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第八章 孤独と再誕の童話

孤独の選択(下)

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 言い得て妙だと、俺は思った。
 悔しいが、もし自分の人生に題名タイトルを付けるなら、確かにそれが相応ふさわしいかもしれない。

「今日まで、貴方は自分を否定ころし続けました。
 それは無力だったがゆえにそうせざるを得なかったのか、みずからそうすることを選んだのか……ステラちゃんには、分かりません」

 振り返れば、いつだってそうだった。
 何かを受け入れるために自分を殺すしかなかったり、他人を肯定するために自分を否定するしかなかったり……そしてその結果、何も成せてないのだから、そう言われても仕方がない。

 俺はただ生きているだけだ。
 もしくは死んでいないだけで――自殺するまでもなく、俺は初めから自分の人生を“生きて”なんかいなかった。

「そして、自分を否定するために、必死で英雄たちやソフィア姫から、人間のあるべき理想を見出します。
 その理想を通して、貴方は人間のさがを無条件に肯定するのです」

 自分が弱く、醜い存在である自覚があったからこそ、他人にんげんの美しさを信じたかった。
 自分が苦しくて悲しいのは、自分のせいだと信じたかった。

 俺の考えは全部、悲観主義の被害妄想で――本当は、世界はとても美しいのだと信じたかった。

「同時に、貴方は自身を通して見ることで、人間を否定しています。
 自分が嫌いだからこそ、その醜さを他人にも見出してしまうのかも知れません」

 自分なんかより、さぞや素晴らしい存在であるはずの他人。
 自分の全てが嫌いだったからこそ、他人の姿に醜さを見出したとき、俺はより深い憤怒と憎悪に駆られた。
 ただでさえ醜い自分より、さらに醜い奴らには――もはや、存在する価値すらないと思っていた。

 自分を愛せなかったから、他人をゆるすこともできなかった。

 そして粗探ししていくうちに、この世の全てが醜く思えてきて、全てが嫌いになって、全ての存在価値を否定するようになっていった。

「肯定と否定はやがて現実ろんり理想こころ乖離かいりさせ、致命的な矛盾が生じ、やがて不信や拒絶といった結論を導き出しました」

 優しさが無味乾燥したものに思えた。
 愛という言葉が信じられなくなっていた。

 皆死ねばいい、何もかもが滅びればいい。
 独りで死ぬのが怖くて、そんなことすら願ってた。

 そして、そんなことを考える自分の醜さが、さらに自分を否定する材料となった。

「それでも貴方は内心をひた隠し、人間をきた。おそらく、今まではそれで、なんとでもなったのでしょう。
 貴方に必要とされた“善”とは、人格を消して、他人の都合に合わせながら生きることだったはずですから……貴方が貴方である必要はなかった。
 自己否定さえすれば、全てが丸く収まったのですよね?」

 だから、俺はある意味、自分の意思で生きることを恐れていた。

 俺に求められていたのは、都合の良い人形よいこであり続けること。
 肯定と否定の無限ループの中で、報われることのないまま、変わらない日々を、何かに追われるように過ごしていた。

「しかし、本来『死』とは、終わりであると同時に始まりであるべきです。
 なのに、貴方の『自分殺し』は、新しい変化を否定し続けました」

 変化は必要なかった。
 俺は変化することが嫌いだった。
 あるいは、怖かったと言い換えてもいいだろう。

 何かが変わったところで、どうせ今が一番なのだ。
 俺の未来に希望はない。自分が得られる幸福なんて、ありはしない。そう思いながら、自分を殺し続けてきた。

「否定と肯定、永遠に同じ場所を回り続ける思考のループ。
 一種の自己防衛だったそれは、何時いつしか『何かをしない言い訳』から『何もできない理由』へと変わっていったのです」

 何もやらないくせに、できないくせに、隷属することと、諦める言い訳ばかりが上手くなる。

 その結果が、ブラックIT企業での社畜人生だ。

 この世界に無数にいる、誰でもいい存在。いくらでも代替がく奴隷。
 流され続けて、ずっと俺は何者にもれないでいた。

 どうでもいい話だが、ループと聞いて俺は“メビウスの輪”を連想する。
 矛盾した肯定おもて否定うらを永遠にぐるぐると回る……まさにひねくれた無限ループだ。

「ですが……これ以降の運命シナリオに、『魔女にだまされ続けるあわれな魔獣』なんて必要ありません」

 メビウスの輪から抜け出せず、同じ場所ふゆのせかいを永遠に駆けめぐる魔獣に、星詠みの魔女は告げる。

「いい加減、お気付きですね? 世界に貴方が望むような意味イデアなんか、どこにも無い。
 善も悪も、正義も道徳も、誰かの都合にすぎないのですから」

 ……ああ。そんな事、とっくに気が付いているさ。

いて、この世に正義なんてものがあるとすれば――その在り処は、それぞれ今を生きる者達あなたの胸の中にだけ……しかし、それは絶望ではなく、希望なのです」

 いつの間にか俺の隣まで歩み寄っていた星詠みの魔女。彼女は俺のたてがみを、そっとでる。

「その“不死”の根幹をなす、あまりにも深すぎる自己嫌悪……ですが、それが必要だったのは、しょせん過去の話。
 今の貴方を否定しているのは、他ならない貴方自身ですよ?」

