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第五章 魔獣が生きる永遠と少女が生きる明日
夢の終わり
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俺がエントランスに戻ると、冬の城の荘厳な造りが、冷たく重々しいものに感じられた。
暗い白亜の空間。コツコツと、俺の鉤爪が大理石の床を叩く音が反響する。
その点、俺の隣をぴょこぴょこと跳ねるクソウサギのペトラからは、ほとんど足音が聞こえない。
流石は野生動物だな。俺はそんなどうでもいいことを考えていた。
暖炉の部屋に向かっていると、不意に仮面ゴーレムが一体、俺の眼前に現れた。
「どうした?」
俺が尋ねると、仮面ゴーレムは身振り手振りでその意図を伝えようとして来る。
何かを食べるジェスチャーに、首をかしげる仕草……日本語訳すれば、「お食事は如何なさいますか?」といったところであろうか?
「……いや、必要ない。今後は、食事の用意は一切しなくてよい」
俺は仮面ゴーレムに命じた。
そもそも俺は、飲まず食わずで何も問題ないのだ。今日までの食事は、ソフィアに合わせていただけである。
俺一人だけなら、食事なんて無駄な行為は必要ない。
命令を受けた仮面ゴーレムは想定外の返しにショックを受けたらしく、しばらく動作停止した。そしてその後、「かしこまりました」といった様子で、お辞儀と共に下がっていった。
仮面ゴーレムを下らせた俺たちは、無意識のうちに暖炉の部屋……いつもソフィアと語らっていたあの部屋に向かう。
ドアを開くと、そこは何も変わらない暖炉の部屋だった。
唯一、ソフィアが居ない現実だけが寂しく思えた。
燃える暖炉の前に座り、その炎をじっと見つめる――しばらくそこで時間を無駄にして、俺はやっと自分がこの部屋に立ち寄る意味がないことに気が付いた。
「なんで、ここに来たんだ、俺……?」
魔獣の肉体は冬に呪われた地の寒さにも耐えられる。寒いものは寒いが、我慢できないほどではない。
一々薪を採ってくる手間を考えたら、この部屋の暖炉はもはや無用の長物だった。
部屋のドアを開いたまま何もせず立っていると、足元でペトラがクゥクゥ鳴いていた。
ペトラは足元をすり抜けて部屋の中へ駆け入る。
彼女が向かった先のテーブル。その上にはだいぶデフォルメされたクマの編みぐるみが置かれていた。
「……どうしたんだ、それは?」
近付いてよく見てみる。
すると、それは毎日ソフィアが編んでいたものだと気が付いた。
「なんだ、ソフィア。完成させていたのか」
しかし……なんでクマの編みぐるみ?
そう思いながら持ち上げると、そのクマが折りたたまれた便箋を抱えていることに気が付く。
もしかして、ソフィアからの手紙か?
俺は自分への便箋と思わしきその紙を手に取ってみた。
クマの持っていた手紙は二枚あった。
一枚はここに居ない魔女に向けての、もう一枚は俺に向けてのメッセージが、丸っこいこの世界の文字で書かれている。
俺は自分に向けられたほうを広げて読んでみることにした。
『魔獣さんへ
魔獣さんがこの手紙と贈り物を受け取った時にはもう、わたしはこのお城に居ないでしょう。
急に旅立ちが決まって、どうしても間に合いそうになかったので、最後の仕上げだけをゴーレムさんに託しました。
直接手渡すことができなくて、本当にごめんなさい』
よく見てみると、確かにクマの左腕だけ不格好な継接ぎだ。
きっとこの部分が仮面ゴーレムの担当した箇所なのだろう。
『今ごろ、どうしてクマさんなのか、不思議に思っているかもしれません。
でも、魔獣さんには手袋もマフラーも必要ありませんよね?
