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第三章 黒騎士の末裔と血に穢れた願い

邂逅

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 深々しんしんと冷たい雪が降る。
 灰色の空、冬に呪われた地ではありふれた雪の日。
 こんな天気の日には、外に出る気が起きない。今日は室内でのんびり過ごすとしよう。

 赤々と燃える暖炉の前に居るのは、俺とソフィアと、もはや完全にこの城に居ついたクソウサギだ。
 安楽椅子に座っているソフィアは気が付けば、すやすやと安らかな寝息を立てていた。
 ほんのついさっきまで彼女は毛糸で何かを編んでいたのだが、穏やかな昼下がりの睡魔に負けてしまったようである。

 彼女の手元には編みかけの毛糸玉。
 俺の中で編み物と言えば、セーターかマフラーだと相場が決まっていが……彼女の作っているものはどちらも当てはまらないみたいだ。
 他に何か作るとしたら、手袋やぬいぐるみなんてのもありえるのか。
 ソフィアは何を作っているのだろう?
 さっきも気になっていてみたが、「まだ内緒です」と秘密にされてしまった。残念である。

 眠るソフィアの膝の上では、例のウサギも昼寝中だ。
 野生動物のくせに、このクソウサギは冬の城での生活に馴染んでいた。たったの四・五日で、今や完全に我が物顔だ。
 なんとも図太い性格だな。
 どうしていきなり俺たちに接触してきたのか理由は分からない。しかし、敵意が無いのは間違い無いみたいなので、とりあえずこの城に居つくことを許していた。

 相変わらずソフィアには懐いているが、俺には全然れてくれない。
 俺が撫でようとすると、このウサギはそれを全力で避け、ゲシゲシと蹴りを入れてくる。
 かといって無視していてもなぜか蹴ってくるし、本気で何がしたいのか分からない。
 ちなみにソフィア曰く、このクソウサギはメスらしい。

 ……もしかして、まさかの暴力系ヒロイン枠なのか? 俺の目をもってしても見抜けなかった。
 なんて冗談は置いといて……本当になんなんだろうな?
「コイツも静かにしていれば、それなりに可愛いのだが……」
 新たに増えた奇妙な同居ウサギに、俺はため息をいた。

 そして俺は特に何をするわけでもなく、昼寝中のソフィアとウサギをずっと眺めている。
 それは、まるで一枚の絵画のような、優しい光景。
 たとえ窓の外が吹雪いていても、この部屋の中は温かかった。



 ふと、獣の聴覚がかすかに何かを感じ取る。
 その音は雪の降る向こう、遥か遠くからとどろいた。
 天気が崩れたのか? と俺は一瞬思ったが、どうやら違うようだ。

 それは吹雪ふぶきの音ではない。稲妻が大気を切り裂く音でもない。
 まるで、爆炎が広がる轟音のような、鈍く、激しく、そして低い音。
「……なんの音だ?」
 それは、気のせいだと割り切るには、あまりにも不穏な音だった。
 嫌な予感がした。

 俺は部屋を飛び出し、その勢いで城外へと出る。そして音の聞こえた方角を見た。
 再び聞こえる轟音。
 見れば、森からは山火事みたいな煙がもうもうと立ち昇っているではないか。

 これはただ事じゃない。俺は急いで転移門ゲートから魔法の鏡を取り出した。
「森で何が起きているかを映せ!」
 俺がそう命じると、鏡面に波紋が揺らめく。
 映し出されたのは、地獄のように燃え盛る炎。そして、その中に一人立つ黒い騎士の姿だった。

 騎士はそれなりに大柄で、鎧の上からでも筋肉が引き締まっていることが分かる体格だ。
 身にまとうは黒い鎧。盾には片翼の女神が描かれている。
 周囲に転がっているのは炭の塊――いや、炭化したオオカミたちの死体だ。
 燃え盛る炎の正体は、黒騎士の攻撃魔術だったようだ。
 辛うじて動ける生き残りのオオカミたち。しかし、彼らにも逃げ場はない。せめて仲間の仇を取ろうと、あるいは一矢報いようと、黒い騎士に襲いかかる。
 しかし、無謀な特攻の結末は全て返り討ちに終わった。
 容赦のない斬撃。
 悲痛なオオカミの断末魔。
 その剣技と黒い全身鎧を見て確信する。
 この騎士こそが、クロード将軍――ソフィアを抹殺しようとしている、メアリス教国最強の刺客なのだと。

