竜の庵の聖語使い

風結

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三竜と魔獣

竜の庵  添い寝の相手

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「ぱー」

 イオリの寝言に重なるような風の音。
 今日は風竜の機嫌が良いのか、外では風が元気に遊び回っているようです。

 でも、このくらいなら「聖語」を刻まなくても「庵」は大丈夫です。
 いったん風が治まると、ティノの左頬に、和毛にこげのようなやわらかい感触。

「……っっ!!」

 須臾しゅゆ
 ティノの魂が覚醒しました。
 そう思えるほどの、衝動。

 今、「結界」の内側にいるのは、ティノとイオリとーーもう一人。
 いえ、もう一竜。
 そう、ティノの隣で誰かが寝ていたとするなら。
 答えは一つしかないのです。

 ティノは天に向かい、右腕を突きあげながら、右足を立てます。
 そうして、左肩を抜くと同時に、曲げた左足も潜らせます。
 それから、うつ伏せの状態で四肢が床に触れた瞬間。
 床が壊れるほどの勢いで、跳ね上がります。

 ティノが立ち上がった、すぐあとに。
 ぼとっ、とティノの上にいたイオリが落ちる音が「庵」に響きます。

 ーー電光石火。
 雷竜も光竜も拍手してくれています。
 もう一度やれ、と言われてもティノにはできる自信がありません。
 それほどの、奇跡的な立ち回りでした。

 「石」が地竜なら、「火」は当然、炎竜。
 ティノの魂を焦がした相手を、彼が凝視するとーー。

「そんなに嫌がられると、さすがに傷つくかの」

 そこには、仔犬が居ました。
 いえ、仔犬ではないようです。
 仔狼が正解、ではなく、小さくなったマルが居ました。

「……ふぅひぃあ~~」

 ティノの周辺で遊んでいた四竜が飛び去っていった瞬間。
 全身の力が抜け、ティノは崩れ落ちました。

「……アリスさんかと思った」

 ティノは何とか、それだけを口にしました。
 全身の毛穴が開いたかのような、痺れと鈍い痛み。
 呼吸をしているのに、それを実感できません。

「そこまでは考えておらなんだ。浅慮を詫びようかの」
「あー、やっぱりマルなんだ。喋り方が違うけど」
「あれは格好つけだの。雄偉な姿をしておるゆえ、それに合わせた喋りにしておったのだ」

 何事もないかのように話しているマルですが。
 つい先ほどまで、魔力を軋ませていたことなどおくびにもだしません。

 実はマル。
 アリスと別れてからずっと、こころみに「仔狼化」ではなく「縮小化」を行っていたのです。
 魔獣の尊厳をかけ、取り組んだ結果。
 「縮小化」が叶いました。

 でも、本当は。
 通常の狼のサイズになりたかったのですが。
 「仔狼」サイズにしかなれなかったのです。

 そうこうしている内に、日は昇って。
 まことに遺憾いかんながら、時間切れ。
 「庵」に不法侵入した、というしだいです。

「それ、初めてをくれてやろうかの。撫でて良いぞ、……と、じゃが、優しくやってくれると嬉しいかの」

 初めて、というのは本当のことです。
 三千周期。
 今更ながら、他者と触れ合ってこなかったことに後悔を抱きながら。
 マルは。
 震えを隠すように、頭を前にだしました。

「……何ゆえ、わしの尻尾を撫でておるのかの」
「いえ、だって、こんなにフサフサでモフモフなんだから、自然に手が動いたとしても、たぶん僕の所為じゃないと思うよ」

 言い訳しながらも、一向に手をとめる様子はないティノ。
 ティノは知りませんでしたが、通常の仔狼の尻尾は、このようにフサフサでもモフモフでもないのです。
 細長く、垂れていて、撫でるには適していません。
 マルは覚えていませんが、もしかしたら狼以外の血が混ざっているのかもしれません。

「気持ち良い、ような気はするが、何というか、ムズムズする感じ、かの」

 マルの意思を代弁するかのように。
 ティノの手から逃げるように尻尾が振られます。

「じゃあ、他のところも撫でてみるね」
「もう、好きにするかの」

 お許しがでたので、ティノは好きにさせてもらいました。

「ゥゥ……」

 変に意識してしまっている所為か、敏感になっているようです。
 マルは、雄叫びを上げたいのを必死に我慢します。

 今後、ティノと行動をともにするのなら、「仔犬」のふりをする必要があります。
 今から、慣れておかないといけません。
 それはわかってはいるのですが。
 優しく、とお願いしたのに、ティノの手は。
 昨夜の炎竜のように遠慮がありません。

