上 下
45 / 142
第五章 魔獣が生きる永遠と少女が生きる明日

魂に刻まれた過ち(上)

しおりを挟む
 ソフィアによる手厚い看護の甲斐かいがあって、弓使いの少年は無事に目を覚ました。
 窓の外はそろそろ日が暮れそうな時間帯。
 あの戦闘から四、五時間が経過したくらいか。
「あっ、目が覚めた? 気分はどう? どこか痛いところはない?」
「……――う、あ……ソフィア、姉ちゃん?」
 意識を取り戻した弓使いの少年は、美しいソプラノボイスでソフィアの名を呼んだ。

 暖炉だんろの前で目を覚ました少年の意識は、まだ朦朧もうろうとしているようだ。
 淡い桃色味が掛かったブロンドの髪に、紫のような青色のような不思議な色合いの瞳。宝石のサファイアのような瞳だと表現すれば伝わるだろうか。
 象牙のような肌に、長い睫毛まつげ
 その少年は改めて見ても、まるで少女のように可愛らしい男の子だった。

 眠りから目を覚ますその姿は、まさに童話の王子様――いや、本人がその気になれば、お姫様の役だってこなせるかもしれない。
 その奇跡的な造形は、頬の傷があってでさえ、神話級の美少年だと言える。
 もはや嫉妬するのも馬鹿らしくなるな。
 今でこそ可愛いショタボーイだが、成長したらさぞ世の婦女子を夢中にさせる美男子に育つだろう。

「アルくん……わたしのこと、覚えていてくれたんだ」
 ソフィアが感慨深そうに、少年のひたいでながら言った。
「当たり前だよ。だって、オレは、ずっと姉ちゃんのために……」
「――目を覚ましたみたいだな」
 俺が割って声を掛けると、ソフィアと二人きりの世界に居た少年はハッと驚いた表情で凍りつく。
 どうやら、今初めて俺の存在に気が付いたらしい。

 弓使いの少年が何か行動を起こす前に、俺は自分の凍てついた魔力を向けて警告した。
「勘違いするな。ソフィアにめんじて、丁寧にもてなしているが……変な動きを見せれば、その瞬間、お前を八つ裂きに――」
「もーう、魔獣さん! そんなに怖がらせたら、駄目です!」
 めっですよ。
 そんな年下の男の子に注意するような感じで、ソフィアがちょっと怒ったふうに言った。
 理由は分からないが、ソフィアが弓使いの少年をかばうその姿に、俺の胸はずきりと痛んだ。

「……ああ、悪い。だが、ソフィアの安全のためにも、念のために、一応な」
 かつての知り合いであろうと、今の味方であるとは限らない。
 俺がそう言うと、ソフィアは困ったように眉をひそめて苦笑した。
「むう……わたしを想ってくれるお気持ちは嬉しいのですが、人を疑ってばかりではいけません。相手を信じるのも、大切なことですよ!」
「それでも、警戒はするに越したことは無いだろう」
「だ、大丈夫。今さら暴れたりしないよ……」
 弓使いの少年はおびえた様子で約束した。

 まあ、俺も本気で八つ裂きにするつもりはないが、そのおびえた顔に、俺の気分は少しだけ良くなった。
「そんなに怖がらなくても大丈夫です。この魔獣さん、見た目は恐ろしいかもしれませんが、本当はとっても優しい方ですから」
 ソフィアが弓使いの少年を安心させるために優しくなだめる。
 その二人のやり取りは、優しい姉とやんちゃな弟――今はまだ、そんな印象だった。

 弓使いの少年は周囲をきょろきょろと見回す。
 いまいち自分の状況が把握できていないようだ。
「ここは……?」
「冬の城ですよ、アレックス君」
 俺やソフィアが答えるより先に、弓使いの少年と一緒だった魔術師の青年が答えた。
「ジーノ!! 無事だったんだね!」
「いやはや、私達はどうやらとんだ勘違いをしていたようですね。てっきりソフィア姫は冬の城にとらわれているのかと思っていましたが、まさか異界のあるじに保護されていたとは……これは完全に想定の範囲外でしたね。しかし、これは予想しろというほうが無理な話です」
 魔術師の青年は、やれやれといった様子で、皮肉気な笑みを浮かべながら説明した。

