51 / 142
第五章 魔獣が生きる永遠と少女が生きる明日
閑話 湯煙の中で
しおりを挟む
男連中が中庭で戯れていた頃。
冬の城の浴場には二人の少女が居た。
「やっぱり、お姫様の髪は綺麗だね。羨ましいや」
髪の洗いっこに興じる二人のうち、一人は冒険者のネコミミ少女、リップである。
彼女が髪を洗っている相手は、バフォメット族の姫君であるソフィアだ。
元々人懐っこいリップと、基本的に柔和で温厚な性格のソフィア。もともと歳が近かったこともあって、二人はすっかり仲良くなっていた。
「ありがとうございます。でも、わたしの髪に艶が出てきたのは、このお城で特別な石鹸を使わせてもらってからですよ?」
「この“しゃんぷー”のおかげ? 流石は魔女様の秘薬、すごい効果だね!」
彼女たちが使っているシャンプーは、放浪の魔女が異世界の市販品を持ってきただけのものである。
信じられないほど香しい柑橘系の香りを漂わせているが、別に秘薬でもなんでもない。
ただし、それを訂正できる者はこの場には居なかった。
「リップさんは、お試ししないのですか?」
「うーん……惜しいけど、ボクはイイよ。斥候役がこんな甘い香り振りまいていたら、あっという間に魔獣に見つかっちゃう」
彼女はどちらかと言えば綺麗好きなほうだが、自分の体を洗うのに石鹸なんてものは滅多に使わない。せいぜい沐浴をするか、サウナで垢を落とす程度だ。
それはこの辺の地域における入浴の文化が主な理由であったが、香りで魔獣に感付かれたくないという生業上の都合もあった。
森の中で甘い香りを振りまく斥候など、冒険者失格である。
しかし、年頃の乙女としては、美しい髪に憧れてしまうのも本音だった。
いや、髪の毛に限った話ではない。
リップにとってソフィアの容姿は羨望の対象だ。
キメの細かいすべすべとした褐色の肌に、くびれた細い腰。
すらりと伸びた足は、蹄の分さらに長く見える。しかもソフィアの場合は、バフォメット族であることを抜きにしてもさらに長い。
そして何より、その胸にたわわに実った二つの果肉。
手のひらに収まり切らないほどに大きいそれは、リップにとって絶対的な女性らしさの象徴であった。
対して自分はどうだ。
日焼け跡がくっきりと残る荒れ気味の肌に、キューティクルのないパサパサの赤髪。
細く筋肉質な体に、膨らみのいまいちな胸部。
特にメリハリのないシルエットは彼女のコンプレックスだった。
猫系の獣人は総じてスレンダーな体型であることが多いが、リップのバストサイズはその平均すら大きく下回っている。
これこそが噂に聞く、胸囲の格差社会なのだろうか。
「やっぱり、蹄もちの獣人はずるいなあ……みんなスタイル抜群だもん……」
「で、でもリップさんだって、全身の筋肉が引き締まって、しなやかで、素敵なスタイルじゃないですか」
「ううっ……ムリして褒めなくてもいいよ……」
別にソフィアは無理して褒めたわけでない。紛れもない本心である。
実際リップの容姿も自己評価が低いだけで、客観的に見ればスポーティな美少女なのだが……こればかりは本人の意識の問題だろう。
それにこっちの世界では、彼女が“女の子として”モテないタイプであるのも事実だ。
身体に染みついた魔獣避けの薬草の香りは爽やかと表現できなくもないが、これもリップの思う“魅力的な女の子”像とは大きくかけ離れていた。
要は、ボーイッシュ系美少女の需要と供給の問題であった。
リップは丁寧にシャンプーの泡をお湯で流していく。
「それにしてもさ、ソフィア姫。どうして告白を断っちゃったの? アルくんのことは、嫌いじゃないんでしょ?」
「えっ……」
突然な質問をされて、返答に困るソフィア。
「それは……わたしにも、よく分かりません」
「そうだよね。さっきなんて、顔を真っ赤にして、すっごく慌てふためいていたもん」
リップはからかうような笑みを浮かべる。
ソフィアはさっきの真っ直ぐな告白を思い出して、顔が上気するのを感じた。
「でもさ、混ぜっ返しちゃうけど、実際どうなの? さっきは不意打ちだったから仕方ないけど、今落ち着いて考えても、やっぱり弟みたいにしか思えない?」
リップに問われて自分の感情に困惑したままのソフィアは、自身の思いを整理しながら考える。
