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炎の凪唄
ラクン・ノウ
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不思議な感触に、手を見る。
剥き出しの土に触れているのに、触れていない。
「風の絨毯、と言ったところです。寝心地は悪くないでしょう?」
アルの声。
アルの魔法。
どちらも心地好く、そのまま瞼を閉じたい欲求が湧いてくる。
「ラクンさんのお尻が盛大に汚れてしまいましたが、綺麗にしてから乾かしておきました」
「そうか……、ありがとさん」
どこまで洗浄されたのかは、精神衛生上、考えないことにする。
通り掛かった人獣は、俺たちに気づかない。
アルの魔法だろう。
「体は大丈夫なようですね。記憶のほうはどうですか?」
「ぜんぶ覚えている。……そう、ぜんぶ覚えているんだよなぁ」
俺は、魔雄ハビヒ・ツブルクだった。
成り切っていた、のではなく、本人そのものとして行動していた。
幻想団にいた頃。
演技をしていて、のめり込んでしまうのが俺の欠点だった。
「欠点を直すどころか、完膚なきまでに悪化させるとは」
魔法を使ったわけではない。
アルの演技指導を受けただけだ。
「もっと手助けが必要かと思いましたが、『くいっ、くいっ』以外は問題ありませんでしたね」
「うぐ…、言ってくれるな」
虎人の剣を弾くために、くいっ、と手首を振った。
俺は、本当に手首を振っただけだった。
アルが魔法で弾いてくれたというのに、自分でやったと信じて疑わなかった。
羞恥心で悶えそうになるが、アルを楽しませるだけなので我慢する。
煮込みを食べられたことにも驚く。
あのとき俺は、本当に美味しいと感じていたのだ。
体の反応に、認識。
人種の能力は、計り知れない。
ただ、それらもアルの手助けがあったからこそ成り立つものだった。
「最後のは、蛇足だろう」
「ああ、剣での勝負ですか? あれは確認です。本番でしくじっては困りますから」
ーー本番。
もう決めたことだ。
とやかく言っても仕方がない。
後悔噬臍だ。
そうは言ってみても、やり直せるのなら、やり直したい。
ーー命の恩人の、アル。
大鬼の死体が散乱し、吐き気を催す酷い臭気の中。
お礼を言うと、アルは、人夫として手助けするよう求めてきた。
力仕事くらいで恩が返せるならと、同行した。
行く先は、オーガの住み処。
そこで、俺は見つけてしまった。
黴が生え、半ば溶けている本に挟まっていた、一枚の羊皮紙。
ーー魔雄ハビヒ・ツブルクの遺産。
その在り処が記されていた。
しかし、肝心の遺産の場所が、描かれていなかった。
本から食み出していた、羊皮紙の下部に記されていたらしく、判読は不可能。
投げ捨てようとしたところで、アルに手をつかまれた。
ーー遺産の場所がわからないのなら、知っている人から聞きましょう。
今から思えば、悪魔の誘いだった。
一度、死んだはずの命。
幻想団から逃げ出し、冒険者になっても変わらず。
何をやっても上手くいかない鬱憤もあった。
そうして俺は、アルの仲間に、或いは共犯者になった。
ーー四英雄。
唯一の生き残りである、絶雄カステル・グランデ。
ミュスタイアの王である彼から聞き出すべく、アルは策を練った。
「あれで良かったのか? アルなら、もっと強大な魔法を見せつけるとか、できただろう?」
「そうですね、それも一つの手でした。ですが、あまりやり過ぎると、『あれは魔雄だった』と断言されてしまいます。断言だと、それを聞いた人は、『有り得ない』と、否定してしまいます。そうすると、噂が広まらないかもしれません。ですので、『あれは魔雄かもしれない』と、曖昧にしておくことで、想像力が入り込む余地を残しておくことで、程好く拡散してくれるのではないかと、そういう狙いです」
噂とは、娯楽だ。
良くも悪くも、興味を持たれる必要がある。
幻想団では広報もやったが、手足となって働いただけだ。
これらの分野ーー頭脳労働は、アルに任せるほかない。
「これでもう、一蓮托生だ。そろそろアルのこと、教えてくれ」