 なお、俺は別に異界のあるじとやらになった記憶はないが……なんとなく俺に都合のよさそうな勘違いだったのでえて訂正していない。
 この辺りで一番強い魔獣であるのは事実なわけだし、ちょっと誇張しているだけだ。
「まあ、それより。アレックス君も見て下さいよ、この素晴らしく高性能なゴーレムを! 無機物に命を与えるとわれる『仮面の魔女』作の逸品だそうです。まさかこんなところで出会えるなんて……」
 魔術師の青年はうっとりとした表情で、自分を監視する仮面ゴーレムの全身を舐めるように観察していた。
 時たまポンコツなところを見せる仮面ゴーレムたちだが、それを含めて仮面の魔女が手掛けた傑作けっさくなのだろう。
 俗にいう、分かる者には分かるたくみの技というやつである。
 ただ悲しいかな、仮面ゴーレムのほうは魔術師ジーノに対して若干引いているように見えた。

「えーっと……それより、グランツとリップは? この部屋には居ないみたいだけど、二人とも大丈夫なの?」
 弓使いの少年は魔術師のテンションに付いて行けなかったようだ。やや困ったような表情で話題を変えた。
「はい。リップさんは浴場を借りていますよ。あとで私達もお借りしましょう。グランツさんは……今は外ですかね?」
「……あの戦士が居るのは中庭の庭園だな。新しい剣の使い心地を試している」
 曖昧あいまいな魔術師の代わりに俺が答えた。
 ちなみに彼が試している新しい剣とは、俺が使っていた尻尾の大剣だ。
 元々あの戦士が持っていた大剣は俺が砕いてしまったからな。
 適当にこしらえたものだが、とりあえず帰路の間に合わせには十分なはずである。

 ……あの戦士に新しい武器を持たせるのは、浅慮せんりょ過ぎると思うか?
 しかし、くどいようだが、あれは元々俺の尻尾だ。
 つまり俺の体の一部。だから何も問題ない。
 もし戦士が俺やソフィアに切りかかってくるなんてことがあれば、あの剣は一瞬で氷のようにもろく砕け散るだろう。
 ――そんなふうに仕込んでおいたからな。

 こんなことができる以上、むしろ俺の剣を持たせたのは予防線になるわけだ。
 まあ、今さらあの戦士が俺たちに斬りか掛かってくる心配は要らなさそうだが……これも一応、念のためである。

 これも今回の進化によって手に入れた能力。
 切り落とされた体の一部でも、ある程度動かせる。
 それどころか再生能力の応用で、好きな形に工《・》することもできる。
 この能力に気が付いた時は、慣れない感覚を奇妙に思ったが――使いこなせればここまで応用が利くのだ。
 言ってしまえば普段からやっている自己進化の応用でしかないが、我ながらなかなか便利な能力を会得したものである。
 そういう意味では、誤解と不幸なすれ違いから始まった今回の戦闘も、なかなかに有意義であった。

 * * *

 自分で言うのも変な話だが、俺の進化は完璧だった。
 厳密には「進化」というよりも「変態」と表現すべきかもしれないが、変態はイメージが悪すぎるし、何より進化のほうがカッコイイからそう呼ぶことにする。
 まあ、俺が進化する際は毎回死んでいるような状況だし、ある意味世代交代しているようなものだ。
 ならば、“進化”でも問題ないだろう。

 死と再生を繰り返した俺は、今や不死身なだけでなく、パワー敏速スピード、柔軟性、思考速度、魔力操作、魔術耐性、毒物耐性、感覚、才覚……あらゆる方面で圧倒的な戦闘能力を手に入れている。
 さらには風や氷を操り、どんな場所でも自分の周囲を一時的に“冬”にすることができる――局所的な気候すらも操れるのだ。

