竜の国の侍従長

風結

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三章 風竜地竜と侍従長

治癒魔法以外の治療法

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 最大級のものが襲撃くる

 もはや、内から生じる衝動だけに突き動かされている。あとは、扉を開けなければならないが、それはたぶん致命的なーー。

 扉が勝手に開かれる。僕が入ると、扉は閉まる。

 そこには百竜がいて、手にはおけを持っている。そして、かたんっ、と床に置いた。

 目にした瞬間、一気にり上がってくるが。

 間に合うっ! と口をぎゅっと塞いでーー。

 ぶっぱぁっ。

「「「…………」」」

 ……どうしよう。

 百竜にぶっ掛けてしまった。

 然て置きて、多少冷静になった頭が、次の行動を的確に指示してくれたので、倒れ込むように第二波を桶に嘔吐おうと、げろげ~ろ。

 ……失礼。お耳汚しでしょうから、僕の擬声語だけで勘弁して下さい。

 一気に来たときは間に合わないから気を付けろ。変な助言(?)が多い父さんの言葉が、今頃のこのこと記憶から這い出してくるが、時すでに遅し。

 百竜がどうなったか確認したいが、今は見た目も普通な桶さんと大親友なので、彼をがっちり掴まえて、げろげろろ~。

「ーーっ」

 何も見えなくなる。と言っても、死期が迫ったというわけじゃ……ない、はずである。

 目隠しをされたようだ。

 四つん這いの僕の近くで、かさかさと音がする。

 これは、百竜が僕の下に潜り込んだーーん?

 なんだ…ろう、お腹の辺り、左右の二カ所が熱を発する。すでにおかしくなってしまった感覚が、それでも伝えてくるということは。というか、なんか体が揺れているというか、引っ張られているというか……。

「えっと、百竜様、何をしていらっしゃるのでございましょうや」

 直感というやつだろうか、何だか妙に空恐ろしいので、言葉だけは面白楽しくしてまちがいだらけで尋ねてみる。すると、火照ほてったような百竜の言葉が返ってくる。

「我は竜の叡智のようなもの。人種の体についても一廉ひとかどの知識を有しておる。最後の一撃。あれや内部への浸透。わかり易う言うなら、内側で、ぎゅるんっ、となった」

 それは、また、確かにわかり難いようでわかり易いですね。おげぇ~~。

 酸っぱい。

 吐くものがなくなって、胃液なのだろう、それでも吐き気が治まらず、体の内側から掻き回されているような、って、もしかしてこれは比喩とかじゃなくて……。

「主の内臓ないぞうが絡まった故、そのままでは魂が還ってしまうでな、腹から両手を差し込みて、臓物ぞうもつの位置を直しておるのだ。ーーこれで、吐き気は治まったであろう」

 百竜の言う通り、気持ち悪さは残っているものの、楽にはなった。

 ただ、その代わりというか、先程より腹の内の異物感が凄いのだけど。耐えていると、何故か百竜の手が止まったままなので、何か重大な異変が生じたのではないかと呼び掛ける。

「百竜ーー?」
「……主の内は、ぬくいのでな。少う抜き難いのだ」
「お願いです。即行そっこうで抜いて下さい」
「まったく、いけずだのう、主は」
「…………」

 百竜の声色がつやを含んだように生暖かいので、真剣にお断りをする。

 しゅぽんっ。

 いや、実際には小さな、ぴちゃ、という生々しい音が聞こえただけだったのだが。

「主よ。我はこれから、炎で傷口を焼く。我が炎をけよ」

 百竜の炎、スナの氷。暑いと、寒いと思えるほどに、彼らの属性を享けられるようになった。であるなら、もっと強く、もっと激しく、自分から求めてーー。

「ーーっ」

 熱い。熱過ぎる。

 百竜の熱情が僕を焦がとろかす。ゆっくりと動いている。灼かれていることがわかる。なのに、酷く心地良い。まるで百竜を胸に、髪をくしけずるような……。

「主よ。そちらの椅子に座るが良い。背中は付けず、なるべく体は真っ直ぐにせよ」

 目隠しが外される。

 両腕を片方ずつ支えられて椅子に座らされる。ーーん? 片方ずつ?