だから何を送るか悩みのタネだったのですが、ゴーレムさんのおすすめで、クマのあみぐるみにすることにしました。
なんでも仮面の魔女さんの故郷では、クマのぬいぐるみに思いを乗せてプレゼントする風習があるそうです。
なので、わたしもそれにあやかってみました。
けっこう可愛くできたと思いませんか?』
「……テディベアみたいなものか?」
確かに、よくできていると思う。
こっちの世界にも似たような習慣があるんだな。
あと、仮面ゴーレムとソフィアがこれほどまでに仲が良かったのは予想外だった。
ソフィアと仮面ゴーレムが仲良く編み物をしている場面を想像して、ふと笑みがこぼれた。
俺は続きに目を通す。
『わたしがこのクマちゃんに込めた思いは、自分でもよく分かりません。
この手紙を書いている今は、お礼を言うだけでは表せない感情が胸の中を渦巻いています。
魔獣さんがわたしの作った料理をおいしいと言ってくれて嬉しかったです。
毎晩暖炉の前でいろんなお話をしてくれて嬉しかったです。
一緒に白いリンゴの木まで冒険したのも楽しかったです。
ペトラちゃんと一緒に中庭で遊んだのも大切な思い出です。
その他にも、ここには書き切れないほどの思い出があります。
叶うなら、ずっとこのお城で、ずっと一緒に暮らしていきたいと思っていました。
……こんなわがままを言われても、魔獣さん、困ってしまいますよね?
でも、大丈夫です。
貴方のおかげで、わたしは前へ進めそうですから。
魔獣さん、ありがとう。この感謝の気持ちを、クマさんに預けます。
そして、さようなら。
わたしは、このお城で過ごした日々を、生涯忘れないでしょう
――ソフィアより』
手紙の最後はお礼と別れの言葉で締め括られていた。
読み終えた俺の胸に熱い感情がこみ上げる。
特に「さようなら」を示す単語が、俺の胸に深く突き刺さった。
今さらになって、ソフィアにはもう二度と会えないという実感が湧いたのだ。
とにかく居ても立ってもいられなくて、俺は暖炉の部屋を飛び出した。
この城の内部構造は無駄に入り組んでいる。
どうやら侵入者対策として、意図的に複雑に作られているらしい。
それでも俺は、冬の城の主塔を、最上階を目指して駆け登る。
少しでも遠くが見えるように、少しでも高い所に行きたくて。
冬の城の最も高い所に出た俺は、必死でソフィアの姿を探す。
見渡せば、仄暗い世界に、白一色の景色。
荒れ始めた天候、吹雪に阻まれる視界。
絶対にその姿は見つかるはずがないと、頭では分かっていた。しかし、それでも探さずにはいられなかった。
後悔の念が渦巻く。
なにより、「何もしなかった」過去が、とにかく悔しくて、悲しかった。
別れをこんなふうに苦しむほどソフィアを想っていたなら、俺はなぜ、全力で彼女を守ろうとしなかった!?
この冬の城に閉じ込めてしまわなかった!?
本気でぶつかれば、運命を変えられたかもしれないのに。
なぜ、最初から、何か行動を起こすまえから、ソフィアと共に生きることを諦めた!!
俺は思い出す。
いつかソフィアが言った、あの言葉を。
――人を愛することは素晴らしきことです。
でも、まずは自分をきちんと愛してあげられるようになりなさい。
己を愛せないままに誰かを愛そうとしても、己に向けている嫌悪を、他人にも向けるだけで終わるでしょう――。
ああ、そうだよ。全てが、ソフィアの言った通りだった。
結局のところ、俺は自分が嫌いだったから、自分を愛せなかったから、本気でソフィアのために生きられなかった!! 生きる自信が無かった!!
好きになった誰かのために、本気で生きようとさえ思えなかった!!
そして俺が本当は、最初から最後までずっと自分のことしか考えていなかったと気が付いた。
俺は空に向かって咆哮を上げた。
周りから見れば、漆黒の魔獣が怒り狂っているように見えたかもしれない。
しかし、本当は泣いていた。
悲しくて、悔しくて、惨めで、また自分が嫌いになって、そんな自分に怒りが湧いて。
ただ、ソフィアの幸せを願っていたのも間違いなく本心で。
でも、幸せなソフィアを想像して、その隣りに当然のごとく自分が居ないことがまた辛かった。
だが、俺の下した選択は、もう覆せない。
だってソフィアはもう、この城に居ないのだから!
