竜の国の魔法使い

風結

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一章 冒険者と魔法使い

巨鬼との戦闘

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 人の頭を嫌な感じにすっぽり包んでしまえるくらいの長大な鉤爪かぎづめが、目の前を通り過ぎてゆく。

 いや、通り過ぎる、なんて生易しいものではない。耳を鋭く刺激する風切り音を発する爪は、何もない空間さえ引き裂いているかのようだ。

 胸から腹を覆う安物の革鎧など、子供でも破れるパンケーキのような頼りなさだ。

 浅黒い肌、粗末な衣服、短い足、長い腕、豚に似た鼻を持つ獣のごとき顔の人型の魔物。それらの特徴は、地域によって多少の個体差はあるが「人喰い鬼」や「豚人族」、オークと呼ばれている。

 だが、目の前の魔物はオークの特徴をそなえながら、異なる点が二つあった。

 一つは体躯たいく。大きな個体でも人間よりやや勝っている程度なのだが、「巨鬼」とでも呼べそうな巨躯きょくは、見上げる位置に頭がある。人間の鍛えた体とは違う、生来の獣じみた強靭きょうじんさが異質な恐怖を抱かせる。

 もう一つが鉤爪。鉤爪を具えたオークの話など聞いたことがない。

 それとあと一つ、付け加えるべき特徴がある。巨鬼たちの胸に赤い塗料らしきものが塗られていた。

 二本の線と交わる一本の曲線からなる、文様というには単純に過ぎる印のようなものが描かれているーーのだが、そんなことよりも何よりもどうにかならないかと思うのが……。

「臭い!!」

 恐らくあの塗料なのだろうが、いったい何を素材にしているのかわからないが、竜にも角にも、臭くてたまらない。文字通り、鼻が曲がりそうな異臭がする。

「ぐあぁあぅ!!」

 僕の言葉をかいしたわけではないだろうが、趣意しゅいは伝わったらしい。怨嗟えんさの声を上げながら巨鬼が執拗しつように追ってくる。

 大きな人型の魔物は、直線的で単発の攻撃を力任せに放ってくる傾向にある。生来具わった武器からだを最大限活かすような戦い方だ。

 てだに済んでくれればいいのだが、巨鬼は人の術とは違うが、それに似た多彩な攻撃を仕掛けてくる。

 こんな凶悪な魔物を倒せるような技量は僕にはない。極力間合いの外で、仕方がないときは片手剣と小盾で防御。剣と盾が壊れないか冷や冷やしながら逃げ回っている。

 これまで防御ばかり鍛えてきたたまものだが、今は逃げ切る以上のことをしなくてはならない。

 頃合いを見計らう。わざと隙を作って、攻撃を誘う。巨鬼の動きに慣れてきたので、これくらいのことなら可能だ。こちらの思惑通りの攻撃。たける巨鬼には、樹木の姿が映らない。

「ぐぅうっ!?」

 幹に鉤爪をり込ませて、軽い混乱に陥る巨鬼から、もう一本樹木を挟んで距離を取る。

 やっとこ周囲を見渡せる余裕ができる。一息吐きたいが、てしもらず素早く視線を走らせる。

 見通しの良い林の中に、二十体程の巨鬼を捉える。下生えが少なく、見渡しが良いということは、人の手が入っているということ。つまり、近くに人里があるのだ。

 戦闘開始時に四十体を超えていた巨鬼が半分に減っている。僕が一体の巨鬼と友好的でも優雅でもない舞踊ダンスいられている間、ずっと巨鬼の怒号や唸り声、悲鳴を耳朶じだにしていたが、やはり氷焔はとんでもない。

 彼らの居場所を確認して、一旦目を閉じる。

 見る、と一口に言っても見方は幾つもある。例えば、見えている物、全部を見る。視点を定めず、どこも見ない。深く深く、一点だけに集中する。こういったものは、気付かないと一生気付けない。まぁ、見出したところで、役立つことは少ないのだが。

