中庭を、今や見事なバラの庭園に仕立て上げている。
 そう考えれば、なんとも感無量……かもしれない。

 中庭の中央を見れば、それは見事なバラの木が――って、おい。あそこに植えていたのは確か、白リンゴの木だったはずだぞ!?

 別に白リンゴが食べたいだけなら、またりに行けばいいだけの話だが……あの木も、ソフィアとの大切な思い出だからな。
 できれば、大切にしたいのである。

 そんな思い出の喪失にあわてる俺が口を開く直前、あせりの感情を読み取った魔女は先んじて言った。

「心配するでない。ちょっと葉と花の形が変わっただけじゃ。本質は変わらんよ。いずれちゃんと、あの白い林檎りんごが実るはずじゃ」
「そ、そうなのか……?」

 そう言えば、確かにリンゴもバラ科だ。だから、水晶のバラと融合しても何ら不思議は……って、それはさすがに有り得ないだろ。
 いや、だがそもそも、水晶のバラは純粋な植物じゃない魔法の産物だし……深く考えるだけ無駄なのだろうか?

 何にせよ、ソフィアとの思い出が失われていないのなら、俺から文句を言う気にもならなかった。



 ――ちなみに、結局あの日以来、俺はソフィアに会っていない。
 黒騎士との戦いが終わったあと、俺は彼女に会うことなく、この城へと帰って来た。

 特に理由は無い。個人的な感情の問題だ。

 あの日から俺は未練がましくならないよう、なるべくソフィアと距離を置くよう心掛けていた。
 彼女についてやっていることと言ったら……せいぜい魔法の鏡で様子を見守るぐらいのものだろうか。

 あの戦いの終わってから、レヴィオール王国は徐々に復興し始めていた。
 多くの人々が協力した結果、すでにソフィアの故郷はかつての平穏と、美しい街の姿を取り戻しつつある。

 また、連合国とメアリス教国の戦争はまだ継続しているものの、大規模な戦闘は鳴りを潜めていた。

 どうやら、メアリス教国が黒騎士を失った影響は、相当大きかったらしい。
 黒騎士の威光を失った教会は、内乱の広がりにより内側から瓦解しつつあった。

 ……こうなってくると、メアリス教国という国の大部分は、黒騎士のによって成り立っていたと言えるだろう。
 しかも例の映像ビジョンを思い返す限り、黒騎士の罪だっていつわりの歴史である説が濃厚で……。
 と言うことは、黒騎士はありもしない罪を償うために、延々と謝罪と賠償をさせられていたわけで……。
 なんと言うべきか、本当に、人間ってやつは、何処どこの世界でも救えない存在なんだなと思った。

 閑話休題。
 とにかく、問題はまだ数多く残っているが、レヴィオール王国に関しては、とりあえず一件落着と言ってもいいはずだ。

 これからソフィアは、あの国の女王として、アレックスと共に歩んでいくのである。

 彼女がこの城に戻ることは二度と無いだろう。
 そして、必要もないはずだ……そうであることを、俺は願っている。

 もっとも、メアリス教国と連合国の間には、最初から国力や技術力に差があった。
 そのため、戦争そのものはまだまだ終わらないと思われる。

 人間の社会ってやつは複雑だ。
 今回の戦争でメアリス教国は散々やらかしたが、それでも連合国側が勝利して『めでたし、めでたし』とはならなかった。

 ――それに、人間同士だけの問題ではない。

 少なくとも表面上は平穏が戻っているが……その平和も仮初かりそめで、虚構にすぎないことを、俺は知っている。

「邪神……東雲しののめアリス…………」
 俺は空を見上げ、世界から忘れ去られた少女の名をつぶやいた。

「なんじゃ、難しい顔をしおって。らしくもないのう」
「ああ。ちょっと、これからのことを……邪神のことを考えていたんだ」

 考えてみれば、星詠みの魔女はずっと、なるように俺たちを誘導していたのだろう。
 例えば、俺が彼女に一矢報いたあの戦いも……今になって思えば、彼女が指導してきたのは、黒騎士への対処法

