竜の国の侍従長

風結

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一章 炎竜氷竜と侍従長

少年の記憶

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 風竜の間から心持ち早足で通路に出ると、エーリアさんが居た。

 僕を待っていた、という風情ではなく、その顔には怪訝な、実見するに敵を射竦めるような鋭さがあった。

 見ると、殺意さえ窺える彼の双眸の先には、見知った、というか、ただの知己、というか。あ、今僕に気付いたのに、知らん振りして立ち去ろうとしている。

「暫しっ! お待ちいただきたい!」

 見た目だけならエーリアさんと同周期の男が背中を見せた瞬間、詰問きつもんするような調子で呼び掛ける。

 半瞬の停滞、そして、ちらりと見えた、これは紛う方なきーー。

 三歩、出遅れたが、すぐさま駆け出したエーリアさんを追う。

 エーリアさんの声に、冒険者組合ギルドの職員の制服を着た男が嫌そうに振り返って、僕らを見遣る。

 三十歳を超えている童顔の雷守、僕に恩義がある故、頭の上がらないコル・ファタが、現況がわかっているのだろうか、いつもの胡散臭い笑みを貼り付けた顔で僕らを待ち受けている。

 魔法か、剣を抜くのではないかと警戒していたが、相手を逃がさぬことに全神経を傾けていたのか、全力疾走のエーリアさんは、ファタの直前で急停止。

 炎竜の如き猛々しさを宿したものの、すべてを焦がし尽くしたのだろうか、穏やかとさえ言える声音でファタに問い掛ける。

「初めましてーーではありませんね。過日かじつ、鼻っ柱を圧し折られまして、ーー適性がないのか治癒魔法は使えないので、苦労いたしました」
「ああ、あのときの若者ですか。うっかり手が鼻に当たってしまい、鼻血が出たようですが、問題ないようで何よりです。大丈夫です。あのときの、あなたの無礼な振る舞いによる一連の、よろしくない記憶は、暗竜に食べさせてしまったので、咎め立てするつもりはありません」
「…………」

 ファタの表情から悪意は窺えないが、随分と際どい会話をするものである。

 慇懃無礼に、尻尾を見せているようで、捕まえさせる気はなく、どこまでわかっているのか、平然と立場を入れ替えている。いや、それはファタが暴漢であったとするならばーーだが。

「それでは、失礼いたします」
「…………」

 ファタの姿が通路の先に消えるまで、身動みじろぎせず見詰め続けるエーリアさん。

 「マギルカラナーダ」を解き明かす旅の途上で、疲れ果て、有り金を奪われ、捨て置かれた。握り締められる両の拳が、彼の真情を伝えている。

「……リシェ君、彼は?」
「コル・ファタ。冒険者組合の元幹部、氷焔の担当。組合のお金を横領したので、竜の国の保証で身柄を預かり、現在は竜地の雷竜で雷守の任に就いています」
「ーー失敗した、かな。ちょっと、直裁的に過ぎたか」
「ん~、そうですね、ファタを犯人であると断じて脅迫、余罪を捏造して、一部だけでも認めさせたほうが良かったかもしれませんね」
「……あー、その、リシェ君。先達として前々から言おうと思っていたのだけれど。竜の国の侍従長という役に染まり過ぎていないか? 嘘が必要なときはある。だが、嘘を前提に物事を成り立たせてしまっては、嘘に慣れ過ぎてしまってはーー」

 ーーリシェは嘘を吐くとき、まるで罪悪感がないんだね。

 エーリアさんの姿に、逢ったばかりの兄さんのーー。

 どっ、と背中に壁が当たって、いや、正確には僕がふらついて、って、あれ?

 記憶が、底無しの沼にまったような……。

「リシェ殿っ!」
「……ん?」

 気付けば、倒れかけた僕をザーツネルさんが支えてくれていた。

「ーーふぅ、侍従長、また、なのかな?」
「あはは……、また、の部分を強調しないでください。僕はいつも、振り回されているだけなんですから」
「「…………」」

 いや、二人とも、あっかんりゅうをした邪竜を見るような、そんな目を向けなくても、多少は、些少さしょうは、ほんの少しは、僕が原因の騒動があったかもしれないことを認めることにやぶさかではないというか、あー、いやいや、今は僕の行状をあげつらっている場合ではない。

