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最終章 北風と太陽の英雄譚

神殺しの牙

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 はからずも魔獣に引き継がれた神殺しの炎は、騎士の黒い炎と違ってあおく、そして冷たく燃えていた。

 魔獣の魔力マナと命をかてに燃える炎は通常のそれと異なり、触れれば熱を――ぬくもりを奪われる。

 例えば、それが生き物に触れたのならば、火傷ではなく凍傷を負うだろう。

 あるいは、それに水が触れれば、蒼い炎は水を凍らせるだろう。

 炎のことわりに逆行する冷たい炎は、騎士の黒い炎にかれた魔獣の体をいやした。

 雪と氷で肉体を再構築できる魔獣にとって、蒼い炎は毒ではなく薬となる。
 黒焦げた肉が、皮膚が、毛皮が、まるで逆再生される映像のように、蒼い炎によって修復されていく。

 だが、この徐々にえていく傷を見過ごすほど黒騎士は甘くない。
 黒騎士は世界を崩壊させるかのような雄叫びを上げながら、黒い炎を激しく燃え上がらせ吶喊とっかんした――その姿からは、さっき走馬灯そうまとうのようにめぐった、初代黒騎士の映像ビジョンが連想された。

 思えば、かぶとが外れた黒騎士の素顔、その表面を這い回っていた毒蟲のような呪詛。
 さっき見えた映像ビジョンが過去の真実であると仮定するならば――あれこそが、過去の騎士が残した無念を、残留思念を封じるために仕掛けられた、邪神の呪いだったのかもしれない。

 背中から生えた黒い炎の腕が、魔獣へ殴り掛かる。
 対する魔獣は、蒼い炎の息吹ブレスを放った。

 沸騰と蒸発を繰り返すような激しい音と、目をくほどに強烈な光。

 拮抗きっこうする蒼と黒の炎。ぶつかり合う熱と冷気が相殺し合う。

 黒騎士はもう一本の燃える腕を構え、魔獣を目掛けて振り上げた。ボクシングで言うところアッパーカットだ。
 しかし、巨大な腕の軌道を見切った魔獣は一歩後退し、後ろ脚で立ち上がる。そして、そのこぶしてのひらで受け止めた。

 炎の腕は、そのこぶしをがっしりと握り潰され、魔獣の怪力によって満足に動かすこともできなくなる。
 だが、それに対応するために魔獣が後退し、彼が吐いていた息吹ブレスが途切れた。よって、抑えられていたもう一本の手が結果的に自由となる。

 ゆえに黒騎士は、ここぞとばかりにそっちの腕でも魔獣の顔面を狙った……だが、魔獣は難なく、そちらのこぶしも逆の手で受け止めた。

 そして始まるは、純粋な力比べ。両者ともに一歩も引かない。
 黒い炎の腕と魔獣の両腕が互いにつかんで押し合うなか、にらみ合う二人の視線が火花を散らす。

 ――もはや一方的に黒い炎でかれる魔獣ではなかった。
 その両腕は凍る蒼い炎をまとい、凍結の属性を帯びた籠手ガントレットとなっている。

 互いの炎が、相手の炎を滅ぼし合う。
 二柱の怪物が、真正面から、全身全霊を賭けて、チカラってねじ伏せ合う。

 命を対価に魔術を燃やす炎は、魔獣の存在に非常に馴染んでいた。
 まるで彼の欠けた部品パーツを埋めるかのごとく、不死身の怪物をより完全な存在へと仕上げたのだ。
 いて不満を上げるなら……蒼い炎が燃えている間は、精霊に頼みごとができないことぐらいだろうか。

(まあ、流石にそれは贅沢ってものか)
 黒騎士とにらみ合いながら、魔獣はにやりと牙をいた。

 確かに精霊との併用ができないのは、この蒼い炎の欠点だ。
 厳密に言えば、できないことも無いのだが……精霊すら焼き払う神殺しの炎、そのそばに彼らをはべらせるのは酷だろう。

 加えて、精霊に任せた攻撃は簡単な牽制けんせいか、そうでなければ周囲の環境を巻き込んだ大規模な災害となりがちだった。
 精霊への命令権は、微妙に融通ゆうずうが利かない能力でもあったのである。

(それに、黒騎士との一対一タイマンなら、こっちのほうが都合良い。だから、これで問題ない!)

