竜の国の異邦人

風結

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炎竜の間

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「みーちゃんのどくだんとへんけんとえっへんで、きょーのおやつはきまるのだー!」

 玉座で立ち上がったみーは、元気に飛び上がった。
 玉座周辺の枢要たちは、拍手喝采竜の息吹。
 炎竜の間ーー謁見の間には四十人以上の枢要が参集していた。
 現在は、二つ音と半分を過ぎたくらい。
 昨日報告してから一日と経っていないので、全員ではないようだ。

「昨日あれから、みー様を乗せたラカがストーフグレフ国に行って、厄介な出来事に巻き込まれて『どっすん』してから、三種類のおやつをナトラ様から大量に貰って帰ってきました。今日みー様が食べるお菓子は、竜の国の子供たちに配られます。明日のおやつは、竜地や各施設などに。最後のものは、枢要や職員、竜騎士などに配られます」

 僕たちを見咎めて走り寄ってきたリシェは、若干早口で説明した。
 昨日も言っていたが、忙しさは解消されていないようだ。

「今日配る相手が子供たちなのは、みーが最初に選ぶのが、子供が好むような甘いものだからか?」
「そういうことになります。フィア様が遣って来たら始めますので、それまでは寛いでいてください。皆さんは、こうした雰囲気に慣れているでしょうから、助言などは必要なさそうですね。いつも通りに振る舞ってください」

 リシェの言う通り、皆は落ち着いていた。
 真新しい謁見の間は、古びたクラスニールのものとは相容れないが、ここに居る人々の醸す空気が似ている。
 周期が上の分だけ心に響くものがあったのか、エルムスとホーエルの瞳が懐旧に揺れていた。

「ところでコデコデ~、このぐるぐる巻きの、胡散臭いくらいの美形は何なのかなかな~」

 ワーシュは僕たちの会話をそっちのけに、床に転がる男性ーー魔法使いを指でつついた。
 二十半ばと思われる、有り得ないほど容姿が整った魔法使いは、光の縄で縛られていた。
 リシェではなく、コウかヴァレイスナの仕業だろう。
 候補には入らないが、リシェに頼まれれば、ラカールラカも遣るかもしれない。

「はい。そこの不必要なまでの美形は、老師ーー『氷焔』の師匠で、僕の師匠でもあります。今は、元魔法団団長ですね。周期甲斐もなく、とんずらいたので、スナに頼んで、ナトラ様から教えてもらったという『結界糸』の実験台になってもらいました」
「はぁ、もう逃げないから好い加減、解いて欲しいのだけれど。まだしていないから、逆に魔力の流れを阻害してしまっているようでね」

 元団長は、体を振って器用に立ち上がった。
 優れた体術を備えているようだ。
 力強さと、ーー魔力とは異なる、不可思議な心地。

「こちらの男性が『元』ということは、今は誰が魔法団団長を務めているのだろう?」

 ワーシュの行く先を案じたのか、エルムスはリシェに尋ねた。

「そちらも困り事の一つなんです。魔法使いって、多くの人が『アレ』なので、実は老師って、稀有な人材だったんですよね。順当な人選なら、纏め役以外のダニステイルの有力者に頼むところなんですけど。……彼らの抑えの為にも現在は、呪術師であるエルタスさんの親族と交渉中です」

 リシェは軽く頭を下げてから、小走りで玉座へ。
 向かう先には、若草色の大きな布に炎竜が描かれたグリングロウ国の国旗。
 描かれている炎竜に違和感がある。
 対象モデルは、成竜ではなく仔竜なのだろう。

「たーう」

 やはり気が急いているのか、リシェは気付けなかったようだ。
 みーはすでに、リシェの死角から忍び寄っていた。
 枢要たちはリシェを見ていた。
 リシェは視線が集まっていることに気付いて、枢要たちを見返した。

「りゅうのむっふんっ!」

 畢竟するに、リシェの首がヤバい角度まで曲がった。
 リシェを麦に見立てたのだろうか、どこ行く仔炎竜とばかりに、予測不能な行動でリシェの頭を踏み付けた。
 リシェは枢要たちからあまり好かれていないようで、多くの者がみーの行動に歓喜、というか、感激していた。
 しかし、それが一変するだろうことに、枢要たちは未だ気付いていない。

