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2話 迷子の姫
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ーー謁見の間。
この十日間で鎮火したのではないかと思っていた炎が、極限まで猛りました。
ああっ、ラスティ様!
私は、胸が張り裂けてしまいそうです! もう我慢など、する必要はありません!
ーーそんなものは、竜に喰わせて差し上げます!!
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
猫どもっ! 大草原じゃなくてっ、「楽園」まで行ってこいやぁーーっっ!!
「クロ!!」
このときばかりは、優しかったラスの面影で頭をいっぺぇにして、市井人と同じ格好したあたしは全力で駆け出した。
呆気に取られて馬鹿面を曝す宰相の前で、違わず願い通りにクロは四つん這いになる。
「死にさらせっっっ!!!」
クロの背中を踏んづけて、「楽園」まで飛んでく勢いで大跳躍。
ぐしゃっ。
血と、よくわからねぇ液体を飛ばしながら、おっさんが木の棒のように硬直して、どすっと倒れる。
障害物に当たって、体が前に傾いたからよ、
「ふんっ!」
強引に体を二回転させて床に着地する。
でもよ、そんくれぇじゃ体ん中の炎が消えるはずもねぇ。
ずんずん歩いていって、でっぷりした腹の、アペリオテス国の宰相を見下ろす。或いは、見下す、でも問題ねぇ。
禿げ頭を蹴ってみた。
反応がねぇ、ただの屍のようだーーとはならず、しぶてぇことに、まだ生きてるようだ。
「ーーーー」
ここで宰相を殺すのは簡単だが、そりゃあたしがやっことじゃねぇ。アペリオテス国のことは、アペリオテスの奴らが決めっことだ。
甘ぇ考えかもしんねぇが、部外者であるあたしが介入していいのはここまでだ。
「宰相の下でいいのか、てめぇらのことはてめぇらで決めやがれ! ってことでっ、あたしは逃げっから! 追い掛けてくんじゃねぇぞ!!」
ってわけで、すたこらさっさ~。
しめしめ、一応念押しはしておいたが、騎士どもは行動を決めかねてるようだ。
半分くれぇは「薔薇の姫」の痴態に、膝を突いて絶望してるみてぇだが、簒奪に加担した、王太子を守らなかった、守れなかった奴らのことなんて知ったことか。
「何撒いたんだ?」
謁見の間の扉をでた直後に、クロが液体を、ばしゃっとやったから聞いてみたら。
「姫さま人気は侮れないですからね。幻想が打ち砕かれたことを逆恨みした者が、幾人か追い掛けてくるかもしれないので、『とてもよく滑る液体』を仕掛けておきました」
ごしゃっ。
後ろから、まるで人間が滑って転んだような音が聞こえてきたが、無視だ、無視。
今回は、偽物だの魔術だの言い出す奴はいなかった。
さすがに隣国までやってくるんだから、「薔薇の姫」で間違いねぇと、涙ながらに認めやがったってことか。
「さて、これからどうなさいますか、姫さま。勝手知ったる聖王国と違い、王都から逃げ切るのは不可能かと思いますが」
「って、こらっ、そんな楽し気な顔で見てくんじゃねぇ! ったく、そうだよっ、クロの予想通り、算段があっから宰相に降らなかったんだよ!」
ああっ、どいつもこいつもっ、そんなに猫万匹の「薔薇の姫」が大好きか!
あのおっさんは、ラスを殺ったと言ったその口で、アペリオテス国の王となる自分の妃になれって言ってきやがったんだ。
人を殺してぇと思ったことは何度もあったがよ、実行しようと思ったのは二度目だ。勿論、一度目はクロだ。今も、のうのうと生きていやがるがな。
「さすがに見られんのはやべぇ! クロっ、人払いの魔術、使えっか!?」
「んー、そうですね。このまま捕まってしまうと、姫さまは、あの中年の餌食になってしまわれますから。嫌がる姫さまを観察するのも、乙なものであるかもしれませんが、私の予定を狂わせたあの男に対する処遇をどうするかは、一考の余地がありますしーー」
って、態とか! 下手すりゃ、あの変態っぽいおっさんに、あれやこれやいいようにされちまうってのに、ゆっくり吟味なんかしてんじゃねぇ!
