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第八章 孤独と再誕の童話
孤独の選択(下)
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言い得て妙だと、俺は思った。
悔しいが、もし自分の人生に題名を付けるなら、確かにそれが相応しいかもしれない。
「今日まで、貴方は自分を否定し続けました。
それは無力だったが故にそうせざるを得なかったのか、自らそうすることを選んだのか……ステラちゃんには、分かりません」
振り返れば、いつだってそうだった。
何かを受け入れるために自分を殺すしかなかったり、他人を肯定するために自分を否定するしかなかったり……そしてその結果、何も成せてないのだから、そう言われても仕方がない。
俺はただ生きているだけだ。
もしくは死んでいないだけで――自殺するまでもなく、俺は初めから自分の人生を“生きて”なんかいなかった。
「そして、自分を否定するために、必死で英雄たちやソフィア姫から、人間のあるべき理想を見出します。
その理想を通して、貴方は人間の性を無条件に肯定するのです」
自分が弱く、醜い存在である自覚があったからこそ、他人の美しさを信じたかった。
自分が苦しくて悲しいのは、自分のせいだと信じたかった。
俺の考えは全部、悲観主義の被害妄想で――本当は、世界はとても美しいのだと信じたかった。
「同時に、貴方は自身を通して見ることで、人間を否定しています。
自分が嫌いだからこそ、その醜さを他人にも見出してしまうのかも知れません」
自分なんかより、さぞや素晴らしい存在であるはずの他人。
自分の全てが嫌いだったからこそ、他人の姿に醜さを見出したとき、俺はより深い憤怒と憎悪に駆られた。
ただでさえ醜い自分より、さらに醜い奴らには――もはや、存在する価値すらないと思っていた。
自分を愛せなかったから、他人を赦すこともできなかった。
そして粗探ししていくうちに、この世の全てが醜く思えてきて、全てが嫌いになって、全ての存在価値を否定するようになっていった。
「肯定と否定はやがて現実と理想を乖離させ、致命的な矛盾が生じ、やがて不信や拒絶といった結論を導き出しました」
優しさが無味乾燥したものに思えた。
愛という言葉が信じられなくなっていた。
皆死ねばいい、何もかもが滅びればいい。
独りで死ぬのが怖くて、そんなことすら願ってた。
そして、そんなことを考える自分の醜さが、さらに自分を否定する材料となった。
「それでも貴方は内心をひた隠し、人間を演じてきた。おそらく、今まではそれで、なんとでもなったのでしょう。
貴方に必要とされた“善”とは、人格を消して、他人の都合に合わせながら生きることだったはずですから……貴方が貴方である必要はなかった。
自己否定さえすれば、全てが丸く収まったのですよね?」
だから、俺はある意味、自分の意思で生きることを恐れていた。
俺に求められていたのは、都合の良い人形であり続けること。
肯定と否定の無限ループの中で、報われることのないまま、変わらない日々を、何かに追われるように過ごしていた。
「しかし、本来『死』とは、終わりであると同時に始まりであるべきです。
なのに、貴方の『自分殺し』は、新しい変化を否定し続けました」
変化は必要なかった。
俺は変化することが嫌いだった。
あるいは、怖かったと言い換えてもいいだろう。
何かが変わったところで、どうせ今が一番ましなのだ。