「はーう、ほー、いっくのだー」

 リシェを踏み台に、みーは高く舞い上がる。
 コルクスとエルムスに腕を掴まれたワーシュは激しく抵抗するも、ホーエルから引き離される。
 元団長の軽く驚いた表情からして、不味いことになるかもしれない。
 元団長は僕の視線に気付いて、問題ないと目線で伝えてくる。
 さすがはリシェと「氷焔」きかくがいたちの師匠。
 一度だけまみえたことのある、フフスルラニード王に通じる老練さを感じさせた。
 容姿は若いが、或いは見た目通りの周期ではないのかもしれない。

「みゃっふんっ!」

 更に進化を遂げたのか、滑らかにホーエルの肩の上に落ちた。
 予想通りに、竜の魅力に遣られたらしい枢要たちが騒ぎ立てる。

「なっ、何と! ザーツネル殿が居るというのに……」
「若しや、『いっとーしょー』なのではないか? 『ほー』と呼ばれていたが」
「むぅっ!? 侵入者か! 今すぐ我らがみー様をお助けぅびっ!?」

 リシェが投げ付けたラカールラカは、ホーエルに駆け寄ろうとしていた遊牧民の老人に一直線。
 綿毛のように軟着すると、老人の足が止まる。
 枢要たちからの、羨望の的になって、老人はご満悦。
 その様子から察するに、みーにはあまり懐かれていなかったらしい。
 補佐の遊牧民から宗旨替えを咎められて、仔炎竜そっちのけで天竜雷竜てんやわんや

「はいはい、落ち着いてください。デアさんも、あんまり聞き分けがないと、斧を没収しますよ?」

 リシェは巨大な伐採斧を構えたデアの前に、一瞬で移動してから斧の柄を掴んだ。
 まるで「万周期氷」で固定されたかのように斧は微塵も動かず、デアと周辺の竜騎士を驚愕させる。
 以前は、あれ程の力を備えてはいなかったのだろう。
 ザーツネルという若い竜騎士は、みーを肩車するホーエルを見て安堵の表情を浮かべていた。
 みーの人気からして、やっかまれることもあったようだ。
 この騒ぎに紛れて元団長は姿を晦まそうとするが、背後の竜ならぬ背後の魔法使い。

「はーう、こーこーこー」
「はーい、みーちゃん~。今日は色々と決めることがあるので、大人しく聞いていましょうね~。ーーあと、師匠。逃げても無駄なの」

 みーはコウに気付いて、振り返ろうとする。
 そんなみーを、コウは横から抱き締めた。
 竜の国に遣って来てから一番大変だったのは、ホーエルかもしれない。
 仔竜と「魔法王」に挟まれた上に、元団長を脅す為なのか、魂が震える程の魔力がコウから発せられる。

「あーう、みーちゃんこだわりゅーなので、ほーといっしょにおやつちゅーなんだぞー」

 みーはお菓子を半分食べると、もう半分をホーエルの口に持っていく。

「くぅっ、みー様が手ずからお菓子をっ!」
「何という祝福! きっとみー様しあわせな味がするに違いない!!」
「はいはい、もうわかりましたから、とっとと始めますよ。好い加減、状況を理解しない方が居たなら、僕が半分食べたお菓子を、うっかり口に捻じ込んでしまいますよ?」

 嫉妬に狂って暴れ出そうとした枢要たちを、リシェは完膚なきまでに黙らせる。
 ファスファールだけが、他の枢要とは異なる表情をしていた。
 リャナがよく見せる表情と似ているので、ファスファールも持病を発症してしまったのかもしれない。
 未だに、持病の正体はわからない。
 命に係わるようなものではないようだが、心配ではある。
 リャナもファスファールも、他人に知られたくないようだった。
 リャナに直接尋ねるのは問題があるかもしれない。
 リャナの為にも、機会があればファスファールに相談してみよう。