この咆哮がソフィアに届くことなんて、まず有り得ないだろう。
でも、もし奇跡が起きて、この叫び届いたなら……その時は、ソフィアの思い出の中に、永遠と居座り続けたいと思った。
きっとこれが俺にとって、初めての本気の恋だった。
その事実があまりにもみっともなく思えて、また悲しくなった。
俺は日が暮れるまで、咆哮を上げ続けた。
* * *
枯れた森の中。落ち葉を踏みしめ歩む人影たち。
そのうち一人、褐色の肌に白い髪の少女が後ろを振り返る。
「…………魔獣さん?」
誰かに呼ばれた気がした少女は、虚空に向かって聞き返すも、当然のごとく返事は無い。
「どうかしたの?」
赤い髪のネコミミ少女が、褐色肌の少女の顔を覗き込む。
「リップさん。いま、なにか聞こえませんでした?」
「いや? 何も聞こえなかったけど?」
ネコミミの少女は首をかしげながら答えた。
褐色肌の少女は、その名をソフィアという。
真の名はソフィア・エリファス・レヴィオール。
彼女は八年前に宗教国家メアリス教国によって攻め滅ぼされたレヴィオール王家最後の生き残りだった。
数奇な運命を携えて彼女が迷い込んだのは、伝説にも語られる異界、“冬に呪われた地”。
その地に聳える白亜の城に迷い込んだ少女は――其処に住む永遠を生きる魔獣と出会った。
冬に呪われた牢獄で過ごす日々。
雪と氷に閉ざされたその地は、同時に外の世界の悪意とも隔絶された、最後の楽園。
知らず知らずのうちに傷付き乾き始めていた彼女の心は、その美しい世界に、そしてその地で生きる魔獣に惹かれていった。
しかし、彼女は再び外の世界へと誘われる。
彼女の胸に残ったのは、純白の楽園を踏み荒らした罪の意識。
(やっぱり、わたしはあの城を訪れては、いけない存在だったのでしょうか……)
少女は思い悩む。
脳裏に浮かぶは自分のために戦い、そして傷付く魔獣の姿。
その瞳は、とっくの昔に見えなくなった冬の城を見つめていた。
全てを失い、まともな恋も知らないまま大人になった少女。その胸に宿る気持ちがどういったものなのか、今となっては彼女自身にも分からない。
それは家族に向けるべき感情なのかもしれない。
それは親友に向けるべき感情なのかもしれない。
それは恋人に向けるべき感情なのかもしれない。
しかし何れにせよ、少女があの魔獣を愛していたことは揺るぎない事実だと――彼女は自信を持ってそう思えた。
しかし季節は廻るのだ。
あの魔獣の言う通り、何時までも無垢で優しい世界に留まることはできないのだろう。
絶対に届かないと知りながら、少女は決意を込めて、直接伝えられなかった最後の言葉を贈った。
「……魔獣さん、ありがとう」
あのお城で過ごしたひと月を、わたしは生涯忘れない――。
「そして、さようなら」
過ぎ去りし日々への餞に飾られた別れの言葉。
それは、枯れ木の森の中に消えていった。
願わくば、あの一か月が、永遠を生きる魔獣の心の中でも輝かしい思い出として残り続けてくれれば……それはとても嬉しく思えて、同時に胸が締めつけられるほどに切なかった。
そう。初めから、自分とあの魔獣が同じ時を生きるなんて、そんな夢が叶うわけなかったのだ。
「……ソフィア姉ちゃん?」
彼女の様子に心配になった少年が問い掛ける。
少女より年下の少年が、精一杯背伸びして、物語の王子のように振る舞うその姿。
少女は思わず微笑む。
「……ごめんなさい。やっぱり、気のせいだったみたいです」
そう告げると少女は前に向き直り、再び歩き始めた。
「……ん?」
続いて、今度は白髪交じりの大柄な男が、何かの異変に気が付く。
「なあジーノ。ここはもう冬に呪われた地の外なんだよな?」
「はい。これはただの初雪です。やっと出られたと思いましたが……外の世界も、もう冬なんですねえ」
メガネをかけた青年が手のひらを広げると、そこにひらひらと小さな氷の欠片が舞い降りた。
それは、外の世界にも本格的に冬が訪れたことを意味していた。
「あの……それで、この後はどちらに向かう予定なのでしょうか?」
褐色肌に白い髪、そしてヤギの角をもつバフォメット族の少女ソフィア。彼女がこれからについて尋ねる。
