66 / 180
三章 風竜地竜と侍従長
治癒魔法以外の治療法
しおりを挟む
最大級のものが襲撃。
もはや、内から生じる衝動だけに突き動かされている。あとは、扉を開けなければならないが、それはたぶん致命的なーー。
扉が勝手に開かれる。僕が入ると、扉は閉まる。
そこには百竜がいて、手には桶を持っている。そして、かたんっ、と床に置いた。
目にした瞬間、一気に迫り上がってくるが。
間に合うっ! と口をぎゅっと塞いでーー。
ぶっぱぁっ。
「「「…………」」」
……どうしよう。
百竜にぶっ掛けてしまった。
然て置きて、多少冷静になった頭が、次の行動を的確に指示してくれたので、倒れ込むように第二波を桶に嘔吐、げろげ~ろ。
……失礼。お耳汚しでしょうから、僕の擬声語だけで勘弁して下さい。
一気に来たときは間に合わないから気を付けろ。変な助言(?)が多い父さんの言葉が、今頃のこのこと記憶から這い出してくるが、時すでに遅し。
百竜がどうなったか確認したいが、今は見た目も普通な桶さんと大親友なので、彼をがっちり掴まえて、げろげろろ~。
「ーーっ」
何も見えなくなる。と言っても、死期が迫ったというわけじゃ……ない、はずである。
目隠しをされたようだ。
四つん這いの僕の近くで、かさかさと音がする。
これは、百竜が僕の下に潜り込んだーーん?
なんだ…ろう、お腹の辺り、左右の二カ所が熱を発する。すでにおかしくなってしまった感覚が、それでも伝えてくるということは。というか、なんか体が揺れているというか、引っ張られているというか……。
「えっと、百竜様、何をしていらっしゃるのでございましょうや」
直感というやつだろうか、何だか妙に空恐ろしいので、言葉だけは面白楽しくして尋ねてみる。すると、火照ったような百竜の言葉が返ってくる。
「我は竜の叡智のようなもの。人種の体についても一廉の知識を有しておる。最後の一撃。あれや内部への浸透。わかり易う言うなら、内側で、ぎゅるんっ、となった」
それは、また、確かにわかり難いようでわかり易いですね。おげぇ~~。
酸っぱい。
吐くものがなくなって、胃液なのだろう、それでも吐き気が治まらず、体の内側から掻き回されているような、って、もしかしてこれは比喩とかじゃなくて……。
「主の内臓が絡まった故、そのままでは魂が還ってしまうでな、腹から両手を差し込みて、臓物の位置を直しておるのだ。ーーこれで、吐き気は治まったであろう」
百竜の言う通り、気持ち悪さは残っているものの、楽にはなった。
ただ、その代わりというか、先程より腹の内の異物感が凄いのだけど。耐えていると、何故か百竜の手が止まったままなので、何か重大な異変が生じたのではないかと呼び掛ける。
「百竜ーー?」
「……主の内は、温いのでな。少う抜き難いのだ」
「お願いです。即行で抜いて下さい」
「まったく、いけずだのう、主は」
「…………」
百竜の声色が艶を含んだように生暖かいので、真剣にお断りをする。
しゅぽんっ。
いや、実際には小さな、ぴちゃ、という生々しい音が聞こえただけだったのだが。
「主よ。我はこれから、炎で傷口を焼く。我が炎を享けよ」
百竜の炎、スナの氷。暑いと、寒いと思えるほどに、彼らの属性を享けられるようになった。であるなら、もっと強く、もっと激しく、自分から求めてーー。
「ーーっ」
熱い。熱過ぎる。
百竜の熱情が僕を焦がす。ゆっくりと動いている。灼かれていることがわかる。なのに、酷く心地良い。まるで百竜を胸に、髪を梳るような……。
「主よ。そちらの椅子に座るが良い。背中は付けず、なるべく体は真っ直ぐにせよ」
目隠しが外される。
両腕を片方ずつ支えられて椅子に座らされる。ーーん? 片方ずつ?