「まーう、うまうまー、うっままっう、まっううっま、まうまうー、うーま!」

 謎舞踊のみー。
 炎竜の間が、仔炎竜のあたたかな色に染まる。
 枢要たちからの殺意がなくなってから、なるべく口を動かさないようにホーエルはお菓子を食べた。
 ホーエルの硬い表情からして、子供向けであるだろうお菓子は、かなり甘かったようだ。

「ホーエル! ずっこいっずっこいっ、ずずっこいっずずずっこい、ずずずずっこいっずずずずずっこい!」
「だーっ! いー加減にしろっ、このっ微妙に竜に嫌われ娘が!」
「……何だか、居た堪れないね」

 ワーシュが騒ぎ出したので、再び数十の視線がホーエルに突き刺さる。
 注目されるのが苦手なホーエル。
 竜の祝福より、心労のほうが勝っているようだ。
 倒れないか心配になってくる。
 リシェを見ていて思ったが、竜に気に入られるのは色々と大変なこともあるようだ。
 史実に存在しない、人と竜の交流。
 それらはリシェやコウが、竜の民が居るからこそ成り立っているのだろう。
 ストーフグレフ王も同様。
 幾つの幸運が重なったなら、こんな日常が遣って来るのか。
 どれだけ竜の翼を羽搏かせてみても、果てなき空を彷徨うばかり。
 こんな危うい光景を現出させたリシェは、どこを目指しているのか、僕には見通すことは敵わない。

「ぴゃ~。りえっ、りえっ、りえっ!」

 枢要たちに可愛がられて、揉みくちゃのラカールラカは風を溢れさせた。
 謁見の間の喧騒は風竜が運び去って、ーーコウが玉座の前に立つことで程好い緊張感に満たされる。
 枢要たちが定位置にーー左右に列を作ってから、コウは会議の開始を告げた。
 直後に丸投げした。

「皆さん、お忙しいところ集まっていただいて、ありがとうなのです。ーーあとはリシェさんに任せるのです」
「……えっと、いきなりですか? まぁ、今回は、王様の口はみー様の口、みたいなものですので、僕が進めるに如くはないーーということで仕切らせてもらいます」

 戻ってきたラカールラカを抱き締めると、リシェの雰囲気が変わる。
 多数の者が居る中で、リシェの姿が鮮明に浮かび上がる。
 枢要の、皆の視線が吸い寄せられる、その先にはーー竜の国の侍従長。

「質問、反論、意見などは許容しません。聞きたいことがあったなら、あとから僕のところに来てください。ーー近況、様々なことがありましたが、取り分け二つの重大事について話します。必要があるなら僕が振りますので、皆さんには傍聴人になっていただきます」
「それほど重要なことがーー」
「ああ、オルエルさん。筆頭竜官としての責務を果たそうとしてくれていることには、本当に頭が下がる思いですが、僕が今しがた、何と言ったのか聞いていなかったのですか?」
「ひっ……」

 リシェから、邪竜もかくやという笑みを向けられて、竜官の最高位らしい恰幅の良い壮年の男は、顔を引き攣らせた。
 リシェが怖かったというより、この先の展開が予想できてしまったが故の、凍え具合だったようだ。

「『ひゃっこいの刑』執行」

 リシェが無慈悲に指を突き付けると、オルエルの背中に突如としてヴァレイスナが現れた。

「ひゃっこい、ですわ」
「ひぃ~っ!?」

 ヴァレイスナから柔らかな冷気が噴出。
 三寒国の寒期水準で冷えているのか、オルエルは自身の体を両手で抱いて激しく擦る。
 だが、竜との触れ合いに満足出来ていない者たちが、目を爛々と輝かせていた。
 あの程度の「ひゃっこい」なら我慢できると、早合点しているらしい。
 察したホーエルは、ワーシュの口を。
 コルクスは、ワーシュの目を塞ぐ。
 リシェの話を聞いていなかったのか、「火焔」はあっけらかんと、普通に話し掛けた。