「ったく、早く決めがやれ!」
目指してるのは、居館の裏手。見覚えがある居館が視界に入ってから、窓から飛び下りる。
ちっ、使用人らしき奴に見られちまったが、ここまでなら問題ねぇ。
「仕方がありませんね。姫さまが目指されている場所に興味もありますし、もう魔術を行使したので、のんびりと昼寝していっても大丈夫ですよ」
着地すると、クロが請け負ったからよ、あたしは呼吸を整えてから歩いて向かう。
見上げると、あたしたちを目撃した使用人が窓から顔を出してるが、堂々と歩いてる二人を見失ってる。
「向かわれている先は、別館となると、隠し通路か何かでしょうか?」
「昔な、アペリオテスの王城を探索してっとき、宝物庫が見つかんなくてな」
「ああ、そういえばそのようなこともありましたね。姫さまが十二歳のときでしたか。あの頃の姫さまは、情報収集の能力をーー難点を克服しておられませんでしたから、見つけ出すことが敵わなかったのですよね」
「そーゆーこった。でだ、悔しくて夜も寝られなかったあたしは、ラスの居室に忍び込んだ」
「夜這いですか、姫さま。クロッツェは、積極的な姫さまは嫌いではありませんよ」
「何だかんだで、ラスの奴は肝が据わってたな。『眠れないのでお話をしに来ました』と言ったら、夜中に忍び込まれても驚きもせず、素直にあたしの言葉を信じやがった」
馬鹿の言葉を無視して、話を先に進める。
ただのなよっちぃ奴としか思ってなかったラスを意識したのは、そのときが初めてだった。そして、ラスの人の好さに危機感を抱いたのもこんときだった。
「ラスの奴にな、『いざとなったら私がラスティ様を助けて差し上げます。そのためには資金が必要です。宝物庫の場所を教えていただけますか?』って聞いたんだ」
「…………」
珍しい。表情は変わってねぇが、クロの奴が言葉を詰まらせてやがる。ラスの人の好さは、傅役すら黙らせる、ってか。
「困った御方ですね、ラスティ様は。人が好いにもほどがあります。いえ、もしかしたら、姫さまに好きになってもらおうと、四苦八苦しておられたのかもしれませんね」
どうだろうなぁ。ラスの人の好さは、次元が違ったかんな。
そんなもんがあるなんて思ってもみなかった、あたしの庇護欲って奴が反応したくれぇだからな。そうじゃなきゃ、孤児院なんて建てなかった。
あたしの内のあたしを引き出したラスに目をつけて。爾後あたしの番とすべくカイキアスとアペリオテスで様々な工作活動をすることになる。
運命なんて、待つものじゃなくて、引き寄せるものだからな。そのための努力は惜しまねぇ。
「二つ目のここだなーー、って、おいおい、開いてやがるぞ」
「不用心ですね。仕方がありません、戸締まりはしっかりとしないといけませんからね」
魔術なのか、或いは何かを操作したのか、扉が閉まっていく。
「小薔薇」袋から、クロが作った携帯用の小型の角灯を取り出そうとしたら、
「侵入者がいるのでしたら、急いだほうが良いのかもしれませんね」
「光球」が灯る。
通路が狭ぇから、一つで十分ってことか。足元を確認、滑らねぇってことなら、一気に行くか!
「いくぞっ、クロ!」
先行してる相手に気づかれても構わねぇ。追いつくことを優先する。多少なら、傷ついてもあとで「治癒」すりゃいい。
燻ってた炎が、再び猛って心を焦がすままに、駆け抜けていく。
「なっ、何だ!? 誰だっ、追っ手か!?」
出迎えは、聞き覚えのある情けねぇ声。あたしは下に転がってた見事な硝子細工を、むんずとつかんで、顔面目掛けて投げる。
「ひぃっ??」
あ、ちくしょうめが、しゃがんで避けやがった。いや、頭抱えて怯えてる姿からして、偶然か。
宝物庫、じゃなくて宝物のある洞窟ーー宝窟ってとこか。狭ぇ通路を抜けっと、そこそこ大きな、庶民の家が丸ごと入るくれぇの空間につながってて。
で、そこには金銀財宝がどばっと、うっはうはーーなわけだが。
そんなもんには目もくれず、あたしは本当の歳より老けて見える四十格好のおっさんを怒鳴ろうとしてーー。
「ーーはぁ~」
このままじゃ猛炎に焼かれちまうと、それでも構わねぇって、がんがん響いてやがるからよ、二千匹だけーー日向の匂いがする猫どもを抱き締めてやる。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
「グレイル・イメルダ・スナフ・アペリオテス王。こんなところで何をしてるのかしら?」
少しだけ冷静になって見澄ますと、グレ以外に王妃と侍女が二人いる。
取るものも取り敢えず逃げ出してきたのか、首に掛けたりポケットに詰め込んだり。宝物を持てるだけ持ってとんずら放くってぇところに、颯爽とあたしがやってきたってわけか。
「リップス姫!? ……なのか? 『貴公子』がいるのなら、本物……?」
「あなた。彼女は、本物のリップス王女です。あの赤眼の輝きは、王女以外の何者でもありません」
やっぱ王妃は油断がならねぇ。前に来たときも感じてたが、あの冷てぇ瞳は、修羅場を潜った人間に特有のものだ。
だが今は、あたしの敵じゃねぇからどうでもいい。てか、この王様、わかってんのか?