 目を開いて、空間そのものを認識するよう心掛ける。

 意識的に視界に入り込んで心象しんしょう俯瞰ふかんしている、と断言することは出来ないが、今だけは思い込む。脳内で補完、もう一つの視点を作り上げる。

 こうすると、体が空に向かって引っ張られるような感覚を覚えるのだが、この浮遊感は嫌いではない。そして、もう一歩先に、ここからは能動的に行う。

 巨鬼を、領域を侵食する色と認識する。数が増えれば色は濃くなる。向かう先に色は流れてゆく。状況を瞬時に判断する為に、里で習った方法。遣り方は様々だが、僕は色彩をもちいる方法を好んでいる。

 最も色の濃い、あの部分を削り取るように攻撃するのが上策だろうか。

「エンさんっ……」
「はっはっはっ、どんどんきやがれっ!」

 伝えようとした僕の言葉が空しく途切れる。

 エンさんは豪快に笑いながら、僕が指示しようとした場所に居た巨鬼を両断する。彼の武器は長剣だが、剣身を魔力で覆うことで、両手剣並みの刃となる。

 長剣だけでなく、必要とあらば体も魔力で覆うらしい。いや、逆か。魔力の扱いにけた者でも、戦闘時に体を魔力で覆うのは難しいらしく、して武器までとなると至難のわざ

 それを平然とこなしているだけでも、「火焔」の人の枠に収まらない規格外の強さに、当惑、というか、困惑する。って、どちらも似たようなものか。

 魔力がまったくない僕には知覚できないが、彼らの言葉とこれまで観察した結果から大凡の見当を付ける。

 僕にとって魔力とは、感覚を伴わない風のようなものだ。実感に乏しい、あやふやなそれは、想像力で補うのが難しい。特に人類最強とおぼしき氷焔の常軌じょうきを逸した魔力に対応しろとか、竜の周期を当てるのと同じくらいの超絶難易度である。

 巨鬼の攻撃を素手で軽々と弾いたり、掴んだ鉤爪をし折ったりと、あれでまだ全力ではないのだから恐れ入る。エンさんは目前の敵を斬り付けながら、只管ひたすら前に進んでゆく。

 敵を倒したか、反撃があるのか、それら一切を無視して踏破する。敵がある限り止まることを知らない。ただ焼き尽くす火焔。

 ほのおから逃れても、巨鬼に安息あんそくはない。火焔の災厄が通り過ぎて混乱の極みにある巨鬼たちに、薄氷の陥穽かんせいがあることを知らしめてゆく。

 両手に片手剣、双剣など明らかに常道を無視したものだが、クーさんには関係ない。魔力を纏った剣は軽やかに舞い、風の柔軟さでするりと吹き抜けてゆく。

 斬り結ぶことすら敵わず、翻弄ほんろうされる巨鬼。薄氷を割るような容易たやすさで命数を散らしてゆく。

 彼女も歩みを止めない。脅威ではないと判断すれば、それ以上の攻撃を加えることなくエンさんを追ってゆく。

 僕も何かせねばと焦るが、巨鬼を牽制する為の投擲用とうてきようのナイフを手にする間もなく、障害になりそうな巨鬼はクーさんがほふってゆく。

 巨鬼にとって魔風と化した「薄氷」は、

「ぅぐっ!?」

 ……樹に背中からぶつかった。

 魔力を纏っているので衝撃を緩和できるはずだが、不意を衝かれたのか、かなり痛そうだ。クーさんの周辺だけ奇妙な静寂が漂う。

「「「「「…………」」」」」

 巨鬼たちがどうしたものかと戸惑っている。

 通常なら好機と捉えて攻撃を加えるのだろうが、竜や魔獣の如く自分たちを屠ってきた相手である。そこは人間も魔物も変わらないらしい。本能にいても勇気の総量に於いても、それだけではどうにもならない存在を前に尻込みしている。

 集中力が必要、たまに失敗することくらいある。とは三日前に聞いたクーさんの言い訳、ではなく、説明にるところである。

 魔力の扱いは、エンさんよりクーさんのほうに分があるらしいが、彼女は双剣を用いている。双剣と魔力の操作を統制するのは、どれだけの繊細さを要求されるのか。ときどき見受けられるクーさんの蹉跌さてつもむべなるかな。

「何を見ている」

 何事もなかったかのように樹木から離れたクーさんは、居回いまわりにたむろしていた憐れな巨鬼たちに過剰攻撃を加えていた。

彼女が照れ隠しをしている間に生じた間隙かんげきに、暗色の小さな塊が入り込んでゆく。

 黒に近い茶色の外套ローブに三角帽子。散策さんさくついでに立ち寄ったかのような気安さで、魔法使いが巨鬼たちの間をとてとてと抜けてゆく。

 巨鬼たちがぎょっとして、迷い込んできた魔法使いを見遣る。

 魔物でもあの姿には驚くらしい。帽子を目深まぶかに被って、大き目の外套をまとった姿に、肌が露出した箇所は一つもない。本当に、何というか、人の形をした塊が移動している感じなのである。

 五日経った今も、顔すらおがめていない。氷焔の三人目、謎の、しくはいぶかしの魔法使いである。

 僕の肩くらいの身長。外套でよくわからないが、動きの様子から細身と思われる。

 死地に足を踏み入れたとしか思えない状況だが、これは性格とか本性とかを表しているのだろうか、魔法使いは大胆で、巧妙だった。

「ぎいぃあっ!」

 戦える仲間がもう自分の周囲にしかいないことを知って、怒りとも悲しみともつかない叫び声を上げる巨鬼。自らをふるい立たせて、衝動のままに魔法使いを攻撃しようとして、すんでに勘付く。

 仲間が近過ぎることに。同士討ちを恐れて、魔法使いを攻撃できない。何をするでもなく、ただ歩き回っているだけの小さな塊を、巨鬼たちは攻めあぐねていた。

 魔法使いがゆくりなく向かう先を変えて、巨鬼たちの領域から抜け出す。

 もう陽動する必要がなくなったから離脱したのだと見抜けず、後を追おうと踏み出す巨鬼。その顔は、獲物を仕留められる歓喜に歪んでいた。

 魔法使いの背後で、鉤爪を振り上げた瞬間、

「あたしのコウに何をしている!」

 クーさんは、巨鬼の肩や頭を踏み付けながら、突風となって魔法使いの許まで器用に駆け抜けていった。

 僕には見えないが、彼女の魔法の効力なのだろう、巨鬼たちの首がぽろりぽろりと落ちてゆく。どうやら本気を出したらしい。

 僕と戦っていた巨鬼は、仲間たちの惨状を目に焼き付けて、いや、目を通して魂を焼き尽くされたのか、鉤爪を樹木から抜いた体勢のまま恐れおののいていた。

 ーー敵は無防備である。攻撃しても僕では倒せない。思考終了。

 情けないがこれが現実である。氷焔の皆に合流しようと迂回する経路を探していると。

「ぅえ?」

 人生最後の言葉が、こんな間抜けなものでいいのかと、混乱する頭が疑問を発するが。直後には、事実だけが頭を埋め尽くす。背後に、もう一体の巨鬼と違って、恐怖ではなく激情に目をいている巨体があった。

 あった、というか、居た、というか、もう鉤爪を振り下ろしている。

 死の予感や予兆を感じる間もなく、僕の命は刈り取られた。

「ぎやぁぐっ!?」

 ……巨鬼の、苦痛にあえぐ声。不思議なことに、僕の断末魔の叫びではないらしい。

 鉤爪は、腕ごと宙に舞っていた。赤よりも黒に近い巨鬼の血が僕の全身を濡らしてゆく。

「あれ? 刈り取られてない?」

 助からない一撃だったので、うっかり死んだものと思い込んでいた。って、いやいや、そんなことを考えている場合ではなくてっ!

 咄嗟とっさに歯を食い縛って、手を握り締めて足を踏ん張って、ふやけた思考を打擲ちょうちゃく。即座に見澄みすます。

「油断は禁物」
「…………」
「「ーーーー」」

 クーさんのからかうような声が届くが、僕は目を逸らせなかった。二体の巨鬼が僕を見ていた。殺意を通り越した狂気の眼光を放っている。

 この塵芥じんかいの如き人間だけでも殺さなければ死んでも死に切れない(訳、ランル・リシェ)。

 しかく彼らの視線が物語っていた。
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