「おーい、こぞー。じじーん『光縄これ』、目障りだかんさっさと解いちまおーぜ」
「ああ、エンさん、残念です。それは『光縄』ではなく『結界糸』です。人の話を聞いていない、有能で竜能な団長にはーー『スナ氷の刑』執行」

 リシェが指を突き付ける前に、命の危機を半瞬で悟った「火焔」は逃走を図ろうとするも、ーー背後の風竜。
 ラカールラカが率先して動く可能性は低いので、リシェにお願いされたのだろう。

「ぴゃ~ぴゃ~ぴゃ~ぴゃ~っ!?」

 ラカールラカは横合いから「薄氷」に掻っ攫われて、言葉に出来ないような可愛がられ方をされる。
 手籠めな風竜を尻目に、遁走の為に「火焔」は魔力を纏うも、ーー背後の氷竜。

「スナ氷、ですわ」
「ほぅげぇ~~っっ!!」

 ヴァレイスナから濃厚な凍気が噴出。
 北方の最北端水準で凍えているのか、床に倒れた「火焔」は動かなくなった。
 「火焔」は火が優位属性だろうから、格が上の氷属性は「毒」と同義なのかもしれない。
 「火焔」に乗っかっているヴァレイスナの背中に、駆け寄った少女がくっ付いて、何かの意思表示なのか「治癒」を掛け捲る。
 ファスファールの後ろに侍る二人が「双巫女」だろうから、コウと同周期の少女は「爆焔の治癒術師」だろう。

「っ、っ、っ!」
「シャレンっ、待つで…っ!?」

 爆発した。
 何故か治癒魔法が爆発して周囲を巻き込んだが、ヴァレイスナが居るから問題はないだろう。
 事態が収束するまでの間に、僕は枢要の人々を観察する。
 コウとリシェ、あと元団長も例外というか埒外だが、彼ら以外にも忽せには出来ない者が多く居る。
 「氷焔」や魔法使い、竜騎士といった右側の列は言わずもがな。
 左側の列ーー竜官の側にも、二人。
 三十前後の、魔法使いの様相をした、穏やかな雰囲気の男。
 くだんの、リシェですら手を焼くダニステイルの纏め役だろう。
 もう一人は、異彩を放つ、末席の初老の男。
 補佐の位置に居る、二人の男もそうだが、市井人とは明らかに気配が異なる。
 もしかしたら、冒険者のーー「人喰い」だった者かもしれない。

「ぴゃ~! ふあこっ、ふあこっ!」
「っ……」
「……っ」

 爆発に巻き込まれた「薄氷」の隙を衝いて、「双巫女」がラカールラカを奪還する。
 ヴァレイスナの「刑」を恐れているのか、「双巫女」は無言で実行。
 ラカールラカと「双巫女」はねんごろな間柄なのか、抱き合って一塊になった。

「あとでラカを貸してあげますから、今は駄目です」

 リシェは炎竜の間から逃げ出そうとした「双巫女」を風で絡め取ると、ラカールラカを奪還。
 遠慮など邪竜に喰わせてしまったのか、ラカールラカを全力で投げ付けた。

「ぴゅ~?」
「……っ!」

 ラカールラカの飛んでいく先は、末席の竜官。
 元「人喰い」らしき強面の男は、驚きこそしたものの、危なげなくラカールラカを受け留めた。

「ラーズさん。終わるまでラカを預かっておいてください」
「『ゆみゆみ』」
「え……?」

 リシェが言葉を詰まらせると、ラーズは冷静に目線で問い掛ける。

「えっと、失礼しました。ラーズさんは、二十六番のクリシュテナ様と二十九番のベルさんの間で、二十七番です。例外を除けば、人類幸寝床じゅくすい水準です。因みに、アラン様は二十四番です。ああ、あと、先程言ったように会議中は、ラカの受け渡しは禁止です」