 魔獣はそう割り切ると、おもむろあぎとを開き、思いっ切り息を吸い込んだ。
 その口内、のどの奥の奥では、はらの中で青白いエネルギーが臨界に達しているのが見て取れる。
 そして、充分にエネルギーを溜めるやいなや、魔獣は蒼い炎の息吹ブレスを黒騎士へ目掛けて吐き出した。

 魔獣の口から放たれた蒼い炎は、まるでバーナーかフレアのような勢いで、激しく、一直線に鎧をつらぬこうとする。
 だが、その息吹ブレスは炎の壁に防がれた。
 魔獣がエネルギーを溜めている段階で危険を察した黒騎士が、目の前に炎の盾を作りだしたのだ。

 しかし、長期戦及び消耗戦が黒騎士にとって不利なのは揺るぎない事実。
 仮にこの後も魔獣の攻撃を完璧に防ぎ続けたところで、黒騎士に勝利は有り得ない。

 よって彼は反撃をこころみた。

 選んだ手段は、意外性と速攻性重視の正面突破。

 短期決戦だ。決着をつけよう。

 黒騎士は作り出した炎の盾を自ら切り裂いて、その陰から魔獣の不意をこうと打って出る。

 黒い炎をまとわせた騎士剣ブレードが、強引に息吹ブレスを散らしながら――その姿はまるで、災厄ドラゴンに立ち向かう騎士のように。

 ――いや実際、この魔獣はなのだ。

 彼は不死身の怪物でありながら、『全ての命を憎んだ』冬を統べる王でもある。

 もちろん、多少の誇張や脚色は含まれているが……冬という季節が、生きとし生ける者たちにとって、厳しい季節である事実に変わりはない。

 おまけに、その怪物は神殺しの炎まで宿してしまった。

 もはや、世界中のあらゆる存在から恐れられる未来は避けられないだろう。

 何時いつの日か神殺しをす怪物。
 彼の名はその一柱として、星詠みの魔女が持つ予言にも記されている。



 崩壊の前兆にして、神殺しの牙。
 終焉しゅうえんを告げる不死身の魔獣。

 邪悪なる神々との最終決戦ラグナロク、その開戦はじまりを告げる獣の王。

 ――『大いなるフィンブル冬の獣ヴェトル』と。



 冬の魔獣が咆哮を上げる。

 そのたかぶりに、蒼い炎が激しく燃え上がる。

 炎は魔獣を中心とした一つの火柱となって、凍る闘技場の中央にそびえ建ち、冬の王に剣を向けた愚か者を吹き飛ばした。

 火柱から吹き付ける風は、熱風ではなく冷たい風だ。
 蒼い火柱によって周囲の氷が壊され、再び造られ……破壊と創造を繰り返し、魔獣を中心に無数の鋭い氷柱が連なった蓮華坐れんげざを形成した。

 一方で、吹っ飛ばされた黒騎士の鎧の一部は凍りつき、氷の張った湖の上を転がった。

 かつて黒騎士が、これほど一方的に無様な姿をさらすことがあっただろうか?
 それでも彼は立ち上がると、魔獣に立ち向かう。

 黒き騎士ニブルバーグ末裔まつえいとして、その使命を果たすために。


 …………使命?
 はたしてそれは、いったい何のことだっただろう。


 誰かを守りたいと誓ったような気がした。
 誰かを救いたいと願ったような気がした。

 だが、今となっては黒騎士自身にとっても曖昧あいまいだった。
 ただ、勝利の先に、自分の心を救ってくれたあの少女が居ないことだけは知っていた。

 その後も、黒騎士は攻撃の手を緩めず、魔獣をほふろうと剣を振る。
 極限まで磨かれた剣技の一つひとつが、鋭く正確に魔獣の命を狙う。

 なのにどうしてか、垣間見える彼の研鑽けんさんの全てが、今となってはただただ哀れで悲しかった。

 されど続く、命を削るような接近戦。
 お互いが致命傷をかわし、必殺の一撃を相手に叩き込み続ける。
 剣が、爪が、牙が、拳が、尾が、そして二色の炎が、何度も何度も交差する。

 黒い炎と蒼い炎。
 それらは競い合うように火力を増していく。

 この戦いにおいて、より弱いほうの炎が、相手に呑まれて消えて逝く運命さだめ
 ゆえに、火力のインフレーションはエスカレートしていく。

 黒騎士と魔獣の殺し合いは、一見すると五分五分だった。

 ――しかし、五分五分であるならば、黒騎士の敗北は決定的だ。

 なぜなら、死を失った魔獣と、限りある命を対価に剣を振るう黒騎士……このまま踊り続けて、どちらが先に力尽きるかなど、考えるまでもなく明白だろう。

 何より、ここは湖の上につくられた氷の闘技場。
 魔獣の蒼い炎に対抗するため熱を増した黒い炎は、騎士の足場を不安定に融解させていく。

 どれほど巧みに足場を移動し続けても、火力が増せば氷の融ける速さが早くなる。
 戦闘継続の難易度が、加速度的に高くなっていく。

 だからと言って、黒騎士が火力を弱めれば、そのまま彼が蒼い炎の餌食となって決着がつくだろう。

 つまり、この戦いは――すでにチェック・メイトを迎えていた。



 約束された結末は目前に。逃れることはできない。
 そしてついに、運命の瞬間が訪れた。


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