 確かに、黒騎士の炎は精霊を殺した。
 だが、
 にもかかわらず、星詠みの魔女が俺に叩き込んだのは、精霊を支配してくる超常の存在を相手取るための戦い方であった。

 つまり、彼女が想定していた敵は、黒騎士ではなかったと考えるのが自然だ。
 あれは――そう、明らかに、邪神アリスか、それに類する存在と戦うための授業だった。

「……結局お主は、この世界に残るんじゃな?」

 おもむろに、放浪の魔女がたずねてきた。
 だがその質問は、この数ヶ月で何回もかれたものだ。
 俺の答えは変わらない。

「ああ。と言うか、あんなのを知ってしまったら、帰るわけにもいかないだろ」

 あの日見た映像ビジョンが全て本物だと仮定するならば――肉体を得た邪神は完全な封印をされていないはずだ。
 その上、彼女の発言から、邪神アリス以外にも似たような存在が複数居ることは確定している。

 おまけに……これは俺の勘だが、封印が解ける日も、おそらく遠くはないだろうと思う。
 だからこそ、星詠みの魔女は、俺の神殺しの炎を引き継がせたはずなのだから。

「この蒼い炎でしか、邪神は殺せない。ならば、俺がやるしかない。これからソフィア達が生きるこの世界を、奴らの好きにさせるわけにはいかない」

 それに、奴らがこの世界を好き勝手に蹂躙じゅうりんし終わったら、また別の世界へ旅立つのかもしれない。
 異なる宇宙せかいから、この世界へ来たのと同じように。

 そして次なる世界は――奴ら邪神は、英雄たちを通して、
 その可能性は、無視できなかった。

 ロクな思い出はないが……それでも、あそこは故郷なのだから。

「あとさ、ほら……約束しちまったからな。多分雪とか氷の精霊たちに、『ずっと一緒に居てやる』って」
 初めて彼らの声を聞いた日、確かに俺はそう答えた。
 あと、あの黒い炎から聞こえた声も『連れて行け』って言ってたし、下手へたに約束を破ったら逆恨みされそうで怖い。

「第一、帰れるのかよ? 見てのとおり、魔法は解けなかったぞ」
「じゃが、お主は確かに『真実の愛』を学び、間違いなく誰かから愛された。わしが思っていた形とは違うが、魔法を解く条件は満たしておる」
「なるほど。で、その代償は? またあんたが自分を代償にするのか?」
 俺が鎌をかけると、放浪の魔女は言葉を詰まらせた。

「……やっぱり、帰れないな。いろんな意味で」
 俺は改めて確信する。
 人のこころを捨てず、獣の正義チカラも捨てず――俺が選ぶのは、その欲張りセットで確定だ。

「ま、悪いことばかりじゃないさ。なんにせよ、やっと念願のスローライフだしな」
 この壮大な冬の景色を独り占めにして、毎日温泉に入り放題。
 住めばみやこの冬の城!
 なんて素敵な毎日なのだろう!

 ……まあ、いずれ戦いの日々が訪れるのは避けられないだろうが。
 とりあえず、次に星辰がそろう日とやらまでは……ゆっくりと休ませてもらうことにしよう。

「しばらくはれたれられただの、恋愛話もこりごりだ。美女の愛はノーサンキューだぜ!」

 俺は冗談めかして笑い声をあげた。



「そうか……お主は真の敵を、その先にある運命を知ったからこそ、あえて戦う道を選ぶか……」
 放浪の魔女は感心したように……そして、なぜか悲しそうに言った。
「きっと、かつての英雄たちも、お主のようなお人好しだったのじゃろうな」
「普通だろ。明らかな脅威があって、自分になんとかできるチカラがある。そんな状況なら、放っておけないのが当たり前だ」
「……そうじゃのう」
 魔女はスミレ色の瞳を閉じ、天を仰いだ。

「――ならば、約束通り、お主に新しい名をくれてやろう」
「名前?」
「お主がつ前に言ったじゃろ。忘れたか?」
 そう言えば、レヴィオールに向かう直前、そんなことを言われた気がするな。