俺の未来に希望はない。自分が得られる幸福なんて、ありはしない。そう思いながら、自分を殺し続けてきた。
「否定と肯定、永遠に同じ場所を回り続ける思考のループ。
一種の自己防衛だったそれは、何時しか『何かをしない言い訳』から『何もできない理由』へと変わっていったのです」
何もやらないくせに、できないくせに、隷属することと、諦める言い訳ばかりが上手くなる。
その結果が、ブラックIT企業での社畜人生だ。
この世界に無数にいる、誰でもいい存在。いくらでも代替が利く奴隷。
流され続けて、ずっと俺は何者にも成れないでいた。
どうでもいい話だが、ループと聞いて俺は“メビウスの輪”を連想する。
矛盾した肯定と否定を永遠にぐるぐると回る……まさに捻くれた無限ループだ。
「ですが……これ以降の運命に、『魔女に騙され続ける憐れな魔獣』なんて必要ありません」
メビウスの輪から抜け出せず、同じ場所を永遠に駆け廻る魔獣に、星詠みの魔女は告げる。
「いい加減、お気付きですね? 世界に貴方が望むような意味なんか、どこにも無い。
善も悪も、正義も道徳も、誰かの都合にすぎないのですから」
……ああ。そんな事、とっくに気が付いているさ。
「強いて、この世に正義なんてものがあるとすれば――その在り処は、それぞれ今を生きる者達の胸の中にだけ……しかし、それは絶望ではなく、希望なのです」
いつの間にか俺の隣まで歩み寄っていた星詠みの魔女。彼女は俺の鬣を、そっと撫でる。
「その“不死”の根幹をなす、あまりにも深すぎる自己嫌悪……ですが、それが必要だったのは、しょせん過去の話。
今の貴方を否定しているのは、他ならない貴方自身ですよ?」
俺は沈黙のまま、自分が何をしたいのか考えた。今回は血で汚れた自分を否定せず、ちゃんと最後まで考え直してみた。
しかし、その答えは――とっくの昔に出ていたものだった。
「なぜ貴方は、まだ迷っているのですか? 力こそが正義――そして、既に未来を選ぶための“正義”を、貴方は手に入れているはずです」
たとえば、それは『夢』だったり、『やりたいこと』だったり、『どんなふうに生きたいか』だったり……何れにせよ、自分でやるしかない。
結局のところ、どれだけ理由をこじつけたって、自分が望むように生きられるのは、自分しかいないのだ。
自分にとって大切なものを守りたいのなら、大切なことを貫きたいのなら、その現実から目を背けてはいけない。
どれだけ汚れたって、傷ついたって、逆に傷つけたって、自分で最初の一歩を踏み出すしかないのだから。
そんな当たり前なことすら知らずに育った事実が、俺は今さら恥ずかしくなった。
「誰かから肯定されないと、前に進めませんか? 皆に認められないと、前へ進めませんか?
必要なら、ステラちゃんが肯定してあげますが……もう、貴方はそれに意味がないことを知っているはずです」
他人が嫌いだったはずなのに、世の中が嫌いなはずだったのに。
悪党になれずとも、聖人や正義の味方にだってなってやるつもりはなかったのに。
弱者を虐げる力を手に入れてなお、俺はそれを嫌だと思ってしまった。
やっぱり俺は初めから、不要なものを捨てることができない、矛盾に満ちた出来損ないの怪物だったのだろう。
しかし……今だけは、その矛盾した性根も悪くないと思った。
ただ一つ付け加えるなら、今度は彼女を泣かせたくない。
ふと、最初の狩りの夜に言われた、放浪の魔女の言葉を思い出す――大丈夫さ、今度は自分のことだって、不要に傷付ける真似はしない。