「一連托生、というのは違いますね。どうにもならなくなったら、僕は逃げます。絶雄が相手ですから、ラクンさんを連れて逃げる余裕はありません。ーーそういうわけで、事前の罪滅ぼしということで、僕のことを話しましょう」
ーー罪滅ぼし。
つまり、やばくなったら、俺を囮に使い、逃げるということだろう。
仄聞するところによれば、絶雄は、もうすぐ天命が尽きるらしい。
衰退期に入っているとなれば、アルなら逃げ切れるかもしれない。
「ーーラクル・アル・ファリア。この名からわかる通り、僕は貴族の家系です。ですが、一度、ファリア家は、他者に所有されてしまいます。僕が、十歳のときです。父と母が汚名を着せられて処刑されてしまい、祖父母は一旦、ファリア家を手放さざるを得なかったのです。屋敷を離れる際、倉庫の荷物を纏めていたときに見つけたのが、日記です」
アルが手にする、古びた本。
魔雄ハビヒ・ツブルクの日記。
恐らくは、魔法が使われているのだろう。
年月を閲している割には、破損箇所はない。
千年の間に、二度、言語は大きな変遷をたどった。
専門家でなければ、古代期の文字など読めない。
当然、中世期の文字だってちんぷんかんぷんの俺では、真偽すらわからない。
「この日記のお陰で、ラクンさんの役作りが捗りました」
冗談のつもりなのかもしれないが、まったく面白くない。
日記の価値は、途轍もないものだ。
それこそ、日記と引き換えに、絶雄から「魔雄の遺産」の情報を引き出せそうなものだが、何故かアルは、首を縦に振らなかった。
アルは平然としているが、もしかしたら、日記には絶雄の目には触れさせられない、碌でもないことが記されているのかもしれない。
絶雄と魔雄は、というか、四英雄は、家族のように仲が良かったと伝わっているが、獣種に人種、男に女、何らかの確執があったとしても不思議ではない。
「それと、こちらは初めて見せますね。日記と一緒に見つけた、魔雄ハビヒ・ツブルクの『魔法の手引書』です」
「……は?」
「これは凄いですよ。日記は、莫大なお金になりますが、手引書は、持っていることが知れたら、命を狙われます。国が所有していたら、戦争を吹っ掛けられます。手引書は、世のため人のため、焼いてしまったほうが良いのかもしれませんね」
俺は、早まったのかもしれない。
もしかしたら、楽には死ねないかもしれない。
「祖父が言っていました。『わしらは、魔雄ハビヒ・ツブルクの系譜だと祖父が宣っていたが、冗談ではなく、本当だったのかもしれない』と。ファリアの家系には、ときどき魔力量が多い者が生まれるのですが、ーー本当に、助かりました」
「……俺は今、ファリア家を奪い取った、アルの敵に同情した」
「初級篇を終えたときには、敵はもう、敵ではありませんでした。障害物ですらありませんでした。ファリア家を取り戻すついでに、父と母の処刑に加担していた者たちを脅したら、ファリア家は、新しく領地を得て子爵から伯爵になりました。『わしが死ぬまで、世界を見てきなさい』と、祖父が勧めてくれたので旅をしていたら、ラクンさんが、何かをやり遂げたような顔で死を受け容れていたので、何となくムカついて助けました」
アルの表情を見るに、どうやら本気で言っているらしい。
確信した。
アルは、危険人物だ。
絶雄カステル・グランデが天寿を全うしたら、アルを止められる存在がいなくなってしまう。
ここで絶雄を訪ねるのは、天命だったのかもしれない。
「実感した。四英雄の、周囲にいた者は、こんな気分を味わったんだろうな。ーー隔絶した力。それを持っていることは罪ではないと、そう断言できる者は、俺と違って心が強いんだな、きっと」
「日記と手引書を読んだ限りでは、僕はやっとこ、魔雄ハビヒ・ツブルクの足元に及んだところです。絶雄が天寿を全うすれば、四英雄は、全員寿命で亡くなったことになります。誰一人、彼らに手が届かなかった」
「俺は、アルが嘘吐きだということを知っている。まさか、絶雄を倒そうとか、そんなことを考えているんじゃないだろうな?」
衰退期に至った絶雄を倒そうとする者は多いと聞く。
全員返り討ち。
