竜の国の侍従長

風結

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八章 千竜王と侍従長

氷竜の選択

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「特に、変わったような感じはないかな、と!」

 うわ、いきなりか。

 予測はしていたので、危なげなく、「結界」を破壊しようとした魔法攻撃を阻止する。

「何故、止めるのですわ」
「それは、スナが、僕にでも止められる攻撃を放ったからだね。スナが本気になれば、僕には止められない。止められないので、『結界』は破壊されてしまって、『発生源三つ子』の一人である、魔力体の子が、世界に還ってしまっていただろうね、と!」
「父様は、そちらを選ぶべきですわ」
「っ! っ!?」
「今、この『結界』が壊れれば、すべての問題が解決するのですわ」
「っ!! っ?!」
「あの娘の師匠と同じことをするなんて、馬鹿げているのですわ」
「さすがにちょっ! 体がもっ、むぅりなぁ!!」
「ーーーー」
「…………」

 ふぅ、汚れるとか何とか気になんてしていられない、床に仰向けになる。

「痛い、痛い、痛い。体中が痛いよ。折角、感覚を誤魔化していたのに」
「父様のことですから、断言はできませんが、本来、『封緘』をそのように使うべきではないのですわ」

 燃えるようだ、という比喩が、本来の役目を果たせず、紛う方なく僕の体が燃えていた。

「制御して、痛みを幾分かだけで良いので、残しておくのですわ。あと、痛みを炎と譬えるのを止めるですわ。ほら、叩いてやりますから、氷だって冷たいいたいことを思い知るですわ」

 いや、ほんとに叩くのは止めて、と言いたいところだったが、有言実行の痛娘ひゃっこいにお願いしても無駄なことはわかっているので、痛みを受け容れつつ、心象を行う。

「最初に来たときはわからなかったけど、遺体の魔力……というか残留魔力? なんか錆びて、というか、寂れている?」

 その間に、気になったことを尋ねてみる。

 あに図らんや愛娘の驚きの成分を散らした表情も可愛い……のは本当のことなのだけど、今は竜の魅力に冷え冷えの場合じゃなくて。

「本当に、父様の能力は慳貪けんどんですわ。少しは自嘲しろですわ」
「えっと、なんか、自重が自嘲になっているような気がしたんだけど……」
「下の遺体は、年寄りのものですわ。これはナトラも同意見ですわ」
「年寄りーー?」

 また一つ、面倒な謎がーーなどとは言ってはいけないのだろう。ただ、これまで出揃っている欠片を集めてみれば、大局には関係なさそうなので雑談はここまでにしておこう。

「あら、神経が集まっている場所は、無意識に守っているようですわね」

 背中が熱かったので無理をして立ち上がると、手首から先とーー触れてみると、痛みはあるが熱は感じないので、顔は焼けていないようだ。

「あー、これは、服を脱いだら、凄いことになってそうだね」

 体の半分以上が火傷。それだけでも致命傷水準だろうが、もう、何処が悪いのかわからなくなるくらいに、五回分くらいの死が圧し掛かっている。

 はぁ、よくもまぁ、生き残れているものだと感心するが、自分で選んだこととはいえ、ここまで追い込むのが正しかったのか、百回くらい自問したい気分である。

 「侍従長苛め」でぼこぼこふるぼっこにされた。

 遣ろうと思えば、僕の特性で逃げ出すことは出来たけど。というか、事情をさとる、だけでなくさとるもさとるも捧げたいくらいのアランと、やはり王としての資質を具えているのか、洞観どうかんしたベルさんの二人と違って、ユルシャールさんとエルタスはーー。

 はぁ、そんなに恨みを買っているのだろうか。一回分くらいの死傷は、魔法使いと呪術師に因るものだった。

 エルタスは現在、魔法も呪術も使えないので、投石をしてきて、後頭部に直撃。

 投擲物に関するリシェの回避能力はそこまで高くない。城街地で護衛されていたときの、クーさんの言葉を思い起こす。魔力が介在しない、物理攻撃ーー特に不意を衝いたものは、今以て僕にとっては弱点のままである。

 死地に身を置かば、新しい力に目覚める。なんてことを期待していなかったかというと、嘘になるのだけど。竜の雫を十個差し出して、串焼き三本ーーというところだろうか。割に合わないことこの上ない。