あんた、確実に王妃に利用されんぞ。そんで、使い道がなくなった途端に、ぽいっとお役御免。
「さて、どういたしましょう、姫さま。逃げ難いように、両足を千切ってしまいましょうか。ああ、いえ、両足ではたぶん逃げられませんね。やはり片足にしておきましょう」
「そっ、そのようなことっ、余に! 余にしてっ、許されると思っているのか!」
クロが王様で遊んでいる間に、あたしは考える。でもよ、その前に、これだけは聞いておかねぇとな。
「ラスティは、どうして死んだのかしら?」
「うっ……」
「ラスィは、この人を逃がすために、少ない手勢で立ち向かいました。私の息のかかった者が偽装してくれたでしょうから、この場所が知られることはないでしょう。あなたの行動如何によっては、指針の変更を余儀なくされるかもしれません」
「心配しなくても、クロッツェが魔術を使ったから、ここがバレることはないわ。それにーー、決めたわ。私は、いえ、私たちは、あなたたちに何もしない。どこへなりとも逃げるがいいわ」
ああ、やっぱ駄目だわ。猫ども、アペリオテスに来るまでのように、あたしを埋めてくれ。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
やっぱり、にゃんこたちは温かいわね。沁み込んでいくように、私の心が決まる。
ラスティが命を懸けて助けたんだもの。私には、無理ね。
だからーー。
勝手に野垂れ死ぬといいわ。子を見捨てて逃げた親として、出来得る限りに苦しんで、「楽園」に旅立ったラスティとは違う、「冥府」に堕ちるといいわ。
ーーそうなれば、あとはやることは一つね。
ぱんっ。
私は手を叩いて、盲目的についていこうとしている二人の少女の、侍女の気を引く。
「あなたたち、そのままついていってもいいのかしら。選択肢がーー選べる道がまだある内に、自分が歩く道は自分で決めたほうがいいわよ。ここから先の、未来はわからない。でも、私が予言してあげる。あなたたちは、そこの二人に、いいように使われて、要らなくなったら、ゴミのように捨てられるわ」
私より少し背の高いーー面影が親友に似てるかしらーー二つか三つ、年上だろう聡明そうな少女の明るい色の瞳に光が、知性の輝きが宿る。
「あなた、行きますよ。スリン、ついてくるのなら、あとを追ってきなさい」
「えっ、な…、ほ?」
ほんと、よくこの王様でアペリオテス国は持ってたわね。
王妃に背中を押されて、とっととご退場。
慥か、王妃には隠し子がいるって噂があったから、しぶとく生き残って、数年後には子を擁してアペリオテス国を奪い返してるかもね。
「え、えっ、えっ? 行っちゃうよ! スリンちゃんっ、どうするの!?」
通路の先に二人が消えると、王妃に名前を呼ばれなかったほうの少女が騒ぎ出す。
同い年くらいかしら。私より身長が低く、そして、丸っこい。
そこまで太ってるわけじゃないんだけど、ぷにぷに、というより、ぶにぶにしてる? 悪い意味での、貴族の娘っぽいんだけど。
王族の侍女になれるのだから、身分は高いはず。見たまんまだと、ぶにぶに娘が甘やかされて育った貴族の娘で、スリンのほうが厳しく育てられたーー苦労性の娘ってところかしら。
「リップス王女。顧みる機会を与えていただき、感謝いたします」
「ええ、存分に感謝しなさい。そして、恩人と思ってくれてるなら、あなたたちの関係にちょっと興味があるから、話してちょうだい?」
別に、話したくなければ話さなくてもいいわよ。という雰囲気を醸す。こういう几帳面そうな娘には、命令するより選択肢を与えたほうが効きそうね。
「フォーノ。話しても良いですか?」
「え、えっ、えっ? そんなのわからないよ~!」
「駄目です。しっかりと考えなさい。そうしないとこれから、フォーノ様、と呼びますよ」
「やだやだやだやだ~っ。む~、ちょっと待って、考えるから、ちょっとだけ待って!」
フォーノーーいえ、丸娘でいいわーー丸娘が貴族の娘で、彼女だけだと心配だと、しっかり者のスリンも一緒にーーということのようね。
「わかんないよ~。スリンちゃんに任せる!」
自分に厳しく他人に甘い、なんて人間がたまにいるけど、スリンがどうもそうらしいわね。まあ、それだけでなく、丸娘に厳しくしても逆効果だと、悟っているのかもしれない。
「驚かれるかもしれませんが、フォーノは、伯爵家の娘です」
「別に、驚きはしないわ。ある意味、典型的な娘だもの。それよりも、私はあなたのほうに興味があるわ。今の私の言行に触れても、驚いた様子もブレた感じもない。それはどうしてかしら?」
考えを整理するためかしら、或いは癖なのか、右手の人差し指を額に当てて、一拍。閉じた目を開けると、スリンは淀みなく話し始める。
「リップス王女が十二歳のとき、アペリオテス国を訪問なさいました。王女様は、侍女たちの間でも人気で、フォーノが粗相をしないよう裏方を願い出た私たちの要望は、侍女長に受け入れられました」
「そ~なんだよ~。あたしは王女様を近くで見たかったのに、スリンちゃんの意地悪~!」
今、見れてるじゃない。とか言おうとしたけど、面倒臭いことにしかならなそうなので、黙ってスリンを目線で促すことにする。