「星詠みはお主のことを“フィンブルヴェトル”と呼んだ。じゃが、その名はあまりにも……救いがなさ過ぎる。ゆえに――お主は今日から“インヴェルノ”と名乗るがよい」

 インヴェルノ。インヴェルノか……。
 俺はその音を、口の中で何度か反芻はんすうする。

 中二病的にはフィンブルヴェトルも捨てがたいが、インヴェルノもなかなか格好良い響きじゃないか。格好良すぎて、俺には似合わないような気さえしてくる。

「インヴェルノ。悪くない。だが、それって、どういう意味だ?」
 俺は魔女にたずねる。
 固有名詞として使われているからか、その言葉は翻訳の対象外だった。
「勉強不足じゃのう。お主の世界では、イタリア語で“冬”を意味したはずじゃ」
「あ、地球産の言葉なのね」
 でも、なんでイタリア語?
「お主の故郷に合わせるなら、“マフユ”なんかも候補じゃったが……」
「あー……確かに。それだとちょっと、俺には可愛すぎるかな?」
 どう考えても、俺は『マフユちゃん』なんてがらじゃない。それは女の子か美少年につけるべき名前だ。

 俺の見た目じゃ、百歩譲って“厳冬ゲントウ”あたりが関の山……いや、こんな渋い名前だと、名前負けしちゃうか。
 ならば、原作にちなんで“ビースト”あたりか?

「名付けには重大な意味がある。“ビースト”と名付けてしまえば、お主は死ぬまで獣のままじゃ。だが、“インヴェルノ”ならば、何時いつの日か春が訪れるかもしれん」
「へえ……なるほどな」
「ま、真剣に考えたところで、気休め程度にしかならんのじゃがのう」
 そう言って、魔女は俺のたてがみを撫でた。
 だが、きっとその名付けの儀式は……彼女なりの、運命に対する、ささやかな抵抗だったのだろう。

 俺としては別に、インヴェルノという名に不満があったわけではない。
 そんな願いが込められているのなら、素直に受け取っておこう。

「よし、決まりじゃな。お主の名はインヴェルノ。心無き獣ではなく、滅びの前兆でもない――冬をべる者、インヴェルノじゃ!」

 魔女はまるで、騎士を任命する姫君のように、正面から俺の肩に錫杖しゃくじょうを当てる。

「そして、我が二つ名、“放浪”の名にけて、お主の魂に絶対の自由を保障しよう!!」
「……うけたまわった」

 水晶のバラ園にて、冬の王の戴冠式。
 俺は正式な冬の王として、うやうやしくお辞儀をした。



 ……まあ、新しい名前をもらったところで、特に何かが変わるわけでもない。

「なに、お主は一人ぼっちにならんよ。ペトラもおるし、仮面の嬢ちゃんたちも相変わらずじゃ。儂だって時々様子を見に来るつもりじゃからのう」
 放浪の魔女が言った。

「……そうか、それは良かった。あの大量に作らされたソーセージ、無駄にするのは勿体もったいなかったからな」
 その他愛ない軽口に、俺たち二人は笑い合った。



「あっ、そうだ。ついでと言っちゃなんだが、この世界でもバラの花言葉は『愛』で合っているのか?」
 ひとつひらめいた俺は、魔女に質問する。

「なんじゃ? 藪から棒ミミックみたいに……まあ、そうじゃな。バラの花言葉は、愛で合っておるはずじゃよ」
 そうか。それを聞いて安心した。

「お主、何をする心算つもりじゃ?」
「別に。ただ……」

 俺は周囲に咲き誇るバラの中から、形の良い花を選びながら言った。

「永遠に枯れない水晶のバラ――結婚式の贈り物としては、縁起良いだろ?」

 そして、心に整理をつけ、決別するための贈り物。

 このバラたちは俺の魂の一部らしいが、これだけいっぱい咲いているんだ。少しぐらい他人にあげても大丈夫だと思った次第である。


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