竜の国の異邦人

風結

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竜河

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 竜の角の中央部。
 合流場所である炎氷橋。
 橋の左右で、炎竜像と氷竜像が向き合っている。

「りゅ~っ、が~っ!」

 ワーシュは橋の真ん中から、上流に向かって叫ぶ。
 皆は期待を籠めた眼差しで、ホーエルを見た。

「す~いっっ、りゅ~~っっ!!」

 ホーエルは周囲を確認してから、空に向かって叫ぶ。
 周囲の人々が大声で驚かないように配慮したようだ。
 ホーエルは竜河を訪れていた人々に、笑顔で頭を下げる。

「竜の国で一番大きな河川らしいね。時々、みー様が泳いでたり氷竜様が凍らせたり、風竜様が流されてたりするらしいよ」

 ホーエルは「探訪」を見ながら説明する。
 「探訪」の竜河の紹介ページでは、みーが楽し気に泳いでいる姿が描かれている。

「あの、ミャンが勝手に抜け出してしまって、ごめんなさい」

 リャナはミャンの先導役として、丁寧に頭を下げる。
 まだ皆に遠慮しているようだ。

「ん~? リャナちゃんが謝ることじゃないから、頭なんて下げたら駄目よ~。それにね~、そーゆーのは結構~、あたしたち慣れてたりするのよ~」

 ワーシュはリャナにくっ付いて、駄目な感じに可愛がる。
 迷宮へ挑む仲間になる可能性があるので、親睦を深めようとしているらしい。
 リャナは抵抗出来ずにいる。
 ワーシュの行動を理解してのことのようだ。

「まー、面倒な手合いは幾らでも居たからな。一番嫌な貴族の相手は、俺らでやんねぇといけなかったし。ほんと、ガキかっての」

 コルクスは橋の欄干に寄り掛かって、曇り空を見上げた。

「子供の相手が得意だからなのかな。コルクスは上手くあしらってたよね」

 ホーエルは東を見ようとして、上流に視線を向け直す。

「ミャンについては、問題ないと思う」

 僕はリャナを安心させる為に、ミャンの行動を予想する。

「ほ? どなことどなこと天竜地竜?」

 ワーシュはコルクスとホーエルに腕を掴まれて、頑強に抵抗する。
 リャナは隙を衝いて、ワーシュの腕から抜け出した。

「ミャンの目的は、迷宮に行くこと。そうであるなら、みーに会いに行ったあとのミャンの行動は決まっている」

 僕は高つ音を過ぎているので、周囲を確認した。

「あっ、そういうことなのかな? だとすると、それはそれで大変だね。ーーエルムスも居てくれたら、負担が減るかもしれないけど」

 ホーエルは思い至って、周囲を見回した。
 皆はホーエルに倣って、周囲に視線を巡らす。

「みーちゃんっみみみみっ、みーちゃんっみみみみっ!」

 謎声は橋の下から聞こえてきた。
 ワーシュは竜速で、橋から飛び下りようとする。
 コルクスは反射的にワーシュに掴み掛かる。

「ふきゃ~っ! 上手くスキップ出来ないのにっ、頑張竜で一生懸命なみー様っ、炎満杯で可愛え~っ!!」

 ワーシュはコルクスだけでなく、制止しようとしたホーエルも押し退けようと藻掻く。
 炎竜に夢中で、周囲が見えていないようだ。

「みーちゃんっみみみみっ、みーちゃ……ふぁはぁ!?」

 みーは前方に突如として現れたリシェに驚いて、盛大に転んだ。
 若草色の外套が捲れる。
 百竜が着ていたものと同じ、踊り子のような服。

「リシェさんに驚いてっ、素っ転んだドジっ仔みー様っ、炎乾杯で可愛や~っ!!」

 ワーシュは魔力を纏って、コルクスとホーエルと一緒に飛び下りようとする。
 理性は炎竜に焼かれてしまったのだろう。

「やうやうやうやうやうっ、みゃーみゃーみゃー!」

 みーはその場で首を左右に振りながら、両手足をバラバラに動かす。
 友人に助けを求めたようだ。

「ふみゃ~っ! 失敗してジタバタなみー様っ、炎別腹で可愛~ん!!」

 ワーシュは障害を排除する為に、魔法を使おうとする。
 僕はリャナを一瞥してから、ワーシュの目を手で隠す。
 リャナはワーシュが発現した魔法を、残りの魔力を使って吹き飛ばした。