 ラカールラカを補佐に渡そうとしていたラーズは、わずかに眉を顰めつつ風竜の寝床になる。
 枢要たちからの羨望と嫉妬が集まるが、一睨みで撃退する。
 しかし、ラカールラカを支える右手が「風竜の尻しゅくふく」を享受していたので、いまいち迫力に欠けた。
 風竜が巡ってこなかった補佐の二人は無表情だったが、無念さが表情から滲み出ていた。
 着任したのは最近だと聞いていたが、もう竜の魅力に遣られてしまっていたらしい。
 ストーフグレフ王より若い番号である十七番のコルクスは、どうやら「例外」に区分されるようだ。
 リシェが言った「ベルさん」は、噂の「大陸三強」の一角、スタイナーベルツかもしれない。

「皆さん、気を付けてくださいね。『スナ氷』の次はーー『氷竜賛歌スノーマゲドン』です。……特にギルースさんを始めとした、竜騎士の方々」

 リシェの予告に、「氷絶」水準で皆は沈黙した。
 命が惜しくないのか、事ここに至ってリシェの物言いに反発しようとしていたギルースの口を、補佐の一人が塞ぐ。
 ギルースの後ろの副隊長らしき巨漢の口は、ザーツネルが塞いだ。
 竜騎士だけでなく他の枢要も、おっちょこちょいやうっかり者との自覚がある者は、自身の手で口を塞いだ。
 これで場が整ったと判断したのか、リシェは大きくも小さくもない、聞き取り易い声で話し始めた。

「先ずは昨日、起こったことを話します。あと数日は大丈夫ーーなどと言っていた嘘吐き老師は、竜に踏まれたように突然、倒れました。ーー見ただけでわかりました。もう、一刻の猶予もないと。老師をエンさんとクーさんに任せて、何故か姿を現さなかったコウさんを捜しに行きました。スナとラカにも協力してもらったのですが、どういうわけか見付かりません。もう老師の許に居るのではないかーー一縷の望みを懸けて、コウさんの居室に戻ってみると。……何とそこには、竜が踏んでも壊れない感じの、みー様を肩車した元気いっぱい困惑いっぱいの老師が居ました」

 突然の報告に、場が静まり返る。
 枢要たちの視線が元団長に集まったところで、リシェは続きを話し始めた。

「この一件を理解していただく為に、遠回りをします。これから話すことが信じられない方は、信じなくていいので、竜にも角にも聞いてください。ーーこの世界は創世神が創ったものではありません。創世神と似た力を持つ神が創った世界です。その神は、他の神々と仲違いをしたらしく、この世界から去っていきました。それで、この偽創世神、若しくは半創世神ですが、去り際に神々をこの世界に閉じ込めていったのです。この世界に在る、生きとし生きる者にとって、それは僥倖でした。ですが、残された神々にとっては、そうではありません。神々にとって、この世界は牢獄と同義。忌むべきものーーとまではいかなくても、嫌悪を抱くに足るものだったのでしょう。神々は天の国に篭もって、地上に干渉していませんでした」

 リシェは話を切って、枢要たちを見回した。
 半分くらいは話に付いてこられていないようだったが、肝要は別の部分であると、リシェは言葉を継いでいった。

「創世神ではない神が創った世界。恐らくは、それが原因なのでしょう。不完全だったこの世界に、『穴』が空きました。それを見た神々は、やっとこの世界から出て行けると、欣喜雀躍きんきじゃくやくしました。そうして、神々は喜び勇んで、この世界から飛び立って行ってしまいました。ーーそういうわけで経緯を語る前に、独断専行した王様に、この一件をわかり易く言葉にしていただきましょう」

 リシェは朗らかに笑っていた。
 笑みが深い分だけ、コウに対する怒りとなっているようだ。
 ただ、不思議なことに、コウに向けられるリシェの感情には、温かさと優しさが感じられた。
 それがわかっているのか、やや甘えを含んだ声で、コウは短く告げた。

「神様。夜逃げしたのです」

 見回すと、理解が及んでいるのは、半分の半分くらいだった。
 皆の中では、何とかエルムスが付いてこられている。
 ホーエルはみーを構うことを優先して、二個目のお菓子をモグモグしていた。
 竜と並ぶ、世界の神秘の一端が、もうこの世界にはいないのだと、受け容れるには困難、だけでなく苦痛も伴うようだ。
 そんな竜に化かされたような人々を置き去りに、リシェは先に進んでいく。