相対した瞬間に、立っていられた者ですら稀らしい。
剣を抜かせた者はなく、拳の風圧で吹き飛ばされる。
「強くなることに興味はあっても、それを証明することに意味を見出すことができません。僕は、四英雄のような生き方はしたくありません。ーー自分が知らない者が、自分を知っている。僕が嫌いなことの、一つです。僕は、小さな世界で穏やかに生きられれば、それで満足なのです。仮に僕が、『英雄』にならなければならないとしたなら、ラクンさんを隠れ蓑にさせてもらいます」
困った。
そうなったら、アルと旅を続けられると、喜んでしまった。
錯覚だったとしても。
生まれて初めて、自由に生きていると、自分らしく生きられていると実感している。
噛み合わなかったものが、がっちりと嵌まり、回り始めた感触。
「ーーそうだった。煮込みだが、あれで大丈夫だったのか?」
店主に言ってしまった。
爺さんのほうが美味しかったと、何の確証もないというのに。
「そこは問題ありません。ツヴィングリの極まり具合は、その濃度は、魔力で量ることができます。日記に記されていた内容と比較して、店主さんは、あと一歩と半分くらい、お爺さんに及んでいません」
「あれより酷いのか。魔雄ハビヒ・ツブルクは、実は、人種じゃなかったんじゃないか?」
「味覚に障害があったようですね。魔法によって中和できるまでは、ラクンさんと同じくお腹を壊していたので、好物だというのに、あまり食べられなかったようです」
暑い季節を過ぎた、穏やかな昼下がり。
このまま大地の女神に抱かれていたいが、そういうわけにもいかない。
洗浄された、腹の中は空っぽなのか、虫さんは大暴れ。
「さてと、領都に行く前に、まずは腹ごしらえと洒落込むか」
立ち上がり、アルに、手を差し出す。
「噂が広まるまで、二、三日と見ていますので、王都を見物しながら向かいましょう」
魔法を解いたアルは、笑顔のまま俺に手を引っ張られる。
おんぶにだっこだったとしても、利用されるのだとしても。
構わない。
アルの前を歩いてやろう。
今の俺には、横を、並んで歩く資格はないから。
アルの前で、特等席で、ここから見える風景を楽しんでやる。
剥き出しの土に触れているのに、触れていない。
「風の絨毯、と言ったところです。寝心地は悪くないでしょう?」
アルの声。
アルの魔法。
どちらも心地好く、そのまま瞼を閉じたい欲求が湧いてくる。
「ラクンさんのお尻が盛大に汚れてしまいましたが、綺麗にしてから乾かしておきました」
「そうか……、ありがとさん」
どこまで洗浄されたのかは、精神衛生上、考えないことにする。
通り掛かった人獣は、俺たちに気づかない。
アルの魔法だろう。
「体は大丈夫なようですね。記憶のほうはどうですか?」
「ぜんぶ覚えている。……そう、ぜんぶ覚えているんだよなぁ」
俺は、魔雄ハビヒ・ツブルクだった。
成り切っていた、のではなく、本人そのものとして行動していた。
幻想団にいた頃。
演技をしていて、のめり込んでしまうのが俺の欠点だった。
「欠点を直すどころか、完膚なきまでに悪化させるとは」
魔法を使ったわけではない。
アルの演技指導を受けただけだ。
「もっと手助けが必要かと思いましたが、『くいっ、くいっ』以外は問題ありませんでしたね」
「うぐ…、言ってくれるな」
虎人の剣を弾くために、くいっ、と手首を振った。
俺は、本当に手首を振っただけだった。
アルが魔法で弾いてくれたというのに、自分でやったと信じて疑わなかった。
羞恥心で悶えそうになるが、アルを楽しませるだけなので我慢する。
煮込みを食べられたことにも驚く。
あのとき俺は、本当に美味しいと感じていたのだ。
体の反応に、認識。
人種の能力は、計り知れない。
ただ、それらもアルの手助けがあったからこそ成り立つものだった。
「最後のは、蛇足だろう」
「ああ、剣での勝負ですか? あれは確認です。本番でしくじっては困りますから」
ーー本番。
もう決めたことだ。
とやかく言っても仕方がない。
後悔噬臍だ。
そうは言ってみても、やり直せるのなら、やり直したい。
ーー命の恩人の、アル。
大鬼の死体が散乱し、吐き気を催す酷い臭気の中。