 色々あり過ぎて、ぼーっとしながら視線を向けると、あに図らんや、筆頭竜官がいた。

「オルエルさん。何故こんなところに……」
「俺は、オルエルとかいう御仁ではないぞ。名は、グットロー・ベルンスト。薬師のようなものだと思ってくれ」

 四十がらみの恰幅のいい男性。雰囲気も似ていて勘違いしてしまったが、髪とひげがぼうぼうで、序でにぼさぼさなので、きちんと見れば間違えようがない。

「主が持ってきた薬では足りぬと思ったのでな、連れてきた。心配いらん、口止めはしてある」
「炎竜様から、過分なる品を頂いた。ここで起こった一切合切、墓場まで持っていく」
「えっと、それ、断罪ののこぎりのような気がするんだけど」
「氷が持たせたものの一つだ。主の為に役立てよと。然し、持って行くにしても、これはどうなのだ」
「あはは、でも、物は使いよう、だよ」
「主よ、どういうことだ?」
「その魔具の鋸は、たぶん、岩とか金属とかも切れると思うよ。使う職人によっては至宝とも……」
「とんでもないっ!!」

 ぶんっ、と鋸を振って僕の言葉を遮ったベルンストさんは熱の籠もった口調で力説する。

「この『魔のこ』ちゃんは、人間の手足を切る為の物! 岩とか金属とか、断じてそのような物、切らせるわけにはいかんぞ!! 『魔のこ』ちゃんがけがれる!」
「「…………」」

 人選じんせんを間違えたのではないか。そんな思いを乗せて、じっと百竜を見ると、気付かない振りをした炎竜は、僕の服を脱がせ始める。

 氷鱗には触れ難かったらしく、分厚い手袋を嵌めたベルンストさんが代わりに。

 上半身裸になって、百竜が最後の一枚に手を掛けたので、死守する。

 「騒乱」の前にスナに見られてしまったが、それ以後に愛娘に見せたことはないので、いや、別に百竜に見られたからといって何かがあるというわけでは……。

 べっちゃり。

 肩口から指の先まで、半透明のどろっとしたものが塗りたくられる。

「両腕、どう見たって手遅れなんだが、炎竜様が言うには、あんたは普通よりも回復が早いらしいな。そうだってんなら、夜までには感覚が戻るはずだぞ」

 ベルンストさんの言葉に釣られて、見てしまった。これまで見ないようにしてたのに。

「…………」

 魔物の腕。

 第一印象はそれだった。里に居たときに解剖した小鬼の、死体の腕がこんな感じだっただろうか。

 いや、色合いでいえば、それより酷い。

「腕に力を入れ、動かしてみよ。ゆっくり、軽くで良い」

 感覚は、……何とか指の先まで届く。

 そう表現してしまうくらい、当たり前に動いていた腕は、鈍く、覚束ない。然し、動いてくれる。全体が痛んで痺れているが、一所ひとところから、繋がりを断つような致命的なものは感じない。

 腕ほどではないが、お腹も中々やばい色である。その中にある、二本の短い傷痕。細いので、火傷というより切り傷が治った痕といったところか。

 ここから百竜の手が入っていたのか、と考えた瞬間、スナと、途中で合流した雷竜も一緒に背中に乗っかってきたので、うん、こんなの、もう二度と体験したくないと、去っていく二竜に吐露する。

「やっぱり、切るか? 『魔のこ』ちゃんの準備は万全に整ってるぞ」

 ベルンストさんは、僕の両腕を切りたそうな目で見ていた。

 なんだかなぁ。僕を人体実験したそうな顔で見ていた魔法使いと、同じ輝きを瞳に宿している。なので、僕はそっと目を逸らした。

 ふぅ。回復が早い、と彼は百竜から聞いた。

 竜の魂である百竜にはお見通しだったか。治癒魔法があるので、これまで注目されることはなかった。そう、殆どの人は、治癒を使わないとどのくらいで治るのか、明確な物差しを持っていないのだ。

 「騒乱」以後、「千竜王こいつ」の存在を自覚するようになったからか、回復力に拍車はくしゃが掛かって。百竜から「千竜王」の正体を知らされたあとは、切り傷くらいなら翌日には治るようになってしまった。

「薬師のようなもの、と仰っていましたが、差し支えなければ教えて頂けますか」

 疲れの所為か、何もせずにいるとまぶたが重くなってくるので、話し掛ける。

「ああ、構わんぞ、隠すことでもない。それに、あんたは王の友人らしいからな」

 腕が終わって、次はお腹に薬草らしきものを挟んで包帯で巻いてゆく。

「戦場で五人傷付いた。大怪我は一人、放っておいたら死ぬ。でも、大怪我の人間を治したら、治癒術士の魔力はすっからかん。一人を復帰させて、四人を後方へ下げるか、はたまた四人を復帰させて、一人を見殺しにするか。それらは治癒術士の、国の判断だからどうでもいい。王が考えたのは別のことだ。この大怪我で死ぬ人間を、治癒術士がいないときにも死なせないように出来るだろうか、ということだ。
 そこで俺の出番だぞ。国の支援を受けて研究だ。あっちこっちの戦場を駆け回って、切り捲ってきた。百人以上は死なせなかった自負はある。って言ってもな、世間様は理解してくれなくて、大っぴらには出来んのだ」
「そういえば、聞いたことがあります。まだ効果も薄く、今ほど治癒魔法が有効じゃなかった時代に、そのような治療方法があったとか」
「俺も含めて、何人か、そういう人間を雇って、研究させてるみたいだぞ。くっくっくっ、この『魔のこ』ちゃんは素晴らしい! さっそく切ったんだが、傷口を魔力で覆って、感染を防ぐだけでなく、回復まで早めるみたいなんだ! うおーっ、竜信仰に鞍替くらがえだ!!」