 俺は沈黙のまま、自分が何をしたいのか考えた。今回は血で汚れた自分を否定せず、ちゃんと最後まで考え直してみた。

 しかし、その答えは――とっくの昔に出ていたものだった。

「なぜ貴方は、まだ迷っているのですか? チカラこそが正義――そして、既に未来を選ぶための“正義チカラ”を、貴方は手に入れているはずです」

 たとえば、それは『夢』だったり、『やりたいこと』だったり、『どんなふうに生きたいか』だったり……いずれにせよ、自分でやるしかない。

 結局のところ、どれだけ理由をこじつけたって、自分が望むように生きられるのは、自分しかいないのだ。

 自分にとって大切なものを守りたいのなら、大切なことをつらぬきたいのなら、その現実から目をそむけてはいけない。

 どれだけ汚れたって、傷ついたって、逆に傷つけたって、自分で最初の一歩を踏み出すしかないのだから。

 そんな当たり前なことすら知らずに育った事実が、俺は今さら恥ずかしくなった。

「誰かから肯定されないと、前に進めませんか? 皆に認められないと、前へ進めませんか?
 必要なら、ステラちゃんが肯定してあげますが……もう、貴方はそれに意味がないことを知っているはずです」

 他人が嫌いだったはずなのに、世の中が嫌いなはずだったのに。
 悪党になれずとも、聖人や正義の味方にだってなってやるつもりはなかったのに。
 弱者をしいたげるチカラを手に入れてなお、俺はそれを嫌だと思ってしまった。

 やっぱり俺は初めから、不要なものを捨てることができない、矛盾に満ちた出来損ないの怪物だったのだろう。
 しかし……今だけは、その矛盾した性根も悪くないと思った。

 ただ一つ付け加えるなら、今度は彼女を泣かせたくない。
 ふと、最初の狩りの夜に言われた、放浪の魔女の言葉を思い出す――大丈夫さ、今度は自分のことだって、不要に傷付ける真似はしない。
 俺は心にそう誓った。

「そう。最後に必要なのは、貴方自身の覚悟。手に入れた正義チカラで、貴方はこれから何を成すのでしょうか?」

 星詠みの魔女は問いかける。

 自分の未来は、自分で決めろってことか。
 俺は目を閉じて思い出す。守りたかった少女を、救いたかった者たちを。

 そして、そのために俺は自己進化ひていを繰り返し、何もかもを喪失なくしてしまったんだ。
 でも、何もかもをうしなってなお、譲れないものがある……それを皮肉にも今夜、彼女によって気付かされた。

 ――報われなくても構わない。
 最後にもう一度だけ、幸せそうに笑う彼女の顔を見たいんだ。

 俺はやっと、心から自分が望んでいるものに向き合うことができた。

「……真面目な話は疲れますね。さて、ステラちゃんの昔話はここまでです。この運命ものがたりの続きは、貴方自身の意志で選んでください♪」

 ここまでしゃべりつづけた星詠みの魔女は、ふうっと小さくため息をく。
 たてがみを撫でていた星詠みの魔女の手が、静かに離れた。

 閉じていたまぶたを開くと、水晶のバラを持つ星詠みの魔女が正面に映る。

「さあ、なげきの季節は終わりです。そろそろ前に進む覚悟はできましたか?」

 そうだ。何一つ成し遂げられないままでは終われない。
 無力な奴隷のままでは終われない。

 この世界は、残酷である。
 あらゆる存在が、俺たちを奴隷のように支配しようと、野蛮なチカラってしいたげてくる。
 でも、それに屈して、なんのために生きたいかすら自分で決められなくなることは――それ以上に悲しいことだ。

 現実では、無力な者が何を言っても、それは結局踏みにじられるだろう。
 だが、俺は人間でなくなって、その理不尽を跳ね返せるだけのチカラを手に入れた。

 だから、俺には正義をかかげる権利がある。
 俺の正義を行使する権利がある。

 この考えが傲慢ごうまんで独善的で、自分本位なのは理解しているさ。
 でも、そんなの俺だけじゃない。これ以上卑屈になり過ぎる必要はない。

 それに、冬の城で世界を憎みながら、永遠になげき続けるよりは……よっぽどいいだろう?