 僕が気付いていない内に、何かいい感じの能力が備わっていたとか、そんな僥倖に……、そんなもっけの……、たなぼた……、魔法使いの笑顔……、……うん、僕は疲れているに違いない。

 竜にも角にも、王様の顔には、「みー様印」をばこんっと捺しておく。空を見ても、星は答えを与えてくれない。ふぅ、きっと、僕はそういう星回りじゃないから、拾えるものだけ拾ってゆこうきっとそれがちかみちになる

「スナは、どうすればいいか、わかっているんだよね」
「何ですわ。中途半端な聞き方をするなですわ」

 愛娘に言われたので、素直に、赤裸々に、言葉にする。

「『三つ子』の、魔力体の子を助ける方法を、スナだけが知っている。他の誰も彼も、竜だって、たぶん神々だって、わからない。態々邪魔をしなくても、スナが力を貸してくれなければ、救えない。いえ、一人を犠牲にして、世界を救える。そして、きっと、世界にとっては、そちらのほうが正しい。
 僕は、悪い父親だね。大切な娘に、間違ったことをして欲しいと思ってしまっている。ただ、僕が正しいと信じていることを、スナなら認めてくれると信じているからーー」

 これほどに惜しいことが、人生にどれだけあるのだろうか。

 魂を引き剥がして、氷竜から遥かなる一歩を、距離を取る。振り返らない氷娘の、背中は小さくて。それを嬉しく思ってしまったことに罪悪感を抱くだけの、細やかな隙間だってなかったから。

 進んでいこう。
 前に向かって歩いていても、
 遠ざかっていたから。
 走っても追い付かないことはわかっていたから。
 声のない声を、上げるときを、
 間違ってはならないのだから。

 死よりも苦しいことがあると、へっぽこ詩人が最後に遺した言葉が頭を、体を満たしてゆく。

 見ず知らずの、と言ってしまって、それほど不都合のない子供。それも肉の体を持っていない魔力体。

 そんな、いつ消えてもおかしくない儚い存在なんて、スナよりも大切なわけがない。スナの想いより、優先させなければならない理由なんてない。

 ああ、でも、ごめん。僕はスナを裏切れない。

 僕が知らなかったスナが、僕の前に居る。

 遥かな星霜を巡ってきた竜だって成長する、そしてーー、弱くつよくなってしまうこともある。強くよわくなってしまったから、スナを丸ごと抱き締めよう。それが父親のーー僕だけの特権だから。

「ごめん、スナ。というか、意地悪だね、スナ」

 娘の特権を先に行使されてしまったので、僕のほうから動くべきだったのに遅れてしまったので。

 謝ったり責めたり、いや、もうそんなことなんてどうでもよくてーー。

 ーー、……。

 生きている意味。そんなものが、あるのかどうかなんてわからない。触れた瞬間に失われてしまう、確かなものを、僕は手に入れてしまったから。

 ……、ーー。

 伝えることが出来ないのなら、どう伝えればいいのだろう。する必要はないのに、したいと思ってしまった心は、何処へと旅立つのだろうか。僕と氷竜の答えは今ここにーー。

 ぱっきぃぃぃぃん……。

「…………」

 ……スナが壊れた、どうしよう。いや、言葉が半分くらい間違っている。凄く綺麗な音だったけど、腕の中に居たスナが割れてしまった、どうしよう。スナの欠片を集めようにも、もう落っこちて霧散してしまっているので、……どうしよう。

「何してるですわ。とっとと帰るですわ」

 見ると、ちょうどくるりな愛娘がいて、ひやりと笑っていたので。

 魂が一つになっていた所為なのかどうなのか、こんな簡単な魔法にも気付けなかったので。

 何か、どうでもよくなってしまったから、きっと僕の負け。勝ったのに負けてしまった、愛らしの氷竜。

 言葉通りに、とてとてと歩いて出口に向かう愛娘。

 僕と違って、スナは覚悟を凍らせてしまったようだが、それもまた一つの答えということで。

 早く追い付いてきて欲しそうな足取り。足跡の、残った魔力まで、僕を待ち焦がれていたから。魔力を重ねながら、この世界で一番意地悪でぼくをいじわるにさせる、愛しい氷の許にーー。

 はぁ、とっとと、は無理そうなので、親子でゆっくりと夜の散歩と洒落込んで、手を繋いで、皆のところに戻るとしよう。
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