そうしながら本当の心情をゆっくりと言葉にしていった。
「……アルくんのことが大切なのは、間違いないのです」
「おお! ならアルくんのお嫁さんに?」
「で、でも、やっぱり……それは多分、家族に対する好きって感情で……今までわたしにとって、恋なんて、遠い世界の話でしたから」
彼女はもっとも多感な時期を、敵国の中で、『聖女』として生きてきた。
ディオン司祭を始め、信用できる人物には恵まれたが……それでもあの日に刻まれた恐怖と不安は拭えない。
そして、一人で逃げた罪の意識と無力感。それでもレヴィオール王国を救うという意思。
これら全てが、彼女に心の底から甘えるという行為を許さなかった。
「……そっか。事情が事情だもんね」
過酷な運命の中、まともな恋も知らないまま成長したソフィア。
彼女にとって、恋愛なんてものは物語の中の出来事だった。
体を洗った二人は湯船に浸かり、体を温める。
大理石造りの贅沢な空間に二人きり。注がれる湯の音だけが反響していた。
「あの、リップさん?」
不意にソフィアが隣の少女に呼びかける。
「なぁに?」
「恋をするって、どんな気持ちなのでしょうか?」
「……ボクには、なかなか難しい質問だね」
リップは答え辛そうに表情を悩ませた。
「とりあえず……生涯ずっと一緒に居たいと思える相手がいたら、きっと恋をしているんじゃないかなあ?」
「ずっと一緒に居たいと思える相手……?」
「あっ。でも、これだと家族愛や友情もありえるか。うん、そうだよ。大切な人はだいたいそうだよね」
本当に難しいね。そう言いながら、リップはさらに考えてみる。
「他には……そうだねー。胸が熱くなって、この人になら全てを捧げてもいい! って、思えれば、それは多分恋……だと思うよ」
「全てを……捧げる……?」
何かを思い出したかのように、表情が固まるソフィア。
「……もしかして、他に好きな人とかいた?」
「い、いえ! そんなことはないのですが……」
この時ソフィアが思い出していたのは、魔獣の背に乗って雪原を駆け抜けた、あの日のことであった。
冬の城の浴場には二人の少女が居た。
「やっぱり、お姫様の髪は綺麗だね。羨ましいや」
髪の洗いっこに興じる二人のうち、一人は冒険者のネコミミ少女、リップである。
彼女が髪を洗っている相手は、バフォメット族の姫君であるソフィアだ。
元々人懐っこいリップと、基本的に柔和で温厚な性格のソフィア。もともと歳が近かったこともあって、二人はすっかり仲良くなっていた。
「ありがとうございます。でも、わたしの髪に艶が出てきたのは、このお城で特別な石鹸を使わせてもらってからですよ?」
「この“しゃんぷー”のおかげ? 流石は魔女様の秘薬、すごい効果だね!」
彼女たちが使っているシャンプーは、放浪の魔女が異世界の市販品を持ってきただけのものである。
信じられないほど香しい柑橘系の香りを漂わせているが、別に秘薬でもなんでもない。
ただし、それを訂正できる者はこの場には居なかった。
「リップさんは、お試ししないのですか?」
「うーん……惜しいけど、ボクはイイよ。斥候役がこんな甘い香り振りまいていたら、あっという間に魔獣に見つかっちゃう」
彼女はどちらかと言えば綺麗好きなほうだが、自分の体を洗うのに石鹸なんてものは滅多に使わない。せいぜい沐浴をするか、サウナで垢を落とす程度だ。
それはこの辺の地域における入浴の文化が主な理由であったが、香りで魔獣に感付かれたくないという生業上の都合もあった。
森の中で甘い香りを振りまく斥候など、冒険者失格である。
しかし、年頃の乙女としては、美しい髪に憧れてしまうのも本音だった。
いや、髪の毛に限った話ではない。
リップにとってソフィアの容姿は羨望の対象だ。
キメの細かいすべすべとした褐色の肌に、くびれた細い腰。
すらりと伸びた足は、蹄の分さらに長く見える。しかもソフィアの場合は、バフォメット族であることを抜きにしてもさらに長い。
そして何より、その胸にたわわに実った二つの果肉。
手のひらに収まり切らないほどに大きいそれは、リップにとって絶対的な女性らしさの象徴であった。
対して自分はどうだ。