「初めてリップス王女のお姿を拝見したとき、これほどまでに美しい、完璧な方がいらっしゃるのかと、放心してしまいました。ですが、遠くから見ていた所為でしょうか、ふと、違和感が生じました。その違和感の正体に気づいたのは、王女様が帰国なさったあとでした」
「完璧であったが故の、違和感でしょうか?」
「あっ、はいっ、『貴公子』様の仰る通りですっ! 完璧な人間など存在しないっーーというのが私の持論のようなものでっ、そのために努力を怠ってはならないとっ、自分に厳しくしてまいりましたのでっ、王女様の完璧さの裏にはっ、何かあるのではないかとっ、そんな風に思っていましたっ!」
弱点、とか言ったら可哀想だけど、わかり易いなぁ。
クロッツェが嘴を挟むと、早口で捲し立てるスリン。色男、というか若い男に免疫がないのか、普段の凛々しい姿と今のいぢらしい姿とのギャップに、ほんわかしてしまう。
いえ、観賞して楽しんでいる場合ではなくて。相手によっては、猫万匹ではなく、五百匹くらい足元で遊ばせておいたほうがいいってこともあるようね。
うん、参考になったわ。
「何だか、あたしが蔑ろにされてる~。あたしのほ~がお姉ちゃんなんだから、敬いなさいよ~!」
ーー何ですって? 何を冗談言ってるのかしら、この丸娘は。
「スリン。この丸娘は、私と同い年くらいじゃないの?」
「いえ、私は十七で、フォーノは十九になります。遅くに授かった子ですので、ーーあとは説明せずとも、わかっていただけるかと」
ええ、わかったわ。わかりすぎるくらいにわかったわ。このぶにぶにした丸っこさは、甘やかされまくって育った象徴なのね。
あたしが心の底から納得していると、何が気に入らなかったのか、丸娘が反駁する。
「あたしはね、やればできる子なんだよ! 礼儀作法だって、ちゃんと身につけたんだから!」
すたすたすたすた。がしっ。
「いはいいはいいはいいはいっ、スリンちゃん! いばばばっ、おーじょはまがいじめう、たすへべ!?」
丸娘の頭を掴んで、ぎりぎりと力を籠める。それだけじゃ足りない気がしたから、指で頬を両側から挟んでやる。
「礼儀作法なんてものはね、呼吸みたいなものよ。できて当たり前。私がどれだけ努力してきたと思ってるのよ。そうは見えないでしょうけど、あなたの頭を締め上げてる、この腕力も、鍛錬を欠かさなかったから手に入れたものなのよ。王女に生まれた者の義務として、何より、自分の未来を自分で、それなりに決められるようにするためにーー」
ーーそれが何の役に立ったのか。
仕舞った。隠していたものが、ヘドロのような溶岩が溢れてしまった。
ーー今、聖王国はどうなっている。これまでの努力は、ただ逃げ出すことのためだけに、積んできたものなのか。何もできない、無意味だったと、無価値だったと、認めるのが怖いのか。
「ーーっ」
スリンが駆け寄る前に、丸娘を放す。
転んでもただでは起きないのか、丸娘は宝物を集め始めたので、蹴飛ばしてやる。
「きゃうっ!?」
スリンが駆け寄って、丸娘を起こして。この娘もお人好しね、今はミースに似たスリンに嫌われたくないから、さっさと説明してしまう。
「お金っていうのはね、扱うにも器量が必要なのよ。外の世界は残酷よ。あるとわかれば、集られる、奪われる、下手をすれば、命まで危うくなる。持ってる者、余裕がある者ってね、見ればわかるものなのよ。宝物を持っていくのなら、困ったときにどうにかできるーー程度にしておいたほうがいいわよ。これから伯爵家に戻れるのなら、たんまり持って帰ってもいいかもしれないけどね」
「え、えっ、ええっっ!! お家に帰るんじゃないの!? 帰れないの?!」
またぞろ丸娘が騒ぎ立てる。
本当に、何でそんなこともわからないのかしら。頭を使わずに錆びた人間っていうのは、こんな風になってしまうものなのかもね。
「フォーノ。良く聞いて。ーー今は無理なの。私たちは、ここを出たあと、アペリオテス王に見捨てられて、死んだことにする。私たちはアペリオテス王へとつながる手掛かりだから、宰相が失脚するかほとぼりが冷めるまで身を隠す必要があるの」
「当てはーーあるようね」
「はい。ーーフォーノを一人にはできないので、伯爵家に戻れるか、フォーノが結婚するまでは一緒にいようかと……」
「ええっ、やだよ! そうだっ!! あたしっ、スリンちゃんと結婚するから、それなら問題ないよ! 一生一緒にいよ!! うぇ……きゃうんっ!?」
すたすた。げしっ。
あともう一つ、聞かないといけないことがあるんだから、丸娘は黙っていてちょうだい。
今度は蹴飛ばしても、スリンは丸娘をそのままに、宝物を幾つか拾って立ち上がる。
「フォーノ。あなたが持つと、直ぐになくしてしまうから、あなたの分も私が持っておきます。それとリップス王女。私が知る限りの、カイキアス国に関する情報や噂をお伝えします」
顔に出ていたかしら。いえ、聡明なスリンのことだもの、私が最も欲してるものに気づくのも当たり前のことね。
それから、ふう、やっぱり、お人好しなのも考えものね。
彼女の表情が物語っている。聞かないほうがいい、そんな情報だってこと。
この十日間で鎮火したのではないかと思っていた炎が、極限まで猛りました。
ああっ、ラスティ様!