「ソフィア姉ちゃんには悪いけど、レヴィオール王国には寄らないで、そのままヘーリオス王国まで来てもらう予定だよ」
答えたのは太陽の国の王子、弓使いのアレックスだ。
「メアリス教国の息がかかっている町は危険だからな。強行軍だ。ヘーリオス王国まで、街道は使わねえで山脈を突っ切っていく」
次に口を開いたのは白髪交じりの大柄な戦士グランツ。彼が説明を補足し、今後の予定をざっくりと述べる。
「え? 山脈を突っ切るって……お姫様もいるのに大丈夫なの?」
赤毛ネコミミの斥候少女リップが、その無茶な予定に苦言を入れる。
「姫様はバフォメット族。むしろ山道は私たちよりずっと得意なはずです。それより、メアリス教の騎士に見つかったほうがよっぽど面倒ですからね」
メガネの位置を直しながら、魔術師の青年ジーノは言った。
「そんな予定だけど……大丈夫? 大変な旅になるかもしれないけど、オレが絶対に守るから」
弓使いの王子アレックスは、ソフィアのほうを見据えて尋ねる。
「……大丈夫です。覚悟はできています」
少女は前に進む。どんなに過酷な未来が待ち受けていようとも。
冬の城で、永遠を生きる魔獣から、前に進む勇気をもらったから。
「よし。じゃあ、お前ら――気張っていくぞ」
戦士の激励を合図に、冒険者たちとソフィア姫は、再び歩き始めた。
目指すはアレックス王子の故郷、ヘーリオス王国。
そこで待ち受ける運命を、彼らはまだ知らない。
冬の城に住む魔獣と、そこに迷い込んだ姫君の物語はいったん終わりを迎える。
しかし、たとえ物語が終わろうとも、世界は続いていくのだ。
季節は廻る。
今年も、冬の季節が訪れる。
そして、不死身の魔獣を封じるは、冬という名の牢獄。
世界は魔獣と同じ檻の中。
総ては、星の導きのままに――星詠みの魔女の思惑通りに。
暗い白亜の空間。コツコツと、俺の鉤爪が大理石の床を叩く音が反響する。
その点、俺の隣をぴょこぴょこと跳ねるクソウサギのペトラからは、ほとんど足音が聞こえない。
流石は野生動物だな。俺はそんなどうでもいいことを考えていた。
暖炉の部屋に向かっていると、不意に仮面ゴーレムが一体、俺の眼前に現れた。
「どうした?」
俺が尋ねると、仮面ゴーレムは身振り手振りでその意図を伝えようとして来る。
何かを食べるジェスチャーに、首をかしげる仕草……日本語訳すれば、「お食事は如何なさいますか?」といったところであろうか?
「……いや、必要ない。今後は、食事の用意は一切しなくてよい」
俺は仮面ゴーレムに命じた。
そもそも俺は、飲まず食わずで何も問題ないのだ。今日までの食事は、ソフィアに合わせていただけである。
俺一人だけなら、食事なんて無駄な行為は必要ない。
命令を受けた仮面ゴーレムは想定外の返しにショックを受けたらしく、しばらく動作停止した。そしてその後、「かしこまりました」といった様子で、お辞儀と共に下がっていった。
仮面ゴーレムを下らせた俺たちは、無意識のうちに暖炉の部屋……いつもソフィアと語らっていたあの部屋に向かう。
ドアを開くと、そこは何も変わらない暖炉の部屋だった。
唯一、ソフィアが居ない現実だけが寂しく思えた。
燃える暖炉の前に座り、その炎をじっと見つめる――しばらくそこで時間を無駄にして、俺はやっと自分がこの部屋に立ち寄る意味がないことに気が付いた。
「なんで、ここに来たんだ、俺……?」
魔獣の肉体は冬に呪われた地の寒さにも耐えられる。寒いものは寒いが、我慢できないほどではない。
一々薪を採ってくる手間を考えたら、この部屋の暖炉はもはや無用の長物だった。
部屋のドアを開いたまま何もせず立っていると、足元でペトラがクゥクゥ鳴いていた。
ペトラは足元をすり抜けて部屋の中へ駆け入る。
彼女が向かった先のテーブル。その上にはだいぶデフォルメされたクマの編みぐるみが置かれていた。
「……どうしたんだ、それは?」
近付いてよく見てみる。
すると、それは毎日ソフィアが編んでいたものだと気が付いた。
「なんだ、ソフィア。完成させていたのか」
しかし……なんでクマの編みぐるみ?