 これはもはや、名誉ドラゴンを自称しても過言ではない……かもしれない。
 もちろん、モンスターを狩猟ハントするゲーム的な意味でな。

 さて、俺の進化は間違いなく完璧だったが、たった一つだけ進化の弊害へいがいがあった。
 それは思考力を増強した分、狂戦士バーサク状態モードの恩恵がほぼ無くなってしまったことである。
 つまり、衝動に任せた行動ができなくなってしまったのだ。

「思考力の強化」と「原初の衝動」に依存する狂戦士バーサク状態モード
 この二つの相性は、とにかく悪すぎる。
 感情に任せて暴れようとしても、脳裏によぎる冷静な思考――そいつは相変わらず俺の行動を制限していた。

 思考は大事であるが、同時に不要な迷いになることも多い。
 常に冷静さが求められる後衛ならともかく、直接刃を交えて戦っている最中に迷うのは……俺は不死だから問題なかったが、本当なら致命的な隙だろう。
 そもそも、心の迷いを解決するために開発した狂戦士バーサク状態モード。そのはずなのに、いざという時に迷いを断ち切れないのはどういうことだ。

 確かに、あの戦士と魔術師を攻略するには、本能と衝動に任せた愚直な攻撃では足りなかった。冷静さや狡猾さが必須であった――しかし、全ては過去の話。最強の状態に進化した今となっては、その言い訳も通用しない。
 実際に終盤のほうは、強化された肉体だけで、あの二人と十分に渡り合えていた。
 もっと言ってしまえば、より強くなる方針として、単純に肉体をさらに強化するという手段もあったはずなのだ。
 しかし俺はその道を選べなかった。

 これはもう、アレだな。
 俺の適性と望んだ能力の間には、致命的な食い違いが存在した。
 狂戦士バーサク状態モードは俺の性格と根本的に噛み合っていなかった。ここまで来ると、もはやそう結論づけざるを得ない。

 ひと言で表せば、大失敗である。
 まったく、こんなはずじゃなかったのに。
 世の中いつだって、そう文句を言いたくなることばかりだ。

 ……ただ、今回に限っては、それに救われたのも事実だった。
 結果的に誰一人死なずに済んだのは、色んな意味で不幸中のさいわいだ。
 それこそ、もし俺が徹頭徹尾狂戦士バーサク状態モードつらぬいていれば……今頃、あの四人は命を落としていただろう。
 もちろん他でもない、俺自身の鉤爪かぎづめと牙によって。

 奴らにとっても幸運なことだったはずだ。
 完全な灰燼かいじんに焼き尽くされた状態から見事に復活を遂げた俺は、戦っている最中にふと気が付いてしまった。

 あの四人は、俺を殺せない。

 考えてみれば当たり前だ。
 あの黒騎士が英雄の末裔まつえいなんていう反則じみた存在だっただけで、そこらの冒険者が俺を殺しうる手段を普通に所持しているなら、不死の呪いなんて成立しないのだ。

 そうと気が付いてからは、狂戦士バーサク状態モードも鳴りを潜め、完全に目的は冒険者たちの捕獲へとシフトしていた。
 端的に表現すれば、俗に言う手加減からの舐めプである。
 そのついでに自分の身体の調整や最適化、運用試験を行なっていた。
 その割には無視していた弓使いと斥候の少女に脳天を貫かれたり、泥沼に沈められたりと散々な目に合っている気もするが……それらの結果だってきちんと踏まえたうえで色々とアップグレードできているわけだから、総括的にはプラスだろう。

 まあ、それも含めて、一種のノブレス・オブリージュというやつだな。
 今の俺は不死身かつ最強の素敵な魔獣であるわけだから、弱くはかな定命じょうみょうの者共には優しくしてやる義務があるのだ。

 あの戦いで、冒険者たちは死力を尽くして頑張っていたと思う。
 だが悲しいことに、俺にとっては消化試合もよいとこであった。
 最終的には予定調和のごとく、冒険者たちは逃亡。俺はそれを各個撃破していった。
 そして俺が弓使いの頭を鷲掴わしづかみにしたあの場面に繋がるのである。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...