私は、胸が張り裂けてしまいそうです! もう我慢など、する必要はありません!
ーーそんなものは、竜に喰わせて差し上げます!!
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
脱ぎ。脱ぎっ。
猫どもっ! 大草原じゃなくてっ、「楽園」まで行ってこいやぁーーっっ!!
「クロ!!」
このときばかりは、優しかったラスの面影で頭をいっぺぇにして、市井人と同じ格好したあたしは全力で駆け出した。
呆気に取られて馬鹿面を曝す宰相の前で、違わず願い通りにクロは四つん這いになる。
「死にさらせっっっ!!!」
クロの背中を踏んづけて、「楽園」まで飛んでく勢いで大跳躍。
ぐしゃっ。
血と、よくわからねぇ液体を飛ばしながら、おっさんが木の棒のように硬直して、どすっと倒れる。
障害物に当たって、体が前に傾いたからよ、
「ふんっ!」
強引に体を二回転させて床に着地する。
でもよ、そんくれぇじゃ体ん中の炎が消えるはずもねぇ。
ずんずん歩いていって、でっぷりした腹の、アペリオテス国の宰相を見下ろす。或いは、見下す、でも問題ねぇ。
禿げ頭を蹴ってみた。
反応がねぇ、ただの屍のようだーーとはならず、しぶてぇことに、まだ生きてるようだ。
「ーーーー」
ここで宰相を殺すのは簡単だが、そりゃあたしがやっことじゃねぇ。アペリオテス国のことは、アペリオテスの奴らが決めっことだ。
甘ぇ考えかもしんねぇが、部外者であるあたしが介入していいのはここまでだ。
「宰相の下でいいのか、てめぇらのことはてめぇらで決めやがれ! ってことでっ、あたしは逃げっから! 追い掛けてくんじゃねぇぞ!!」
ってわけで、すたこらさっさ~。
しめしめ、一応念押しはしておいたが、騎士どもは行動を決めかねてるようだ。
半分くれぇは「薔薇の姫」の痴態に、膝を突いて絶望してるみてぇだが、簒奪に加担した、王太子を守らなかった、守れなかった奴らのことなんて知ったことか。
「何撒いたんだ?」
謁見の間の扉をでた直後に、クロが液体を、ばしゃっとやったから聞いてみたら。
「姫さま人気は侮れないですからね。幻想が打ち砕かれたことを逆恨みした者が、幾人か追い掛けてくるかもしれないので、『とてもよく滑る液体』を仕掛けておきました」
ごしゃっ。
後ろから、まるで人間が滑って転んだような音が聞こえてきたが、無視だ、無視。
今回は、偽物だの魔術だの言い出す奴はいなかった。
さすがに隣国までやってくるんだから、「薔薇の姫」で間違いねぇと、涙ながらに認めやがったってことか。
「さて、これからどうなさいますか、姫さま。勝手知ったる聖王国と違い、王都から逃げ切るのは不可能かと思いますが」
「って、こらっ、そんな楽し気な顔で見てくんじゃねぇ! ったく、そうだよっ、クロの予想通り、算段があっから宰相に降らなかったんだよ!」
ああっ、どいつもこいつもっ、そんなに猫万匹の「薔薇の姫」が大好きか!
あのおっさんは、ラスを殺ったと言ったその口で、アペリオテス国の王となる自分の妃になれって言ってきやがったんだ。
人を殺してぇと思ったことは何度もあったがよ、実行しようと思ったのは二度目だ。勿論、一度目はクロだ。今も、のうのうと生きていやがるがな。
「さすがに見られんのはやべぇ! クロっ、人払いの魔術、使えっか!?」
「んー、そうですね。このまま捕まってしまうと、姫さまは、あの中年の餌食になってしまわれますから。嫌がる姫さまを観察するのも、乙なものであるかもしれませんが、私の予定を狂わせたあの男に対する処遇をどうするかは、一考の余地がありますしーー」
って、態とか! 下手すりゃ、あの変態っぽいおっさんに、あれやこれやいいようにされちまうってのに、ゆっくり吟味なんかしてんじゃねぇ!