俺は心にそう誓った。
「そう。最後に必要なのは、貴方自身の覚悟。手に入れた正義で、貴方はこれから何を成すのでしょうか?」
星詠みの魔女は問いかける。
自分の未来は、自分で決めろってことか。
俺は目を閉じて思い出す。守りたかった少女を、救いたかった者たちを。
そして、そのために俺は自己進化を繰り返し、何もかもを喪失してしまったんだ。
でも、何もかもを失ってなお、譲れないものがある……それを皮肉にも今夜、彼女によって気付かされた。
――報われなくても構わない。
最後にもう一度だけ、幸せそうに笑う彼女の顔を見たいんだ。
俺はやっと、心から自分が望んでいるものに向き合うことができた。
「……真面目な話は疲れますね。さて、ステラちゃんの昔話はここまでです。この運命の続きは、貴方自身の意志で選んでください♪」
ここまで喋りつづけた星詠みの魔女は、ふうっと小さくため息を吐く。
鬣を撫でていた星詠みの魔女の手が、静かに離れた。
閉じていた瞼を開くと、水晶のバラを持つ星詠みの魔女が正面に映る。
「さあ、嘆きの季節は終わりです。そろそろ前に進む覚悟はできましたか?」
そうだ。何一つ成し遂げられないままでは終われない。
無力な奴隷のままでは終われない。
この世界は、残酷である。
あらゆる存在が、俺たちを奴隷のように支配しようと、野蛮な力を以って虐げてくる。
でも、それに屈して、なんのために生きたいかすら自分で決められなくなることは――それ以上に悲しいことだ。
現実では、無力な者が何を言っても、それは結局踏み躙られるだろう。
だが、俺は人間でなくなって、その理不尽を跳ね返せるだけの力を手に入れた。
だから、俺には正義を掲げる権利がある。
俺の正義を行使する権利がある。
この考えが傲慢で独善的で、自分本位なのは理解しているさ。
でも、そんなの俺だけじゃない。これ以上卑屈になり過ぎる必要はない。
それに、冬の城で世界を憎みながら、永遠に嘆き続けるよりは……よっぽどいいだろう?
「俺は……ソフィアを、助けに行く」
これは、これだけは、俺が自分で“やる”と決めたことだ。
他人の都合で回っていた世界を、これからは俺の“都合”で回してやる。
正義の味方だなんて、大層なことを言う心算は無い。
ただ、せっかく力を手に入れたのだから、俺は俺なりに、超越者を演じながら、後悔しないよう、格好良く生きたい。
これからはもう、理不尽な世界や弱い自分を言い訳に使えないし、逃げることはできない。
自分以外の全てが、敵になるかもしれない。
でも、本気で生きるってのは、きっとそういう事だから。
俺は自分の“正義”を貫く。
その覚悟は、出来ている。
この世界は“力こそ正義”。
そして、俺は“冬の王”。
永遠を生きる、強靭不死身の魔獣王だ。
文句がある奴はそれでいい。俺だって、万人に理解されようとは思っていない。
立ちはだかる敵には、全身全霊を以って相手をしてやろう。
だから、その時は――命を賭けて、掛かって来い。
「……どの未来を選ぶか、覚悟は決まったみたいですね」
星詠みの魔女が、口を開いた。
「ああ。時間をかけて、悪かったな。でも、やっと心が決まった――俺は、力も、心も、どちらも捨てず、魔獣として永遠を生きる!」
俺は進むと決めた未来を、星詠みの魔女に告げた。
星詠みの魔女は俺の答えを聞くと、そっと微笑んだ。
そして、彼女が水晶のバラを掲げると――そのバラは彼女の手から、煙のように姿を消した。
…………姿を消した?