「がーっ! この底割れ全抜け娘が! 竜の国で一番の薬師っていう魔法団の団長に診てもらうぞ!」

 コルクスはワーシュの口を手で塞いで、欄干に足を掛けて強引に引き戻す。

「さーっ! 今こそ特訓の成果を見せるときなのだ! 我が使い魔たるっ、みーよ! 悪の権化たる侍従長に必殺技をっ、正義の鉄槌を下すのだーーっっ!!」

 ミャンは橋の下で、みーを唆す。
 皆は急いで欄干に駆け寄って、二人と一竜を見下ろす。

「みぎてにほのー! ひだりてにほのー!」

 みーは右手と左手に一抱えもある、でっかい炎を現出させた。
 みーは困った顔で、左右と上下を見る。

「はーう、んーしょっと」

 みーはその場で仰向けになって破顔した。
 困り事は解決したらしい。

「みぎあしにほのー! ひだりあしにほのー!」

 みーは右足と左足に一抱えもある、でっかい炎を現出させた。
 リシェは皆を一瞥する。
 リシェは期待に目を輝かせるミャンに向かって、何かを投げる動作をした。
 ラカールラカをミャンに投げ付けたようだ。
 僕はワーシュとリャナを引き倒して、二人の前で魔力を纏う。
 ホーエルは僕の前に出ようとするが、コルクスの前に立つ。

「ぜんぶあわせてー! どでっかいほのーなのだー!!」

 みーは橋の下で叫ぶ。
 四つの炎をすべて併せたようだ。

「もきゃ~~っっ!?」

 ミャンは絶叫する。
 純粋な赤。
 橋を丸呑みする炎球。
 炎球を囲う白球。
 僕は橋の中央にいる僕たち以外の人々が、この異常事態に気付いていないことを確認する。

「ひゃふ。ちょろ火の癖に、『枠』を越えようとするなど、ーーあとで褒めてやるのですわ」

 ヴァレイスナは欄干の上に現れて、不敵に微笑む。
 ヴァレイスナは頭の上に、黒猫を乗せている。
 ひらひらの服の下は、いていない。
 僕は皆の無事を確認してから、ヴァレイスナに頭を下げた。
 突如として炎球が消える。

「さーう、でゃー、いっくのだー!」

 みーは橋の下で叫ぶ。
 僕はワーシュが跳ね起きたので、リャナに手を差し出して立たせる。

「ぜやっ!」

 男は橋の下で叫ぶ。
 みーは回転しながら橋の上に飛び出してくる。
 魔力で強化した男に、投げ上げられたらしい。

「ホーエル。南を向くのですわ」

 ヴァレイスナは皆を見ずに指示を出す。
 ホーエルは即座に南を向く。
 体が勝手に反応してしまったようだ。
 皆はホーエルから離れる。
 みーは複雑に回転しながら落ちてくる。

「みゃふんっ!」

 みーはホーエルの上に落ちる。
 直前で魔法を使ったらしい。
 ホーエルは慌ててみーの足を掴む。
 損傷はないようだ。

「ホーエル! ずっこいっずっこいっ、ずっこいっこいっの、こいっこいっこいっ!!」

 ワーシュはみーを肩車したホーエルを見て、地団駄を踏む。
 僕はワーシュに近寄ろうとしたコルクスを止める。

「うっさいですわ、炎娘。少し静かにしますわ」

 ヴァレイスナは軽く手を振る。

「ほわっ!?」

 ワーシュは手首と足首に嵌められた、分厚い氷の円環で身動きが取れなくなった。
 見た目からではわからないが、岩のように重いのだろう。

「うーがーっ! はーなーすーのーだーっ!!」

 ミャンはリシェに抱えられたまま、欄干を越えてくる。

「シィリさん。竜にも角にも、ポンさんの管理をお願いします」

 リシェはミャンを風に包んで、リャナに渡した。
 リャナは受け取って、慣れた様子でミャンの腕を捻り上げた。
 ミャンは抗議の声を上げようとして、リシェに見据えられる。
 ミャンは竜を幻視したのか、目を見開いて黙り込む。
 感受性が豊かなので、リシェの本質に触れてしまったようだ。