そう思いながら持ち上げると、そのクマが折りたたまれた便箋を抱えていることに気が付く。
もしかして、ソフィアからの手紙か?
俺は自分への便箋と思わしきその紙を手に取ってみた。
クマの持っていた手紙は二枚あった。
一枚はここに居ない魔女に向けての、もう一枚は俺に向けてのメッセージが、丸っこいこの世界の文字で書かれている。
俺は自分に向けられたほうを広げて読んでみることにした。
『魔獣さんへ
魔獣さんがこの手紙と贈り物を受け取った時にはもう、わたしはこのお城に居ないでしょう。
急に旅立ちが決まって、どうしても間に合いそうになかったので、最後の仕上げだけをゴーレムさんに託しました。
直接手渡すことができなくて、本当にごめんなさい』
よく見てみると、確かにクマの左腕だけ不格好な継接ぎだ。
きっとこの部分が仮面ゴーレムの担当した箇所なのだろう。
『今ごろ、どうしてクマさんなのか、不思議に思っているかもしれません。
でも、魔獣さんには手袋もマフラーも必要ありませんよね?
だから何を送るか悩みのタネだったのですが、ゴーレムさんのおすすめで、クマのあみぐるみにすることにしました。
なんでも仮面の魔女さんの故郷では、クマのぬいぐるみに思いを乗せてプレゼントする風習があるそうです。
なので、わたしもそれにあやかってみました。
けっこう可愛くできたと思いませんか?』
「……テディベアみたいなものか?」
確かに、よくできていると思う。
こっちの世界にも似たような習慣があるんだな。
あと、仮面ゴーレムとソフィアがこれほどまでに仲が良かったのは予想外だった。
ソフィアと仮面ゴーレムが仲良く編み物をしている場面を想像して、ふと笑みがこぼれた。
俺は続きに目を通す。
『わたしがこのクマちゃんに込めた思いは、自分でもよく分かりません。
この手紙を書いている今は、お礼を言うだけでは表せない感情が胸の中を渦巻いています。
魔獣さんがわたしの作った料理をおいしいと言ってくれて嬉しかったです。
毎晩暖炉の前でいろんなお話をしてくれて嬉しかったです。
一緒に白いリンゴの木まで冒険したのも楽しかったです。
ペトラちゃんと一緒に中庭で遊んだのも大切な思い出です。
その他にも、ここには書き切れないほどの思い出があります。
叶うなら、ずっとこのお城で、ずっと一緒に暮らしていきたいと思っていました。
……こんなわがままを言われても、魔獣さん、困ってしまいますよね?
でも、大丈夫です。
貴方のおかげで、わたしは前へ進めそうですから。
魔獣さん、ありがとう。この感謝の気持ちを、クマさんに預けます。
そして、さようなら。
わたしは、このお城で過ごした日々を、生涯忘れないでしょう
――ソフィアより』
手紙の最後はお礼と別れの言葉で締め括られていた。
読み終えた俺の胸に熱い感情がこみ上げる。
特に「さようなら」を示す単語が、俺の胸に深く突き刺さった。
今さらになって、ソフィアにはもう二度と会えないという実感が湧いたのだ。
とにかく居ても立ってもいられなくて、俺は暖炉の部屋を飛び出した。
この城の内部構造は無駄に入り組んでいる。
どうやら侵入者対策として、意図的に複雑に作られているらしい。
それでも俺は、冬の城の主塔を、最上階を目指して駆け登る。
少しでも遠くが見えるように、少しでも高い所に行きたくて。
冬の城の最も高い所に出た俺は、必死でソフィアの姿を探す。
見渡せば、仄暗い世界に、白一色の景色。
荒れ始めた天候、吹雪に阻まれる視界。
絶対にその姿は見つかるはずがないと、頭では分かっていた。しかし、それでも探さずにはいられなかった。
後悔の念が渦巻く。
なにより、「何もしなかった」過去が、とにかく悔しくて、悲しかった。
別れをこんなふうに苦しむほどソフィアを想っていたなら、俺はなぜ、全力で彼女を守ろうとしなかった!?
この冬の城に閉じ込めてしまわなかった!?
本気でぶつかれば、運命を変えられたかもしれないのに。
なぜ、最初から、何か行動を起こすまえから、ソフィアと共に生きることを諦めた!!
俺は思い出す。
いつかソフィアが言った、あの言葉を。
――人を愛することは素晴らしきことです。
でも、まずは自分をきちんと愛してあげられるようになりなさい。
己を愛せないままに誰かを愛そうとしても、己に向けている嫌悪を、他人にも向けるだけで終わるでしょう――。
ああ、そうだよ。全てが、ソフィアの言った通りだった。
結局のところ、俺は自分が嫌いだったから、自分を愛せなかったから、本気でソフィアのために生きられなかった!! 生きる自信が無かった!!
好きになった誰かのために、本気で生きようとさえ思えなかった!!
そして俺が本当は、最初から最後までずっと自分のことしか考えていなかったと気が付いた。
俺は空に向かって咆哮を上げた。
周りから見れば、漆黒の魔獣が怒り狂っているように見えたかもしれない。
しかし、本当は泣いていた。
悲しくて、悔しくて、惨めで、また自分が嫌いになって、そんな自分に怒りが湧いて。
ただ、ソフィアの幸せを願っていたのも間違いなく本心で。
でも、幸せなソフィアを想像して、その隣りに当然のごとく自分が居ないことがまた辛かった。
だが、俺の下した選択は、もう覆せない。
だってソフィアはもう、この城に居ないのだから!
この咆哮がソフィアに届くことなんて、まず有り得ないだろう。
でも、もし奇跡が起きて、この叫び届いたなら……その時は、ソフィアの思い出の中に、永遠と居座り続けたいと思った。
きっとこれが俺にとって、初めての本気の恋だった。
その事実があまりにもみっともなく思えて、また悲しくなった。
俺は日が暮れるまで、咆哮を上げ続けた。
* * *
枯れた森の中。落ち葉を踏みしめ歩む人影たち。
そのうち一人、褐色の肌に白い髪の少女が後ろを振り返る。
「…………魔獣さん?」
誰かに呼ばれた気がした少女は、虚空に向かって聞き返すも、当然のごとく返事は無い。
「どうかしたの?」
赤い髪のネコミミ少女が、褐色肌の少女の顔を覗き込む。
「リップさん。いま、なにか聞こえませんでした?」
「いや? 何も聞こえなかったけど?」
ネコミミの少女は首をかしげながら答えた。
褐色肌の少女は、その名をソフィアという。
真の名はソフィア・エリファス・レヴィオール。
彼女は八年前に宗教国家メアリス教国によって攻め滅ぼされたレヴィオール王家最後の生き残りだった。
数奇な運命を携えて彼女が迷い込んだのは、伝説にも語られる異界、“冬に呪われた地”。
その地に聳える白亜の城に迷い込んだ少女は――其処に住む永遠を生きる魔獣と出会った。
冬に呪われた牢獄で過ごす日々。
雪と氷に閉ざされたその地は、同時に外の世界の悪意とも隔絶された、最後の楽園。
知らず知らずのうちに傷付き乾き始めていた彼女の心は、その美しい世界に、そしてその地で生きる魔獣に惹かれていった。
しかし、彼女は再び外の世界へと誘われる。
彼女の胸に残ったのは、純白の楽園を踏み荒らした罪の意識。
(やっぱり、わたしはあの城を訪れては、いけない存在だったのでしょうか……)
少女は思い悩む。
脳裏に浮かぶは自分のために戦い、そして傷付く魔獣の姿。
その瞳は、とっくの昔に見えなくなった冬の城を見つめていた。
全てを失い、まともな恋も知らないまま大人になった少女。その胸に宿る気持ちがどういったものなのか、今となっては彼女自身にも分からない。
それは家族に向けるべき感情なのかもしれない。
それは親友に向けるべき感情なのかもしれない。
それは恋人に向けるべき感情なのかもしれない。
しかし何れにせよ、少女があの魔獣を愛していたことは揺るぎない事実だと――彼女は自信を持ってそう思えた。
しかし季節は廻るのだ。
あの魔獣の言う通り、何時までも無垢で優しい世界に留まることはできないのだろう。
絶対に届かないと知りながら、少女は決意を込めて、直接伝えられなかった最後の言葉を贈った。
「……魔獣さん、ありがとう」
あのお城で過ごしたひと月を、わたしは生涯忘れない――。