いや、なんでさ。
訳が分からない。消えちまったぞ、おい。
数秒ほど沈黙が流れた。だが彼女は微笑むばかりで、俺はどうすればいいのか分からない。
「な、なあ……なんだよ、この間は? バラを返してくれるんじゃ、ないのか?」
俺は戸惑いながら、なるべく穏やかな声音で尋ねてみる。
「え? 返す? なぜですか? ステラちゃん、一度でもそんなことを言いましたっけ?」
惚けた調子で返す星詠みの魔女。
これは……冗談のつもりだろうか? まったくもって笑えない。
俺の覚悟とか迷いとか、あとさっきの昔話の下りとかも、なんかもう色々と台無しであった。
「……なあ。ふざけるのも、大概にしろよ。せめて、時と場合を選んでくれ」
急に老け込んだような気持ちで文句を言う俺……なんて言うか、新たなる旅立ちの出鼻をくじかれて、がっかりとした気分だ。
しかし、星詠みの魔女は言った。
「いいえ、ふざけていませんよ? 最初から素直に返してあげる心算なんて、ありませんでしたから♪」
ヒラヒラとした衣装を翻す星詠みの魔女。同時に感じる、得体の知れない重圧。
俺は本能的に後方に跳ね、彼女から距離を取り、前傾姿勢で身構えた。
「……どういうことだ?」
止まない雪の中、緊張の奔る枯れ木の森。
俺が問いかけると、彼女は見えない星空を仰ぐように両手を広げた。
「だって、ステラちゃん的には、このバラを諦めてほしい場面ですし? 貴方は未来を選ぶ前提条件を、やっと満たしたにすぎないのです」
――確かに、彼女は“俺がバラを諦める未来”がお勧めだと言っていたな。
俺はそのことを思い出す。
「まっ、このままでも予定通りと言えば、そのとおりなのですが……ステラちゃんの思惑は、また別なので♪」
微笑む顔は相変わらずだが、明らかに彼女の雰囲気が変わった。
いや、むしろ笑みはますます深くなり、今は悪戯を仕掛けようと企んでいるような、にやける表情になっていた。
「それに、さっき貴方も納得してましたよね? より強い者が、望む未来を手に入れる。それが当たり前のお話だって。と、いうわけで、そろそろ再開いたしましょうか♪」
全力ではないが、本気――星辰から未来を読み解き、運命を操る星詠みの魔女が、俺の前に立ちはだかる。
「なにより、今の貴方では、弱すぎます。このままでは、黒き騎士の末裔にすら、あっさりと殺されちゃうかもしれません」
星詠みの魔女はクスクスと笑った。
「未来を勝ち取りたいのですよね? でも、自ら最も過酷な運命を選ぶのだから……せめて一矢くらい、ステラちゃんに報いてくれませんと!」
周囲から彼女の下へ魔力が集う。俺が知る限り、彼女がこれほどの魔術を行使するのは初めてだ。
どうやら、この戦いもまた、避けられないらしい。
こうして、俺が再び立ち上がるための、再誕の試練が始まった。
悔しいが、もし自分の人生に題名を付けるなら、確かにそれが相応しいかもしれない。
「今日まで、貴方は自分を否定し続けました。
それは無力だったが故にそうせざるを得なかったのか、自らそうすることを選んだのか……ステラちゃんには、分かりません」
振り返れば、いつだってそうだった。
何かを受け入れるために自分を殺すしかなかったり、他人を肯定するために自分を否定するしかなかったり……そしてその結果、何も成せてないのだから、そう言われても仕方がない。
俺はただ生きているだけだ。
もしくは死んでいないだけで――自殺するまでもなく、俺は初めから自分の人生を“生きて”なんかいなかった。
「そして、自分を否定するために、必死で英雄たちやソフィア姫から、人間のあるべき理想を見出します。
その理想を通して、貴方は人間の性を無条件に肯定するのです」
自分が弱く、醜い存在である自覚があったからこそ、他人の美しさを信じたかった。
自分が苦しくて悲しいのは、自分のせいだと信じたかった。
俺の考えは全部、悲観主義の被害妄想で――本当は、世界はとても美しいのだと信じたかった。
「同時に、貴方は自身を通して見ることで、人間を否定しています。
自分が嫌いだからこそ、その醜さを他人にも見出してしまうのかも知れません」
自分なんかより、さぞや素晴らしい存在であるはずの他人。
自分の全てが嫌いだったからこそ、他人の姿に醜さを見出したとき、俺はより深い憤怒と憎悪に駆られた。
ただでさえ醜い自分より、さらに醜い奴らには――もはや、存在する価値すらないと思っていた。