 以前に魔女が言っていた。
 メアリス教にまつられる英雄、黒騎士ニブルバーグの末裔。
 律儀なことに黒い鎧を着てくれていたおかげで、一目見ただけで俺にもこいつの正体が分かった。
「あの魔女め、なにが此処なら安全じゃ、だ……」
 肝心な時に限って冬の城を留守にしている魔女に対し、俺は独り文句を言った。
 だが、この場に居ない相手へ文句を述べたところで、事態が好転するわけではない。放っておけば、あの騎士はいずれここまで辿り着くだろう。

 どうするべきか俺は考える。
 相手は単身で一万人でも相手できるらしい人間戦略兵器。
 下手に争わず、逃げるべきか?
 しかしここは冬に呪われた地。大自然の猛威を考慮すれば、逃げた先でソフィアの安全は保障できない。
 ならば俺の取れる行動は、実質的に一択である。
「……とりあえず、戦うしかないな」
 とても話が通じる相手に見えないし、そもそもメアリス教国は初めからソフィアを害するつもりなのだ。交渉の余地なんてないだろう。

 最初は様子見も兼ねて、魔獣らしく威圧しながら立ち去るように言ってみるつもりだが……それで駄目だったら、この平穏を守るために、俺は独りで戦わなければならない。
 それは俺が生まれて初めて、何かを守るために戦うことを決めた瞬間だった。



 戦う覚悟を決めて黒い騎士の元に向かおうとする俺を、何者かが引き止める。
 誰だと思って振り返ると、そこにいたのは仮面ゴーレムたちだった。
 いつの間にかこいつらも、危険を察知して出て来たようだ。
「どうした?」
 俺が尋ねると、仮面ゴーレムは無言で首を横に振った。

 何がしたいかよく分からないが……引き留められても困る。
 行くな、ということだろうか?
 しかしこの状況で、そういうわけにもいかない。
 相変わらず仮面ゴーレムは制止し続けたが、俺はそれを振り切って黒騎士の暴れる森に向かった。

 仮面ゴーレムたちが慌てた様子だったのは、俺の視界に入らなかった。

 * * *

 雪の降る森の中、黒い騎士が歩む。
 彼の背後には、魔獣化したオオカミの群れの死体があった。

 森の中の開けた空間。
 くすぶる炎が残る中、オオカミたちのむくろは例外なく炭化している。
 この黒い鎧を着た騎士の仕業だ。
 無謀にも襲いかかってくるオオカミの群れをわずらわしく思った黒騎士は、戦場すらをも焼き尽くせる炎の魔術で周囲の森ごと焼き払ったのだ。
 辛うじて生き残った残党も、たった今、無慈悲に容赦なく首を切り落とされたところである。
 冬に呪われた枯れ木の森の中、彼の歩んだ跡はしかばね道標みちしるべとなっていた。

 その右手にたずさえるは、鈍い輝きを放つ騎士剣。
 それは明らかに両手で持つための大きさの剣――地球で言うところのツヴァイハンダーと呼ばれる剣である。
 にもかかわらず黒騎士はそれを片手で軽々と振り回し、左腕には盾まで装備していた。
 全身を鎧で隠す黒い騎士。
 その姿はまさに人の形をした化け物。
 殺戮さつりくのための機械。
 無感情に生き物を殺していく挙動も相まって、ますますそのように見えた。

(……見られているな)
 黒い騎士は自分に向けられる何者かの視線を感じ取っていた。
(獣特有の鋭さ……しかし、野生の獣ではないな。知性を感じる。亜人か?)
 もしかすると、自分を見ているのは目的の相手かもしれない。
 黒騎士は気を引き締めた。
(この先か)
 己の身の内に宿る黒き炎の導きに従い、歩みを進める。
 だんだんと木々がまばらとなり、とうとう森を抜ける。
 森を抜けるとそこは、開けた雪原だった。

 まだ収穫祭も終わったばかりなのに、これほどまで雪が積もっているなど普通では考えられない。
 果てしなく広がる雪と氷の大地。
 遥か遠くに見える白亜の城。
 吟遊詩人にも歌われる光景が、そこにはあった。

(やはりここは、『冬に呪われた地』なのだな)
 黒い騎士はその壮大な景色を、眉一つ動かさず眺めていた。

 右半身に宿る、黒い炎が彼を導く。
 自分の執着する先は――捜し物はさらに向こうにあるようだ。
 黒騎士が一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。