色々あり過ぎて、ぼーっとしながら視線を向けると、あに図らんや、筆頭竜官がいた。
「オルエルさん。何故こんなところに……」
「俺は、オルエルとかいう御仁ではないぞ。名は、グットロー・ベルンスト。薬師のようなものだと思ってくれ」
四十がらみの恰幅のいい男性。雰囲気も似ていて勘違いしてしまったが、髪と髭がぼうぼうで、序でにぼさぼさなので、きちんと見れば間違えようがない。
「主が持ってきた薬では足りぬと思ったのでな、連れてきた。心配いらん、口止めはしてある」
「炎竜様から、過分なる品を頂いた。ここで起こった一切合切、墓場まで持っていく」
「えっと、それ、断罪の鋸のような気がするんだけど」
「氷が持たせたものの一つだ。主の為に役立てよと。然し、持って行くにしても、これはどうなのだ」
「あはは、でも、物は使いよう、だよ」
「主よ、どういうことだ?」
「その魔具の鋸は、たぶん、岩とか金属とかも切れると思うよ。使う職人によっては至宝とも……」
「とんでもないっ!!」
ぶんっ、と鋸を振って僕の言葉を遮ったベルンストさんは熱の籠もった口調で力説する。
「この『魔のこ』ちゃんは、人間の手足を切る為の物! 岩とか金属とか、断じてそのような物、切らせるわけにはいかんぞ!! 『魔のこ』ちゃんが穢れる!」
「「…………」」
人選を間違えたのではないか。そんな思いを乗せて、じっと百竜を見ると、気付かない振りをした炎竜は、僕の服を脱がせ始める。
氷鱗には触れ難かったらしく、分厚い手袋を嵌めたベルンストさんが代わりに。
上半身裸になって、百竜が最後の一枚に手を掛けたので、死守する。
「騒乱」の前にスナに見られてしまったが、それ以後に愛娘に見せたことはないので、いや、別に百竜に見られたからといって何かがあるというわけでは……。
べっちゃり。
肩口から指の先まで、半透明のどろっとしたものが塗りたくられる。
「両腕、どう見たって手遅れなんだが、炎竜様が言うには、あんたは普通よりも回復が早いらしいな。そうだってんなら、夜までには感覚が戻るはずだぞ」
ベルンストさんの言葉に釣られて、見てしまった。これまで見ないようにしてたのに。
「…………」
魔物の腕。
第一印象はそれだった。里に居たときに解剖した小鬼の、死体の腕がこんな感じだっただろうか。
いや、色合いでいえば、それより酷い。
「腕に力を入れ、動かしてみよ。ゆっくり、軽くで良い」
感覚は、……何とか指の先まで届く。
そう表現してしまうくらい、当たり前に動いていた腕は、鈍く、覚束ない。然し、動いてくれる。全体が痛んで痺れているが、一所から、繋がりを断つような致命的なものは感じない。
腕ほどではないが、お腹も中々やばい色である。その中にある、二本の短い傷痕。細いので、火傷というより切り傷が治った痕といったところか。
ここから百竜の手が入っていたのか、と考えた瞬間、スナと、途中で合流した雷竜も一緒に背中に乗っかってきたので、うん、こんなの、もう二度と体験したくないと、去っていく二竜に吐露する。
「やっぱり、切るか? 『魔のこ』ちゃんの準備は万全に整ってるぞ」
ベルンストさんは、僕の両腕を切りたそうな目で見ていた。
なんだかなぁ。僕を人体実験したそうな顔で見ていた魔法使いと、同じ輝きを瞳に宿している。なので、僕はそっと目を逸らした。
ふぅ。回復が早い、と彼は百竜から聞いた。
竜の魂である百竜にはお見通しだったか。治癒魔法があるので、これまで注目されることはなかった。そう、殆どの人は、治癒を使わないとどのくらいで治るのか、明確な物差しを持っていないのだ。