自分を愛せなかったから、他人を赦すこともできなかった。
そして粗探ししていくうちに、この世の全てが醜く思えてきて、全てが嫌いになって、全ての存在価値を否定するようになっていった。
「肯定と否定はやがて現実と理想を乖離させ、致命的な矛盾が生じ、やがて不信や拒絶といった結論を導き出しました」
優しさが無味乾燥したものに思えた。
愛という言葉が信じられなくなっていた。
皆死ねばいい、何もかもが滅びればいい。
独りで死ぬのが怖くて、そんなことすら願ってた。
そして、そんなことを考える自分の醜さが、さらに自分を否定する材料となった。
「それでも貴方は内心をひた隠し、人間を演じてきた。おそらく、今まではそれで、なんとでもなったのでしょう。
貴方に必要とされた“善”とは、人格を消して、他人の都合に合わせながら生きることだったはずですから……貴方が貴方である必要はなかった。
自己否定さえすれば、全てが丸く収まったのですよね?」
だから、俺はある意味、自分の意思で生きることを恐れていた。
俺に求められていたのは、都合の良い人形であり続けること。
肯定と否定の無限ループの中で、報われることのないまま、変わらない日々を、何かに追われるように過ごしていた。
「しかし、本来『死』とは、終わりであると同時に始まりであるべきです。
なのに、貴方の『自分殺し』は、新しい変化を否定し続けました」
変化は必要なかった。
俺は変化することが嫌いだった。
あるいは、怖かったと言い換えてもいいだろう。
何かが変わったところで、どうせ今が一番ましなのだ。
俺の未来に希望はない。自分が得られる幸福なんて、ありはしない。そう思いながら、自分を殺し続けてきた。
「否定と肯定、永遠に同じ場所を回り続ける思考のループ。
一種の自己防衛だったそれは、何時しか『何かをしない言い訳』から『何もできない理由』へと変わっていったのです」
何もやらないくせに、できないくせに、隷属することと、諦める言い訳ばかりが上手くなる。
その結果が、ブラックIT企業での社畜人生だ。
この世界に無数にいる、誰でもいい存在。いくらでも代替が利く奴隷。
流され続けて、ずっと俺は何者にも成れないでいた。
どうでもいい話だが、ループと聞いて俺は“メビウスの輪”を連想する。
矛盾した肯定と否定を永遠にぐるぐると回る……まさに捻くれた無限ループだ。
「ですが……これ以降の運命に、『魔女に騙され続ける憐れな魔獣』なんて必要ありません」
メビウスの輪から抜け出せず、同じ場所を永遠に駆け廻る魔獣に、星詠みの魔女は告げる。
「いい加減、お気付きですね? 世界に貴方が望むような意味なんか、どこにも無い。
善も悪も、正義も道徳も、誰かの都合にすぎないのですから」
……ああ。そんな事、とっくに気が付いているさ。
「強いて、この世に正義なんてものがあるとすれば――その在り処は、それぞれ今を生きる者達の胸の中にだけ……しかし、それは絶望ではなく、希望なのです」
いつの間にか俺の隣まで歩み寄っていた星詠みの魔女。彼女は俺の鬣を、そっと撫でる。
「その“不死”の根幹をなす、あまりにも深すぎる自己嫌悪……ですが、それが必要だったのは、しょせん過去の話。
今の貴方を否定しているのは、他ならない貴方自身ですよ?」
俺は沈黙のまま、自分が何をしたいのか考えた。今回は血で汚れた自分を否定せず、ちゃんと最後まで考え直してみた。
しかし、その答えは――とっくの昔に出ていたものだった。
「なぜ貴方は、まだ迷っているのですか? 力こそが正義――そして、既に未来を選ぶための“正義”を、貴方は手に入れているはずです」
たとえば、それは『夢』だったり、『やりたいこと』だったり、『どんなふうに生きたいか』だったり……何れにせよ、自分でやるしかない。
結局のところ、どれだけ理由をこじつけたって、自分が望むように生きられるのは、自分しかいないのだ。
自分にとって大切なものを守りたいのなら、大切なことを貫きたいのなら、その現実から目を背けてはいけない。
どれだけ汚れたって、傷ついたって、逆に傷つけたって、自分で最初の一歩を踏み出すしかないのだから。
そんな当たり前なことすら知らずに育った事実が、俺は今さら恥ずかしくなった。
「誰かから肯定されないと、前に進めませんか? 皆に認められないと、前へ進めませんか?
