竜の国の侍従長

風結

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三章 風竜地竜と侍従長

一巡り経過

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 一番から百番まで、ナトラ様に教えてもらって、フフスルラニード国の使者が来るまで、のんびり覚えようかと思っていたら、完全に覚えてしまっても音沙汰なく。

 然も候ず、一巡り経ってしまいましたとさ。

 う~む、これは予想外だったなぁ。

 彼らにとっても忽せに出来ないことのはずである。僕らより優先させるべきことがあったのだろうか。連絡の不徹底ふてってい不備ふびではないことは隊長に確認しているが。

「……ん」

 衝撃が強いと、患部が治ったように見えても、周辺が痛むことがある。

 まぁ、僕の腕はそんな水準ではなく、日毎に色合いが変わっていくという、あまつさえ見ただけで吐き気を催すような毒々しい腐ったような模様で。なのに、はぁ、嬉しいんだけど、非常に困ったことに、一巡りで治ってしまったのだ。

 肌の色が元通りになるには、あと二、三日掛かりそうだが、無理をすれば普通に動かすことが出来る。

 百竜の炎とラカの風のお陰もあると思うけど、一番は「千竜王」の影響なのだろう。

 本来なら腕を切り落とさなくてはならない重症が、あっさりと治ってしまうのだから、感謝しなくてはいけないのだろうけど。これって、宿主しゅくしゅを死なせないように力を貸しただけのようにも見えるし、「千竜王」の影響力が増したことによる肉体の変化なのかもしれない。

 音沙汰がなかったといえば、スナからの連絡もなかった。やはり草の海の魔力が乱れている所為で、鱗を介した魔力も途絶えているようだ。

 一巡り、休暇のようにまったりと過ごして、ちょっと拍子抜けである。東域に渡ったら、すぐに事態が動き出すだろうと気を張り詰めていたのに、いや、竜と仲良くなる為の時間だと思えば気が咎めることもないか。

 ナトラ様を見ると、左目の前の魔鏡が、不自然さを伴わない状態でそこにあった。

「ナトラ様。よくお似合いです」
「そう、です? ありがとうです」

 満更でもないお顔である。

 魔鏡のふちは金で覆われて、左に取り付けられた灰褐色の滑らかな棒が耳に掛けられている。取り付けられた箇所からは、細かに絡み合った金鎖が垂れ下がっていて、ナトラ様の知的な雰囲気を華やかなものにしている。

 魔鏡が浮いているだけだと、おかしな感じになるので、アランが工房に通って作製して、地竜に贈った物である。

 ナトラ様に秘密で、とのことだったが、さすがに竜を誤魔化すことは出来ず、ばれてしまったが、それでも、地竜が初めての贈り物に喜んだだろうことは想像に難くない。

 触発された僕も、昨日一日を丸々まるまる使って、何とか完成させた。これだけ待たされているのだから、すぐには応じなくても構わないだろうと、半ばやけくそで制作に没頭した。

 扉からアランとユルシャールさんが、ーーと、二人だけでなく、フラン双子とエルタス、ベルさんも、勢揃いである。エクを見咎みとがめた誰かが招集を掛けたのだろう。

「で、エク。何が起こっているのかな?」
「ちょいと待て。あとちょっち揉み揉みーー」

 ぺりっ。ぽすっ。

「そんなに乱暴にお尻を揉んだら、ラカが嫌がる」
「なんのっ、俺の揉み揉みは中々だって評判なんだぞ!」
「そんなものは知らん。サンとギッタを見ろ。二人は最初っから心得ていた。ラカの顔を見れば一目竜然」
「ひゃひゃっ、わかってるさ。あの嫌がってる顔が堪らねぇんじゃねぇか!」
「ラカちゃん、気を付けよう。あれはじじゅーちょーの親友よ」
「ラカちゃん、気を付けよう。あれはじじゅーちょーの変態よ。とギッタが言ってます」