 いや、それは止めて下さい。と言おうとしたが、やっぱ切るか、とか返されそうなのでがっちりと口を閉じる。

 それから、開けた口で、別のことを百竜に尋ねる。

断罪の鋸あれ、上げちゃっていいの?」
「ベルンストが引退するまでは所有者と認める。その類いでの条件なら貸しても良い、と氷は言うておった。竜からすれば一瞬なのでな、必要なら、人手に渡ったあと回収するであろうよ」
「ところで、その手に持った桶だけど」

 百竜が持っている桶には、僕の吐瀉物としゃぶつが入っている。というか、僕がぶっ放したわけだが、百竜も床も汚れていない。良かった、魔法か魔力で桶に入るようにしてくれたのだろう。

 控え室にある窓は開けられているが、二人に申し訳ないと思ってしまうくらいには、臭う。然し、今は警告というか忠告、或いは勧告のようなものを優先しなくてはならない。

「駄目だよ」
「…………」

 危険な兆候である。

 百竜が物欲しそうな顔をして。更には上気じょうきしているようにも見えるので。

「…………」
「ここは主の臭いで満たされているのだ。我だって我慢しておるのだ。この桶の中の物は『浄化』しよう。気体なら、体を満たしたとしても文句はあるまい」
「僕に文句はありません。でも、たしかそれとなくみー様に伝わっているんでしたよね。あとでみー様に文句を言われる、だけでなく、嫌われてしまっても僕は知りませんよ」
「くっ……」

 とぼとぼと窓まで歩いて行って「浄化」を行うと、口から十個ほどの炎の球を吐く。

 髪の毛が揺れるくらいの、弱くはない風が吹く。

 見えないが、魔力で壁を作っているのだろうか、部屋の空気が循環して、胃液も含んだつんっとした臭いを一掃してくれる。

「炎竜様、人間って美味しいんですか?」
「さてな。竜には元々『味覚』がない上、基本は丸呑み故、竜の魂としての我の記憶にも残っておらん」
「…………」

 試してみたい(訳、ランル・リシェ)。百竜さん、そんなお顔で僕を見るのは止めて下さいませ。

 けちんぼ(訳、ランル・リシェ)。いや、そんな魅力的な……くうぅ、不味い!

 このままでは百竜のお口に飛び込んでいってしまいそうだ、って、いやいや、待てっ、百竜の唇を見て、スナとの情事ではなく接触を思い出している場合ではない!

「ーーふぅ」

 以前、みーは僕の血を飲んだ。

 一心竜乱で飲んでいたので、美味しかったのかもしれない。もしかして、みーの内にいた百竜も味わっていたのだろうか。

 まぁ、死んでしまうので僕を食べさせてあげるわけにはいかないが、血を飲むくらいなら、別に問題ないかな。と結論を得たことで、何やら込み上げてきたものを完全無視、知らぬが竜、この問題はこれで終わりである。

 未だ僕の心で吹き荒れているが、百竜を凝視して、念押ししておく。

「暗くなったら、また来る。そのとき駄目そうなら、ーーすちゃっ」

 よっぽど「魔のこ」ちゃんが気に入ったらしい。決め姿勢ポーズまで取ってから辞してゆく。

 ーー治癒魔法で救える人を、治癒魔法以外で救う方法。

 治癒魔法で救えない人を、救おうとする、それならばわかる。薬師がわかり易い例だろう。こういったことを、治癒魔法が効かない僕が、考えたことすらなかったなんて……、くはぁ~。

「ほんと、アランは凄いなぁ」
「悲観することはなかろう。見ているものが異なるということだ。主が同じ視点を望みようものなら、王になってみるが良いぃゆぅわっ?!」

 然ても、慣れていないだけだと信じたい。

 どういうつもりなのか、まぁ、冗談なんだろうけど、簒奪さんだつを仄めかした百竜の頭を撫でると、あからさまに慌てて炎に染まる竜顔。

 ベルンストさんが遣って来るまでの目標が決定。百竜の「撫で慣れ」作戦の開始である。
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