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第五章 魔獣が生きる永遠と少女が生きる明日

閑話 湯煙の中で

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 男連中が中庭でたわむれていたころ
 冬の城の浴場には二人の少女が居た。
「やっぱり、お姫様の髪は綺麗だね。うらやましいや」
 髪の洗いっこにきょうじる二人のうち、一人は冒険者のネコミミ少女、リップである。
 彼女が髪を洗っている相手は、バフォメット族の姫君であるソフィアだ。
 元々人懐っこいリップと、基本的に柔和にゅうわで温厚な性格のソフィア。もともと歳が近かったこともあって、二人はすっかり仲良くなっていた。

「ありがとうございます。でも、わたしの髪につやが出てきたのは、このお城で特別な石鹸せっけんを使わせてもらってからですよ?」
「この“しゃんぷー”のおかげ? 流石は魔女様の秘薬、すごい効果だね!」
 彼女たちが使っているシャンプーは、放浪の魔女が異世界の市販品を持ってきただけのものである。
 信じられないほどかぐわしい柑橘かんきつ系の香りを漂わせているが、別に秘薬でもなんでもない。
 ただし、それを訂正できる者はこの場には居なかった。

「リップさんは、お試ししないのですか?」
「うーん……惜しいけど、ボクはイイよ。斥候役がこんな甘い香り振りまいていたら、あっという間に魔獣に見つかっちゃう」
 彼女はどちらかと言えば綺麗好きなほうだが、自分の体を洗うのに石鹸なんてものは滅多に使わない。せいぜい沐浴もくよくをするか、サウナで垢を落とす程度だ。
 それはこの辺の地域における入浴の文化が主な理由であったが、香りで魔獣に感付かれたくないという生業なりわい上の都合もあった。
 森の中で甘い香りを振りまく斥候など、冒険者失格である。
 しかし、年頃の乙女としては、美しい髪にあこがれてしまうのも本音だった。

 いや、髪の毛に限った話ではない。
 リップにとってソフィアの容姿スタイル羨望せんぼうの対象だ。
 キメの細かいすべすべとした褐色の肌に、くびれた細い腰。
 すらりと伸びた足は、ヒヅメの分さらに長く見える。しかもソフィアの場合は、バフォメット族であることを抜きにしてもさらに長い。

 そして何より、その胸にたわわに実った二つの果肉。
 手のひらに収まり切らないほどに大きいは、リップにとって絶対的な女性らしさの象徴であった。

 対して自分はどうだ。
 日焼け跡がくっきりと残る荒れ気味の肌に、キューティクルのないパサパサの赤髪。
 細く筋肉質な体に、膨らみのいまいちな胸部。
 特にメリハリのないシルエットは彼女のコンプレックスだった。
 猫系の獣人は総じてスレンダーな体型であることが多いが、リップのバストサイズはその平均すら大きく下回っている。
 これこそが噂に聞く、胸囲の格差社会なのだろうか。

「やっぱり、ヒヅメもちの獣人はずるいなあ……みんなスタイル抜群だもん……」
「で、でもリップさんだって、全身の筋肉が引き締まって、しなやかで、素敵なスタイルじゃないですか」
「ううっ……ムリしてめなくてもいいよ……」
 別にソフィアは無理してめたわけでない。紛れもない本心である。

 実際リップの容姿も自己評価が低いだけで、客観的に見ればスポーティな美少女なのだが……こればかりは本人の意識の問題だろう。
 それにこっちの世界では、彼女が“女の子として”モテないタイプであるのも事実だ。
 身体からだに染みついた魔獣避けの薬草ハーブの香りはさわやかと表現できなくもないが、これもリップの思う“魅力的な女の子”像とは大きくかけ離れていた。
 要は、ボーイッシュ系美少女の需要と供給の問題であった。

 リップは丁寧にシャンプーの泡をお湯で流していく。
「それにしてもさ、ソフィア姫。どうして告白を断っちゃったの? アルくんのことは、嫌いじゃないんでしょ?」
「えっ……」
 突然な質問をされて、返答に困るソフィア。
「それは……わたしにも、よく分かりません」
「そうだよね。さっきなんて、顔を真っ赤にして、すっごく慌てふためいていたもん」
 リップはからかうような笑みを浮かべる。
 ソフィアはさっきの真っ直ぐな告白を思い出して、顔が上気するのを感じた。

「でもさ、混ぜっ返しちゃうけど、実際どうなの? さっきは不意打ちだったから仕方ないけど、今落ち着いて考えても、やっぱり弟みたいにしか思えない?」
 リップに問われて自分の感情に困惑したままのソフィアは、自身の思いを整理しながら考える。
 そうしながら本当の心情をゆっくりと言葉にしていった。
「……アルくんのことが大切なのは、間違いないのです」
「おお! ならアルくんのお嫁さんに?」
「で、でも、やっぱり……それは多分、家族に対する好きって感情で……今までわたしにとって、恋なんて、遠い世界の話でしたから」

 彼女はもっとも多感な時期を、敵国の中で、『聖女』として生きてきた。
 ディオン司祭を始め、信用できる人物には恵まれたが……それでもあの日に刻まれた恐怖と不安はぬぐえない。

 そして、一人で逃げた罪の意識と無力感。それでもレヴィオール王国を救うという意思。
 これら全てが、彼女に心の底から甘えるという行為を許さなかった。
「……そっか。事情が事情だもんね」
 過酷な運命の中、まともな恋も知らないまま成長したソフィア。
 彼女にとって、恋愛なんてものは物語の中の出来事だった。

 体を洗った二人は湯船に浸かり、体を温める。
 大理石造りの贅沢な空間に二人きり。注がれる湯の音だけが反響していた。
「あの、リップさん?」
 不意にソフィアが隣の少女に呼びかける。
「なぁに?」
「恋をするって、どんな気持ちなのでしょうか?」
「……ボクには、なかなか難しい質問だね」
 リップは答え辛そうに表情を悩ませた。

「とりあえず……生涯ずっと一緒に居たいと思える相手がいたら、きっと恋をしているんじゃないかなあ?」
「ずっと一緒に居たいと思える相手……?」
「あっ。でも、これだと家族愛や友情もありえるか。うん、そうだよ。大切な人はだいたいそうだよね」
 本当に難しいね。そう言いながら、リップはさらに考えてみる。
「他には……そうだねー。胸が熱くなって、この人になら全てを捧げてもいい! って、思えれば、それは多分恋……だと思うよ」
「全てを……捧げる……?」
 何かを思い出したかのように、表情が固まるソフィア。
「……もしかして、他に好きな人とかいた?」
「い、いえ! そんなことはないのですが……」
 この時ソフィアが思い出していたのは、魔獣の背に乗って雪原を駆け抜けた、あの日のことであった。
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