 そんなこと言うとラカを返してもらうよ。と姉妹を見たら、僕を無視して風とお友達。

 まぁ、女の子と竜が戯れていると、何だかんだで和んでしまう。

「発生から二巡り経ったら、フフスルラニード国の意向を勘案することなく動くことになります。何があるかわからないので、二巡り分、余裕を持たせておきます。竜の国の魔力貯蔵量が一星巡り分ですので、ここらで期限を切っておくのが適切だと判断しました」

 そろそろ真面目に、ということで。硬い物言いで、緩んだ空気を引き締める。

「隊長から、大貴族が蠢動しゅんどうしているのではないかと聞いているけど、どうだった?」
「まー、それ以外にないってことかねぇ。先王は戦好きで領土を広げたけど、その分、内政はぼろぼろで諸侯や民は苦しんだ。得したのは、余裕のあった大貴族だけってぇ寸法だ。で、王様は好き勝手やった挙げ句に戦でおっんじまった。さぁ、こっからがてーへんだぁ。周辺国にゃうらつらみで万々歳。手薬煉てぐすね引いて待ってますっ!」
「余計な修飾はいいから、続き」
「ちぇー。現王は国を立て直すまでの危難の時期を、奇策で乗り切った。『鉄血騎士団』って呼ばれてたみたいだな。敵国が侵攻してくると、何処からともなく疾風はやての如く現れて、ばったばったと薙ぎ倒す。百戦錬磨の無敵の騎士団っ、ここにあり~っ!」
「と、敵国は恐れることになります。ですが、グリングロウ国の倍の国土で、そのような神速、竜速の行軍など適うはずがありません」
「ふむ。敵国と接する領土の背後に、騎士団の鎧だけを置いていた、ということか」
「お~、さすがアラン様。始めは、前線が支えている内に、鉄血じるしよろう騎士が命懸けで突貫どっかんっ。相手が逃げ腰となれば、領民が鎧どころか、それっぱい偽物を身に着けて、援軍を装ったとか。俺好みの際どい策を使ってくれるよなぁ」
「父王が勇猛だったので、息子である現王もそうだと思われたのも成功した理由の一つです。竜が居ると思わせて、最初の犠牲者になりたい奴は来るがいい、と敢えて国境の守りを手薄にしました」
「そーこーしてん内に、現王のレスラン・スフール・フフスルラニード……って、呼びにきぃい~っ!」
「フフスルラニード王は、内政に力を尽くし、国を立て直しました。その頃になってようやく、周辺国は鉄血騎士団が虚妄きょもうと気付くことになります。現王の手腕は優れ、大国となったフフスルラニード国に手を出すやからは少なくなりました。当然、民と、大貴族以外の貴族から、絶大な信頼を得ることになります。先王の時代が忘れられない者、侵攻してきた隣国に相応の報いを与えるべきと主張する者。そういった者たちは少なくないかず存在しましたが、大勢たいせいを揺るがすものではありませんでした。フフスルラニード王は、堅実に領土を守り、栄えさせていきました」

 ここまでがフフスルラニード国の簡単なあらましである。皆には時々に伝えてきたので復習のようなものである。

 そしてここからが現況、面倒の種になるかもしれない話。

「そこに突然、王城で甚大な魔力を放出する、スーラカイアの双子が誕生しました。皆に報告した通り、『結界』が張られ、内側には術者と思しき亡骸なきがらが。生まれ落ちた場所が王城であることから、ーー邪推はしたくありませんが、魔法実験の類いまで想定しておく必要があります。僕らに連絡がないのが、その証左、などとならないよう願っていますが。それで、エク、今度は真面目にね」
「はいはいっと。大貴族ーー三大貴族って呼んでおこうか。有力貴族だけじゃなくて、三大貴族のほーにも探り入れてみたけど、結構上のほーまで籠絡ろうらくしてみたけど、情報が出てこねぇんだよなぁ。そんで、深つ音に、三大貴族の中で一番怪しそーな侯爵の部屋に忍び込んで、あんまり痛くなさそうなところを、ぷすっ、とな」
「「「「「…………」」」」」
「……サン、ギッタ。コウさんから教えてもらったという魔法を、この、べこのかあに食らわせてやってくれないかな」
「ちょっと待ちぃ、ここからっ、かなりっ、結構重要っ! そこの双子っ、リシェの言う通りにするなんて、大好きかっ? リシェのこと大好きなのか??」
「くぉ、卑怯な。そんなこと言われたら」
「ぐぉ、卑劣な。竜だって、巣穴に帰っちゃう。とギッタが言ってます」