「騒乱」以後、「千竜王」の存在を自覚するようになったからか、回復力に拍車が掛かって。百竜から「千竜王」の正体を知らされたあとは、切り傷くらいなら翌日には治るようになってしまった。
「薬師のようなもの、と仰っていましたが、差し支えなければ教えて頂けますか」
疲れの所為か、何もせずにいると瞼が重くなってくるので、話し掛ける。
「ああ、構わんぞ、隠すことでもない。それに、あんたは王の友人らしいからな」
腕が終わって、次はお腹に薬草らしきものを挟んで包帯で巻いてゆく。
「戦場で五人傷付いた。大怪我は一人、放っておいたら死ぬ。でも、大怪我の人間を治したら、治癒術士の魔力はすっからかん。一人を復帰させて、四人を後方へ下げるか、はたまた四人を復帰させて、一人を見殺しにするか。それらは治癒術士の、国の判断だからどうでもいい。王が考えたのは別のことだ。この大怪我で死ぬ人間を、治癒術士がいないときにも死なせないように出来るだろうか、ということだ。
そこで俺の出番だぞ。国の支援を受けて研究だ。あっちこっちの戦場を駆け回って、切り捲ってきた。百人以上は死なせなかった自負はある。って言ってもな、世間様は理解してくれなくて、大っぴらには出来んのだ」
「そういえば、聞いたことがあります。まだ効果も薄く、今ほど治癒魔法が有効じゃなかった時代に、そのような治療方法があったとか」
「俺も含めて、何人か、そういう人間を雇って、研究させてるみたいだぞ。くっくっくっ、この『魔のこ』ちゃんは素晴らしい! さっそく切ったんだが、傷口を魔力で覆って、感染を防ぐだけでなく、回復まで早めるみたいなんだ! うおーっ、竜信仰に鞍替えだ!!」
いや、それは止めて下さい。と言おうとしたが、やっぱ切るか、とか返されそうなのでがっちりと口を閉じる。
それから、開けた口で、別のことを百竜に尋ねる。
「断罪の鋸、上げちゃっていいの?」
「ベルンストが引退するまでは所有者と認める。その類いでの条件なら貸しても良い、と氷は言うておった。竜からすれば一瞬なのでな、必要なら、人手に渡ったあと回収するであろうよ」
「ところで、その手に持った桶だけど」
百竜が持っている桶には、僕の吐瀉物が入っている。というか、僕がぶっ放したわけだが、百竜も床も汚れていない。良かった、魔法か魔力で桶に入るようにしてくれたのだろう。
控え室にある窓は開けられているが、二人に申し訳ないと思ってしまうくらいには、臭う。然し、今は警告というか忠告、或いは勧告のようなものを優先しなくてはならない。
「駄目だよ」
「…………」
危険な兆候である。
百竜が物欲しそうな顔をして。更には上気しているようにも見えるので。
「…………」
「ここは主の臭いで満たされているのだ。我だって我慢しておるのだ。この桶の中の物は『浄化』しよう。気体なら、体を満たしたとしても文句はあるまい」
「僕に文句はありません。でも、慥かそれとなくみー様に伝わっているんでしたよね。あとでみー様に文句を言われる、だけでなく、嫌われてしまっても僕は知りませんよ」
「くっ……」
とぼとぼと窓まで歩いて行って「浄化」を行うと、口から十個ほどの炎の球を吐く。
髪の毛が揺れるくらいの、弱くはない風が吹く。
見えないが、魔力で壁を作っているのだろうか、部屋の空気が循環して、胃液も含んだつんっとした臭いを一掃してくれる。
「炎竜様、人間って美味しいんですか?」
「さてな。竜には元々『味覚』がない上、基本は丸呑み故、竜の魂としての我の記憶にも残っておらん」
「…………」
試してみたい(訳、ランル・リシェ)。百竜さん、そんなお顔で僕を見るのは止めて下さいませ。
けちんぼ(訳、ランル・リシェ)。いや、そんな魅力的な……くうぅ、不味い!