お礼を言うと、アルは、人夫として手助けするよう求めてきた。
力仕事くらいで恩が返せるならと、同行した。
行く先は、オーガの住み処。
そこで、俺は見つけてしまった。
黴が生え、半ば溶けている本に挟まっていた、一枚の羊皮紙。
ーー魔雄ハビヒ・ツブルクの遺産。
その在り処が記されていた。
しかし、肝心の遺産の場所が、描かれていなかった。
本から食み出していた、羊皮紙の下部に記されていたらしく、判読は不可能。
投げ捨てようとしたところで、アルに手をつかまれた。
ーー遺産の場所がわからないのなら、知っている人から聞きましょう。
今から思えば、悪魔の誘いだった。
一度、死んだはずの命。
幻想団から逃げ出し、冒険者になっても変わらず。
何をやっても上手くいかない鬱憤もあった。
そうして俺は、アルの仲間に、或いは共犯者になった。
ーー四英雄。
唯一の生き残りである、絶雄カステル・グランデ。
ミュスタイアの王である彼から聞き出すべく、アルは策を練った。
「あれで良かったのか? アルなら、もっと強大な魔法を見せつけるとか、できただろう?」
「そうですね、それも一つの手でした。ですが、あまりやり過ぎると、『あれは魔雄だった』と断言されてしまいます。断言だと、それを聞いた人は、『有り得ない』と、否定してしまいます。そうすると、噂が広まらないかもしれません。ですので、『あれは魔雄かもしれない』と、曖昧にしておくことで、想像力が入り込む余地を残しておくことで、程好く拡散してくれるのではないかと、そういう狙いです」
噂とは、娯楽だ。
良くも悪くも、興味を持たれる必要がある。
幻想団では広報もやったが、手足となって働いただけだ。
これらの分野ーー頭脳労働は、アルに任せるほかない。
「これでもう、一蓮托生だ。そろそろアルのこと、教えてくれ」
「一連托生、というのは違いますね。どうにもならなくなったら、僕は逃げます。絶雄が相手ですから、ラクンさんを連れて逃げる余裕はありません。ーーそういうわけで、事前の罪滅ぼしということで、僕のことを話しましょう」
ーー罪滅ぼし。
つまり、やばくなったら、俺を囮に使い、逃げるということだろう。
仄聞するところによれば、絶雄は、もうすぐ天命が尽きるらしい。
衰退期に入っているとなれば、アルなら逃げ切れるかもしれない。
「ーーラクル・アル・ファリア。この名からわかる通り、僕は貴族の家系です。ですが、一度、ファリア家は、他者に所有されてしまいます。僕が、十歳のときです。父と母が汚名を着せられて処刑されてしまい、祖父母は一旦、ファリア家を手放さざるを得なかったのです。屋敷を離れる際、倉庫の荷物を纏めていたときに見つけたのが、日記です」
アルが手にする、古びた本。
魔雄ハビヒ・ツブルクの日記。
恐らくは、魔法が使われているのだろう。
年月を閲している割には、破損箇所はない。
千年の間に、二度、言語は大きな変遷をたどった。
専門家でなければ、古代期の文字など読めない。
当然、中世期の文字だってちんぷんかんぷんの俺では、真偽すらわからない。
「この日記のお陰で、ラクンさんの役作りが捗りました」
冗談のつもりなのかもしれないが、まったく面白くない。
日記の価値は、途轍もないものだ。
それこそ、日記と引き換えに、絶雄から「魔雄の遺産」の情報を引き出せそうなものだが、何故かアルは、首を縦に振らなかった。
アルは平然としているが、もしかしたら、日記には絶雄の目には触れさせられない、碌でもないことが記されているのかもしれない。
絶雄と魔雄は、というか、四英雄は、家族のように仲が良かったと伝わっているが、獣種に人種、男に女、何らかの確執があったとしても不思議ではない。
「それと、こちらは初めて見せますね。日記と一緒に見つけた、魔雄ハビヒ・ツブルクの『魔法の手引書』です」
「……は?」
「これは凄いですよ。日記は、莫大なお金になりますが、手引書は、持っていることが知れたら、命を狙われます。国が所有していたら、戦争を吹っ掛けられます。手引書は、世のため人のため、焼いてしまったほうが良いのかもしれませんね」