 そこら辺は、周期頃の少年ということでしょうか。
 他者を思いやる気持ちが、若干欠けてしまっているようです。

「朝っぱらから、何をしているのよ」
「あ。アリスさん、おはようございます」

 扉を開け、姿を現すまで、マルは気取ることができませんでした。
 遁走しようと力が入った後ろ脚から。
 ぎりぎり、何とか力を抜くことができました。

 炎竜との対面。
 ここで対処をあやまれば、アリスの下風に立つことが決まってしまう重大事ーー。

「ぱー」
「はい。アリスさん、どうぞ」
「ほ……?」
「……は?」

 ティノは、笑顔で差しだしました。
 反射的に、アリスは受け取ってしまいました。

 あまりと言えばあまりの事態に、マルは硬直。
 それも無理はありません。
 ーー炎竜の掌の上の魔獣。
 こんなことが起こるなど、夢にも思ったことはありませんでした。

「……じゃから、どうして尻尾から撫でるのかの」
「あら、焼けた毛は、元通りになっているのね」

 さすがは竜、と言ったところでしょうか。
 ティノとは違う、繊細な手つき。
 そうでなかったなら。
 マルは反射的に逃げだしていたでしょう。

「あれ? 尻尾のつけ根に、濃い毛がある」
「それはスミレ腺ーー臭腺しゅうせんよ。臭わないということは、魔獣として生じたときに機能は失われたのかもしれないわね。頭骨のラインとか、犬と狼には違いがあるのだけれど。マルっころは、普通に仔犬で通りそうね」

 「犬っころ」から「マルっころ」に昇格しました。
 なぜか、それを嬉しく思ってしまった自分を、マルは叱咤しったしました。
 でも、人柄、いえ、竜柄でしょうか、アリスに撫でられるたびに、その温かさが伝わってくるようで。
 うっかり、眠ってしまうところでした。

「マル。アリスさんに抱かれていても問題ない?」
「……竜とは、魔力の相性が悪いからの。……多少、ぴりぴりはするが、我慢できぬほどではない」

 尻尾を振らないようにするので精一杯。
 マルはティノの意地悪な問いに、無表情で答えます。

 でも、ばればれ。
 ティノにも見抜かれているのですから、猶の事。
 アリスをたばかることなどできようはずがありません。

「ぱぅー」
「この状況で寝ていられるなんて。竜の本能をどこに捨ててきてしまったのかしら」
「はい。じゃあ、イオリを起こしますね」

 そんなわけで、ティノはイオリを噛みました。
 どこを噛んだかは秘密です。

「ひっ!?」
「ワヲっ!?」

 目の前で行われた、邪悪な儀式に。
 アリスとマルは顔を引き攣らせました。

「ティ~ノ~、おはや~」
「てぃ、ティノっ! あなたっ、何てところを噛んでいるのよ!!」
「ワヲっ、ワヲっ、ワヲ~っ!!」

 動揺する一竜と一獣。
 マルはアリスの手から落ちますが、そこは魔獣。
 しっかりと着地しました。

「え? どこって、その都度、最適な場所を噛んでいるだけですよ」
「マジュマジュ~、はっけ~ん」
「ほ……?」

 のしのしと四つん這いで歩いてきたイオリは、頭からマルのお腹に当たります。
 そして、そのまま頭でぐいっと押しました。

「やめっ、やめっ!? そこはっ、まだ慣れて!?」
「な~でう~、な~でう~、もりもり、な~でう~」

 イオリは、仰向けになったマルのお腹を、顔でぐりぐりしました。
 「角無し」でも竜。
 微妙に顔の位置を修正し、マルを逃がしません。

「な~でう~、な~でう~、やまもり、な~でう~」

 一人と二竜と一獣。
 「庵」に四者が集まるなど、初めてのことです。
 「竜盛り歌」が響き渡る、そんなにぎやかな場所で。

「……っ、ワヲ~~っっ!!」

 吹きつける風を打つ消すような、マルの断末魔、もとい悲鳴が木霊こだまするのでした。
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