「俺は……ソフィアを、助けに行く」

 これは、これだけは、俺が自分で“やる”と決めたことだ。
 他人の都合で回っていた世界を、これからは俺の“都合チカラ”で回してやる。

 正義の味方だなんて、大層なことを言う心算つもりは無い。
 ただ、せっかくチカラを手に入れたのだから、俺は俺なりに、超越者を演じながら、後悔しないよう、格好良く生きたい。

 これからはもう、理不尽な世界や弱い自分を言い訳に使えないし、逃げることはできない。
 自分以外の全てが、敵になるかもしれない。

 でも、本気で生きるってのは、きっとそういう事だから。

 俺は自分の“正義あい”をつらぬく。
 その覚悟は、出来ている。

 この世界は“チカラこそ正義”。
 そして、俺は“冬の王”。

 永遠を生きる、強靭不死身の魔獣王だ。

 文句がある奴はそれでいい。俺だって、万人に理解されようとは思っていない。
 立ちはだかる敵には、全身全霊をって相手をしてやろう。


 だから、その時は――命を賭けて、掛かって来い。


「……どの未来を選ぶか、覚悟は決まったみたいですね」
 星詠みの魔女が、口を開いた。

「ああ。時間をかけて、悪かったな。でも、やっと心が決まった――俺は、チカラも、心も、どちらも捨てず、魔獣として永遠を生きる!」
 俺は進むと決めた未来を、星詠みの魔女に告げた。

 星詠みの魔女は俺の答えを聞くと、そっと微笑ほほえんだ。

 そして、彼女が水晶のバラをかかげると――そのバラは彼女の手から、煙のように姿を消した。





 …………姿を消した?

 いや、なんでさ。
 訳が分からない。消えちまったぞ、おい。

 数秒ほど沈黙が流れた。だが彼女は微笑ほほえむばかりで、俺はどうすればいいのか分からない。

「な、なあ……なんだよ、このは? バラを返してくれるんじゃ、ないのか?」
 俺は戸惑いながら、なるべく穏やかな声音でたずねてみる。

「え? 返す? なぜですか? ステラちゃん、一度でもそんなことを言いましたっけ?」
 とぼけた調子で返す星詠みの魔女。
 これは……冗談のつもりだろうか? まったくもって笑えない。
 俺の覚悟とか迷いとか、あとさっきの昔話の下りとかも、なんかもう色々と台無しであった。

「……なあ。ふざけるのも、大概にしろよ。せめて、時と場合を選んでくれ」
 急に老け込んだような気持ちで文句を言う俺……なんて言うか、新たなる旅立ちの出鼻をくじかれて、がっかりとした気分だ。

 しかし、星詠みの魔女は言った。
「いいえ、ふざけていませんよ? 最初から素直に返してあげる心算つもりなんて、ありませんでしたから♪」

 ヒラヒラとした衣装をひるがえす星詠みの魔女。同時に感じる、得体の知れない重圧プレッシャー
 俺は本能的に後方に跳ね、彼女から距離を取り、前傾姿勢で身構えた。

「……どういうことだ?」

 止まない雪の中、緊張のはしる枯れ木の森。
 俺が問いかけると、彼女は見えない星空を仰ぐように両手を広げた。

「だって、ステラちゃん的には、このバラをあきらめてほしい場面ですし? 貴方は未来を選ぶ前提条件を、やっと満たしたにすぎないのです」

 ――確かに、彼女は“俺がバラを諦める未来”がおすすめだと言っていたな。
 俺はそのことを思い出す。

「まっ、このままでも予定通りと言えば、そのとおりなのですが……ステラちゃんの思惑は、また別なので♪」

 微笑ほほえむ顔は相変わらずだが、明らかに彼女の雰囲気が変わった。
 いや、むしろ笑みはますます深くなり、今は悪戯いたずらを仕掛けようと企んでいるような、にやける表情になっていた。

「それに、さっき貴方も納得してましたよね? より強い者が、望む未来を手に入れる。それが当たり前のお話だって。と、いうわけで、そろそろ再開いたしましょうか♪」

 全力ではないが、本気――星辰から未来を読み解き、運命を操る星詠みの魔女が、俺の前に立ちはだかる。

「なにより、今の貴方では、弱すぎます。このままでは、黒き騎士ニブルバーグ末裔まつえいにすら、あっさりと殺されちゃうかもしれません」

 星詠みの魔女はクスクスと笑った。

「未来を勝ち取りたいのですよね? でも、みずかもっとも過酷な運命を選ぶのだから……せめて一矢くらい、ステラちゃんにむくいてくれませんと!」

 周囲から彼女の下へ魔力マナが集う。俺が知る限り、彼女がこれほどの魔術を行使するのは初めてだ。
 どうやら、この戦いもまた、避けられないらしい。

 こうして、俺が再び立ち上がるための、再誕の試練が始まった。
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