「ったく、早く決めがやれ!」
目指してるのは、居館の裏手。見覚えがある居館が視界に入ってから、窓から飛び下りる。
ちっ、使用人らしき奴に見られちまったが、ここまでなら問題ねぇ。
「仕方がありませんね。姫さまが目指されている場所に興味もありますし、もう魔術を行使したので、のんびりと昼寝していっても大丈夫ですよ」
着地すると、クロが請け負ったからよ、あたしは呼吸を整えてから歩いて向かう。
見上げると、あたしたちを目撃した使用人が窓から顔を出してるが、堂々と歩いてる二人を見失ってる。
「向かわれている先は、別館となると、隠し通路か何かでしょうか?」
「昔な、アペリオテスの王城を探索してっとき、宝物庫が見つかんなくてな」
「ああ、そういえばそのようなこともありましたね。姫さまが十二歳のときでしたか。あの頃の姫さまは、情報収集の能力をーー難点を克服しておられませんでしたから、見つけ出すことが敵わなかったのですよね」
「そーゆーこった。でだ、悔しくて夜も寝られなかったあたしは、ラスの居室に忍び込んだ」
「夜這いですか、姫さま。クロッツェは、積極的な姫さまは嫌いではありませんよ」
「何だかんだで、ラスの奴は肝が据わってたな。『眠れないのでお話をしに来ました』と言ったら、夜中に忍び込まれても驚きもせず、素直にあたしの言葉を信じやがった」
馬鹿の言葉を無視して、話を先に進める。
ただのなよっちぃ奴としか思ってなかったラスを意識したのは、そのときが初めてだった。そして、ラスの人の好さに危機感を抱いたのもこんときだった。
「ラスの奴にな、『いざとなったら私がラスティ様を助けて差し上げます。そのためには資金が必要です。宝物庫の場所を教えていただけますか?』って聞いたんだ」
「…………」
珍しい。表情は変わってねぇが、クロの奴が言葉を詰まらせてやがる。ラスの人の好さは、傅役すら黙らせる、ってか。
「困った御方ですね、ラスティ様は。人が好いにもほどがあります。いえ、もしかしたら、姫さまに好きになってもらおうと、四苦八苦しておられたのかもしれませんね」
どうだろうなぁ。ラスの人の好さは、次元が違ったかんな。
そんなもんがあるなんて思ってもみなかった、あたしの庇護欲って奴が反応したくれぇだからな。そうじゃなきゃ、孤児院なんて建てなかった。
あたしの内のあたしを引き出したラスに目をつけて。爾後あたしの番とすべくカイキアスとアペリオテスで様々な工作活動をすることになる。
運命なんて、待つものじゃなくて、引き寄せるものだからな。そのための努力は惜しまねぇ。
「二つ目のここだなーー、って、おいおい、開いてやがるぞ」
「不用心ですね。仕方がありません、戸締まりはしっかりとしないといけませんからね」
魔術なのか、或いは何かを操作したのか、扉が閉まっていく。
「小薔薇」袋から、クロが作った携帯用の小型の角灯を取り出そうとしたら、
「侵入者がいるのでしたら、急いだほうが良いのかもしれませんね」
「光球」が灯る。
通路が狭ぇから、一つで十分ってことか。足元を確認、滑らねぇってことなら、一気に行くか!
「いくぞっ、クロ!」
先行してる相手に気づかれても構わねぇ。追いつくことを優先する。多少なら、傷ついてもあとで「治癒」すりゃいい。
燻ってた炎が、再び猛って心を焦がすままに、駆け抜けていく。
「なっ、何だ!? 誰だっ、追っ手か!?」
出迎えは、聞き覚えのある情けねぇ声。あたしは下に転がってた見事な硝子細工を、むんずとつかんで、顔面目掛けて投げる。
「ひぃっ??」
あ、ちくしょうめが、しゃがんで避けやがった。いや、頭抱えて怯えてる姿からして、偶然か。
宝物庫、じゃなくて宝物のある洞窟ーー宝窟ってとこか。狭ぇ通路を抜けっと、そこそこ大きな、庶民の家が丸ごと入るくれぇの空間につながってて。
で、そこには金銀財宝がどばっと、うっはうはーーなわけだが。
そんなもんには目もくれず、あたしは本当の歳より老けて見える四十格好のおっさんを怒鳴ろうとしてーー。
「ーーはぁ~」
このままじゃ猛炎に焼かれちまうと、それでも構わねぇって、がんがん響いてやがるからよ、二千匹だけーー日向の匂いがする猫どもを抱き締めてやる。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
「グレイル・イメルダ・スナフ・アペリオテス王。こんなところで何をしてるのかしら?」
少しだけ冷静になって見澄ますと、グレ以外に王妃と侍女が二人いる。
取るものも取り敢えず逃げ出してきたのか、首に掛けたりポケットに詰め込んだり。宝物を持てるだけ持ってとんずら放くってぇところに、颯爽とあたしがやってきたってわけか。
「リップス姫!? ……なのか? 『貴公子』がいるのなら、本物……?」
「あなた。彼女は、本物のリップス王女です。あの赤眼の輝きは、王女以外の何者でもありません」
やっぱ王妃は油断がならねぇ。前に来たときも感じてたが、あの冷てぇ瞳は、修羅場を潜った人間に特有のものだ。
だが今は、あたしの敵じゃねぇからどうでもいい。てか、この王様、わかってんのか?