このままでは百竜のお口に飛び込んでいってしまいそうだ、って、いやいや、待てっ、百竜の唇を見て、スナとの情事ではなく接触を思い出している場合ではない!
「ーーふぅ」
以前、みーは僕の血を飲んだ。
一心竜乱で飲んでいたので、美味しかったのかもしれない。もしかして、みーの内にいた百竜も味わっていたのだろうか。
まぁ、死んでしまうので僕を食べさせてあげるわけにはいかないが、血を飲むくらいなら、別に問題ないかな。と結論を得たことで、何やら込み上げてきたものを完全無視、知らぬが竜、この問題はこれで終わりである。
未だ僕の心で吹き荒れているが、百竜を凝視して、念押ししておく。
「暗くなったら、また来る。そのとき駄目そうなら、ーーすちゃっ」
よっぽど「魔のこ」ちゃんが気に入ったらしい。決め姿勢まで取ってから辞してゆく。
ーー治癒魔法で救える人を、治癒魔法以外で救う方法。
治癒魔法で救えない人を、救おうとする、それならばわかる。薬師がわかり易い例だろう。こういったことを、治癒魔法が効かない僕が、考えたことすらなかったなんて……、くはぁ~。
「ほんと、アランは凄いなぁ」
「悲観することはなかろう。見ているものが異なるということだ。主が同じ視点を望みようものなら、王になってみるが良いぃゆぅわっ?!」
然ても、慣れていないだけだと信じたい。
どういうつもりなのか、まぁ、冗談なんだろうけど、簒奪を仄めかした百竜の頭を撫でると、あからさまに慌てて炎に染まる竜顔。
ベルンストさんが遣って来るまでの目標が決定。百竜の「撫で慣れ」作戦の開始である。
もはや、内から生じる衝動だけに突き動かされている。あとは、扉を開けなければならないが、それはたぶん致命的なーー。
扉が勝手に開かれる。僕が入ると、扉は閉まる。
そこには百竜がいて、手には桶を持っている。そして、かたんっ、と床に置いた。
目にした瞬間、一気に迫り上がってくるが。
間に合うっ! と口をぎゅっと塞いでーー。
ぶっぱぁっ。
「「「…………」」」
……どうしよう。
百竜にぶっ掛けてしまった。
然て置きて、多少冷静になった頭が、次の行動を的確に指示してくれたので、倒れ込むように第二波を桶に嘔吐、げろげ~ろ。
……失礼。お耳汚しでしょうから、僕の擬声語だけで勘弁して下さい。
一気に来たときは間に合わないから気を付けろ。変な助言(?)が多い父さんの言葉が、今頃のこのこと記憶から這い出してくるが、時すでに遅し。
百竜がどうなったか確認したいが、今は見た目も普通な桶さんと大親友なので、彼をがっちり掴まえて、げろげろろ~。
「ーーっ」
何も見えなくなる。と言っても、死期が迫ったというわけじゃ……ない、はずである。
目隠しをされたようだ。
四つん這いの僕の近くで、かさかさと音がする。
これは、百竜が僕の下に潜り込んだーーん?
