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家族

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     1

 涙を、流していたのでしょうか。
 雨が降っているのでわかりません。
 記憶が曖昧です。

「大丈夫か?」

 男性の声のあとに、大きな傘。
 冷たい雨に濡れた体は冷え切っているのに。
 不思議と、彼の声は弱った心を温めてくれました。
 でも、悲しいことに。
 本当のことを知ったとき、彼は僕から離れていってしまうでしょう。
 いえ、そうならない為に、優しい人ほど僕から遠ざけないといけません。

「ありがとうございます。でも、僕に係わらないほうが良いです」
「君は優しいな。ーーだが、何かを守りたいと思うのなら、人に頼るということも覚えるべきだ」

 予期しない言葉。
 男性の顔を見てみると、彼はーー同じでした。
 僕と同じ傷を負い、そして、「永遠の傷」となってしまっていました。
 痛みを抱えすぎて、薄くなってしまった表情。
 本当はいけないというのに。
 僕は彼に話しかけてしまっていました。

「……あなたは?」
「心配しなくていい。私は君の事情を知っている。身分は刑事だが、対『能力者』の人間だ」
「味方、なのですか?」
「今は君のーー『妹』の担当ではない。君たちの味方になれるまでは、もうしばらくかかる。ーー立てるか?」

 大きく、逞しい手。
 何より、たくさんの悲しいものを見てきた眼差し。
 救われなければいけないのは彼であるはずなのに。
 どうしてでしょう。
 僕は彼の手をつかんでしまいました。

「僕はどうなっても構いません。どうかどうか、『妹』の味方になってあげてください」
「ーーそんな悲しいことを言ってくれるな。『妹』を幸せにしたいのであれば、君自身もまた、幸せにならなければいけないのではないか?」

 そう、なのでしょうか。
 父と母は、「妹」を守って亡くなりました。
 交通事故ーーと警察は言っていましたが、本当かどうかはわかりません。
 ただ、一つだけわかることがあります。
 両親は「能力者」の、いえ、そんなことは関係ありません、大切な「妹」を命懸けで守ったということです。
 僕も、両親のように「妹」を守らないといけません。
 でも、僕の力はちっぽけで。
 一人でできることの少なさに、胸が絞めつけられます。

「国は、今すぐにでも、『妹』を保護していただけないのですか?」
「すまないが、法がそうなっていない。君の『妹』が同意してくれないことには、我々は動くことができない。彼女を説得できる者がいるとするなら、君だけだ」

 守るーーそのことの意味を、僕は履き違えていたのかもしれません。
 でも、同時にこうも思うのです。
 今の「妹」の味方は僕だけ。
 その僕が、「妹」の手を放したら、「妹」は世界で一人になってしまいます。
 何が正しくて、何が間違っているのか。
 両親が亡くなったときから、ずっと考え続けていますが、未だに答えは見つかりません。
 降り頻る、雨の中。
 立ち去ってゆく男性。
 彼の背中に答えがあるような気がして、その姿が見えなくなるまで僕はずっと見詰めていました。



     2

 男性から借りた黒い傘を傘立てに。
 この時間、「妹」は部屋から出てこないでしょうが、万が一ということもあります。
 びしょ濡れで汚れた服。
 この姿を見られたら、「妹」を悲しませてしまいます。
 「妹」の食事の時間ですので、風呂は後回しに、服だけ着替えて準備に取りかかります。

「ご飯だよ。置いておくね」

 お盆を部屋の前に置いてから、しばらく待ってみますが返事はありません。
 両親が亡くなってからは、ずっとこうです。
 でも、ご飯はきちんと完食してくれているので、あとは「妹」を信じるしかありません。
 ーー「能力者」。
 僕がそうだったら良かったのに。
 神様は不公平です。
 噂でしか聞くことがなかった「能力者」になってしまったのは「妹」でした。
 それからは、あっという間でした。
 造次顛沛ぞうじてんぱいーーつまずいてから転ぶまでの間ーーそう思えるくらい短い間に、「妹」と僕の世界は一変しました。
 ーー「能力者いぶつ」。
 自分と異なる者に対しての、大衆の反応。
 石を投げられるより辛い、拒絶の眼差し。
 普通の中学生だった「妹」が耐えられるはずがありません。
 周囲の世界から拒絶された「妹」は、周囲の世界を拒絶しました。
 追い打ちをかけたのが両親の死。
 最期まで「妹」を守った、父と母。
 ーーあの日から。
 「妹」は部屋に閉じこもって、僕とも顔を合わせなくなりました。

「神様って、信じたら助けてくれるのかな」

 そうではないことを知っていても、願ってしまうのはなぜなのでしょう。
 神様が助けてくれないのであれば、僕が「妹」を助けないといけません。
 時間だけはあったので、何度も何度も考えました。

「傷は見えないかな?」

 幸い、風邪は引きませんでした。
 襲撃された際の、体の傷も、見える場所にはありません。
 「能力者」である「妹」は狙われています。
 反「能力者」団体から暴行を受けました。
 でも、それだけなら問題ありません。
 僕が傷つくだけで済みます。
 問題は、「妹」の「能力」をつけ狙う連中です。
 自分たちの欲の為に、「妹」を利用しようとしているのです。
 彼らは、必ず「妹」を不幸にします。
 その前に、国に保護してもらいたいのですが、未だ僕の言葉は「妹」には届いてくれません。

「これで終わりかな」

 食器を洗い、僕が居ない間に「妹」が壊した食器や家具などを片づけます。
 心配事が多い所為でしょうか。
 最近、寝つきが悪くなったので、部屋に戻る前にソファに座って考え事をします。
 ーーずっと。
 ずっと考えていました。
 あの、男性の言葉。
 ーー僕の幸せ。
 でも、何度考えても、答えは同じでした。
 「妹」が幸せになることーーそれが僕の幸せなのです。
 僕が幸せになる為には、「妹」が必要なのです。
 それは絶対。
 たった一人の「家族」。
 「妹」を守る為なら、命だって惜しくありません。

「っぁ!」

 「妹」の、擦り切れるような叫び声に続いて。
 叩きつけられました。
 でも、大丈夫です。
 部屋は暗いので、僕がどれだけ傷つこうが「妹」からは見えません。

「ぃっ!」

 最初は箒でしたが、それだけでは満足しなかったようで、「妹」は椅子を何度も何度も投げつけてきました。
 ここで声を上げてはいけません。
 そうすれば、「妹」が傷ついてしまいます。
 「妹」の、どうにもならない「傷」を受け留めてあげられるのは僕だけなのです。
 痛みなど、大したことではありません。
 「妹」の魂が悲鳴を上げています。
 軋んでいます。
 僕を傷つけることで、「妹」も傷ついているのですが、今はこれしか方法が思い浮かびません。
 「妹」の、壊れかけた心をつなぎ留めてあげられるのは僕だけなのです。

「あぁ!!」

 大丈夫です。
 「妹」は怪我することなく、部屋に戻ってゆきました。
 体の節々が痛みますが、僕は起き上がって部屋を片づけます。
 今夜、二度目があれば、「妹」が踏んづけて怪我をしてしまうかもしれないからです。
 わずかに開いた、カーテンの隙間から見えた満月は。
 未来の幸せの象徴のようで、とても綺麗でした。



     3

 朝ーーになったようです。
 あまり眠れなかったようで、時間の感覚が曖昧です。
 二度目、だけでなく、三度目もありました。
 僕にはわかります。
 「妹」が能動的に動いているということは、同時に、心も動いているということです。
 きっとこの先、良い方向に風は吹いてくれるはず。
 久しぶりに心が弾みました。
 でも、得てして、不幸というのはそんなときにやってきます。

「『能力者』が! 死ね!!」

 「能力者いぶつ」への対応にも色々あります。
 普段の生活で傷ついている者ほど、相手を傷つけるということを知りました。
 充実した者の多くは、そもそも係わろうとはしません。
 存在しない者、として扱うことが一番の方策のようです。

「汚らしい! ゴミがうろついてんな!!」

 他者だけでなく、自分をも傷つける言葉が飛んできます。
 でも、大したことはありません。
 彼らは罵倒しか投げつけてこないからです。
 面白いーーと言っては失礼ですが、彼らは法を、一線を越えてこないのです。
 それが彼らなりの「正義」らしいのです。
 本当に怖いのは、限度を知っている反「能力者」団体ではありません。
 「欲望」に駆られた者たち。
 「妹」の「能力」を得ようと、手段を選ばない人々です。

「我々も暇ではない。そろそろ諦めてもらえないかね?」

 また、遣って来ました。
 この度の彼らは本気のようです。
 殺気立った雰囲気。
 それでも、僕の答えが変わることはありません。

「僕が『妹』のことを諦める。そんなことは死んでもあり得ません」
「そうか、残念だ。死んでもあり得ないのなら、仕方がない。ーー死んでもらおう」

 相手は十人。
 全員、武器を持っています。
 彼らの目的は知りません。
 聞いたとしても、本当のことを言うとは思えません。
 ーーわかっています。
 こんなことを繰り返しても意味はないと。
 相手は何度でも遣って来ます。
 相手が諦めないのであれば。
 そう遠くない内に、僕は「妹」を守れなくなってしまいます。
 それでも、僕は戦わないといけません。
 この命が尽きるまで戦うこと、それが僕の「役割」だからです。
 だから僕は、体が動かなくなるまで戦いました。

「被害は?」
「幸い、死者はいません」
「これで『兄』は使い物にならなくなった。ーー行くぞ」

 そう遠くない内、どころか、今、その時は訪れてしまいました。
 「妹」を守ることができませんでした。
 僕の命は何と軽いのでしょう。
 どれだけ想いを注ぎ込んでも、体は動いてくれません。
 また、です。
 雨が降ってきました。
 周囲には誰もいません。
 もう、僕の命も終わってしまうようです。
 ぼんやりとそんなことを考えていたら、足音が聞こえてきました。

「まだ、意識はあるか?」

 不思議です。
 体も意識も、もうボロボロで、壊れた玩具のようだというのに。
 そうーー暖かかったのです。
 あの時と、同じです。
 変わらず、大きく逞しい手。
 僕の手を握ってくれる男性の手から、溢れてゆきます。
 壊れかけの魂。
 動かないはずの口が、心の底から沸き上がった想いを紡いでゆきます。

「……僕は、大切なものがあったような気がします。そうです。『』が大切だったはずなのに、『』のことが思いだせません。『』のことを忘れるのが僕の最後の『役割』ーー」
「駄目だ! 本当に大切だと言うのなら、最期まで抱えて逝け! 誰が許さなくてもいい! それが、たった一人の『兄』である君の役目だ!!」

 ーー「兄」。
 男性の言葉が響きます。
 ーー僕の役目。
 そうなのでしょうか。
 それはわかりませんでした。
 ーーでも。
 でも、男性の顔を見ていると、僕がやらないと彼が悲しんでしまうような気がして。
 僕は命を費やしました。
 大切なものを、忘れずにいられる幸せ。
 そんな幸せを享受してもいいと、彼は言ってくれているのです。
 僕は弱い「」です。
 彼の言葉に、甘えてしまいました。

「……ああ、そうでした。『』は……僕の大切な……、そう……『妹』。でも、わかります。僕は『妹』のことを忘れないといけないのに。……手放さないといけないのに。大切なものを抱えたまま、……消えても良いのでしょうか」
「それは誰にも、神様だって決められない。だが、ーーそれでも許しが必要だというなら、私が許してやる。それが罪だというのなら、私が背負ってやる」

 ーー幸せ。
 思いだします。
 僕が幸せになったら、「妹」も幸せになるのでしょうか。
 ーー傘。
 男性の傘があるから、僕は自分が泣いていることがわかりました。
 僕は酷い奴です。
 最期まで、「妹」のことだけを想っていなければいけないというのに。
 消える間際に想ったのは、男性のーー……。



     4

 雨は、やんだようです。
 ……何もわかりません。
 何もわからないというのに。
 ただただ、悲しいような気がします。
 女の子が倒れています。
 大きな布がかけられています。
 わかりません。
 ただただ、すっぽりと抜け落ちてしまったようです。

「『家族ファミリー』で間違いないようだな」
「くくっ、今頃、本庁の奴らが悔しがっているでしょう」

 いつからでしょう。
 男性が二人居ました。

「『人形遣い』と、そして『家族』。今回は学ばせてもらいました」
「『能力者』の『能力』というのは大抵、周囲の環境を含めてのものだ。そこに切り崩す要因がある。『家族』は、『兄』に多くを与えすぎた。それゆえに『兄』は、『家族』に返さなければいけない『力』を抱えたまま逝った」
「『人形遣い』のときも見事でした。『恋人』の少年と、その両親を利用した誘導。『人形遣い』を自滅に向かわせる手口ーー」
「君は優秀であるがゆえに、なかなか道化を演じることができない。だが、見の内に炎が猛っている内は、それでいいのかもしれないな」

 怒りーーそんなものなど、とうに通り越した若い男性の顔。
 通りすぎてしまいーーまるで世界を焼き尽くしたかのような男性の顔。

「……『能力者』など、すべて滅ぼしてやる!!」

 若い男性は、もう動かない女の子を蹴りました。
 悲しいーーような気がします。
 大切ーーだったような気がします。
 でも、やっぱりわかりませんでした。

「ーー村上」
「……大丈夫です。こんなこと、あなたの前でしか言いません、ーー立花さん」

 もう、消えてしまうからでしょうか。
 誰が、何が悲しいのか、よくわからなくなってきました。
 だから、ただただ見詰めていました。

「上の人間は、前政権の際に一気に引っ繰り返そうとして、失敗した。本庁も議会も、やり直しだ」
「利権を握っている者には、それゆえの弱点があります。そちらでは俺を使ってください」
「ああ、もちろんだ。ーー一般人は、『能力者』のことなど他人事だと思っている。だからこそ、彼らから見えないところで、保護した『能力者』を効率よく『処理』できる法を作る」
「ええ、そこまでやったらーー。最後に、『能力者おれたち』を殺しましょう」

 晴れているのに、雨が降っていました。
 若い男性は、立ち去ってゆきます。
 一人になった男性は、女の子に向かって手を合わせました。
 その祈りは、女の子だけでなく、もっと大きく、悲しいものに向けられているようでした。
 わからなくなってきました。
 もう、消えてしまうようです。
 でも、消えてしまう前に。
 何もわからないというのに、祈っても良いでしょうか。
 立ち去ってゆく男性。
 あの、悲しい背中が向かう先にーー。
 ただただ……、いつか男性…「彼」にも幸せが……訪れて欲しいと……
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