あんた、確実に王妃に利用されんぞ。そんで、使い道がなくなった途端に、ぽいっとお役御免。
「さて、どういたしましょう、姫さま。逃げ難いように、両足を千切ってしまいましょうか。ああ、いえ、両足ではたぶん逃げられませんね。やはり片足にしておきましょう」
「そっ、そのようなことっ、余に! 余にしてっ、許されると思っているのか!」
クロが王様で遊んでいる間に、あたしは考える。でもよ、その前に、これだけは聞いておかねぇとな。
「ラスティは、どうして死んだのかしら?」
「うっ……」
「ラスィは、この人を逃がすために、少ない手勢で立ち向かいました。私の息のかかった者が偽装してくれたでしょうから、この場所が知られることはないでしょう。あなたの行動如何によっては、指針の変更を余儀なくされるかもしれません」
「心配しなくても、クロッツェが魔術を使ったから、ここがバレることはないわ。それにーー、決めたわ。私は、いえ、私たちは、あなたたちに何もしない。どこへなりとも逃げるがいいわ」
ああ、やっぱ駄目だわ。猫ども、アペリオテスに来るまでのように、あたしを埋めてくれ。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
にゃー。にゃ~。
やっぱり、にゃんこたちは温かいわね。沁み込んでいくように、私の心が決まる。
ラスティが命を懸けて助けたんだもの。私には、無理ね。
だからーー。
勝手に野垂れ死ぬといいわ。子を見捨てて逃げた親として、出来得る限りに苦しんで、「楽園」に旅立ったラスティとは違う、「冥府」に堕ちるといいわ。
ーーそうなれば、あとはやることは一つね。
ぱんっ。
私は手を叩いて、盲目的についていこうとしている二人の少女の、侍女の気を引く。
「あなたたち、そのままついていってもいいのかしら。選択肢がーー選べる道がまだある内に、自分が歩く道は自分で決めたほうがいいわよ。ここから先の、未来はわからない。でも、私が予言してあげる。あなたたちは、そこの二人に、いいように使われて、要らなくなったら、ゴミのように捨てられるわ」
私より少し背の高いーー面影が親友に似てるかしらーー二つか三つ、年上だろう聡明そうな少女の明るい色の瞳に光が、知性の輝きが宿る。
「あなた、行きますよ。スリン、ついてくるのなら、あとを追ってきなさい」
「えっ、な…、ほ?」
ほんと、よくこの王様でアペリオテス国は持ってたわね。
王妃に背中を押されて、とっととご退場。
慥か、王妃には隠し子がいるって噂があったから、しぶとく生き残って、数年後には子を擁してアペリオテス国を奪い返してるかもね。
「え、えっ、えっ? 行っちゃうよ! スリンちゃんっ、どうするの!?」
通路の先に二人が消えると、王妃に名前を呼ばれなかったほうの少女が騒ぎ出す。
同い年くらいかしら。私より身長が低く、そして、丸っこい。
そこまで太ってるわけじゃないんだけど、ぷにぷに、というより、ぶにぶにしてる? 悪い意味での、貴族の娘っぽいんだけど。
王族の侍女になれるのだから、身分は高いはず。見たまんまだと、ぶにぶに娘が甘やかされて育った貴族の娘で、スリンのほうが厳しく育てられたーー苦労性の娘ってところかしら。
「リップス王女。顧みる機会を与えていただき、感謝いたします」
「ええ、存分に感謝しなさい。そして、恩人と思ってくれてるなら、あなたたちの関係にちょっと興味があるから、話してちょうだい?」
別に、話したくなければ話さなくてもいいわよ。という雰囲気を醸す。こういう几帳面そうな娘には、命令するより選択肢を与えたほうが効きそうね。
「フォーノ。話しても良いですか?」
「え、えっ、えっ? そんなのわからないよ~!」
「駄目です。しっかりと考えなさい。そうしないとこれから、フォーノ様、と呼びますよ」
「やだやだやだやだ~っ。む~、ちょっと待って、考えるから、ちょっとだけ待って!」
フォーノーーいえ、丸娘でいいわーー丸娘が貴族の娘で、彼女だけだと心配だと、しっかり者のスリンも一緒にーーということのようね。
「わかんないよ~。スリンちゃんに任せる!」
自分に厳しく他人に甘い、なんて人間がたまにいるけど、スリンがどうもそうらしいわね。まあ、それだけでなく、丸娘に厳しくしても逆効果だと、悟っているのかもしれない。
「驚かれるかもしれませんが、フォーノは、伯爵家の娘です」
「別に、驚きはしないわ。ある意味、典型的な娘だもの。それよりも、私はあなたのほうに興味があるわ。今の私の言行に触れても、驚いた様子もブレた感じもない。それはどうしてかしら?」
考えを整理するためかしら、或いは癖なのか、右手の人差し指を額に当てて、一拍。閉じた目を開けると、スリンは淀みなく話し始める。
「リップス王女が十二歳のとき、アペリオテス国を訪問なさいました。王女様は、侍女たちの間でも人気で、フォーノが粗相をしないよう裏方を願い出た私たちの要望は、侍女長に受け入れられました」
「そ~なんだよ~。あたしは王女様を近くで見たかったのに、スリンちゃんの意地悪~!」
今、見れてるじゃない。とか言おうとしたけど、面倒臭いことにしかならなそうなので、黙ってスリンを目線で促すことにする。