「止まれ、人間。それ以上この地を踏み荒らすことは許さん」
 何者かが黒騎士に声をかけた。

 先ほどから自分に向けられた視線の主だろう。黒騎士は慌てる様子もなく声のほうへ問いかけた。
「貴様か? 私に語りかけたのは」
 騎士は声の主にいぶかしみながら問い返す。
「そうだ、人間。ここは冬に呪われた地、人の踏み入ることは決して赦されぬ聖域。お前は如何いかなる理由があって足を踏み入れた」
 そこに居たのは、雪原に似合わない漆黒の毛並みをもつ魔獣であった。

(こいつがおそらく、この異界のあるじか……)
 黒い騎士はそう分析した。
 なかなか強そうだ……が、中位のドラゴンにも及ばない程度。
 黒騎士は魔獣の強さを、そう見積もった。

「止まれ、と言ったはずだが? 許しもなく勝手に動くことは許さんぞ」
 平然と歩きだそうとする黒騎士に、魔獣が再度警告した。
「質問に答えろ。さもなくば、早々に立ち去るがよい」
 魔獣の表情なんて分からないが、多分いらついた様子でうなり声をあげる。
 ……言葉が通じるのなら、素直に聞いてみるのも一つの手か。
 黒騎士はそう思った。

「人を探している。この地にヤギの血が混じった人間が迷い込まなかっただろうか」
「知らん」
 漆黒の魔獣はにべもなく即答した。
「この地に迷い込んだ人間は、お前が久々だ。仮に居たとして、とっくに森の中でオオカミにでも食われたのだろうよ。だから、お前も早く立ち去れ――」
「嘘だな」
 黒い騎士は魔獣のついた嘘を見抜き、断言する。
「私の炎が、がこの先に居ると告げている――例え死体であっても、首から上を持ち帰ることが俺の任務だ。押し通らせてもらうぞ」

 ……交渉は決裂だ。
 もはや衝突は避けられなかった。
 魔獣は咆哮をあげるや否や、黒い鎧の騎士に襲いかかった。

 魔獣が跳躍ちょうやくし、黒い騎士と一気に距離を詰める。
 その動きはそこそこ早いが、黒騎士にとっては見切れない程度ではない。
 騎士は余裕を持って振り下された腕を避けると、魔獣の心臓を目がけて騎士剣をつらぬいた。
「グッ……!」
 致命的な一撃。
 魔獣の口からうめき声が漏れる。
 胸部の甲殻か鎧のような鱗の隙間をうように、深々と剣が突き刺さる。
 黒騎士は自分の剣が魔獣の肋骨を破り、心臓を貫いた感触を確かに感じ取った。

(一撃で終わり……伝説級の異界の割に、なんともあっけないな)
 だがその騎士にとって、魔獣を一撃でほふることは特別珍しいことなかった。
 例えそれが主級の魔獣であっても変わらない。

 故に彼は油断した。
 つまらなそうに魔獣から剣を抜こうとする黒騎士。
 その刹那せつな、隙をついて魔獣の牙が黒騎士に襲いかかる。

「なにッ……!?」
 不意を突かれ、反応できない。
 魔獣の強靭な顎が、右肩を鎧ごと喰い千切ろうとした。

「ぁあああッ!!」

 騎士が気合を入れ、腕に力を込める。
 右半身から吹き上がる黒い炎。魔獣は怯んで黒騎士から噛みついていた口を離した。

 さらに黒騎士は、黒い炎から湧き上がる力を――人間の領域を超えた怪力をって、剣を無理やり切り上げる。
 しかし体半分を縦に切り裂かれたはずの魔獣の目から敵意は消えておらず、黒騎士を目がけて力任せに腕を叩きつけてきた。
「クッ……!」
 咄嗟に盾で、その攻撃を受け止める。
 単調だが、重い一撃。
 黒騎士は上手うまくその攻撃をいなすと、後退して魔獣から距離を取った。

 ――後ろに下がった騎士が目にしたのは、異様な光景だった。
 心臓から肩にかけて、黒騎士の剣によって切り裂かれた魔獣。
 その怪我が目の前で修復していく。

 割れた骨が。

 千切れた血管が。

 切り裂かれた筋肉が。

 その他もろもろも全てが治っていく。
 そして、数十秒も経たないうちに、傷は完全に治りきっていた。

 一部の竜種にも匹敵する、異常なまでの再生力。
 まるで初めから怪我なんて負わなかったかのように、再び黒騎士を見据えうなり声をあげる漆黒の魔獣。

「――面妖な!!」
 黒い鎧の騎士は魔獣をそれなりの強敵と認め、騎士剣と盾を構えた。
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