「デアさん。みー様を投げ上げる高さが、以前から変わっていませんよ。その巨大な斧は飾りですか?」

 リシェはみーを見てから、デアに冷めた視線を向ける。
 侍従長として振る舞っているようだ。

「ぬ? 我はみー様に恥じぬよう常に全力である」

 デアは胸を張って、みーに忠誠を尽くす。
 纏った外衣には炎竜が描かれている。
 背中には、長大な両刃の斧。

「残念です。僕はみー様の第一の竜騎士である、デアさんに期待していました。なのに、どうでしょう? あなたは、みー様の、くすんだ炎が見えないのですか? ーーもう一度言います。その巨大な斧は飾りですか?」

 リシェはデアを蔑む。
 ヴァレイスナはリシェと同じ表情になって、みーのところまで「浮遊」で近寄る。

「ひゃーう、こりこりせっきんちゅーいほーなのだー」

 みーは身震いして、ホーエルの頭にがっちりと掴まった。
 ホーエルは炎竜と氷竜に挟まれて、直立不動。

「ほれ、さっさと行ってこいですわ」

 ヴァレイスナはみーを掴んで、軽々と放り投げる。

「まーう、でゃー、いっくのだー!」

 みーは綺麗に着地すると、デアに向かって元気よく走っていく。

「わ…我はっ! みー様の期待に応えぬことなどっ、あってはならぬ!!」

 デアは背負っていた斧を構えて、悲壮な覚悟で待ち受ける。
 みーは速度を緩めることなく、デアに向かって一直線。

「うおぉっ!」

 デアは涙を流しながら、斧を縦に振り回して円を描く。
 みーは笑顔で突っ込んでいく。
 デアは時機を合わせて、掬い上げるようにみーを上空に抛り上げようとする。
 みーは斧の平らな面に足を乗せて、舞い上がろうとする。
 デアは斧の軌道を制御できず、斜めからみーに打ち当てる。

「ばぴ」

 みーは斧の一撃を食らって、欄干を越えて落ちていく。
 皆は黙って、視線でみーを追う。
 みーは竜河に落ちる。
 竜河に大きな火柱が立つ。

「みーちゃんりゅーのこ、ほのっこなのだー!」

 みーは火柱に乗って戻ってきた。
 肘が少し赤くなっているので、損傷はあるようだ。

「デアさん。何をしているんですか。みー様が遣って来ますよ。早く構えてください」

 リシェはデアに、無慈悲に告げる。
 みーは炎を纏って、デアに向かって笑顔で走っていく。

「ぬぅ!? 我はっ…、我はっ!!」

 デアは心を乱しながら斧を振り回して、みーの顎を打ち抜く。
 心の乱れが体にも影響を及ぼしているようだ。

「はぴ」

 みーは皆の頭上を越えて、橋の端に落ちた。
 デアは邪竜に睨まれたような、絶望的な表情になる。
 みーは俯せになった状態で、微動だにしない。

「デアさん。エンさんの言葉を覚えていますか? 一切の手抜きは許しません。みー様を信じるということがどういうことか、大切に想うということがどういうことか、今ここで、示してください」

 リシェは風のような儚い言葉を届ける。
 皆は戸惑いながらも、固唾を呑んで見守る。
 リシェはラカールラカを引き剥がして、コルクスに投げ付ける。

「ぴゃ? りえっ、りえっ、りえっ!」

 ラカールラカはコルクスにくっ付いてから、姿を現す。
 みーは突如、蛙のように跳ね起きた。

「みゃうみゃうひゃうみゃうひゃうっ、えもえもー、ひーひゃんおのっほ、あるあえなおあー!」

 みーは呂律が回らない状態で、目に涙を浮かべながら突っ込んでいく。
 デアとなら出来ると、心から信じているのだろう。
 デアは血の涙を流していた。
 実際の血ではなく、魔力に依るものだろう。

「我が魂はっ、みー様の炎に焼かれり! 故に我はっ、みー様の守護騎士なり!!」

 デアは絶叫して、斧を振り回す。

「みゃうーん」

 みーは斧に乗って上空に舞い上がると、豆粒よりも小さくなる。
 デアは精神力を使い切って、膝を突く。

「まぁ、半分合格です」

 リシェはデアを見て、あからさまに溜め息を吐いてみせる。

「仔竜だから、皆に好かれてるのかと思ってたけど、あんなにも精一杯に、信じて、真正面から向かってけるなんてーー」

 ホーエルはみーを見上げながら、最後の言葉を呑み込んだ。
 信じて待ち続けた、自身の過去を思い出しているようだ。

「ラヴェンナさん。あと、メイムさんも協力して、ラカを捕まえておいてください」

 リシェは落ちてくるみーを見ずに、二人に頼む。
 皆はリシェから離れる。
 ラカールラカはワーシュが近寄ると、コルクスにくっ付いた。
 ワーシュは構わず、コルクスごとラカールラカを抱き締める。

「りゅうのぼっふんっ!!」

 みーはリシェの肩に乗る瞬間、尻から炎を噴いた。
 リシェはみーの炎を取り込もうとして、ヴァレイスナに邪魔される。

「父様。炎竜の屁なんて、食うなですわ」

 ヴァレイスナは「結界」を張ってから、リシェの口に氷を詰め込む。
 リシェは口を閉じて、氷を呑み込んだ。
 魔力に還元したようだ。
 リシェはみーの目の前に、見せびらかすように腕を上げた。
 みーはリシェの腕に噛み付こうとするが、軽々と躱される。
 竜の鋭い感覚でも、リシェを捉えられないようだ。

「がーう! みーちゃんたべるかー! やいちゃうかー! こげちゃうかー!」

 みーは癇癪を起こして、口から炎を吐く。
 それでもリシェの肩に乗っているということは、乗り心地は悪くないのだろう。
 リシェはみーと戯れながら、ヴァレイスナに向き直った。
 みーはヴァレイスナに見られて鎮火した。

「スナの猫で、スナネコ?」

 リシェはヴァレイスナの氷髪の上に居る黒猫を見て、優しい笑みを浮かべる。
 黒猫とは顔馴染みらしい。
 ヴァレイスナはリシェの笑顔を見て、わずかに視線を逸らす。

「水晶玉を直したから、持っていってやったのですわ。そうしたら、懐かれたですわ。媚薬を貰ったからあとで、父様で試してやりますわ」

 ヴァレイスナは欄干に座って、優雅に足を組む。
 魔法を使って、黒猫に配慮しているようだ。
 黒猫は氷髪の上で寛いでいる。

「ティティス姫。僕の愛娘の、氷髪の居心地は如何でしょうか?」

 リシェは黒猫にお伺いを立てる。
 皆はリシェに怪訝な顔を向けた。

「ティティスもティティスも、意外ですのよ~。逃げ場がなくて、うっかり氷姫の頭に乗っちゃったら、あ~ら不思議! 癖になるくらい、氷猫になるくらい、馴染んじゃったわ!」

 ティティスは前足で氷髪を撫でてから、寝転がって体を擦り付ける。
 居心地がいいのは本当のようだ。

「ティティスとやら! 我の使い魔になるが良びぃっ!?」

 ミャンはティティスに指を突き付けると同時に、リャナに頬を抓られる。

「あれだけ『おしおき』されて、まだ懲りていないの? 竜である、みー様だから何もなかったのに。相手が猫であれば、大変なことになってしまいます」

 リャナはミャンの柔らかな頬を上下左右に動かす。
 怒りだけでなく、嫉妬も含まれているらしい。

「おっ、お~? リャナちゃんもミャンちゃんも~、猫が喋ってるのに~、平然としてるなんて~。ダニステイルでは普通のことなのかな~?」

 ワーシュはラカールラカの尻を撫でながら、ティティスの頭を指で掻く。
 ラカールラカはワーシュに風の屁を吹き付ける。
 「べとべと」の八十一番は、お気に召さないらしい。

「いえ、驚いてはいます。ただ、三竜にサクラ……侍従長にと、驚き過ぎて、少し感覚が麻痺しているようです」

 リャナは疲れた表情で三竜を順繰りに見てから、花畑の方角を一瞥する。
 元凶であるリシェは、見ないほうがいいと判断したようだ。

「あらあらまぁまぁ、使い魔の危険性についてきちんと理解してるなんて、こちらのお嬢ちゃんはとっても賢いですのよ」

 ティティスはヴァレイスナの氷髪から、リャナの銀髪に飛び移る。

「ふぬぬ! リャナは狡い! 『正統派』だしっ、お喋り魔猫とも仲良くなるしっ、『魔女』みたいにがっちりだしっ、我だって頑張ってるのにっ頑張竜なのにっなのだーっ!」

 ミャンは両手を握って、前のめりになる。
 隣の竜は、良竜に見えるらしい。

「ほ? がっちりチリチリ?」

 ワーシュは食い付いてくる。

「そうなのだ! リャナは『魔女』のようにっ、肉々ながっちりさんなのだ! 確かめてみるのだ!!」

 ミャンはワーシュの手を取って、リャナの尻にくっ付けた。
 ワーシュはリャナの長いスカートの下の、薄手のズボンに両手を這わせる。
 リャナはミャンとワーシュが魔力を纏っていたので、直ぐに対応出来ない。
 リャナは僕を見て、顔を引き攣らせる。

「いーやーっ、いーやーっ!」

 リャナは皆に見られていることを知って、しゃがんで帽子を掴んで頭を左右に振った。
 ミャンはリャナの腿を揉む。
 ワーシュはリャナの尻や腿、脹ら脛を揉む。
 リャナは立ち上がって、ミャンとワーシュの脳天に拳を落とす。
 かなり動揺しているようだ。

「ちっ、違うんです!? これは魔香の素材を採取する為に野山を駆け回っていたので自然と鍛えられてしまったので下半身が筋肉質になってしまったという……」

 リャナは僕に向かって説明を始めたが、視線はミャンに向かう。

「そうです! 狡いんです、ミャンは! ほらっ、触ってみてください、ミャンの脚を! あんなに元気いっぱい動き回っているのに!」

 リャナはワーシュの手を取って、ミャンの尻にくっ付ける。
 ティティスはリャナの銀髪から、みーの炎髪に飛び移る。
 みーはティティスを撫でようとして、軽々と躱される。
 ワーシュは自身に「治癒」を掛ける。
 ミャンは聖語を描こうとするが、ワーシュにくっ付かれて失敗する。

「おーっ、やわけーっ、やわやわけー! でもでもー、風竜のお尻に比べるとー、もう一歩かなー?」

 ワーシュはミャンの尻に顔を付けて、感触を確かめる。
 ティティスは反撃で、みーの角で爪とぎをする。

「ふーう、そこー、もゆもゆするー」

 みーは身悶えして、擽ったそうにする。
 嫌そうな素振りだが、新鮮な心地を楽しんでいるらしい。
 ティティスは悪戯猫になって、みーの角を舐めたり噛んだりする。
 リシェはみーが揺れるので、だらしない顔になっていた。
 浮気性と聞いていたが、本当だったようだ。
 リシェはヴァレイスナの、極寒の視線に気付いて空咳をする。

「あー、はいはい、一旦分けますよ」

 リシェは両手を叩いて、大きな音を出す。
 魔力が込められていたのだろう。
 皆はリシェに注目する。

「僕はこれから、アーシュさんと密談をします。人払いと竜払いをしますので、あとはスナに任せます」

 リシェはコルクスからラカールラカを回収すると、みーをコルクスの肩に乗せる。
 ティティスはみーの炎髪からヴァレイスナの氷髪に飛び移る。
 みーはコルクスの乗り心地があまり良くなかったようで、表情が弱火になる。

「ふふりふふり、私を払っておいて、風っころは残すのですわ?」

 ヴァレイスナは竜懐こい笑顔を浮かべながら、魔力を放出した。
 内心では仔炎竜が逃げ出すくらいに、嫉妬に凍っているらしい。

「僕は、スナとラカに、同等に接しようと思っていた。でも、間違っていた。一竜を優遇する間、一竜には我慢してもらう。そうしてこそ、本当に二竜を大切に出来るんだということに、やっと気付いたんだ。今日はラカと一緒に寝るけど、明日はスナの『いいところ』を、ちゃんと奥まで、余さずすべて綺麗にしてあげる」

 リシェは竜のように笑った。
 皆はリシェの笑顔に引き込まれる。
 僕はこれまでで最も、リシェに恐怖を覚えた。

「はいは~い、氷竜に質問も~ん! みー様が必殺技を使ったとき、『枠を越えようとする』って言ってたけど、どーゆー意味み~ん?」

 ワーシュはみーの気を引こうと、ヴァレイスナに尋ねる。
 みーに抱き付く機会を狙っているらしい。
 コルクスはどうしたらいいか迷っている。

「さーう、どーゆーいみなのだー?」

 みーは両手を拱いて、頭を左右に動かす。
 ワーシュはみーを真似て、頭を左右に動かす。
 ヴァレイスナはリャナとミャンの手を掴むと、歩き出した。
 リシェに任されたので、さっさく行動に移ったようだ。
 ミャンは大人しくヴァレイスナに付いていく。
 リシェだけでなく、ヴァレイスナの本質にも触れてしまったようだ。

「行き掛けに話してやりますわ。殆どの炎竜は炎の本質に気付いていないのですわ。『枠』とは、距離と時間と、同一性のことですわ。この『枠』を越えた、唯一の炎竜がエーレアリステシアゥナ。このちょろ火は、才能だけは『爆降』並みで、『枠』を越える二竜目の炎竜になるかもしれないのですわ」

 ヴァレイスナは上機嫌で説明する。
 リシェの笑顔にほだされたのだろう。

「はーう、よくわからないけど、よくわかったのだー」

 みーはワーシュを見てから、ホーエルに視線を向ける。
 コルクスではなく、ホーエルに肩車して欲しいのだろう。
 皆は僕たちから離れていく。
 リャナとホーエルは一度、振り返る。
 残った僕を心配してくれたようだ。

「というわけで、ラカ。僕も協力するから、スナでも突破できない『結界』を張るよ」

 リシェは竜耳に届くくらいの声で、ヴァレイスナを挑発する。
 これもリシェなりの愛情のようだ。

「ぴゃ~。真ん丸に『もゆもゆ』な感じで固めるのあ」

 ラカールラカは風を重ねる。
 ラカールラカは風を奏でる。
 リシェが仕上げをしたようだ。

「今回は、断らなかったんですね」

 リシェはラカールラカを抱き締めて、風を注ぎ込む。
 用済みのラカールラカを眠らせるらしい。

「ゆぅ~~~~っ!」

 ラカールラカはリシェの肩口に顔を埋めて、そのまま動かなくなる。
 リシェの思惑とは関係なく、ヴァレイスナの居ぬ間に寝床を堪能するつもりだったようだ。

「これが断れない状況だということは、僕にもわかる。それで、何の用だ」

 僕はリシェが竜河の上流に視線を向けたので、同じく視線で河を辿っていく。

「そんなに警戒しないでくださいーーなんてことは言いません。存分に警戒してください。これからする話は、そういうたぐいの話なので」

 リシェは穏やかな声で切り出した。
 僕はリシェが続きを話すのを、無言で待った。

「家宝とやらを見せてもらえますか?」

 リシェは当然のように、掌を差し出してくる。
 密談というより交渉のようだ。

「断る」

 僕は即断する。

「そうですか。どのくらいの純度なのか見てみたかったのですが、駄目なら仕方がありません。ーークラスニール国で、魔石の鉱床が発見されました。纏まった量ですので一時、それなりに潤うでしょう。ですが、その鉱床は、クラスニール国にある鉱床の、ほんの一部に過ぎません。クラスニール国の王と、王位を継ぐ者が、鉱床の存在を秘してきたからです」

 リシェは軽い口調で話してから、掌を引っ込めた。
 僕は観念の臍を固める。

「そうだ。クラスニールには、クラスニールを千周期以上、運営出来るだけの魔石が眠っている」

 僕はあとはリシェが説明してくれるだろうから、事実を認めるだけに留める。

「そんなものがあると知れれば、争いの火種となる。ーーとまぁ、火種で済むような量じゃないですね。みー様も吃驚するくらいの、燃え上がるような魔力群。鉱床の存在に気付いているのは、前クラスニール王とアーシュさん。東域に行ったときに、鉱床に気付いたラカと、教えてもらった僕。それと、鉱床付近の竜なら、気付いているかもしれませんね」

 リシェは交渉を始めたのか、取り入ろうと言葉を緩めてくる。
 ラカールラカに力を借りたのか、僕よりも詳しいようだ。

「なので、クラスニール国の鉱床の所有権を僕にください」

 リシェは空を飛ぶ風竜を眺めるような顔で言った。

「断る」

 僕は即断する。

「そんなこと言わずに。管理権でいいので、僕にください」

 リシェは空を飛ぶ地竜を眺めるような顔で言った。
 僕はリシェと同じ視点を、景色を共有することが出来ない。
 僕は追い込まれるまで沈黙することにする。

「今、東域には、僕の兄である、ニーウ・アルンが居ます。兄さんは、国を造ろうとしています。兄さんなら何(いず)れ、クラスニール国の鉱床に気付きます。その際、僕が鉱床を所有乃至管理していたなら、兄さんに手を出させません。逆に、鉱床が僕の手の内になければ、僕は兄さんの行いの一切に関知しません」

 リシェは容赦なく僕を追い詰める。
 リシェの内で結論はもう出ているようだ。

「クラスニール国にある鉱床は、或いはアーシュさんが考えているものより不味いものです。僕なら、鉱床付近の竜と交渉して、人が手出し出来ないようにすることも可能です。一応言っておきますが、これは、これまで鉱床を護り続けてきたアーシュさんの一族に敬意を表しての申し出です」

 リシェは僕を完膚なきまでに叩き伏せる。
 これもリシェなりの優しさなのだろう。

「いずれ、クラスニールに戻る必要があると考えていたが、それも無くなってしまったようだ」

 僕は刺さっていた棘が抜けたような感触を味わう。
 僕は酷く心地悪いそれを、想見した暗竜の口に放り込む。

「ランデルが発見した鉱床だけは、目溢しを頼む」

 僕は最後の抵抗をする。

「三十周期。鉱床に寄り掛かるだけなら、束の間の夢となるでしょう。ですが、アーシュさんはそう見ていないようですね」

 リシェは目を閉じて、小さく頷く。
 もっと複雑なことが東域では起こっているようだ。

「僕たちを巻き込むな」

 僕はリシェに釘を刺しておく。

「アーシュさんは、自覚がないようですね。僕は、巻き込まれ易いんです。あんまり僕を拒絶していると、皆さんが大変になったときに助けてあげませんよ?」

 リシェは頑是なく拗ねる。
 コウもそうだったが、リシェも心のほうは「規格外」ではないらしい。

「善処する」

 僕は素っ気なく言う。

「ええ、そうしてください」

 リシェは力なく歩いていって、極限とも言えるラカールラカの「結界」を易々と破壊する。
 自覚がないのは、どう考えてもリシェのほうだろう。

「ひゅ~? りえ、終わっあ?」

 ラカールラカは日向の仔猫のようだった。
 ラカールラカは今日もラカールラカだった。
 今はまだ、風が吹く時期ではないらしい。
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