「初めてリップス王女のお姿を拝見したとき、これほどまでに美しい、完璧な方がいらっしゃるのかと、放心してしまいました。ですが、遠くから見ていた所為でしょうか、ふと、違和感が生じました。その違和感の正体に気づいたのは、王女様が帰国なさったあとでした」
「完璧であったが故の、違和感でしょうか?」
「あっ、はいっ、『貴公子』様の仰る通りですっ! 完璧な人間など存在しないっーーというのが私の持論のようなものでっ、そのために努力を怠ってはならないとっ、自分に厳しくしてまいりましたのでっ、王女様の完璧さの裏にはっ、何かあるのではないかとっ、そんな風に思っていましたっ!」
弱点、とか言ったら可哀想だけど、わかり易いなぁ。
クロッツェが嘴を挟むと、早口で捲し立てるスリン。色男、というか若い男に免疫がないのか、普段の凛々しい姿と今のいぢらしい姿とのギャップに、ほんわかしてしまう。
いえ、観賞して楽しんでいる場合ではなくて。相手によっては、猫万匹ではなく、五百匹くらい足元で遊ばせておいたほうがいいってこともあるようね。
うん、参考になったわ。
「何だか、あたしが蔑ろにされてる~。あたしのほ~がお姉ちゃんなんだから、敬いなさいよ~!」
ーー何ですって? 何を冗談言ってるのかしら、この丸娘は。
「スリン。この丸娘は、私と同い年くらいじゃないの?」
「いえ、私は十七で、フォーノは十九になります。遅くに授かった子ですので、ーーあとは説明せずとも、わかっていただけるかと」
ええ、わかったわ。わかりすぎるくらいにわかったわ。このぶにぶにした丸っこさは、甘やかされまくって育った象徴なのね。
あたしが心の底から納得していると、何が気に入らなかったのか、丸娘が反駁する。
「あたしはね、やればできる子なんだよ! 礼儀作法だって、ちゃんと身につけたんだから!」
すたすたすたすた。がしっ。
「いはいいはいいはいいはいっ、スリンちゃん! いばばばっ、おーじょはまがいじめう、たすへべ!?」
丸娘の頭を掴んで、ぎりぎりと力を籠める。それだけじゃ足りない気がしたから、指で頬を両側から挟んでやる。
「礼儀作法なんてものはね、呼吸みたいなものよ。できて当たり前。私がどれだけ努力してきたと思ってるのよ。そうは見えないでしょうけど、あなたの頭を締め上げてる、この腕力も、鍛錬を欠かさなかったから手に入れたものなのよ。王女に生まれた者の義務として、何より、自分の未来を自分で、それなりに決められるようにするためにーー」
ーーそれが何の役に立ったのか。
仕舞った。隠していたものが、ヘドロのような溶岩が溢れてしまった。
ーー今、聖王国はどうなっている。これまでの努力は、ただ逃げ出すことのためだけに、積んできたものなのか。何もできない、無意味だったと、無価値だったと、認めるのが怖いのか。
「ーーっ」
スリンが駆け寄る前に、丸娘を放す。
転んでもただでは起きないのか、丸娘は宝物を集め始めたので、蹴飛ばしてやる。
「きゃうっ!?」
スリンが駆け寄って、丸娘を起こして。この娘もお人好しね、今はミースに似たスリンに嫌われたくないから、さっさと説明してしまう。
「お金っていうのはね、扱うにも器量が必要なのよ。外の世界は残酷よ。あるとわかれば、集られる、奪われる、下手をすれば、命まで危うくなる。持ってる者、余裕がある者ってね、見ればわかるものなのよ。宝物を持っていくのなら、困ったときにどうにかできるーー程度にしておいたほうがいいわよ。これから伯爵家に戻れるのなら、たんまり持って帰ってもいいかもしれないけどね」
「え、えっ、ええっっ!! お家に帰るんじゃないの!? 帰れないの?!」
またぞろ丸娘が騒ぎ立てる。
本当に、何でそんなこともわからないのかしら。頭を使わずに錆びた人間っていうのは、こんな風になってしまうものなのかもね。
「フォーノ。良く聞いて。ーー今は無理なの。私たちは、ここを出たあと、アペリオテス王に見捨てられて、死んだことにする。私たちはアペリオテス王へとつながる手掛かりだから、宰相が失脚するかほとぼりが冷めるまで身を隠す必要があるの」
「当てはーーあるようね」
「はい。ーーフォーノを一人にはできないので、伯爵家に戻れるか、フォーノが結婚するまでは一緒にいようかと……」
「ええっ、やだよ! そうだっ!! あたしっ、スリンちゃんと結婚するから、それなら問題ないよ! 一生一緒にいよ!! うぇ……きゃうんっ!?」
すたすた。げしっ。
あともう一つ、聞かないといけないことがあるんだから、丸娘は黙っていてちょうだい。
今度は蹴飛ばしても、スリンは丸娘をそのままに、宝物を幾つか拾って立ち上がる。
「フォーノ。あなたが持つと、直ぐになくしてしまうから、あなたの分も私が持っておきます。それとリップス王女。私が知る限りの、カイキアス国に関する情報や噂をお伝えします」
顔に出ていたかしら。いえ、聡明なスリンのことだもの、私が最も欲してるものに気づくのも当たり前のことね。
それから、ふう、やっぱり、お人好しなのも考えものね。
彼女の表情が物語っている。聞かないほうがいい、そんな情報だってこと。
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