必要なら、ステラちゃんが肯定してあげますが……もう、貴方はそれに意味がないことを知っているはずです」
他人が嫌いだったはずなのに、世の中が嫌いなはずだったのに。
悪党になれずとも、聖人や正義の味方にだってなってやるつもりはなかったのに。
弱者を虐げる力を手に入れてなお、俺はそれを嫌だと思ってしまった。
やっぱり俺は初めから、不要なものを捨てることができない、矛盾に満ちた出来損ないの怪物だったのだろう。
しかし……今だけは、その矛盾した性根も悪くないと思った。
ただ一つ付け加えるなら、今度は彼女を泣かせたくない。
ふと、最初の狩りの夜に言われた、放浪の魔女の言葉を思い出す――大丈夫さ、今度は自分のことだって、不要に傷付ける真似はしない。
俺は心にそう誓った。
「そう。最後に必要なのは、貴方自身の覚悟。手に入れた正義で、貴方はこれから何を成すのでしょうか?」
星詠みの魔女は問いかける。
自分の未来は、自分で決めろってことか。
俺は目を閉じて思い出す。守りたかった少女を、救いたかった者たちを。
そして、そのために俺は自己進化を繰り返し、何もかもを喪失してしまったんだ。
でも、何もかもを失ってなお、譲れないものがある……それを皮肉にも今夜、彼女によって気付かされた。
――報われなくても構わない。
最後にもう一度だけ、幸せそうに笑う彼女の顔を見たいんだ。
俺はやっと、心から自分が望んでいるものに向き合うことができた。
「……真面目な話は疲れますね。さて、ステラちゃんの昔話はここまでです。この運命の続きは、貴方自身の意志で選んでください♪」
ここまで喋りつづけた星詠みの魔女は、ふうっと小さくため息を吐く。
鬣を撫でていた星詠みの魔女の手が、静かに離れた。
閉じていた瞼を開くと、水晶のバラを持つ星詠みの魔女が正面に映る。
「さあ、嘆きの季節は終わりです。そろそろ前に進む覚悟はできましたか?」
そうだ。何一つ成し遂げられないままでは終われない。
無力な奴隷のままでは終われない。
この世界は、残酷である。
あらゆる存在が、俺たちを奴隷のように支配しようと、野蛮な力を以って虐げてくる。
でも、それに屈して、なんのために生きたいかすら自分で決められなくなることは――それ以上に悲しいことだ。
現実では、無力な者が何を言っても、それは結局踏み躙られるだろう。
だが、俺は人間でなくなって、その理不尽を跳ね返せるだけの力を手に入れた。
だから、俺には正義を掲げる権利がある。
俺の正義を行使する権利がある。
この考えが傲慢で独善的で、自分本位なのは理解しているさ。
でも、そんなの俺だけじゃない。これ以上卑屈になり過ぎる必要はない。
それに、冬の城で世界を憎みながら、永遠に嘆き続けるよりは……よっぽどいいだろう?