 はぁ、ほんと、エクが居ると話が進まない。

 まぁ、本気で怒っているわけではない。エクの奇行をいちいち気にしていたら、理性や常識が幾らあっても足りない。

「たくよぉ。まー、太っちょのおっさん、ちょいと目隠しして、腕を縛って、尋問やぁ~、って楽しみがうはうはだったらな、あのおっちゃん、とんでもねぇこと言いやがった」
「とんでもないこと? 通常なら、お前の雇い主の三倍を払おう、ってところかな」
「ああ、それだったら寝返ったんだけどなぁ。『お前、エクーリ・イクリアか』だってさ」
「ふむ。それは大変なのかどうか、わかっているのか?」
「正直、アルンさんじゃねぇことを祈ってんよ。俺ぁ、アルンさんと里長だけにゃ、手ぇ出さねぇって決めてるからな」

 ナトラ様以外の顔に、理解、の文字は書かれていなかったので。あと、百竜は、理解、と手書きしたようだが、振り仮名は、不可解、だったのできっとわかっていないのだろう。

「侯爵がエクの名前を知っていたとは思えません。当然、誰かが教えたことになります。そして、その教えた誰かは、もし手を出してくる者がいたら、それはエクだろうと、予測していたことになります。そんなことが出来た誰かは、エクのことを知っている。先ず思い浮かぶのは、エクが言った通り、兄さん。ですが、これは兄さんの仕業ではないでしょう。フフスルラニード国や何処かの国を潰して、そこに国を造るようなことは、兄さんの望んだ国造りとは異なるものです。そうなると、慥か東域に〝サイカ〟は二人ーーあぁっ」

 ととっ、〝サイカ〟と言葉にした瞬間、あと一人、いや、あと三人思い出して、おかしな声を出してしまった。

 そうだった、「騒乱」のあとの「拷問事件」……の、って、まぁ、他に呼び方がないので仕方がなくそう呼ぶのだが、あのあと馬車の中で、エーリアさんが言っていた。

 『這う這うの体で逃げていった』と。何処に逃げていったのかは、聞いたような聞かなかったような……、そこは曖昧なのだが、ボルンさんならエーリアさんから色々聞いていただろう。

 それらは、確かに線で結べるが、確証はない。

「カイナス三兄弟ーーと言ったら、エクはどう思う」
「正解、じゃねぇかと思う。俺が調べてもわからない。三大貴族は他国と繋がってる節がある。で、繋がってるなら、一国じゃフフスルラニード国は落とせない。この国の周辺国が共闘するかといったら、邪竜がこんにちは、だ。カイナス三兄弟がいるなら、ここにがっちりと嵌まる。俺とリシェの予想が当たってたなら、この国、やべぇぞ」
「やだなぁ。止めなくちゃいけない。現状を訴えれば止めてくれるだろうけど、邪魔するわけにもいかないしなぁ」
「くっくっ、面白くなってきたぁ~っ、〝サイカ〟は争わず、っつっても例外はあるからなぁ。俺も……」
「で、エクは面割れしているようだけど、フフスルラニード王との会見に出席する勇気はあるの?」
「変装すりゃあ……」
「ベルモットスタイナー殿。フフスルラニード王を見定めていただきたいのですが」
「興味はある。然し、王との会見で『隠蔽』などの魔法を使うのは、不敬、いやさ、問題にならないのか?」
「はい。ベルモットスタイナー殿には、竜になっていただきます」
「な、……は?」
「なって頂く竜は、暗竜です。暗竜なら、耳を隠す為に覆いフードを被っていても問題ありません」
「そう、なのか?」
「ーーはい。たかが一国の王が、竜に口出しなど、していいはずがありません」
「「「「「ーーーー」」」」」」

 あ…、あれ? 今僕は何を……。

 怒りではなかった。傲岸ごうがんな、ただの厳然たる事実。

 疑問もなく、竜の側に立っていた。

 僕が染まってきているのだろうか。知らず知らず、「千竜王」が侵食してきているのだろうか。

 スナと、そしてラカと、ずっと触れ合っていた。炎竜氷竜の魔力など、人の身では耐えられない竜の魔力を浴びてきた。僕は、軽く考え過ぎていたのだろうか。

 では、どうする?