俺は、早まったのかもしれない。
もしかしたら、楽には死ねないかもしれない。
「祖父が言っていました。『わしらは、魔雄ハビヒ・ツブルクの系譜だと祖父が宣っていたが、冗談ではなく、本当だったのかもしれない』と。ファリアの家系には、ときどき魔力量が多い者が生まれるのですが、ーー本当に、助かりました」
「……俺は今、ファリア家を奪い取った、アルの敵に同情した」
「初級篇を終えたときには、敵はもう、敵ではありませんでした。障害物ですらありませんでした。ファリア家を取り戻すついでに、父と母の処刑に加担していた者たちを脅したら、ファリア家は、新しく領地を得て子爵から伯爵になりました。『わしが死ぬまで、世界を見てきなさい』と、祖父が勧めてくれたので旅をしていたら、ラクンさんが、何かをやり遂げたような顔で死を受け容れていたので、何となくムカついて助けました」
アルの表情を見るに、どうやら本気で言っているらしい。
確信した。
アルは、危険人物だ。
絶雄カステル・グランデが天寿を全うしたら、アルを止められる存在がいなくなってしまう。
ここで絶雄を訪ねるのは、天命だったのかもしれない。
「実感した。四英雄の、周囲にいた者は、こんな気分を味わったんだろうな。ーー隔絶した力。それを持っていることは罪ではないと、そう断言できる者は、俺と違って心が強いんだな、きっと」
「日記と手引書を読んだ限りでは、僕はやっとこ、魔雄ハビヒ・ツブルクの足元に及んだところです。絶雄が天寿を全うすれば、四英雄は、全員寿命で亡くなったことになります。誰一人、彼らに手が届かなかった」
「俺は、アルが嘘吐きだということを知っている。まさか、絶雄を倒そうとか、そんなことを考えているんじゃないだろうな?」
衰退期に至った絶雄を倒そうとする者は多いと聞く。
全員返り討ち。
相対した瞬間に、立っていられた者ですら稀らしい。
剣を抜かせた者はなく、拳の風圧で吹き飛ばされる。
「強くなることに興味はあっても、それを証明することに意味を見出すことができません。僕は、四英雄のような生き方はしたくありません。ーー自分が知らない者が、自分を知っている。僕が嫌いなことの、一つです。僕は、小さな世界で穏やかに生きられれば、それで満足なのです。仮に僕が、『英雄』にならなければならないとしたなら、ラクンさんを隠れ蓑にさせてもらいます」
困った。
そうなったら、アルと旅を続けられると、喜んでしまった。
錯覚だったとしても。
生まれて初めて、自由に生きていると、自分らしく生きられていると実感している。
噛み合わなかったものが、がっちりと嵌まり、回り始めた感触。
「ーーそうだった。煮込みだが、あれで大丈夫だったのか?」
店主に言ってしまった。
爺さんのほうが美味しかったと、何の確証もないというのに。
「そこは問題ありません。ツヴィングリの極まり具合は、その濃度は、魔力で量ることができます。日記に記されていた内容と比較して、店主さんは、あと一歩と半分くらい、お爺さんに及んでいません」
「あれより酷いのか。魔雄ハビヒ・ツブルクは、実は、人種じゃなかったんじゃないか?」
「味覚に障害があったようですね。魔法によって中和できるまでは、ラクンさんと同じくお腹を壊していたので、好物だというのに、あまり食べられなかったようです」
暑い季節を過ぎた、穏やかな昼下がり。
このまま大地の女神に抱かれていたいが、そういうわけにもいかない。
洗浄された、腹の中は空っぽなのか、虫さんは大暴れ。
「さてと、領都に行く前に、まずは腹ごしらえと洒落込むか」
立ち上がり、アルに、手を差し出す。
「噂が広まるまで、二、三日と見ていますので、王都を見物しながら向かいましょう」
魔法を解いたアルは、笑顔のまま俺に手を引っ張られる。
おんぶにだっこだったとしても、利用されるのだとしても。
構わない。
アルの前を歩いてやろう。
今の俺には、横を、並んで歩く資格はないから。
アルの前で、特等席で、ここから見える風景を楽しんでやる。
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