「俺は……ソフィアを、助けに行く」
これは、これだけは、俺が自分で“やる”と決めたことだ。
他人の都合で回っていた世界を、これからは俺の“都合”で回してやる。
正義の味方だなんて、大層なことを言う心算は無い。
ただ、せっかく力を手に入れたのだから、俺は俺なりに、超越者を演じながら、後悔しないよう、格好良く生きたい。
これからはもう、理不尽な世界や弱い自分を言い訳に使えないし、逃げることはできない。
自分以外の全てが、敵になるかもしれない。
でも、本気で生きるってのは、きっとそういう事だから。
俺は自分の“正義”を貫く。
その覚悟は、出来ている。
この世界は“力こそ正義”。
そして、俺は“冬の王”。
永遠を生きる、強靭不死身の魔獣王だ。
文句がある奴はそれでいい。俺だって、万人に理解されようとは思っていない。
立ちはだかる敵には、全身全霊を以って相手をしてやろう。
だから、その時は――命を賭けて、掛かって来い。
「……どの未来を選ぶか、覚悟は決まったみたいですね」
星詠みの魔女が、口を開いた。
「ああ。時間をかけて、悪かったな。でも、やっと心が決まった――俺は、力も、心も、どちらも捨てず、魔獣として永遠を生きる!」
俺は進むと決めた未来を、星詠みの魔女に告げた。
星詠みの魔女は俺の答えを聞くと、そっと微笑んだ。
そして、彼女が水晶のバラを掲げると――そのバラは彼女の手から、煙のように姿を消した。
…………姿を消した?
いや、なんでさ。
訳が分からない。消えちまったぞ、おい。
数秒ほど沈黙が流れた。だが彼女は微笑むばかりで、俺はどうすればいいのか分からない。
「な、なあ……なんだよ、この間は? バラを返してくれるんじゃ、ないのか?」
俺は戸惑いながら、なるべく穏やかな声音で尋ねてみる。
「え? 返す? なぜですか? ステラちゃん、一度でもそんなことを言いましたっけ?」
惚けた調子で返す星詠みの魔女。
これは……冗談のつもりだろうか? まったくもって笑えない。
俺の覚悟とか迷いとか、あとさっきの昔話の下りとかも、なんかもう色々と台無しであった。
「……なあ。ふざけるのも、大概にしろよ。せめて、時と場合を選んでくれ」
急に老け込んだような気持ちで文句を言う俺……なんて言うか、新たなる旅立ちの出鼻をくじかれて、がっかりとした気分だ。
しかし、星詠みの魔女は言った。
「いいえ、ふざけていませんよ? 最初から素直に返してあげる心算なんて、ありませんでしたから♪」
ヒラヒラとした衣装を翻す星詠みの魔女。同時に感じる、得体の知れない重圧。
俺は本能的に後方に跳ね、彼女から距離を取り、前傾姿勢で身構えた。
「……どういうことだ?」
止まない雪の中、緊張の奔る枯れ木の森。
俺が問いかけると、彼女は見えない星空を仰ぐように両手を広げた。
「だって、ステラちゃん的には、このバラを諦めてほしい場面ですし? 貴方は未来を選ぶ前提条件を、やっと満たしたにすぎないのです」
――確かに、彼女は“俺がバラを諦める未来”がお勧めだと言っていたな。
俺はそのことを思い出す。
「まっ、このままでも予定通りと言えば、そのとおりなのですが……ステラちゃんの思惑は、また別なので♪」
微笑む顔は相変わらずだが、明らかに彼女の雰囲気が変わった。
いや、むしろ笑みはますます深くなり、今は悪戯を仕掛けようと企んでいるような、にやける表情になっていた。
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全力ではないが、本気――星辰から未来を読み解き、運命を操る星詠みの魔女が、俺の前に立ちはだかる。
「なにより、今の貴方では、弱すぎます。このままでは、黒き騎士の末裔にすら、あっさりと殺されちゃうかもしれません」
星詠みの魔女はクスクスと笑った。
「未来を勝ち取りたいのですよね? でも、自ら最も過酷な運命を選ぶのだから……せめて一矢くらい、ステラちゃんに報いてくれませんと!」
周囲から彼女の下へ魔力が集う。俺が知る限り、彼女がこれほどの魔術を行使するのは初めてだ。
どうやら、この戦いもまた、避けられないらしい。
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