なんだ…ろう、お腹の辺り、左右の二カ所が熱を発する。すでにおかしくなってしまった感覚が、それでも伝えてくるということは。というか、なんか体が揺れているというか、引っ張られているというか……。
「えっと、百竜様、何をしていらっしゃるのでございましょうや」
直感というやつだろうか、何だか妙に空恐ろしいので、言葉だけは面白楽しくして尋ねてみる。すると、火照ったような百竜の言葉が返ってくる。
「我は竜の叡智のようなもの。人種の体についても一廉の知識を有しておる。最後の一撃。あれや内部への浸透。わかり易う言うなら、内側で、ぎゅるんっ、となった」
それは、また、確かにわかり難いようでわかり易いですね。おげぇ~~。
酸っぱい。
吐くものがなくなって、胃液なのだろう、それでも吐き気が治まらず、体の内側から掻き回されているような、って、もしかしてこれは比喩とかじゃなくて……。
「主の内臓が絡まった故、そのままでは魂が還ってしまうでな、腹から両手を差し込みて、臓物の位置を直しておるのだ。ーーこれで、吐き気は治まったであろう」
百竜の言う通り、気持ち悪さは残っているものの、楽にはなった。
ただ、その代わりというか、先程より腹の内の異物感が凄いのだけど。耐えていると、何故か百竜の手が止まったままなので、何か重大な異変が生じたのではないかと呼び掛ける。
「百竜ーー?」
「……主の内は、温いのでな。少う抜き難いのだ」
「お願いです。即行で抜いて下さい」
「まったく、いけずだのう、主は」
「…………」
百竜の声色が艶を含んだように生暖かいので、真剣にお断りをする。
しゅぽんっ。
いや、実際には小さな、ぴちゃ、という生々しい音が聞こえただけだったのだが。
「主よ。我はこれから、炎で傷口を焼く。我が炎を享けよ」
百竜の炎、スナの氷。暑いと、寒いと思えるほどに、彼らの属性を享けられるようになった。であるなら、もっと強く、もっと激しく、自分から求めてーー。
「ーーっ」
熱い。熱過ぎる。
百竜の熱情が僕を焦がす。ゆっくりと動いている。灼かれていることがわかる。なのに、酷く心地良い。まるで百竜を胸に、髪を梳るような……。
「主よ。そちらの椅子に座るが良い。背中は付けず、なるべく体は真っ直ぐにせよ」
目隠しが外される。
両腕を片方ずつ支えられて椅子に座らされる。ーーん? 片方ずつ?
色々あり過ぎて、ぼーっとしながら視線を向けると、あに図らんや、筆頭竜官がいた。
「オルエルさん。何故こんなところに……」
「俺は、オルエルとかいう御仁ではないぞ。名は、グットロー・ベルンスト。薬師のようなものだと思ってくれ」
四十がらみの恰幅のいい男性。雰囲気も似ていて勘違いしてしまったが、髪と髭がぼうぼうで、序でにぼさぼさなので、きちんと見れば間違えようがない。
「主が持ってきた薬では足りぬと思ったのでな、連れてきた。心配いらん、口止めはしてある」
「炎竜様から、過分なる品を頂いた。ここで起こった一切合切、墓場まで持っていく」
「えっと、それ、断罪の鋸のような気がするんだけど」
「氷が持たせたものの一つだ。主の為に役立てよと。然し、持って行くにしても、これはどうなのだ」
「あはは、でも、物は使いよう、だよ」
「主よ、どういうことだ?」
「その魔具の鋸は、たぶん、岩とか金属とかも切れると思うよ。使う職人によっては至宝とも……」
「とんでもないっ!!」
ぶんっ、と鋸を振って僕の言葉を遮ったベルンストさんは熱の籠もった口調で力説する。
「この『魔のこ』ちゃんは、人間の手足を切る為の物! 岩とか金属とか、断じてそのような物、切らせるわけにはいかんぞ!! 『魔のこ』ちゃんが穢れる!」
「「…………」」
人選を間違えたのではないか。そんな思いを乗せて、じっと百竜を見ると、気付かない振りをした炎竜は、僕の服を脱がせ始める。
氷鱗には触れ難かったらしく、分厚い手袋を嵌めたベルンストさんが代わりに。
上半身裸になって、百竜が最後の一枚に手を掛けたので、死守する。
「騒乱」の前にスナに見られてしまったが、それ以後に愛娘に見せたことはないので、いや、別に百竜に見られたからといって何かがあるというわけでは……。
べっちゃり。
肩口から指の先まで、半透明のどろっとしたものが塗りたくられる。