「そして、さようなら」
過ぎ去りし日々への餞に飾られた別れの言葉。
それは、枯れ木の森の中に消えていった。
願わくば、あの一か月が、永遠を生きる魔獣の心の中でも輝かしい思い出として残り続けてくれれば……それはとても嬉しく思えて、同時に胸が締めつけられるほどに切なかった。
そう。初めから、自分とあの魔獣が同じ時を生きるなんて、そんな夢が叶うわけなかったのだ。
「……ソフィア姉ちゃん?」
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「……ごめんなさい。やっぱり、気のせいだったみたいです」
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「……ん?」
続いて、今度は白髪交じりの大柄な男が、何かの異変に気が付く。
「なあジーノ。ここはもう冬に呪われた地の外なんだよな?」
「はい。これはただの初雪です。やっと出られたと思いましたが……外の世界も、もう冬なんですねえ」
メガネをかけた青年が手のひらを広げると、そこにひらひらと小さな氷の欠片が舞い降りた。
それは、外の世界にも本格的に冬が訪れたことを意味していた。
「あの……それで、この後はどちらに向かう予定なのでしょうか?」
褐色肌に白い髪、そしてヤギの角をもつバフォメット族の少女ソフィア。彼女がこれからについて尋ねる。
「ソフィア姉ちゃんには悪いけど、レヴィオール王国には寄らないで、そのままヘーリオス王国まで来てもらう予定だよ」
答えたのは太陽の国の王子、弓使いのアレックスだ。
「メアリス教国の息がかかっている町は危険だからな。強行軍だ。ヘーリオス王国まで、街道は使わねえで山脈を突っ切っていく」
次に口を開いたのは白髪交じりの大柄な戦士グランツ。彼が説明を補足し、今後の予定をざっくりと述べる。
「え? 山脈を突っ切るって……お姫様もいるのに大丈夫なの?」
赤毛ネコミミの斥候少女リップが、その無茶な予定に苦言を入れる。
「姫様はバフォメット族。むしろ山道は私たちよりずっと得意なはずです。それより、メアリス教の騎士に見つかったほうがよっぽど面倒ですからね」
メガネの位置を直しながら、魔術師の青年ジーノは言った。
「そんな予定だけど……大丈夫? 大変な旅になるかもしれないけど、オレが絶対に守るから」
弓使いの王子アレックスは、ソフィアのほうを見据えて尋ねる。
「……大丈夫です。覚悟はできています」
少女は前に進む。どんなに過酷な未来が待ち受けていようとも。
冬の城で、永遠を生きる魔獣から、前に進む勇気をもらったから。
「よし。じゃあ、お前ら――気張っていくぞ」
戦士の激励を合図に、冒険者たちとソフィア姫は、再び歩き始めた。
目指すはアレックス王子の故郷、ヘーリオス王国。
そこで待ち受ける運命を、彼らはまだ知らない。
冬の城に住む魔獣と、そこに迷い込んだ姫君の物語はいったん終わりを迎える。
しかし、たとえ物語が終わろうとも、世界は続いていくのだ。
季節は廻る。
今年も、冬の季節が訪れる。
そして、不死身の魔獣を封じるは、冬という名の牢獄。
世界は魔獣と同じ檻の中。
総ては、星の導きのままに――星詠みの魔女の思惑通りに。
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やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには?
100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。
200話で完結しました。
今回はあとがきは無しです。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
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*年齢制限を18→15に変更しました。
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