 竜との触れ合いを、竜との未来を、諦めるのか、諦められるのか。

 そんなことは出来ない。前に向かって歩くと決めた。空に手を伸ばすことを止めないと誓った。大事なものを捨ててまで得たものに、どれほどの価値があるというのか。

「エク。フフスルラニード王の評判はどうかな?」

 竜の尻尾ほんしん?を覗かせてしまった僕。百竜は、嬉しそうな顔をしているが、他の面々は、ラカとアラン以外は、何とも言えない顔をしていたので、誤魔化しにエクを利用する。

「おぅげぇぇ~~っっ!!」

 よくぞここまで聞き苦しい声を出せるものだと感心する。精神汚濁言語くそったれ、とでも呼びたい気分である。

 あ、ナトラ様が耳を塞いだ。感覚が鋭い竜には、堪えるのかもしれない。

 仲良し三人竜組は、それぞれ二人の耳を押さえて、何やら面白いことになっている。

「聖人君子だった?」
「お~う、凄ぇぞ。何処からも悪りぃ噂が聞こえてこねぇ。中身も、天竜光竜が棲み着いてんじゃないかってくれぇ、出来たお人だ。たぶんだけど、国の為ならこの命、喜んで捧げよう、とか普通に言っちゃう奴だぜ」
「それは凄いね。エクですら悪心を見出みいだせないほどのーー聖王とでも呼ぶべき御方だとは」
「身ばれしてるとか関係なく近付きたくねぇ」
「となると、欠点がないことが欠点、と言ったところかな」

 謎掛けのようなことを言うと、感興をそそられた顔が半分くらいあったので言葉を継ぐ。

「そうですね。聖王と翠緑王には、似たところがあります」
「いいえ、全くないです」
「いえいえ、完璧にないです。とギッタが言ってます」
「おーさま間違い、ここに極まれり」

 僕の言い方も悪かったのだが、酷い言われようである。彼女たちの意見に否やはないが、この度は別の視点から眺める必要がある。

「聖王は、四十を幾つか越えた周期で、二十周期ほど統治を行ってきました。二十周期も経てば、フフスルラニード国の人々は、今ある安寧が当然のものだと受け取るようになってしまいます。本当はそうでないと知っている人でも、危機感が薄れてしまいます。何かあれば、何かあったとしても、聖王が何とかしてくれる。自分たちは聖王に付いて行きさえすればそれで問題ない」
「そーだなー、だから、敢えて危機を演出するのも一つの手なんだけどなぁ。聖王様ぁ、考え付かなかったのか、考え付いても後ろ暗いことは出来なかったのか」
「戦争で危機に至らないのであれば、暗殺や毒殺、あとは病没でしょうか。聖王に頼っていれば頼っていただけ、依存していれば依存していただけ、その支柱を失うことで跳ね返ってきます。後継者と思しき第一、第二王子は、平和な時代を生きてきました。聖王が子の育成を誤っているとは思えませんが、それでも反動に耐えられるかどうかはわかりません。これは他国のことなので、これ以上口を挟むのは止めておきましょう」
「あー、おーさまは、竜の国の魔力源」
「おー、いなくなったら、竜の国はすっからかん。とギッタが言ってます」
「はい。そういうことです。似ているだけで、本質は違いますね。あと、問題の深刻さでいえば、竜の国のほうが大変です。聖王の代わりは居たとしても、翠緑王の代わり、というか能力を引き継げる者がいません」
「そこぁ、今すぐどーにかなるもんじゃねえしなぁ。そんな国造った奴の責任だろーから、苦労と苦心、するしかねぇなぁ」

 馴れ馴れしく肩を組むんじゃない。心が重いのに、物理的にも重いじゃないか。
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