「両腕、どう見たって手遅れなんだが、炎竜様が言うには、あんたは普通よりも回復が早いらしいな。そうだってんなら、夜までには感覚が戻るはずだぞ」
ベルンストさんの言葉に釣られて、見てしまった。これまで見ないようにしてたのに。
「…………」
魔物の腕。
第一印象はそれだった。里に居たときに解剖した小鬼の、死体の腕がこんな感じだっただろうか。
いや、色合いでいえば、それより酷い。
「腕に力を入れ、動かしてみよ。ゆっくり、軽くで良い」
感覚は、……何とか指の先まで届く。
そう表現してしまうくらい、当たり前に動いていた腕は、鈍く、覚束ない。然し、動いてくれる。全体が痛んで痺れているが、一所から、繋がりを断つような致命的なものは感じない。
腕ほどではないが、お腹も中々やばい色である。その中にある、二本の短い傷痕。細いので、火傷というより切り傷が治った痕といったところか。
ここから百竜の手が入っていたのか、と考えた瞬間、スナと、途中で合流した雷竜も一緒に背中に乗っかってきたので、うん、こんなの、もう二度と体験したくないと、去っていく二竜に吐露する。
「やっぱり、切るか? 『魔のこ』ちゃんの準備は万全に整ってるぞ」
ベルンストさんは、僕の両腕を切りたそうな目で見ていた。
なんだかなぁ。僕を人体実験したそうな顔で見ていた魔法使いと、同じ輝きを瞳に宿している。なので、僕はそっと目を逸らした。
ふぅ。回復が早い、と彼は百竜から聞いた。
竜の魂である百竜にはお見通しだったか。治癒魔法があるので、これまで注目されることはなかった。そう、殆どの人は、治癒を使わないとどのくらいで治るのか、明確な物差しを持っていないのだ。
「騒乱」以後、「千竜王」の存在を自覚するようになったからか、回復力に拍車が掛かって。百竜から「千竜王」の正体を知らされたあとは、切り傷くらいなら翌日には治るようになってしまった。
「薬師のようなもの、と仰っていましたが、差し支えなければ教えて頂けますか」
疲れの所為か、何もせずにいると瞼が重くなってくるので、話し掛ける。
「ああ、構わんぞ、隠すことでもない。それに、あんたは王の友人らしいからな」
腕が終わって、次はお腹に薬草らしきものを挟んで包帯で巻いてゆく。
「戦場で五人傷付いた。大怪我は一人、放っておいたら死ぬ。でも、大怪我の人間を治したら、治癒術士の魔力はすっからかん。一人を復帰させて、四人を後方へ下げるか、はたまた四人を復帰させて、一人を見殺しにするか。それらは治癒術士の、国の判断だからどうでもいい。王が考えたのは別のことだ。この大怪我で死ぬ人間を、治癒術士がいないときにも死なせないように出来るだろうか、ということだ。
そこで俺の出番だぞ。国の支援を受けて研究だ。あっちこっちの戦場を駆け回って、切り捲ってきた。百人以上は死なせなかった自負はある。って言ってもな、世間様は理解してくれなくて、大っぴらには出来んのだ」
「そういえば、聞いたことがあります。まだ効果も薄く、今ほど治癒魔法が有効じゃなかった時代に、そのような治療方法があったとか」
「俺も含めて、何人か、そういう人間を雇って、研究させてるみたいだぞ。くっくっくっ、この『魔のこ』ちゃんは素晴らしい! さっそく切ったんだが、傷口を魔力で覆って、感染を防ぐだけでなく、回復まで早めるみたいなんだ! うおーっ、竜信仰に鞍替えだ!!」
いや、それは止めて下さい。と言おうとしたが、やっぱ切るか、とか返されそうなのでがっちりと口を閉じる。
それから、開けた口で、別のことを百竜に尋ねる。
「断罪の鋸、上げちゃっていいの?」
「ベルンストが引退するまでは所有者と認める。その類いでの条件なら貸しても良い、と氷は言うておった。竜からすれば一瞬なのでな、必要なら、人手に渡ったあと回収するであろうよ」
「ところで、その手に持った桶だけど」
百竜が持っている桶には、僕の吐瀉物が入っている。というか、僕がぶっ放したわけだが、百竜も床も汚れていない。良かった、魔法か魔力で桶に入るようにしてくれたのだろう。
控え室にある窓は開けられているが、二人に申し訳ないと思ってしまうくらいには、臭う。然し、今は警告というか忠告、或いは勧告のようなものを優先しなくてはならない。
「駄目だよ」
「…………」
危険な兆候である。
百竜が物欲しそうな顔をして。更には上気しているようにも見えるので。
「…………」