「忘れていたわけではありませんが、思い出したことがあります。聞いて貰えますか?」

 竜にも角にも、ザーツネルさんの手を借りて立ち上がって、でも、まだ頭が濁っているので、壁に背中を預ける。

 すると、周期が上の二人の、何やらよくわからない遣り取り。

「竜官殿。目の前に居たのに間に合わないとは、少々体が鈍っているのでは?」
「いやさ、副隊長殿。副隊長殿が駆け寄る姿が見えたので、譲ったまでのこと」

 睨み合っているわけではないが、炎竜氷竜な雰囲気を醸している御二人。

「二人とも、僕の特性のことは知っていますよね。今朝のことですが、炎竜と氷竜から、僕の内に『千竜王』なるものが在ると知らされました」
「「……、ーー」」

 二人の興味がこちらに向いたので、話を続ける。

「僕は幼い頃、一風変わった性向でした。これまで、それに疑問を抱くことはなかったのですが、『千竜王なかのもの』のことを知った所為でしょうか、過去の、気にならなかった部分に、意識が向くようになりました。僕は、幼い時分、『千竜王』の差し響きを大きく受けていました。僕でありながら僕でない、そんな夢のような情景。そんな掠れたような僕を、見つけ出してくれたのは、引っ張り上げてくれたのは、兄さんなんです」

 記憶が繋がってゆく。僕という存在が薄れるほどに、明確になってゆく。

「思い出した、というのも変ですが、やっぱり、思い出した、というのが適当なんでしょう。出逢った頃の兄さんは、酷く冷たい目をしていました。たぶん、僕に興味などなかったでしょう。でも、『千竜王こいつ』と僕に気付いてから、……どうやったのかは見当も付きませんが、僕が僕になって……、『千竜王』のことを自覚することがなくなっていきました」

 冷える、冷える、冷える……、兄さんの冷たい目、ただの興味だけで僕を見る、氷竜の冷たさとは違った、底無しの、暗く、どこまでも落ちていくようなーー。

「リシェ君! これだけは断言する! 君のいない場所でも、ニーウと長く過ごしたから知っている。ニーウの、君に向けた愛情は、本物だ。友情では勝てないと、嫉妬した僕が言うのだから、本当だ! ニーウは君を変えた、そして、ニーウを変えたのも君なんだ。そこに偽りなどない、今に繋がるもので、肯定してしまって良いんだ!」

 がっと両肩を掴まれる。炎竜の息吹のような熱い言葉がぶつけられる。

 最後はもう、エーリアさん自身、何を言っているのかわかっていないかもしれない。だけど、十分。吹き払ってくれる。

 然てまた溢れる。兄さんとの、冷たさを押し遣る暖かな記憶が。

 然う、あれも兄さんで、忌避きひする必要などない、本当の兄さんの姿なのだ。

 色は塗り重ねられる。本当に美しいものは、綺麗なものだけでは作れない。いや、見目良く、着飾らせても意味はない。僕と兄さんの間にあるものは、そんなものじゃない。

「ーーありがとうございます、エーリアさん」
「うっ、ああ、落ち着いたようだね……」

 素直に感謝すると、自身の言行に忸怩たる思いがあったのか、すすすっと下がっていく若き竜官。

 嘗てエーリアさんは、怒りなどの感情を制御する必要がある、と言っていたが。

 そういうところも好感が持てるので、ああ、きっと兄さんも同じように思って、彼を数少ない友人として認めていたのだろう。

 然ても、照れ隠しだろうか、そっぽを向いて、誤魔化すように言葉を零すと。

「里に居た頃のニーウからすると、いまいち想像できないけれどね」
「そうかな? 俺は昔、考えたことがある。もし自分が最強だったら、とかな。自分に勝てる奴なんて一人もいない。初めは愉快な気分になったものさ。だが、考え続けているとだ、すぐに詰まんなくなった。誰も勝てないってことは、自分と同じ場所に誰もいないってことだ。ははっ、どうやら俺は最強ってやつを楽しめない狭量な奴だったらしい。聞く限り、リシェ殿の兄は天才の、更に一握りなんだろう。世界が色褪せて見えてたって不思議じゃないだろうさ」

 応じて、兄さんの少年時代を斟酌しんしゃくして、言外にエーリアさんを否定する黄金の秤隊の副隊長。

 ん? ……あれ?

 エーリアさんもザーツネルさんも、お互い若くして枢要の地位に就いているのだし、相性は良さそうなものだが。何だろう、百竜あっちっちースナひゃっこいが混ざって汗と冷や汗が同時に噴き出すような、この緊張感は。

「……、ーー」
「ーー、……」
「……?」

 二人とも、にまっ、て感じで笑って、同時に背を向けて。

 記憶を整理する為に、もう少し話に付き合って欲しかったのだが。振り返ったほうが負け、みたいな勝負でもしているのだろうか、枢要の二人は、兄貴分たちは、すたすたと立ち去っていくのだった。
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