日焼け跡がくっきりと残る荒れ気味の肌に、キューティクルのないパサパサの赤髪。
細く筋肉質な体に、膨らみのいまいちな胸部。
特にメリハリのないシルエットは彼女のコンプレックスだった。
猫系の獣人は総じてスレンダーな体型であることが多いが、リップのバストサイズはその平均すら大きく下回っている。
これこそが噂に聞く、胸囲の格差社会なのだろうか。
「やっぱり、蹄もちの獣人はずるいなあ……みんなスタイル抜群だもん……」
「で、でもリップさんだって、全身の筋肉が引き締まって、しなやかで、素敵なスタイルじゃないですか」
「ううっ……ムリして褒めなくてもいいよ……」
別にソフィアは無理して褒めたわけでない。紛れもない本心である。
実際リップの容姿も自己評価が低いだけで、客観的に見ればスポーティな美少女なのだが……こればかりは本人の意識の問題だろう。
それにこっちの世界では、彼女が“女の子として”モテないタイプであるのも事実だ。
身体に染みついた魔獣避けの薬草の香りは爽やかと表現できなくもないが、これもリップの思う“魅力的な女の子”像とは大きくかけ離れていた。
要は、ボーイッシュ系美少女の需要と供給の問題であった。
リップは丁寧にシャンプーの泡をお湯で流していく。
「それにしてもさ、ソフィア姫。どうして告白を断っちゃったの? アルくんのことは、嫌いじゃないんでしょ?」
「えっ……」
突然な質問をされて、返答に困るソフィア。
「それは……わたしにも、よく分かりません」
「そうだよね。さっきなんて、顔を真っ赤にして、すっごく慌てふためいていたもん」
リップはからかうような笑みを浮かべる。
ソフィアはさっきの真っ直ぐな告白を思い出して、顔が上気するのを感じた。
「でもさ、混ぜっ返しちゃうけど、実際どうなの? さっきは不意打ちだったから仕方ないけど、今落ち着いて考えても、やっぱり弟みたいにしか思えない?」
リップに問われて自分の感情に困惑したままのソフィアは、自身の思いを整理しながら考える。
そうしながら本当の心情をゆっくりと言葉にしていった。
「……アルくんのことが大切なのは、間違いないのです」
「おお! ならアルくんのお嫁さんに?」
「で、でも、やっぱり……それは多分、家族に対する好きって感情で……今までわたしにとって、恋なんて、遠い世界の話でしたから」
彼女はもっとも多感な時期を、敵国の中で、『聖女』として生きてきた。
ディオン司祭を始め、信用できる人物には恵まれたが……それでもあの日に刻まれた恐怖と不安は拭えない。
そして、一人で逃げた罪の意識と無力感。それでもレヴィオール王国を救うという意思。
これら全てが、彼女に心の底から甘えるという行為を許さなかった。
「……そっか。事情が事情だもんね」
過酷な運命の中、まともな恋も知らないまま成長したソフィア。
彼女にとって、恋愛なんてものは物語の中の出来事だった。
体を洗った二人は湯船に浸かり、体を温める。
大理石造りの贅沢な空間に二人きり。注がれる湯の音だけが反響していた。
「あの、リップさん?」
不意にソフィアが隣の少女に呼びかける。
「なぁに?」
「恋をするって、どんな気持ちなのでしょうか?」
「……ボクには、なかなか難しい質問だね」
リップは答え辛そうに表情を悩ませた。
「とりあえず……生涯ずっと一緒に居たいと思える相手がいたら、きっと恋をしているんじゃないかなあ?」
「ずっと一緒に居たいと思える相手……?」
「あっ。でも、これだと家族愛や友情もありえるか。うん、そうだよ。大切な人はだいたいそうだよね」
本当に難しいね。そう言いながら、リップはさらに考えてみる。
「他には……そうだねー。胸が熱くなって、この人になら全てを捧げてもいい! って、思えれば、それは多分恋……だと思うよ」
「全てを……捧げる……?」
何かを思い出したかのように、表情が固まるソフィア。
「……もしかして、他に好きな人とかいた?」
「い、いえ! そんなことはないのですが……」
この時ソフィアが思い出していたのは、魔獣の背に乗って雪原を駆け抜けた、あの日のことであった。
0
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる