竜の国の侍従長

風結

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八章 千竜王と侍従長

少年の双翼

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「あれ? もう夜?」
「風っころと一緒にするなですわ。父様の負担にならないように飛んだのですから、もっと健気な娘を褒め称えるのですわ」
「あ、そうだ。すっかり忘れていたけど。スナから、聞きたい言葉があるんだけど。戻ってきたんだから、今でもいいよ」

 見上げた夜空に星はない。

 情調ムードはないが、この機を逃してなるものか。僕だって今回はかなり頑張ったのだから、氷竜からご褒美が欲しい。

 僕が待ち望んでいた言葉を、やっと愛娘から聞けるとーーそう思ったら。

「……私は言ったですわ。『きちんと』戻って、と。ぎりぎり戻ってきたような感じでは、氷竜だって、炎を食べてしまいますわ」

 おかしな譬えは、それだけ動揺しているということだろうか。

 体はまだ酷い状態だが、スナの冷たさは、優しい心地で、僕を温めてくれる。大丈夫そうなので、やってみると、スナの魔力を貰えたので、歩いていって、寂れた色の角に寄り掛かる。

「もう、竜の国の山脈を越えてるんだね」
「どうしてわかったですわ?」
「自分たちで造った国だからね。見た瞬間に、そう思った。触れた刹那に、スナだとわかるのと同じだね」
「…………」
「もしかしたら、僕の大切な娘は、ちょっとだけ恥ずかしがり屋さんなのかもしれないと、思ったりしなかったりした、今日この頃ーー」

 冗談めかして言ったのだが、怒るわけでもなく、反応がないんですけど。いや、そっちのほうが断然怖いから、氷竜様っ、角をすりすりさせて頂くので、何卒御慈悲をば!

「父様も知っているでしょうが、私も、人種との関係について、少しだけ、少しだけですわ、悩んでいたのですわ」
「うん。僕を不老化させようとしたり、距離を置いてみたり、僕に冷たくなったり、僕を殺そうとしたり、色々あったけれど、今も僕と一緒に居てくれる。僕は欲張りのはずなのに、スナが側に居てくれるだけで、満たされてしまってるんだ」

 答えの代わりだろうか、スナは降下してゆく。

 夜に囁く、光の宴。イリアかリーズが伝えたのだろうか、翠緑宮が目印に、闇に浮かぶ光船となって、僕らを迎えてくれる。

 長かった、などと顧みている場合ではない。それは、コウさんを目覚めさせてからだ。

「お帰り、リシェ」
「ただ今、戻りました、老師」

 二竜は遠慮したのだろうか、老師は階段に腰掛けていた。

 彼は、杖を持っていた。魔法使いとしての自覚が芽生えたわけではなく、杖を必要とするほど衰弱しているのだろう。

「心配してくれるのはありがたいけれど。コウが目覚めれば、私の寿命も少しは延びるだろうから、そんな、老人を甚振る『魔毒王』のような目を向けないでくれるかな」

 ちくしょう。この魔法使いおうさまの師匠、何処まで知っていやがるのか。心配して損をした。なんてことは勿論ないんだけど。普通に接する、ということの難しさを思い知る。

「グリングロウ国では、何かありましたか?」
「幾つか、仕事が滞っているようだけれど、予備魔力として残していたコウの魔力は、まだ余裕があるから、大きな問題は起こっていないよ」
「ーーイリアとリーズは、どうでした?」
「何故だか知らないが、二竜は私を頼ってね。やっぱり間違えたかもしれない。『千竜王』の師匠とやらが、彼らにはよっぽど効果があるのか。竜の国にとっては、ーー損よりも、益のほうが大きかったよ」

 老師は、いまいち信用できないので、カレンからも聞いておいたほうが良さそうだ。二竜を褒めるのは、それまでお預け、ということで。

 ーー世間話をしている間に、辿り着く。

 見慣れた、コウさんの居室。はぁ、忘れ物とか、仕事の残りとか、何度届けにきたものか。

「強い魔力は、体に障ります故、あとはお任せいたします、氷竜様」
「まだ持つようですから、聞いてやらなくもないですわ」
「次は年寄り同士、竜茶でも飲みながら、思い出話に花を咲かせましょう」
「ひゃふっ、竜には寿命なんて知らぬが竜ですから、いつでもいつまでも、私はぴっちぴちですわ」
「それは失礼いたしました。それでは、先に休ませて頂きます」

 老人は怖いもの知らずである。などという言葉を聞いたことがあるが、スナ相手に怯まないとは、さすがじゃりゅうの師匠。邪竜王は兄さんなので、邪竜大臣か邪竜団長くらいの称号なら、って、今はそんな阿呆なことで悩んでいる場合ではなく。

「スナ。何か異変はある?」

 扉を開けて、部屋に入りながら尋ねると、呆れた声が返ってくる。

「父様、まだ鈍いままですわ? 扉に掛けられた魔法、部屋に施された魔法、この居室自体を強化している魔法、魔力の流れを制御している魔法。他にも幾つも、竜が暴れ回る勢いで、ぶっ壊れたですわ」

 あー、僕にはまったくわからなかったが、スナの竜眼には壮絶な光景が展開されていたらしい。それを遣った当人が気付いていないのだから、呆れられるのもむべなるかな。

「これは、クーさんかな」
「中々の出来栄えなので、九十点ーーと言いたいところですが、私の等身大人形だけがないので、三十点にしてやりますわ」

 魔布を掛けられたコウさんの横には、みーと百の人形が。ラカとナトラ様の人形まであって、炎竜の横に、一竜ずつ寝ている、というか飾られている?

 コウさんがスナを苦手としているのはクーさんも知っているので、スナちゃん人形は宰相の居室にでもあるのかもしれない。

「…………」

 然ても然ても、幸せそうな、呑気そうな、ちょっと馬鹿っぽくもある、幼い少女の寝顔。そう思えるくらいに、普段の生意気だったり勝ち気だったり……って、いやいや、このまま挙げていけば夜が明けてしまうので、これくらいにするとして。

 そんな王様の、魅力的でもある欠点が抜け落ちて、見ていると、不思議なもので、この愛らしい生き物は、僕が知っている王様ではないような気がしてきて。

「どっこいしょっと」

 女の子を見ないように、寝床の端に腰掛ける。

 勿体ぶっても仕方がないので、みーの人形と繋がれている手に触れようとしたが、何故だか禁忌を犯すような、衝動的に何かが込み上げてきたので、スナの竜眼を誤魔化すように、肩に触れる。

 そう、触れただけなのに、擽ったいような、魔力が踊り回ったような、不思議な感触。

 不意に、皆で巡った旅の記憶が。寝起きの、ぼんやり娘に、短いようで長かった、様々な出逢いやごたごたを、聞かせてあげるとしよう。

「ーーふぅ、コウさん。色々と話したいことがあります。先ずは……」
「あの娘なら、素っ飛んでいったですわ」
「……は?」
「一刻も早く、みーに会う為に、『空降からふる』まで使ってますわ。速過ぎて、中継の竜鱗だけでは追い切れないですわ」
「『空降』? 『空降そらふる』じゃなくて?」

 無慈悲な王様の所為で、何だかどうでもいい気分になってしまったので、そこまで気にならないけど、何となく尋ねてみる。

「『空降からふる』のほうが語呂が良いので、そう呼んでますわ。とは言っても、まさか実際に使っている者を見ることになるとは思ってもいなかったですわ」

 「転移」や「空移」と似た、越境魔法だろうか。どんな魔法なのか愛娘に尋ねようとしたが、氷眼が極寒のように白けていたので、うん、機会があったら、直接コウさんから情報を搾り取ろう。

 あのちゃっかり娘、まだこんな魔法を隠し持っていたとは。ああ、そうか。あの残念っ娘は、今回の一件での、自身の行いを、魔法を責められると思って、とんずら放いたのかもしれない。

 勿論、みーを安心させてあげたいとの、優しさからの行動でもあるのだろう。でもなぁ、知らない仲でもないんだし、一言くらいあっても良かっただろうに。はぁ、戻って来たら、ずごんばこん抜いてやらないといけないだろう。

 くっくっくっ、目隠しを超える、新たな「やわらかいところ」対策を披露しないといけないようだ。

 とんっ。むにゅっ。

 駄目っ娘のコウさんのことを考えていたら、両肩を押されて。

 お腹の上に、いてない娘が座って。

 じっと見詰めてくるかと思ったら、つつつっと視線を逸らしたり、ぎんっと睨み付けられて、美味しく食べられてしまうのかと思ったら、喉に何かが詰まったかのように苦し気な顔をしたり。

 何だかよくわからないので、フィンと同じように、足に魔力を練り込んであげる。

「ひゃふんっ!? って、何するですわっ、父様!」
「何、と言われても。氷竜の『いいところ』を擦ったら怒られそうだったので、同属性のスナなら問題ないかと思って」
「問題ありまくりですわ! 父様はいったい、氷竜を何だと思ってますわ!」

 それはまた、答え難い質問を。

 ……ん、あれ? この感じ、というか、魔力の感触は、ーー風竜?

 スナは心付いていないのか、僕のお腹の上でもぞもぞ動きながら、魔力が制御できていないのか、寝床だけでなく部屋まで凍り始めて。融けてしまうのではないかと心配になってしまうくらい、熱を帯びた視線が降ってきて。

「……一度しか言わないのですから、心して聞くが良いのですわ。私は父様がだずぼがぁあっっ??」
「り~~え~~っっ!!」

 ごんっ。

 見えた。見えてしまった。ラカのくるくるっとした角が、スナの頬骨きょうこつの辺りに当たって、……酷いことになってしまった。

 もしかしたら、二度と巡ってこないかもしれない重要過ぎる場面を邪魔されたのかもしれないけど、東域から全力で飛んできたであろう風竜を責めることなんて出来なくて。

「…………」
「びゃ~っ! こんっ、止めるのあ! こんこんっ、止めるのあ!」
「あー……」

 でもそれは、僕の都合なので、愛娘は無言で風竜のお尻を凍結中。ラカのお尻を撫で撫でして、氷を落としてから。ーー総仕上げである。

 「未来の風をこの手に」作戦の成否は、ここからに懸かっている。

「ラカは、僕が『これからずっと、風を吹かせないで』と言ったら、その通りにしてくれるかな?」
「ぴゅ? りえ?」
「スナはね、僕が『これからずっと、氷を作らないで』と言ったら、その通りにしてくれるんだよ」
「ぴ…ぴゃ? こん、本当なお?」

 ラカに見られて、一拍、すぐに反駁する愛娘。

「ちょっ、ちょっと待つですわ、父様! 父様は氷竜というものを勘違いしてますわ!」
「ね。スナは完全否定しなかった。最後には断るのだとしても、そのことについて考えてくれたし、迷ってもくれた」
「ひゃぐっ……」
「……こん、凄いのあ。凄く変なのあ」
「誰が変竜ですわ。父様も、娘を誑かして、何がしたいのですわ!」

 スナには、ちょっと酷いことをしてしまったかもしれないが、比較対象があると、わかり易くなるので。愛娘への仕打ちは、これからうんと優しくして、時間を掛けて返していくことにしよう。

「ラカに、何をしろ、とか、何かして欲しい、とか、そんなことを言うつもりはないよ。ただ、そうだね。僕は『もゆもゆ』だけど、もしかしたら、もっと上位の、『もゆんもゆん』とかになるかもしれない。だから、ラカがちょこっとでいいから、僕との関係を考えてくれたら、それだけで満足なんだけど」
「……ぴゅー。考えておう」

 顔を見られたくないのか、ぽふっと僕の肩口に顔を埋めてしまう。スナは僕のお腹に座っているので、横入りのラカと竜々で、大変なことになっている。

「どう? スナを退屈させなかった?」

 ラカに悪戯しそうだったので、愛娘に問い掛ける。

 「騒乱」のあとの、あの光景の中で。スナの予言は当たって、本当に大変だったけど。何度も死に掛けたけど。氷竜を飽きさせないという約束だけは守れただろうから、今は満たされた気持ちで一杯なんだけど。

「厄介ですわね。後悔、というものは、後にならないと出来ないのですわ」
「もう疲れたし、今日は、コウさんは帰ってこないだろうから、ここで一緒に眠っちゃおう」
「ーー何を誤魔化そうとしているのですわ」
「えっと、そんなことないけど……」
「まったく、娘を大好き過ぎる父様を持つと、苦労するのですわ」

 力が抜けた氷娘は、ぽとんっとラカの上に落ちて、愛を囁くように耳元で。

「ーーにういま、じいくきろすに」
「え……?」

 え? って、ちょっと待っ、今のって、聖語!?

「お願いっ、スナ! 異言語力は駄目で、わからなかったからっ、もう一回! もう一回!!」
「ひゃふっ、一度しか言わないと、事前に予告しておいたですわ」
「うぐぅ……。というか、聖語が刻めるなんて、知らなかったんだけど」
「あら、知らなかったですわ? 隠し事がある竜のほうが、魅力的なんですわ。私のことをすべて理解しようだなんて、千周期、早いのですわ」

 まったく、捕まえたと思ったら、するりと逃れてしまう、僕の大好きな氷竜。きっと、千周期経っても、氷娘のすべてを知ることなんて出来ないだろう。

「さゆろ。ないはなろ、にえろはいせさのろ」
「え、え~……」
「この風っころ、エルフルではなく、きちんと聖語を刻んでますわ」
「…………」

 ……竜に化かされた気分である。

 スナだけでなく、ラカまで聖語を刻めるとは。竜は本当に神秘の生き物である、って、何か違うような。

「そら、半分空けるのですわ、風っころ」
「ぴゃ~。わえはりえのお願い聞いたんだから、今度はりえがわえのお願い聞く番なのあ」
「私が恩竜だと言うことを、すっかすかの頭は、もう忘れたですわ?」
「ひゅー。風は前に吹き続けて、振り返らなー」
「ひゃっこい! 良い度胸ですわ。好い加減、風っころは身の程というものを弁えるのですわ!」

 うん、違ったようだ。

 僕の上でぎゅうぎゅうしている氷竜と風竜は、僕が知っている、僕が大好きな竜で。知らないのは、当たり前のことで、ひとつひとつ知っていけるから、愛しくて。

 ーー羽搏いた、翼が。これは、予感なのだろうか、スナとラカから片翼が、双翼となって、遥かな空をーー。

 掴み損ねた心象が、伸ばした両手が、そのまま氷竜と風竜の上に落ちて。

「ひゃふ……?」
「ぴゅ……?」

 一緒に僕を見てくれたのが嬉しくて。何故だか僕を見て惚けている二竜を、まだわからない未来のことなんかよりも、ずっとずっと大切な、この腕の中にあるスナとラカを、確かな想いを繋いでいる二竜を。

「ーーーー」
「「っ」」

 何を言ったらいいのかわからなかったから、想うままを言葉にして。明日からも竜日和で忙しくなると、期待に胸を膨らませながら、今日も竜と一緒の一日を終えるのだった。


                  ひゃふ、続くかも、ですわ。
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