「はい。王様も加担した、『夜逃げ』事件が発生しました。結果から言うと、世界の内側からフィア様が、世界の外側からサクラニル様がーー人と神が協力して『穴』を塞ぎました。これで無事解決ーーとなれば良かったのですが、そういうわけにもいかず。問題は、神々の居なくなった天の国です。どうも、神々が居ないと天の国は荒廃し、天の国が荒廃すると、この世界そのものが瓦解してしまうそうなんです。そこで、秘密裏にサクラニル様と計画を立案、遂行し、当人ろうしに話もせず、了解も取らずに実行してしまった王様おっぺけぺーに、ーー何をしてくれやがったのか、わかり易くさっさと言葉にしやがれい」

 もう茶化さないとやっていられないのか、リシェは最後に、投げ遣りな調子でコウに振った。
 もう逃げ場はないと諦めたのか、ちらりちらりと元団長を見ながらコウは言葉を漏らした。

「師匠を、……神様にしたのです」

 理解が及んでいた者の半分が、ここで脱落した。
 これでは不味いと思ったのか、リシェが補足する。

「はい。それだけではわからないでしょうから、もう少し詳しく説明します。正確には、老師は『神』ではなく『半神』となります。ーー老師は、コウさんの魔力を浴びていました。コウさんの魔力を使うことが出来ました。嘗てコウさんは、世界魔法とも言える魔法を行使しましたが、その際老師は、世界の魔力を受け容れるに足る『器』となっていたのです。ーーと、ここで最初の話に繋がります。僕が駆け付ける少し前に、老師は亡くなりました。正しくは、亡くなる瞬間に反転しました。詳しくは僕にもわかりません。ただ、『半神』となるには、この過程が必要だったそうです。そういうわけで、『半神』で『半不死者ハーフアンデット』である老師に、これからの抱負でも語っていただきましょう」

 リシェは作為的な説明を行った。
 どこの部分かはわからないが、巧妙に嘘を幾つか混ぜたようだ。
 危険度リスクを伴うもの、或いはコウや元団長の明かすべきでない真実を覆い隠すかしたのだろう。
 未だヴァレイスナを乗せたまま倒れている、「火焔」の横を通って元団長が進み出る。
 怒っているのか呆れているのか、元団長を見遣るヴァレイスナは、竜の微笑みを湛えていた。
 元団長は静かに、ゆっくりと頭を下げた。

「引き継ぎを済ませ、これからお世話になった皆様に挨拶をーーと思ったところで、私の見極めが甘く、限界が来てしまいました。皆様に不義理を働いたまま、この世界から去ってしまうところでした。深くお詫び申し上げます」

 偽りのない、透明な言葉に静寂が寄り添う。
 硬く、尖っていく空気と気配。
 顔を上げた元団長が微笑んでいなかったら、多くの者が心を凍えさせていたかもしれない。

「困ったことに、『半神』とやらになってしまったようです。どうも私が天の国を管理しないと、世界が大変なことになってしまうとの由。ああ、それとリシェが酷いことを言っていましたが、私は『半不死者』ではなく『半神半人』です。つまり、いずれ人に戻れることもあるようです。役目を終え、人に戻るーーその前に。今度こそ心置きなく旅立つと、約束いたします」

 元団長の言葉に、応えられる者は居なかった。
 人に戻らば即ち死。
 今ある「半神」の生は、人としての死の上に成り立っているものだ。
 恐らく、それだけでは済まないはず。
 軋んでしまった魂は、天の国にも地の国にも行けず、魔力に還元されてしまうのかもしれない。
 この世界は壊れると、そうとわかっていて神々は旅立った。
 サクラニルが人と係わっていなければ、この世界は遠からず滅びを迎えていた。
 「穴」を内側から塞いだコウに、「器」だった元団長。
 一本の、張り詰めた糸の上を歩いているような、危うい均衡。
 何が世界を、こうも狂わせているのか。

「竜にも角にも、現実的な話をしましょう。皆さまもこれでわかったでしょうが、もう神様は居ません。そこの老師が神様です。さすがにこれを隠そうとは思いません。そこで竜の国にある教会を通じて、各教会の代表者ーーとすると揉めてしまうので、先ずは中央から切り崩していこうと考えています。ーーそこでエイルハーンさんに聞きたいのですが、東域でこの事実が広まった際には、どのようなことになるでしょうか」
「っ……」

 リシェの問い掛けに、エルムスは即答出来なかった。
 エルムスは僕を見たが、僕は逆に強く見詰め返した。
 エルムスが自身で自覚した欠点は、地道に経験を積むことが克服への近道だと、僕だけでなくリシェも考えていたようだ。
 一呼吸の間、戸惑っていたエルムス。
 皆の視線に、表情に気付いて、一瞬で染め上がる。
 決意を籠めた眼差しを閉ざして、一拍。
 「夜逃げ」事件や「半神」といった、現実離れした出来事を呑み込んで、その上でエルムスは問いに答えた。

「北の、教会の影響力が強い場所以外は、時間を掛ければ浸透する。仮に北の教会が認めずとも、それで東域が揺らぐことはない。グリン・グロウ殿、もといグロウ神ーー」
「出来れば、神、は止めてもらいたい」

 余程嫌だったのか、グロウは速攻でエルムスの言葉を遮って要望した。
 神の癖に、神と呼ばれるのが嫌とか、我が儘も甚だしい。
 だが、そういう人間味があるからこそ、グロウになら任せられると思えてきてしまう。

「グロウ殿と、これから表に出てくる竜。これから世界は変容していく。だが私は案外、人はあっさりと適応するのではないかと考えている。たとえ世界が変わってしまったとしても、ーーそれは今ある現実に過ぎない。今ここに、神と竜が居て、不思議と私はそれを受け容れている。以前なら考えられない、いや、考えようとすら思わなかっただろう。その要はーー」

 蛇足と判断したのか、或いは竜足を語るのをエルムスは控える。
 リシェが立っている場所から、同じ景色を見てしまったのだろう。

「はい。急ぐつもりはありません。東域と中央と南方、そして北方も難しいですが、どうにかなるでしょう。問題は西方ですが、これはまぁ、どうにもならないので放っておきましょう。西方以外が受け容れれば、それは今在る状況とあまり変わらないので、時の流れに委ねるしかありません」

 次の問題に移るとの意思表示なのか、リシェは手を叩いてから笑顔を浮かべた。
 これも竜の国の侍従長として経験を積んだ故だろうか。
 演技だとわかっていても、枢要たちはリシェの思惑通りに気持ちを切り替えていた。

「ということで現実的な話の、僕たちに係わる部分です。『穴』は完全に塞がっていませんし、天の国も未だ不安定です。コウさんと老師は、しばらくそちらに掛かり切りになります。ですので、二つの重大事の内のもう一つは、二人抜きで解決しなくてはなりません」

 重大事がもう一つあったことを思い出した枢要たちは、もうお腹いっぱいとばかりに食傷気味。
 両手で口を塞いでいるみーは何か言いたいようだったが、ホーエルはその場でくるくると回って仔炎竜の気を引く。
 場の空気が和んだが、束の間の淡炎やすらぎであることを僕たちは知っている。

「南の竜道と東の竜道。ミースガルタンシェアリ様と魔獣との闘いで出来たものだと言われていますが、実は最近、三本目の竜道が発見されました。それは山脈に向けてではなく、大地に向かって放たれたものでした。その際に出来た空洞を、本日お呼びした冒険者の団が発見したので、経緯を語っていただきます。では、アーシュさん、お願いします」

 これまでの意趣返し、ということではないだろうが、リシェは僕を指名してきた。
 中央に立っていた僕たちにお鉢が回ってきて、枢要たちの視線が集まってくる。
 リシェの意図が那辺にあるかはわからないが、あのとき触れた心地ーー寂し気な気配。
 こうして一日経って尚、空まで積み重なるような透明さが、胸を締め付けてやまないので極力、正確を期して語ることにする。

「迷宮の十階層。小さな揺れのあとに、東側の壁が崩壊した。そこには、居るはずのない『牛頭人身ミノタウロス』が十体。こちらのワーシュ・メイムが『障壁』を張り、ダニステイルのリャナ・シィリが支援。そしてーー、『魔法王の杖』を受け継ぎし、ダニステイルのミャン・ポンが『土界』の魔法を以て、ミノタウロスを殲滅した」

 「魔女」を志向するミャンの後押しをする。
 これで竜の国の中での評価が上がって、動き易くなるかもしれない。
 纏め役がジト目で見てくるが、気付かない振りをする。
 リシェでも難渋する相手とは、なるべく関わり合いになりたくない。
 ミャンの勇名は、十分に枢要たちに浸透したようなので、続きを話すことにする。

「殲滅後、壁の向こうに通路が続いていた。奥に進んで行くと、リシェが言っていた三本目の竜道ーーなのかどうかはわからないが、巨大な空間が広がっていた。刹那、竜道の遥か下層から溢れたらしい、魔力の奔流が空間を満たした。僕たちは、『魔法王の杖』によって救われた。あの竜道の先には、確実に何かが存在している」

 魔力溜まりではない。
 僕は、確かに触れた。
 嘗て僕が見上げた空よりも、透明な色彩で鬩ぎ合っていた。
 ーー僕は。
 その為の機会を作らなければならない。
 だが、リシェのほうが役者が一枚上だったようだ。

「報告を受けたあと、調べました。まぁ、調べるまでもなく、ある程度は予測できたのですがーー。竜道は西から東へ、斜めに地下へ向かっていました。そうです、その向かう先は、北の洞窟の真下になります」

 リシェは思わせ振りに枢要たちを見回した。
 心の準備をさせたらしい。

「いいですか、皆さん? 心して聞いてください。結論から言うと、最下層に居るのは、ーー『終末の獣』です」

 リシェが口にした瞬間、炎竜の間がざわついた。
 みーが懲りずに喋ろうとしたので、「氷竜賛歌しけいしっこう」に巻き込まれたくないホーエルはうっか竜の口を塞ぐ。
 その姿を見て、枢要たちの動揺も一旦収まる。

「『終末の獣』は、その存在自体が禁忌タブーとなっています。ーー世界の終末に現れる、滅びの象徴。それ故に、日常では誰も口にしませんが、同時に、知らぬ者がないほどに心身に深く刻まれた『終末の獣もの』でもあります。先に、この世界は不完全である、と言いましたが、どうも『終末の獣』は三本目の竜道が穿たれた際に、目を覚ましていたようです」

 枢要たちに事実が浸透する前に、リシェは「火焔」に指を突き付けた。

「そこの、ちゃっかり復活しているエンさん。連れていきませんよ」
「っ、っ、っ!」
「ああ、でも、『氷竜賛歌スノーマゲドン』を越えた『氷竜絶華スナマゲドン』に耐え切れたら、連れていってあげます」

 床を叩いて抗議していた「火焔」は、リシェの条件提示で完全に鎮火した。
 ラカールラカを奪われて罅が入っていた「薄氷」も、半分融けていた。

「フィア様と老師は、これから直ぐに。僕と竜、それとアーシュさんたちが明日、迷宮から最下層に向かいます。何が起こるかわかりませんので、エンさんとクーさんには残って貰います。オルエルさんとエーリアさんを中心に、僕たちが不在の間の、竜の国をお任せ致します」

 リシェは真摯に頭を下げる。
 隣では、同時にコウも頭を垂れていた。
 釣られて、みーもぺこり。
 遊牧民たちが、ほくほく顔でみーを拝んでいた。
 ラーズは、眠っているラカールラカをどうしたものかと迷っていた。
 コルクスとホーエルは、ワーシュを解放。
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「それでは、解散」

 最初に言った通りに、リシェは枢要たちの発言を許さず、強制的に会議を終わらせたのだった。
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