「ここは主の臭いで満たされているのだ。我だって我慢しておるのだ。この桶の中の物は『浄化』しよう。気体なら、体を満たしたとしても文句はあるまい」
「僕に文句はありません。でも、慥かそれとなくみー様に伝わっているんでしたよね。あとでみー様に文句を言われる、だけでなく、嫌われてしまっても僕は知りませんよ」
「くっ……」
とぼとぼと窓まで歩いて行って「浄化」を行うと、口から十個ほどの炎の球を吐く。
髪の毛が揺れるくらいの、弱くはない風が吹く。
見えないが、魔力で壁を作っているのだろうか、部屋の空気が循環して、胃液も含んだつんっとした臭いを一掃してくれる。
「炎竜様、人間って美味しいんですか?」
「さてな。竜には元々『味覚』がない上、基本は丸呑み故、竜の魂としての我の記憶にも残っておらん」
「…………」
試してみたい(訳、ランル・リシェ)。百竜さん、そんなお顔で僕を見るのは止めて下さいませ。
けちんぼ(訳、ランル・リシェ)。いや、そんな魅力的な……くうぅ、不味い!
このままでは百竜のお口に飛び込んでいってしまいそうだ、って、いやいや、待てっ、百竜の唇を見て、スナとの情事ではなく接触を思い出している場合ではない!
「ーーふぅ」
以前、みーは僕の血を飲んだ。
一心竜乱で飲んでいたので、美味しかったのかもしれない。もしかして、みーの内にいた百竜も味わっていたのだろうか。
まぁ、死んでしまうので僕を食べさせてあげるわけにはいかないが、血を飲むくらいなら、別に問題ないかな。と結論を得たことで、何やら込み上げてきたものを完全無視、知らぬが竜、この問題はこれで終わりである。
未だ僕の心で吹き荒れているが、百竜を凝視して、念押ししておく。
「暗くなったら、また来る。そのとき駄目そうなら、ーーすちゃっ」
よっぽど「魔のこ」ちゃんが気に入ったらしい。決め姿勢まで取ってから辞してゆく。
ーー治癒魔法で救える人を、治癒魔法以外で救う方法。
治癒魔法で救えない人を、救おうとする、それならばわかる。薬師がわかり易い例だろう。こういったことを、治癒魔法が効かない僕が、考えたことすらなかったなんて……、くはぁ~。
「ほんと、アランは凄いなぁ」
「悲観することはなかろう。見ているものが異なるということだ。主が同じ視点を望みようものなら、王になってみるが良いぃゆぅわっ?!」
然ても、慣れていないだけだと信じたい。
どういうつもりなのか、まぁ、冗談なんだろうけど、簒奪を仄めかした百竜の頭を撫でると、あからさまに慌てて炎に染まる竜顔。
ベルンストさんが遣って来るまでの目標が決定。百竜の「撫で慣れ」作戦の開始である。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~
喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。
庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。
そして18年。
おっさんの実力が白日の下に。
FランクダンジョンはSSSランクだった。
最初のザコ敵はアイアンスライム。
特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。
追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。
そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。
世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。
うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
俺だけに効くエリクサー。飲んで戦って気が付けば異世界最強に⁉
まるせい
ファンタジー
異世界に召喚された熱海 湊(あたみ みなと)が得たのは(自分だけにしか効果のない)エリクサーを作り出す能力だった。『外れ異世界人』認定された湊は神殿から追放されてしまう。
貰った手切れ金を元手に装備を整え、湊はこの世界で生きることを決意する。
エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる