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三章 竜の国と魔法使い
竜の国の中心で仔竜は叫ぶ
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「それでは、みー様、お願いします」
「おーう、まかされたんだぞー!」
ここは「竜の心臓」に位置する「翠緑宮」の入り口である。
巨大な二階建ての王宮の壁には、コウさんが造った綺麗で壊れ難い、吸い込まれそうになるくらい深く鮮やかな緑色の硝子が嵌め込まれている。と単純な表現になってしまったのは、その嵌め込まれた硝子の一枚一枚が、僕の身長よりも大きくて……、然ても、魔法使いの発明、と言って納得して貰えるだろうか。
人の領分を守る、という指針というか警句が、僕の良心を蹴飛ばしてくる。また、然かと思えば、これだけではないのだから、人生諦めが肝心か。
竜の国を代表する施設の一つであるので、大路の先からでも目に映じるよう小高い丘の上に配置してある。
そんな世界の片隅というには豪奢な場所で、みーが有りっ丈の竜声を張り上げた。
「わーうっ、りゅーのくに、できたーなのだー!!」
「「「「「っ!」」」」」
「「「「「!!」」」」」
世界に轟いたみーの宣言に、僕とコウさん、エンさんとクーさん、それと「遠観」の老師と、近くに居た五体のミニレムが拍手喝采竜の息吹である。
「って、誰んいねぇーじゃん?! 竜の民ゃーどこいったぁー??」
人っ子一人いない竜の都を見て、エンさんが本気で驚いていた。
然てこそ空へ届けと発せられたみーの咆哮を聞いたのは五人だけである。ああ、あと今もせっせと働いてくれている、たくさんのミニレムたちも。
人のいない真新しい都は、綺麗な分だけ寂しさが募っていくようだ。
「今頃何を言ってるんですか。ファタさんへの要望に書いてあったでしょう。竜の国の完成を急いだのは、時勢を逃さない為。そうでなければ、もっとゆっくりじっくり国造りを楽しめたんですが。それと、人は居ませんがミニレムは三千体ほど活動してますよ」
ミニレム以外の魔法人形は役目を終えて、世界に還っていった。彼らへの感謝は、教会の一群がある「竜の腰」の公園に、英雄の碑として遺してある。
「要望? あー、ありゃ見ただけで、読んじゃいねぇよ。はっはっはっ、こぞーんまだ俺って人間がわかってねぇなぁ」
単純なようで奥深さのあるエンさんの本性を知るのは、かなり難しいのではないかと、最近思うようになった。
正反対、とまでは言わないが、僕が持っていないものをたくさん持っている彼は、僕にとって得難い人だ。
そして、唯一無二とも言える珍重な女の子は。
「…………」
「…………」
外回りを何度も繰り返して、然らずとも和解というか妥結というか歩み寄りというか、然こそ言え、まぁ、その、何ですか、あれからコウさんとは、ぎくしゃくしたままである、というか侭成らぬ。って、いやいや、ちょっと待て、立ち返れ、僕。頭が煮詰まっている。早急に、炎竜ならぬ氷竜が、いやさ、もう両竜一緒のほうが……。
ーーふぅ、僕が悪いのだが、何故こんなことになってしまったのだろう。
熟と女の子の心の複雑さや、付き合いの難しさを思い知らされるが、就中コウさんは、カレン並みに厄介な気がする。
「先ずは、竜の国のことを周辺国に親書で知らせます」
そう、先ずは一歩目。大事な最初の一歩である。
そして、僕は一歩目から躓いた。
「そりゃ、時間掛かんなぁ。どーせやんなら、もっとぐばーんっていかねぇか?」
「えっと、ぐばーん、というと、具体的には?」
「はっはっはっ、そりゃ決まってんだろ。ちみっ子ん乗って、俺らでぐどーんって挨拶回りってこった」
「…………」
はい? いや、そんなこと言われましても……。
だが、思考停止していたのは僕だけで、皆の間でどんどん話が進んで、とんとん拍子に決まってゆく。
「みーに全員乗るとなると、今のままではいけない。コウ、どうにかなる?」
「それは問題ないと思うの。でも、それだと、色々対策を考えないといけないの」
「そちらは、あたしとコウで詰める。エンには、みーの役作りを」
「おっし、任されっ! ちみっ子ん今日ぁ特訓だぁ!」
「ひゃーう! みーちゃんみーちゃんじゃなくなるのだー??」
気付けば、竜が居なくなった巣穴状態。慌ててコウさんに尋ねる。
「対策って、どんなものなんですか?」
「大きなみーちゃんが突然現れたら、皆吃驚するのです。心臓止まるかもなのです。なので、それを緩和する処置や、転んだり余所見して怪我をしたりしないようにしておくのです。あと、大きくなったみーちゃんは、竜の力を制御できないと思うので、皆に悪い影響が出ないように波状結界を工夫しておかないとなのです」
「悪い影響って、どんなものなんですか?」
聞いてばかりだが、仕方がない。というか、大きなみーちゃん、とか、大きくなったみーちゃん、とか、それらの不穏な言葉はいったい何なのでしょうか?
あー、ん~、まさかみーが巨大化すると?
いやいや、エンさんやクーさんの言い様から、「人化」を解いた竜の姿のみーを、仔竜を成竜にする、と。そこら辺のことを誰も気にしていないということは、既定事項で僕だけ仲間外れ……?
あいや、待たれたし、こんなことで挫けている場合ではない。
魔力や魔法については聞かないとわからないので、疑問はすぐに質しておかないといけない。と僕の内で一応の決着を見ると、今度はクーさんが答えてくれる。
「魔力酔いに近い症状。竜の魔力は人には過ぎたもので、死に至る場合もある。今回のような異例な状況でもなければ、気にする必要はない。竜に干渉できる者がコウ以外にいるとは思えない」
「ーーということは、コウさん以外に居るとしたら、もう一人のコウさん、ということですね。実は、コウさんは双子だったと。なればいずれもう一人のコウさんが現れるかもしれませんね」
「っ!? コウが二人……だと」
涎を垂らさんばかりの勢いで食い付くクーさん。僕は、更に味付けをする。
「クーさん一人に、両手にコウさん。おんぶに抱っこなコウさん。でも、一人しか選べないとしたら。さぁ、クーさん、どちらのコウさんをご所望ですか?」
「馬鹿な?! どちらかを選ぶなど、そのようなこと出来得るはずがない??」
クーさんは頭を抱えて苦悩していた。
興に乗ってふざけてみたが、コウさんの癇癪、ではなく、コウさんとの確執のあと、しばらくクーさんの痴態、もとい弾けた姿を見ていなかったので、ちょっと安心。
エンさんのほうは変わらず、いつも通りなのだが。
「こりゃやべーかもなぁ。こぞーん奴、ちび助だけじゃなぁて俺や相棒まで手玉ん取り始めやがったぞ」
「エン兄、遅いの。今頃、リシェさんの本性に気付いても、手遅れなの」
しみじみと兄を諭すコウさん。
微妙に酷いことを言われているような気がするのだが、心外である。僕は、本来、心根の優しい人間です。……ですよね?
「おっきーちみっ子ぁ、見た奴から勘違ぇされそーだなぁ。そーなっと、嘘ってことになっちまう。そこらん、どーにかならんかなぁ」
「それでは、『ミースガルタンシェアリ』は個竜の名というだけでなく、役職ってことにしたらどうですか?」
世界に与える衝撃が大きい故、ミースガルタンシェアリは存命である、ということにしてある。
彼の竜が身罷れたことを知らせない。聞かれなければ、話さない。言わないだけで、嘘を吐いているわけではない、という立場を取っているのだが、どうやらもう一つ塗り重ねる必要があるようだ。
一応は、嘘を吐いていない、ということになる……のかな?
「なるほど。それなら、みーが『ミースガルタンシェアリ』を名乗ることが出来る。さすが、悪知恵を働かせたらリシェの右に出る者はいない」
「…………」
「悪知恵は、リシェに止めを刺す」
「……えっと、クーさん、お願いします、哀しくなってくるので、繰り返さないでください」
「ーーときに事実は、人を傷付けるものなのです」
「なのだー!」
先程の仕返しだろうか、正気に戻ったクーさんが頻りに頷いてみせる。
いや、クーさん、それ、まったく褒めていませんから。しみじみと感心するのは止めてください。
それと、コウさんとみー。
何やら色々と事実確認をしたいところだが、まぁ、コウさんの言葉尻の、みーの同意が可愛かったので、今回は不問に付してあげます。
「こぞーは、おっちゃんとこ行くんだったか?」
「はい。オルエルさんに、エルネアの剣に協力を要請しに行くつもりです」
「んじゃー、そこで合流ーってことんなっかぁ」
「みー様に乗って遣って来るんですよね。楽しみというか、ちょっと怖いというか」
みーを見ると、これから何をするのかまったくわかっていないような、無邪気な笑顔でコウさんと戯れている。
竜の国には竜がいる。
それが当たり前だとしても、竜の民が受け入れてくれるかどうか、不安は常に僕の中にあった。
人は弱い生き物で、竜は強い生き物。人の歴史を振り返るまでもなく、人の振る舞いがどのようなものであったか言を俟たない。
最善を尽くす覚悟はあるが、天秤は容易く傾くのだと、忘れてはならない。
「さて。大凡決まったということで、あたしから幾つか注意事項。先ず、コウ」
手を叩いて皆の耳目を集めると、クーさんはぴしっとコウさんに指を突き付けた。
「コウは魔法を使うとき、魔法を使ったという演技をすること。それとわからず魔法を使われると、大抵の人間は恐怖を抱く。面倒でも、周囲に魔法を使ったことがわかるように、幾つか手順を考えておくこと」
コウさんの返事を待たず、指先の狙いが僕に移る。注意事項という名の命令が下る。
「リシェは魔力がないことを人に言わないこと。どうも自覚がないようだが、リシェの能力は、希少で危険。他人に知られると厄介なことになるかもしれない。あたしたち以外に既知であるのは?」
「えっと、はっきりとわかるのは、兄さんと〝サイカ〟の里長と悪友。あとはエルネアの剣のオルエルさんが知っているかもしれません。父さんやカレン、友人たちは知らないはずです」
「そうか。これからは、リシェの能力は特殊な魔法ということにする。『結界』の変種、とでもしておくか。あと、危険の度合いについてはーー」
クーさんが促すと、コウさんは口惜しそうに僕を睨め付けた。いや、それ、明らかに八つ当たりのような気がするのですが。
魔力がないのは、僕の所為ではないはずなので、魅力的な翠緑の瞳で射竦めようとするのは、止めないで……、もとい止めてください。
「わからないのです。わけわからんちんなのです。魔力を失い続けることの、核心に迫ろうとすると、嫌がらせのように振り回してくるのです。魔力で調べないといけないのに、魔力を打ち消してくるのです。まるでリシェさんの性格そのままなのです」
「子憎たらしいことを言う口は、この口ですか? いけない口は閉じてしまいましょう」
コウさんの唇を親指と人差し指で、むにっ、と摘んで、口を開けられなくする。
驚いたのか、何か文句でも言おうとしたのか、彼女の口の端っこから、くぐもった声が漏れ出る。間抜けな音だが、女の子のそんな様子を、少しだけ可愛いと思ってしまう僕は、どこかおかしくなっているのだろうか。
これは困った、止められない、自然と笑みが零れてしまう。
「……ぶぅ」
ぼひゅ。
通常より少な目ではあるが魔力が放出される。これまでと違い、放出された魔力は消えることなく空へと昇って、爆発音が響く。そして、弾けて散った金色の粒子が雪のように地上へと舞い落ちる。
誓いの木と引き換えに受け入れてくれた魔力の降雪。
やはり、これまで見てきた魔力の中でも、コウさんの魔力の純粋さと美しさは群を抜いている。
「ふぉーっ! 放すのです!」
「がーうっ、みーちゃんたべるかー! やいちゃうかー!!」
怒っているコウさんと、彼女に同調して口から炎が漏れているみーには悪いが、仔猫や仔犬が必死で敵を威嚇しているような、いじらしい姿に和んでしまう。
彼女が僕から離れたので、唇から指が放れてしまう。コウさんに触れていないので、美しい金雪の光景は風に攫われてしまい、世界が色彩を失う。
然あればあからさまに落胆してみせる。
ーーここのところ、コウさんに気安く接するようにしていた。彼女の機嫌が直らない内は、「やわらかいところ」対策であるところの、魔力放出に都合がいいのだが、長い目で見ると、いずれ軌道修正したほうがいいのは明らか。って、「ところ」という言葉を三回も使ってしまった。
異性に触れることに慣れていない僕の心の動揺が原因のような気がしないでもないが、然もありなんと頷けるほど達観していようはずもなく……。
まぁ、冗談の風を装った軽薄な過剰接触は、避難的というか一時凌ぎというか。嫌われるのはいい、と半ば諦めたが、憎まれるのは勘弁して欲しいので。
「よーもまー、ちび助んやらせっことできたなぁ」
「コウは恥ずかしがって嫌がるかと思っていたが、まったくどうやって仕込んだのやら」
二人は淡雪を体で浴びながら、感心半分、呆れ半分といった風情である。
詳しい事情に言及すれば、またぞろコウさんの機嫌を損ねてしまうので、苦笑で誤魔化す。
「僕は『祝福の淡雪』と呼んでいます。滅多に得られない祝福として、竜の国の『七祝福』の一つになればいいなと」
「七祝福って、七つもあるんか?」
「七つなくてもいいです。七祝福の一つは、みー様ですし。あとは、勝手に誰かが作ってくれると思います。ーーあれ、みー様、今日はリボンを反対の角に結わえているんですね」
「まーう? このひも、こーかくーがつけてくれるのだー。てくびにまいてもいーかんじらしーぞー」
まだまだ自分から着飾るというところまではいっていないようである。って、そういえば、みーはまだ三歳だった。
竜の好みが人間相応なのかはわからないが、この周期で服や装飾品に目敏くなるというのも変な話だ。
そういう意味では、コウさんも洒落っ気のない服装で、僕の贈り物である幸運の鳥も所在なさげである、などということはないが。
これは、子供を着飾らせたいという親の心境みたいなものなのだろうか。
何を着ても似合いそうな、クーさんのように垢抜けなくてもいいし、みーの服ほど爽やかでなくてもいいので、こう、もうちょっと、コウさんの魅力が引き立つような、ややもすると、その野暮ったさから魔法使いにさえ見えなくなってしまうので、ーーふぅ、僕も人の事を言えた義理ではないので、ここら辺にしておこう。
因みに、僕が野暮ったいのは、お金がないからーーのはずである。
服装の見立てや着こなしなどは兄さんに習ったので、あと当然里でも仕込まれたし、たぶん、きっと、お金と条件が揃いさえすれば、やれば出来る子ーーのはず。
「ちび助ぁ王さん。てぇと、俺ぁ竜騎士団の団長でもやっかなぁ」
エンさんは、コウさんを眺め遣ると、軽く首を傾げながら竜の国での役職を気軽に決めてしまうが。これはクーさんとの競合にならないかと、恐々と彼女に視線を向けて、
「あたしは、宰相が良い。言葉の響きが好ましい。ふふっ、自分が名乗ることになるとは思っていなかったが、宰相か、宰相、悪くない」
杞憂だったことに安堵する。
エンさんに先手を打たれて気分を害するどころか、クーさんは上機嫌。言葉の響きで役職を決めるとは、感情が豊かで多芸で、それ故に多情多感でもありそうな彼女らしい、のかな。
地位や権力に拘泥する人たちでないことはわかっているが、そういうところを気遣ってしまうのは人の性だろうか。
「こぞーは、侍従長とかんすっか」
「リシェは、侍従長にでもするか」
……ということになりました。相変わらず、二人は息ぴったりである。
コウさんが、むっとして僕を睨む。
はぁ、僕の所為じゃないのに。いや、否定というか拒否しなかったのが、お気に召さなかったのかもしれない。
彼女の世話を焼くのが仕事、とか思われたのだろうか、魔法使いの、女の子の心は複雑なようでもあり単純なようでもあり、未だに僕を翻弄する。
いっその事、お菓子なみー、のようにわかり易い面があってくれればと思うが、いや、魔法なコウさん、を活かし切れていない僕に落ち度があるような。
あ~、さて、反省はこれくらいにして、現実と向き合おう。侍従長という役職は、魔力の放出係、として都合が良く、あと、雑用係も兼務していると思われる。
「みーは、隠れ役職が『ミースガルタンシェアリ』で、表の役職は、竜の狩場の借用を認めてもらう為の、盟約の証しとして使わされた大使、というところ。あとは、竜の国の守護竜、フィア王の友竜、クーの愛竜」
「ふーう、たいしはたいしたやつなのだー?」
クーさん、どさくさに紛れて最後に変なものを付け足さないでください。
それと、みー。それは意図した発言なのだろうか。ただの偶然なのか、まさかコウさんの教育の賜物ということも?
だとしたら、それとなく吹き出した演技をしたほうがいいのだろうか。
「あとは、『竜の休憩所』の管理竜というのもありますね」
念入りに見澄まして、みーの真意が那辺にあるのか慎重に吟味した結果、……いやまあ、単に皆の雰囲気に合わせて迎合しただけなのだが、危機(?)は乗り切った。
以前、竜に感謝する施設があったほうがいい、と話に上ったが。その役割から、教会群から少し離れた位置にーーみーが気に入った場所に建設することと相成った。
まぁ、問題は、いや、問題など何もないのだが、面倒はあったかもしれない。
完成後の多数決で、僕の提案した名称、竜の休憩所、が採用されたわけなのだが。クーさんが推した、或いは執着した「愛の巣」は却下である。
アイノス、という言葉の響きが麗しい、と彼女は力説したが、その心情に同感する者はなく、竜心要のみーにまでそっぽを向かれてしまったとあっては、泣く泣く諦めるほかない。いったい何がクーさんをここまで駆り立てるのか、変に欲望を混ぜなければ、かなり有益な人なのでもったいないにもほどがある。
「あとは、これだね」
クーさんが指を鳴らすと、箱を抱えた三体のミニレムが幼子のように、とたとたと歩いてくる。
相変わらず、愛嬌のある歩き方で、微笑ましい気分にさせてくれる。
これからはこのミニレムが、お手伝い魔法人形として活躍してくれる。ただ、実際にどこまでの働きをしてくれるのか、コウさんが教えてくれないのでまだよくわかっていない。
「持ってきてくれたんだね。ありがとう」
額に、一九三と数字を刻んだミニレムが僕に箱を差し出してきたので、受け取ってお礼を言う。あと、労いに肩をぽんぽんと叩くと、ミニレムはわっしゃわっしゃと手を広げる。それから顔を手で隠して左右に体を振ると、とたたーと走って行ってしまった。
……これは多分、褒めてもらったのが嬉しかった、ということなのだろう。
最初に見えたときよりも感情の表現が豊かになっているような。言うなれば、人間臭くなった、というところか。
「箱は王宮で使うものだから、ミニレムに渡しておくこと」
道理で、作りはしっかりとしたものだった。わざわざこの箱を使ったということは、ミニレムの性能試験を兼ねているのかもしれない。
長距離移動や、貴重品を扱えるかどうか、などだろうか。重要な調度品でも入っていそうな箱を開けると、礼装一式が入っていた。
「あたしとエンは、元々持っていた礼服に、竜と炎の意匠を施すことで完成。あとは竜の国の王の服と、みーにはこれを」
箱を開けると、クーさんはみーの前に差し出した。
みーは炎のように好奇心満杯な顔で、さっそく取り出して矯めつ眇めつ、ぺたぺたと手や腕、頬まで使って感触を確かめていた。
「みゃーう、しっとりとりとりふやふやーんなのだー」
気に入ったようで、ぼふっぼふっと顔を何度も埋めている。
みーの顔の幅くらいある、淵に金色の細工が施された炎色の長い布。クーさんは、その長布の真ん中辺りをみー首にくるくるっと二周巻いて、残りをお腹辺りまで垂らした。
「公式の場では、これを首に巻いて、前か後ろに垂らす」
「おー、ちみっ子、なんかかっちょくなったなぁ」
「おーう、みーちゃんいーかんじー?」
教会の司教が権威を示す為に着用していそうな装飾だが、みーが着ると可愛さ倍増、は言い過ぎか。
周囲に影響を与えないように炎の属性を解放できるようになれば、みーの肢体の、炎色の文様と相俟って、神秘性を醸せるかもしれない。
見せびらかすように跳ね回るみーを見ながら、僕も取り出した服に着替える。
これまで着たことのない上等な素材の感触に、擽ったいような、気恥ずかしいような感情が芽生える。
僕では、この礼服には役不足だろうが、長い目で見てくれるとありがたい。服に触れながら、そんなことを思っていると、二人と一竜の視線が集まっていることに気付く。
「……悪くねぇ、駄目じゃねぇのん、なんだこの、しこたま溢れてくん、これじゃない感は?」
「おかしい。心象の通り、想定通りなのに、……貧相なリシェにも似合うよう苦心したはず。ーー仕方がない、リシェ、ちょっとばかり顔と体を取り替えてきてくれないか」
ちょっとクーさん、僕の存在を丸ごと否定しないでください。
顔と体って、合格したのは髪の毛だけですか? 僕の本体は髪の毛ですか?
あ~、そんな頑是無い反発は止めるとして。今更取り替えるとか出来ませんから。十六周期使ってきたので、愛着はあります。
「むーう、ふくがふくふくしてないかんじー?」
みーは、僕を見上げて感想を述べる。
ふくがふくふくって、何か縁起がよさそうだが、意味がわからない。と思っていたのはどうやら僕だけで。
「おー、ちみっ子、そんとーりだ。的確ん意見ってやつだな」
「なるほど、リシェの無神経で不躾な要素を考慮しなかったのが敗因というわけか」
「…………」
エンさんとクーさんは、深く感じ入っていた。さすがに否定だらけなので反論しようかと思ったが、「転移」でやや離れた場所に現れたコウさんを見て、言葉を失ってしまった。
「……あの、着てきたの」
縮こまるようにして、コウさんがちょこなんと立っていた。
「ふゃ……」
コウさんは全員に一斉に見られて、後退りしそうになるが、どれほどの勇気を振り絞っているのか、「転移」や「隠蔽」などの魔法を行使することなく、顔を俯けて堪えていた。
暗色であることに変わりはないが、これまでのような黒や茶色を主としたものではなく、紫や赤といった高貴さを表すような配色になっていた。
あっ、と気付く。そして、嬉しくなる。
新しい三角帽子に、僕があげた幸運の鳥の細工物が取り付けられていた。
繊細というか華奢というか、見た目が可愛いらしいだけに、王としての威厳を醸すことは難しいかもしれないが、実によくコウさんに似合っていた。
さすがクーさんが、煮詰まってどろどろになるくらい愛を注ぎ込んだ一品である。だが、どうしたことだろう、当のコウさんは、その場に立ち尽くしてもじもじしていた。
「おーし、ちみっ子ー、手伝えー。ばさぁー」
「さーう、おひろめーなのだー。ぱひぁー」
コウさんに駆け寄った二人は、羞恥と動揺抜けやらぬ彼女の前で交差して、転、と回転しながら、息ぴったりの二人の効果音に合わせて、彼女の外套を捲り上げた。
「ふぃっ!? ……ぅっ」
コウさんは、わたわたして外套で隠そうとするが、すでに遅し。
然てしも今の二人の的確な動きは、偶然の産物なのか、はたまた鍛錬の成果なのか。
みーと仲が好くて、妬けてしまいそうになる。
僕の嫉妬をまったく意に介していないエンさんは、逃げようとしたコウさんの首根っこをがっちりと掴まえた。そして、そのままコウさんを持ち上げると、小動物よろしくぷらんぷらんさせながら、観念した彼女を僕たちの許まで連れてくる。
「短かったですね。あまりあけっぴろげに趣味を持ち込むのもどうかと思いますが」
一応、或いは建前として、コウさんを援護してみる。
外套の下の、服の意匠は凝っていた。落ち着いた雰囲気で、コウさんの控えめな性格にも合っているだろう。
まぁ、問題は何かというと、あれである。あれ、というのは、クーさんの邪念、というか、もはや理念。クーさんの、あれレンが結実して現出したものが、僕の想像を超えないかと言えば然に非ず。
ああ、いや、それなりに心臓の鼓動が煩いので、大袈裟な言い方をしてしまったが、そこまでのことが起こっているわけではない。
ただ、ちょっと意表を突かれたというか竜に突かれたというか、前に親心で着飾らせたいとの願望が実現したというか、ああ、いや、それは竜にも角にも、何が問題かとーー、ふぅ、落ち着け、僕、要は、現実を見据えればいいというだけだ。
そう、みーなんか全開だ、丸見えだ。それに比べれば、比べれば……。
自然とコウさんに視線が向いてしまう。時機良く(?)、仲良し竜焔の二人が、ばさぁ。
「っ!」
「ぶごっ?!」
「ぱひゃー?」
二度目の蛮行に、さすがに怒ったコウさん。
風の魔法だろうか、小高い丘の上にある翠緑宮から坂を転がり落ちていく悪戯竜焔。
みーの外套に施されたコウさんの魔法の効果なのだろうか、包まって若草色の塊になったみーに損傷はないようである。
さて、再びの開帳、もといお目見え、って、どっちも適切でないような、いや、もう、何のことかというと。
コウさんの王様の衣装の、スカートの丈が短くて、細くて柔らかそうな素足が、膝上まで見えてしまっていることだ。
コウさんは、いそいそと外套で体を覆って、恥ずかしいのか、更に体を隠すように、ぎゅっ、と自らの体を抱くように縮こまる。
これ以上凝視するのは不味いと、顔を逸らすが、向いた方向が最悪だった。
クーさんが、にやにやしながら僕を見ていた。まるで僕の心の深奥まで覗き込んで、嫌いじゃないくせに(訳、ランル・リシェ)、とでも言わんばかりに。
いや、僕も思春期とかの最中にある男の子なので、そういう方面に関する審美眼的な要素がなきにしもあらずとはいえないまでもうんぬんうんぬん……。
はぁ、自分で自分を誤魔化すというのは、案外難しいものである。と結論付けて、強制的に誤魔化し完竜。
「ほーれ、ちみっ子ん見ろー。見え捲りだぞー、それん比べりゃ増しだー」
いつの間に戻って来たのやら、怪我を治癒魔法で治したらしいエンさんは、みーを後ろから持ち上げて、左右に振ってぷらんぷらんさせた。
服の若草色より肌色が眩しいみーの健康的な肢体が露わになる。
「みゃーう、もっとふれー、もっとまわせーなのだー」
みーの要望に応えて、エンさんは小石や木の棒でも扱うように、軽々とみーを振ったり投げたり回したり。
みーは楽しそうにしているが、見ているこちらは冷や冷やものである。
「似合っているのですから、恥ずかしがらずに堂々としていたほうが、映えると思いますよ。ーー公式のものだけあって、杖は持っているんですね」
「……リシェさんは、こういう服が好みなのです? 破廉恥なのです。獣なのです。竜に喰われろ、なのです」
微妙に会話が噛み合っていない。
杖は、いかにも魔法使いが持っていそうな木製のものだが、コウさんが使うものである、きっととんでもない性能を秘めているに相違ない。
外套でしっかりと体を隠して、そっぽを向いている。恥ずかしさに耐えられないのか、左右にちょこちょこ揺れている。これ以上旋毛を曲げてしまわない内に、尋ねておこう。
「頼んでおいた『遠観』の進捗具合はどうですか?」
「……事前に対象を補足しておけば、問題ないのです」
コウさんが手を振ると、空中に数え切れないくらいの「遠観」の、魔法で作られた四角い枠ーー言い難いので「窓」と呼んでしまおうーー「窓」が現れた。
一つ一つが異なる場所を、竜の国の至るところを映している。
翠緑に輝く王宮、南の竜道の入り口、人造湖の運搬装置である湖竜、各竜地に竜区まで。
ーーこれが竜の国の完成した姿。
ゆくりなく実感が湧いてきて、今更ながら、胸に込み上げてくるものがあった。
「コウさん、ありがとうございます」
僕の中にあった、透明で侵し難いところから、風の優しさで転び出る。これは感謝なのだろうか、それとも共感なのだろうか、零れた言葉の行方を追い掛けたくなる。
国造りの最中にはわからなかった、一つのものを作り上げる喜び。何より、皆で形作ったことが嬉しくて堪らない。
心に灯った、この優しい熱を、忘れてはならない。
「そ、そんな顔を向けるの、反則なの……」
僕の声に振り返ったコウさんは、三角帽子で顔を隠して、再びあらぬ方向に体を向けてしまう。そして、はしゃぐみーに心付いて、小走りで炎竜の許に駆けてゆく。
これは、失敗した。あまり評判のよろしくない、無防備な表情を見せてしまった。
これ以上嫌われるのは勘弁して欲しいのだが、上手くいかないものだ。
さて、少し早いが出発しよう。
もっと皆と喜びを分かち合いたいが、これからが本当の始まりである。エルネアの剣を訪ねる前に、調整しておかなければならないことが幾つかある。
ーー僕はもう一度、まだ消えていない「窓」を見回して、思いを新たにした。
「おーう、まかされたんだぞー!」
ここは「竜の心臓」に位置する「翠緑宮」の入り口である。
巨大な二階建ての王宮の壁には、コウさんが造った綺麗で壊れ難い、吸い込まれそうになるくらい深く鮮やかな緑色の硝子が嵌め込まれている。と単純な表現になってしまったのは、その嵌め込まれた硝子の一枚一枚が、僕の身長よりも大きくて……、然ても、魔法使いの発明、と言って納得して貰えるだろうか。
人の領分を守る、という指針というか警句が、僕の良心を蹴飛ばしてくる。また、然かと思えば、これだけではないのだから、人生諦めが肝心か。
竜の国を代表する施設の一つであるので、大路の先からでも目に映じるよう小高い丘の上に配置してある。
そんな世界の片隅というには豪奢な場所で、みーが有りっ丈の竜声を張り上げた。
「わーうっ、りゅーのくに、できたーなのだー!!」
「「「「「っ!」」」」」
「「「「「!!」」」」」
世界に轟いたみーの宣言に、僕とコウさん、エンさんとクーさん、それと「遠観」の老師と、近くに居た五体のミニレムが拍手喝采竜の息吹である。
「って、誰んいねぇーじゃん?! 竜の民ゃーどこいったぁー??」
人っ子一人いない竜の都を見て、エンさんが本気で驚いていた。
然てこそ空へ届けと発せられたみーの咆哮を聞いたのは五人だけである。ああ、あと今もせっせと働いてくれている、たくさんのミニレムたちも。
人のいない真新しい都は、綺麗な分だけ寂しさが募っていくようだ。
「今頃何を言ってるんですか。ファタさんへの要望に書いてあったでしょう。竜の国の完成を急いだのは、時勢を逃さない為。そうでなければ、もっとゆっくりじっくり国造りを楽しめたんですが。それと、人は居ませんがミニレムは三千体ほど活動してますよ」
ミニレム以外の魔法人形は役目を終えて、世界に還っていった。彼らへの感謝は、教会の一群がある「竜の腰」の公園に、英雄の碑として遺してある。
「要望? あー、ありゃ見ただけで、読んじゃいねぇよ。はっはっはっ、こぞーんまだ俺って人間がわかってねぇなぁ」
単純なようで奥深さのあるエンさんの本性を知るのは、かなり難しいのではないかと、最近思うようになった。
正反対、とまでは言わないが、僕が持っていないものをたくさん持っている彼は、僕にとって得難い人だ。
そして、唯一無二とも言える珍重な女の子は。
「…………」
「…………」
外回りを何度も繰り返して、然らずとも和解というか妥結というか歩み寄りというか、然こそ言え、まぁ、その、何ですか、あれからコウさんとは、ぎくしゃくしたままである、というか侭成らぬ。って、いやいや、ちょっと待て、立ち返れ、僕。頭が煮詰まっている。早急に、炎竜ならぬ氷竜が、いやさ、もう両竜一緒のほうが……。
ーーふぅ、僕が悪いのだが、何故こんなことになってしまったのだろう。
熟と女の子の心の複雑さや、付き合いの難しさを思い知らされるが、就中コウさんは、カレン並みに厄介な気がする。
「先ずは、竜の国のことを周辺国に親書で知らせます」
そう、先ずは一歩目。大事な最初の一歩である。
そして、僕は一歩目から躓いた。
「そりゃ、時間掛かんなぁ。どーせやんなら、もっとぐばーんっていかねぇか?」
「えっと、ぐばーん、というと、具体的には?」
「はっはっはっ、そりゃ決まってんだろ。ちみっ子ん乗って、俺らでぐどーんって挨拶回りってこった」
「…………」
はい? いや、そんなこと言われましても……。
だが、思考停止していたのは僕だけで、皆の間でどんどん話が進んで、とんとん拍子に決まってゆく。
「みーに全員乗るとなると、今のままではいけない。コウ、どうにかなる?」
「それは問題ないと思うの。でも、それだと、色々対策を考えないといけないの」
「そちらは、あたしとコウで詰める。エンには、みーの役作りを」
「おっし、任されっ! ちみっ子ん今日ぁ特訓だぁ!」
「ひゃーう! みーちゃんみーちゃんじゃなくなるのだー??」
気付けば、竜が居なくなった巣穴状態。慌ててコウさんに尋ねる。
「対策って、どんなものなんですか?」
「大きなみーちゃんが突然現れたら、皆吃驚するのです。心臓止まるかもなのです。なので、それを緩和する処置や、転んだり余所見して怪我をしたりしないようにしておくのです。あと、大きくなったみーちゃんは、竜の力を制御できないと思うので、皆に悪い影響が出ないように波状結界を工夫しておかないとなのです」
「悪い影響って、どんなものなんですか?」
聞いてばかりだが、仕方がない。というか、大きなみーちゃん、とか、大きくなったみーちゃん、とか、それらの不穏な言葉はいったい何なのでしょうか?
あー、ん~、まさかみーが巨大化すると?
いやいや、エンさんやクーさんの言い様から、「人化」を解いた竜の姿のみーを、仔竜を成竜にする、と。そこら辺のことを誰も気にしていないということは、既定事項で僕だけ仲間外れ……?
あいや、待たれたし、こんなことで挫けている場合ではない。
魔力や魔法については聞かないとわからないので、疑問はすぐに質しておかないといけない。と僕の内で一応の決着を見ると、今度はクーさんが答えてくれる。
「魔力酔いに近い症状。竜の魔力は人には過ぎたもので、死に至る場合もある。今回のような異例な状況でもなければ、気にする必要はない。竜に干渉できる者がコウ以外にいるとは思えない」
「ーーということは、コウさん以外に居るとしたら、もう一人のコウさん、ということですね。実は、コウさんは双子だったと。なればいずれもう一人のコウさんが現れるかもしれませんね」
「っ!? コウが二人……だと」
涎を垂らさんばかりの勢いで食い付くクーさん。僕は、更に味付けをする。
「クーさん一人に、両手にコウさん。おんぶに抱っこなコウさん。でも、一人しか選べないとしたら。さぁ、クーさん、どちらのコウさんをご所望ですか?」
「馬鹿な?! どちらかを選ぶなど、そのようなこと出来得るはずがない??」
クーさんは頭を抱えて苦悩していた。
興に乗ってふざけてみたが、コウさんの癇癪、ではなく、コウさんとの確執のあと、しばらくクーさんの痴態、もとい弾けた姿を見ていなかったので、ちょっと安心。
エンさんのほうは変わらず、いつも通りなのだが。
「こりゃやべーかもなぁ。こぞーん奴、ちび助だけじゃなぁて俺や相棒まで手玉ん取り始めやがったぞ」
「エン兄、遅いの。今頃、リシェさんの本性に気付いても、手遅れなの」
しみじみと兄を諭すコウさん。
微妙に酷いことを言われているような気がするのだが、心外である。僕は、本来、心根の優しい人間です。……ですよね?
「おっきーちみっ子ぁ、見た奴から勘違ぇされそーだなぁ。そーなっと、嘘ってことになっちまう。そこらん、どーにかならんかなぁ」
「それでは、『ミースガルタンシェアリ』は個竜の名というだけでなく、役職ってことにしたらどうですか?」
世界に与える衝撃が大きい故、ミースガルタンシェアリは存命である、ということにしてある。
彼の竜が身罷れたことを知らせない。聞かれなければ、話さない。言わないだけで、嘘を吐いているわけではない、という立場を取っているのだが、どうやらもう一つ塗り重ねる必要があるようだ。
一応は、嘘を吐いていない、ということになる……のかな?
「なるほど。それなら、みーが『ミースガルタンシェアリ』を名乗ることが出来る。さすが、悪知恵を働かせたらリシェの右に出る者はいない」
「…………」
「悪知恵は、リシェに止めを刺す」
「……えっと、クーさん、お願いします、哀しくなってくるので、繰り返さないでください」
「ーーときに事実は、人を傷付けるものなのです」
「なのだー!」
先程の仕返しだろうか、正気に戻ったクーさんが頻りに頷いてみせる。
いや、クーさん、それ、まったく褒めていませんから。しみじみと感心するのは止めてください。
それと、コウさんとみー。
何やら色々と事実確認をしたいところだが、まぁ、コウさんの言葉尻の、みーの同意が可愛かったので、今回は不問に付してあげます。
「こぞーは、おっちゃんとこ行くんだったか?」
「はい。オルエルさんに、エルネアの剣に協力を要請しに行くつもりです」
「んじゃー、そこで合流ーってことんなっかぁ」
「みー様に乗って遣って来るんですよね。楽しみというか、ちょっと怖いというか」
みーを見ると、これから何をするのかまったくわかっていないような、無邪気な笑顔でコウさんと戯れている。
竜の国には竜がいる。
それが当たり前だとしても、竜の民が受け入れてくれるかどうか、不安は常に僕の中にあった。
人は弱い生き物で、竜は強い生き物。人の歴史を振り返るまでもなく、人の振る舞いがどのようなものであったか言を俟たない。
最善を尽くす覚悟はあるが、天秤は容易く傾くのだと、忘れてはならない。
「さて。大凡決まったということで、あたしから幾つか注意事項。先ず、コウ」
手を叩いて皆の耳目を集めると、クーさんはぴしっとコウさんに指を突き付けた。
「コウは魔法を使うとき、魔法を使ったという演技をすること。それとわからず魔法を使われると、大抵の人間は恐怖を抱く。面倒でも、周囲に魔法を使ったことがわかるように、幾つか手順を考えておくこと」
コウさんの返事を待たず、指先の狙いが僕に移る。注意事項という名の命令が下る。
「リシェは魔力がないことを人に言わないこと。どうも自覚がないようだが、リシェの能力は、希少で危険。他人に知られると厄介なことになるかもしれない。あたしたち以外に既知であるのは?」
「えっと、はっきりとわかるのは、兄さんと〝サイカ〟の里長と悪友。あとはエルネアの剣のオルエルさんが知っているかもしれません。父さんやカレン、友人たちは知らないはずです」
「そうか。これからは、リシェの能力は特殊な魔法ということにする。『結界』の変種、とでもしておくか。あと、危険の度合いについてはーー」
クーさんが促すと、コウさんは口惜しそうに僕を睨め付けた。いや、それ、明らかに八つ当たりのような気がするのですが。
魔力がないのは、僕の所為ではないはずなので、魅力的な翠緑の瞳で射竦めようとするのは、止めないで……、もとい止めてください。
「わからないのです。わけわからんちんなのです。魔力を失い続けることの、核心に迫ろうとすると、嫌がらせのように振り回してくるのです。魔力で調べないといけないのに、魔力を打ち消してくるのです。まるでリシェさんの性格そのままなのです」
「子憎たらしいことを言う口は、この口ですか? いけない口は閉じてしまいましょう」
コウさんの唇を親指と人差し指で、むにっ、と摘んで、口を開けられなくする。
驚いたのか、何か文句でも言おうとしたのか、彼女の口の端っこから、くぐもった声が漏れ出る。間抜けな音だが、女の子のそんな様子を、少しだけ可愛いと思ってしまう僕は、どこかおかしくなっているのだろうか。
これは困った、止められない、自然と笑みが零れてしまう。
「……ぶぅ」
ぼひゅ。
通常より少な目ではあるが魔力が放出される。これまでと違い、放出された魔力は消えることなく空へと昇って、爆発音が響く。そして、弾けて散った金色の粒子が雪のように地上へと舞い落ちる。
誓いの木と引き換えに受け入れてくれた魔力の降雪。
やはり、これまで見てきた魔力の中でも、コウさんの魔力の純粋さと美しさは群を抜いている。
「ふぉーっ! 放すのです!」
「がーうっ、みーちゃんたべるかー! やいちゃうかー!!」
怒っているコウさんと、彼女に同調して口から炎が漏れているみーには悪いが、仔猫や仔犬が必死で敵を威嚇しているような、いじらしい姿に和んでしまう。
彼女が僕から離れたので、唇から指が放れてしまう。コウさんに触れていないので、美しい金雪の光景は風に攫われてしまい、世界が色彩を失う。
然あればあからさまに落胆してみせる。
ーーここのところ、コウさんに気安く接するようにしていた。彼女の機嫌が直らない内は、「やわらかいところ」対策であるところの、魔力放出に都合がいいのだが、長い目で見ると、いずれ軌道修正したほうがいいのは明らか。って、「ところ」という言葉を三回も使ってしまった。
異性に触れることに慣れていない僕の心の動揺が原因のような気がしないでもないが、然もありなんと頷けるほど達観していようはずもなく……。
まぁ、冗談の風を装った軽薄な過剰接触は、避難的というか一時凌ぎというか。嫌われるのはいい、と半ば諦めたが、憎まれるのは勘弁して欲しいので。
「よーもまー、ちび助んやらせっことできたなぁ」
「コウは恥ずかしがって嫌がるかと思っていたが、まったくどうやって仕込んだのやら」
二人は淡雪を体で浴びながら、感心半分、呆れ半分といった風情である。
詳しい事情に言及すれば、またぞろコウさんの機嫌を損ねてしまうので、苦笑で誤魔化す。
「僕は『祝福の淡雪』と呼んでいます。滅多に得られない祝福として、竜の国の『七祝福』の一つになればいいなと」
「七祝福って、七つもあるんか?」
「七つなくてもいいです。七祝福の一つは、みー様ですし。あとは、勝手に誰かが作ってくれると思います。ーーあれ、みー様、今日はリボンを反対の角に結わえているんですね」
「まーう? このひも、こーかくーがつけてくれるのだー。てくびにまいてもいーかんじらしーぞー」
まだまだ自分から着飾るというところまではいっていないようである。って、そういえば、みーはまだ三歳だった。
竜の好みが人間相応なのかはわからないが、この周期で服や装飾品に目敏くなるというのも変な話だ。
そういう意味では、コウさんも洒落っ気のない服装で、僕の贈り物である幸運の鳥も所在なさげである、などということはないが。
これは、子供を着飾らせたいという親の心境みたいなものなのだろうか。
何を着ても似合いそうな、クーさんのように垢抜けなくてもいいし、みーの服ほど爽やかでなくてもいいので、こう、もうちょっと、コウさんの魅力が引き立つような、ややもすると、その野暮ったさから魔法使いにさえ見えなくなってしまうので、ーーふぅ、僕も人の事を言えた義理ではないので、ここら辺にしておこう。
因みに、僕が野暮ったいのは、お金がないからーーのはずである。
服装の見立てや着こなしなどは兄さんに習ったので、あと当然里でも仕込まれたし、たぶん、きっと、お金と条件が揃いさえすれば、やれば出来る子ーーのはず。
「ちび助ぁ王さん。てぇと、俺ぁ竜騎士団の団長でもやっかなぁ」
エンさんは、コウさんを眺め遣ると、軽く首を傾げながら竜の国での役職を気軽に決めてしまうが。これはクーさんとの競合にならないかと、恐々と彼女に視線を向けて、
「あたしは、宰相が良い。言葉の響きが好ましい。ふふっ、自分が名乗ることになるとは思っていなかったが、宰相か、宰相、悪くない」
杞憂だったことに安堵する。
エンさんに先手を打たれて気分を害するどころか、クーさんは上機嫌。言葉の響きで役職を決めるとは、感情が豊かで多芸で、それ故に多情多感でもありそうな彼女らしい、のかな。
地位や権力に拘泥する人たちでないことはわかっているが、そういうところを気遣ってしまうのは人の性だろうか。
「こぞーは、侍従長とかんすっか」
「リシェは、侍従長にでもするか」
……ということになりました。相変わらず、二人は息ぴったりである。
コウさんが、むっとして僕を睨む。
はぁ、僕の所為じゃないのに。いや、否定というか拒否しなかったのが、お気に召さなかったのかもしれない。
彼女の世話を焼くのが仕事、とか思われたのだろうか、魔法使いの、女の子の心は複雑なようでもあり単純なようでもあり、未だに僕を翻弄する。
いっその事、お菓子なみー、のようにわかり易い面があってくれればと思うが、いや、魔法なコウさん、を活かし切れていない僕に落ち度があるような。
あ~、さて、反省はこれくらいにして、現実と向き合おう。侍従長という役職は、魔力の放出係、として都合が良く、あと、雑用係も兼務していると思われる。
「みーは、隠れ役職が『ミースガルタンシェアリ』で、表の役職は、竜の狩場の借用を認めてもらう為の、盟約の証しとして使わされた大使、というところ。あとは、竜の国の守護竜、フィア王の友竜、クーの愛竜」
「ふーう、たいしはたいしたやつなのだー?」
クーさん、どさくさに紛れて最後に変なものを付け足さないでください。
それと、みー。それは意図した発言なのだろうか。ただの偶然なのか、まさかコウさんの教育の賜物ということも?
だとしたら、それとなく吹き出した演技をしたほうがいいのだろうか。
「あとは、『竜の休憩所』の管理竜というのもありますね」
念入りに見澄まして、みーの真意が那辺にあるのか慎重に吟味した結果、……いやまあ、単に皆の雰囲気に合わせて迎合しただけなのだが、危機(?)は乗り切った。
以前、竜に感謝する施設があったほうがいい、と話に上ったが。その役割から、教会群から少し離れた位置にーーみーが気に入った場所に建設することと相成った。
まぁ、問題は、いや、問題など何もないのだが、面倒はあったかもしれない。
完成後の多数決で、僕の提案した名称、竜の休憩所、が採用されたわけなのだが。クーさんが推した、或いは執着した「愛の巣」は却下である。
アイノス、という言葉の響きが麗しい、と彼女は力説したが、その心情に同感する者はなく、竜心要のみーにまでそっぽを向かれてしまったとあっては、泣く泣く諦めるほかない。いったい何がクーさんをここまで駆り立てるのか、変に欲望を混ぜなければ、かなり有益な人なのでもったいないにもほどがある。
「あとは、これだね」
クーさんが指を鳴らすと、箱を抱えた三体のミニレムが幼子のように、とたとたと歩いてくる。
相変わらず、愛嬌のある歩き方で、微笑ましい気分にさせてくれる。
これからはこのミニレムが、お手伝い魔法人形として活躍してくれる。ただ、実際にどこまでの働きをしてくれるのか、コウさんが教えてくれないのでまだよくわかっていない。
「持ってきてくれたんだね。ありがとう」
額に、一九三と数字を刻んだミニレムが僕に箱を差し出してきたので、受け取ってお礼を言う。あと、労いに肩をぽんぽんと叩くと、ミニレムはわっしゃわっしゃと手を広げる。それから顔を手で隠して左右に体を振ると、とたたーと走って行ってしまった。
……これは多分、褒めてもらったのが嬉しかった、ということなのだろう。
最初に見えたときよりも感情の表現が豊かになっているような。言うなれば、人間臭くなった、というところか。
「箱は王宮で使うものだから、ミニレムに渡しておくこと」
道理で、作りはしっかりとしたものだった。わざわざこの箱を使ったということは、ミニレムの性能試験を兼ねているのかもしれない。
長距離移動や、貴重品を扱えるかどうか、などだろうか。重要な調度品でも入っていそうな箱を開けると、礼装一式が入っていた。
「あたしとエンは、元々持っていた礼服に、竜と炎の意匠を施すことで完成。あとは竜の国の王の服と、みーにはこれを」
箱を開けると、クーさんはみーの前に差し出した。
みーは炎のように好奇心満杯な顔で、さっそく取り出して矯めつ眇めつ、ぺたぺたと手や腕、頬まで使って感触を確かめていた。
「みゃーう、しっとりとりとりふやふやーんなのだー」
気に入ったようで、ぼふっぼふっと顔を何度も埋めている。
みーの顔の幅くらいある、淵に金色の細工が施された炎色の長い布。クーさんは、その長布の真ん中辺りをみー首にくるくるっと二周巻いて、残りをお腹辺りまで垂らした。
「公式の場では、これを首に巻いて、前か後ろに垂らす」
「おー、ちみっ子、なんかかっちょくなったなぁ」
「おーう、みーちゃんいーかんじー?」
教会の司教が権威を示す為に着用していそうな装飾だが、みーが着ると可愛さ倍増、は言い過ぎか。
周囲に影響を与えないように炎の属性を解放できるようになれば、みーの肢体の、炎色の文様と相俟って、神秘性を醸せるかもしれない。
見せびらかすように跳ね回るみーを見ながら、僕も取り出した服に着替える。
これまで着たことのない上等な素材の感触に、擽ったいような、気恥ずかしいような感情が芽生える。
僕では、この礼服には役不足だろうが、長い目で見てくれるとありがたい。服に触れながら、そんなことを思っていると、二人と一竜の視線が集まっていることに気付く。
「……悪くねぇ、駄目じゃねぇのん、なんだこの、しこたま溢れてくん、これじゃない感は?」
「おかしい。心象の通り、想定通りなのに、……貧相なリシェにも似合うよう苦心したはず。ーー仕方がない、リシェ、ちょっとばかり顔と体を取り替えてきてくれないか」
ちょっとクーさん、僕の存在を丸ごと否定しないでください。
顔と体って、合格したのは髪の毛だけですか? 僕の本体は髪の毛ですか?
あ~、そんな頑是無い反発は止めるとして。今更取り替えるとか出来ませんから。十六周期使ってきたので、愛着はあります。
「むーう、ふくがふくふくしてないかんじー?」
みーは、僕を見上げて感想を述べる。
ふくがふくふくって、何か縁起がよさそうだが、意味がわからない。と思っていたのはどうやら僕だけで。
「おー、ちみっ子、そんとーりだ。的確ん意見ってやつだな」
「なるほど、リシェの無神経で不躾な要素を考慮しなかったのが敗因というわけか」
「…………」
エンさんとクーさんは、深く感じ入っていた。さすがに否定だらけなので反論しようかと思ったが、「転移」でやや離れた場所に現れたコウさんを見て、言葉を失ってしまった。
「……あの、着てきたの」
縮こまるようにして、コウさんがちょこなんと立っていた。
「ふゃ……」
コウさんは全員に一斉に見られて、後退りしそうになるが、どれほどの勇気を振り絞っているのか、「転移」や「隠蔽」などの魔法を行使することなく、顔を俯けて堪えていた。
暗色であることに変わりはないが、これまでのような黒や茶色を主としたものではなく、紫や赤といった高貴さを表すような配色になっていた。
あっ、と気付く。そして、嬉しくなる。
新しい三角帽子に、僕があげた幸運の鳥の細工物が取り付けられていた。
繊細というか華奢というか、見た目が可愛いらしいだけに、王としての威厳を醸すことは難しいかもしれないが、実によくコウさんに似合っていた。
さすがクーさんが、煮詰まってどろどろになるくらい愛を注ぎ込んだ一品である。だが、どうしたことだろう、当のコウさんは、その場に立ち尽くしてもじもじしていた。
「おーし、ちみっ子ー、手伝えー。ばさぁー」
「さーう、おひろめーなのだー。ぱひぁー」
コウさんに駆け寄った二人は、羞恥と動揺抜けやらぬ彼女の前で交差して、転、と回転しながら、息ぴったりの二人の効果音に合わせて、彼女の外套を捲り上げた。
「ふぃっ!? ……ぅっ」
コウさんは、わたわたして外套で隠そうとするが、すでに遅し。
然てしも今の二人の的確な動きは、偶然の産物なのか、はたまた鍛錬の成果なのか。
みーと仲が好くて、妬けてしまいそうになる。
僕の嫉妬をまったく意に介していないエンさんは、逃げようとしたコウさんの首根っこをがっちりと掴まえた。そして、そのままコウさんを持ち上げると、小動物よろしくぷらんぷらんさせながら、観念した彼女を僕たちの許まで連れてくる。
「短かったですね。あまりあけっぴろげに趣味を持ち込むのもどうかと思いますが」
一応、或いは建前として、コウさんを援護してみる。
外套の下の、服の意匠は凝っていた。落ち着いた雰囲気で、コウさんの控えめな性格にも合っているだろう。
まぁ、問題は何かというと、あれである。あれ、というのは、クーさんの邪念、というか、もはや理念。クーさんの、あれレンが結実して現出したものが、僕の想像を超えないかと言えば然に非ず。
ああ、いや、それなりに心臓の鼓動が煩いので、大袈裟な言い方をしてしまったが、そこまでのことが起こっているわけではない。
ただ、ちょっと意表を突かれたというか竜に突かれたというか、前に親心で着飾らせたいとの願望が実現したというか、ああ、いや、それは竜にも角にも、何が問題かとーー、ふぅ、落ち着け、僕、要は、現実を見据えればいいというだけだ。
そう、みーなんか全開だ、丸見えだ。それに比べれば、比べれば……。
自然とコウさんに視線が向いてしまう。時機良く(?)、仲良し竜焔の二人が、ばさぁ。
「っ!」
「ぶごっ?!」
「ぱひゃー?」
二度目の蛮行に、さすがに怒ったコウさん。
風の魔法だろうか、小高い丘の上にある翠緑宮から坂を転がり落ちていく悪戯竜焔。
みーの外套に施されたコウさんの魔法の効果なのだろうか、包まって若草色の塊になったみーに損傷はないようである。
さて、再びの開帳、もといお目見え、って、どっちも適切でないような、いや、もう、何のことかというと。
コウさんの王様の衣装の、スカートの丈が短くて、細くて柔らかそうな素足が、膝上まで見えてしまっていることだ。
コウさんは、いそいそと外套で体を覆って、恥ずかしいのか、更に体を隠すように、ぎゅっ、と自らの体を抱くように縮こまる。
これ以上凝視するのは不味いと、顔を逸らすが、向いた方向が最悪だった。
クーさんが、にやにやしながら僕を見ていた。まるで僕の心の深奥まで覗き込んで、嫌いじゃないくせに(訳、ランル・リシェ)、とでも言わんばかりに。
いや、僕も思春期とかの最中にある男の子なので、そういう方面に関する審美眼的な要素がなきにしもあらずとはいえないまでもうんぬんうんぬん……。
はぁ、自分で自分を誤魔化すというのは、案外難しいものである。と結論付けて、強制的に誤魔化し完竜。
「ほーれ、ちみっ子ん見ろー。見え捲りだぞー、それん比べりゃ増しだー」
いつの間に戻って来たのやら、怪我を治癒魔法で治したらしいエンさんは、みーを後ろから持ち上げて、左右に振ってぷらんぷらんさせた。
服の若草色より肌色が眩しいみーの健康的な肢体が露わになる。
「みゃーう、もっとふれー、もっとまわせーなのだー」
みーの要望に応えて、エンさんは小石や木の棒でも扱うように、軽々とみーを振ったり投げたり回したり。
みーは楽しそうにしているが、見ているこちらは冷や冷やものである。
「似合っているのですから、恥ずかしがらずに堂々としていたほうが、映えると思いますよ。ーー公式のものだけあって、杖は持っているんですね」
「……リシェさんは、こういう服が好みなのです? 破廉恥なのです。獣なのです。竜に喰われろ、なのです」
微妙に会話が噛み合っていない。
杖は、いかにも魔法使いが持っていそうな木製のものだが、コウさんが使うものである、きっととんでもない性能を秘めているに相違ない。
外套でしっかりと体を隠して、そっぽを向いている。恥ずかしさに耐えられないのか、左右にちょこちょこ揺れている。これ以上旋毛を曲げてしまわない内に、尋ねておこう。
「頼んでおいた『遠観』の進捗具合はどうですか?」
「……事前に対象を補足しておけば、問題ないのです」
コウさんが手を振ると、空中に数え切れないくらいの「遠観」の、魔法で作られた四角い枠ーー言い難いので「窓」と呼んでしまおうーー「窓」が現れた。
一つ一つが異なる場所を、竜の国の至るところを映している。
翠緑に輝く王宮、南の竜道の入り口、人造湖の運搬装置である湖竜、各竜地に竜区まで。
ーーこれが竜の国の完成した姿。
ゆくりなく実感が湧いてきて、今更ながら、胸に込み上げてくるものがあった。
「コウさん、ありがとうございます」
僕の中にあった、透明で侵し難いところから、風の優しさで転び出る。これは感謝なのだろうか、それとも共感なのだろうか、零れた言葉の行方を追い掛けたくなる。
国造りの最中にはわからなかった、一つのものを作り上げる喜び。何より、皆で形作ったことが嬉しくて堪らない。
心に灯った、この優しい熱を、忘れてはならない。
「そ、そんな顔を向けるの、反則なの……」
僕の声に振り返ったコウさんは、三角帽子で顔を隠して、再びあらぬ方向に体を向けてしまう。そして、はしゃぐみーに心付いて、小走りで炎竜の許に駆けてゆく。
これは、失敗した。あまり評判のよろしくない、無防備な表情を見せてしまった。
これ以上嫌われるのは勘弁して欲しいのだが、上手くいかないものだ。
さて、少し早いが出発しよう。
もっと皆と喜びを分かち合いたいが、これからが本当の始まりである。エルネアの剣を訪ねる前に、調整しておかなければならないことが幾つかある。
ーー僕はもう一度、まだ消えていない「窓」を見回して、思いを新たにした。
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