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第四話②【完】

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「でもまあ、この姿を見るのが今日で最後っていうのは感慨深いものがあるよね」
「そう、ですね。なんだか少し寂しい気もします……」

 メアリーは憂いを含んだような声で呟く。

 メイドを本日限りでで辞め、正式にエドガーの婚約者としてクレイモア邸で過ごすというのは先ほど両親と相談して決めたことだった。
 本来であれば婚約が決まり次第、メアリーは実家に戻ることが一般的だ。なんせ、貴族令嬢が婚前に理由もなく婚約者の屋敷に居座るなど、はしたないとされているからだ。
 けれども、エドガー、メアリーともに本人たちの希望によって、結婚式が執り行われるまでの間も引き続き滞在することとなった。メアリーの場合は元々メイドとして働いていたため、世間にはどうにでもごまかせる。それに――。

『実家に帰るなら、結婚してからの君の私室は物置小屋にしようかな。寂しがりやな僕を置いてってしまうような薄情なお嫁さんだから、まあ仕方ないよね』
『…………っ! こ、この屋敷に滞在させてもらいます……』

 裏ではこのように脅迫めいたやりとりがあったのではあるが。

「ふーん。メイドのままでい続けたいの? ………………それなら、ずっとメイドのままでいる? 僕は構わないけど」
「え……」

 メアリーは彼の心無い言葉に思わず声を失う。顔は少しばかり蒼褪めていた。
 エドガーは先程から一切彼女へと顔を向けていない。

「メイドのままでいるなら、僕との婚約は取り消しだね。主従関係でも結構楽しいし、君が望むならそれでもいいよ」
「…………っ」

 息を呑み、いまだ顔を背けたままのエドガーの輝くばかりの金髪を凝望した。
二人の間に沈黙が流れる。

 ぽろり。
 メアリーの薄緑の瞳から透明な涙がこぼれ落ちた。頬を伝い、最終的に顎までたどり着いた雫は重力で落下する。そして末広がりのスカートに染みを作った。ぽろぽろと涙が溢れだし、止めることが出来なかった。

 どうしてご主人様は今更そんなことを言うの。

 メアリーは彼のなんとこともない一言に胸が張り裂けそうだった。苦しくて、声も出さずに頬を濡らす。
 エドガーはゆっくりと振り返り、メアリーへと視線を寄越した。
 涙を流し続ける彼女の目元を自身の細っそりした指先で拭う。そして、濡れたそれを己の口元に運んだ。

「……甘い」


 呆然とその行為をみていたメアリーは、はっと息を呑む。

「あ、甘いわけ…………ぐずっ……ないじゃないですか……」
「ううん、甘い」

 エドガーは目を細め、口元を少しだけ緩ませる。そして、嗚咽をこぼすメアリーの桃色の唇にそっと己のそれを触れさせる。

「さっきのは嘘」

 嗜虐心を滲ませた笑顔を浮かべた。
メアリーは唐突なキスに気を動転させ、目をパチクリと瞬かせた。その際、閉じられた瞼と共に雫が目尻からこぼれる。

「ほんと、かわいいよ」

 知らぬ間に、涙は止まっていた。
 メアリーは疲れたように息を吐き、肩を落とす。

 今日は精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった。両親とのやりとりに、下着を奪われるという強制的な猥褻行為。未来の夫となる人は、泣くことで喜ぶ倒錯的思考の持ち主だ。

 疲労困憊で明後日の方向で見つめていると、ふとエドガーはじっとメアリーの顔を覗き込んだ。

「………………ねえ、本当に僕でいいの?」

 エドガーはまるで真相を独白する犯人のような表情で、ぽつりと言葉をこぼす。
 いつもと違う真剣味を帯びたその様子に、メアリーは少しだけ動揺した。

 彼は今更なにを言っているのだろうか。

 質問の意図が読み取れず、じっとエドガーを見つめ返す。

「僕はこれからも君を傷つけるよ? それでも君は耐えられる?」

 メアリーは口を閉ざした。
 それは、耐えることが出来ないと思ったからじゃなかった。言いたいことがたくさんありすぎて、言葉が詰まってしまったのだ。
 エドガーの深い青の瞳を覗けば、消えかけの蝋燭の炎のように小さな怯えが見てとれる。こんな様子の彼を見るのは、初めてのことだった。

 いつでも高慢で、鬼畜で、独裁者のようなエドガーでも恐怖を感じることがあるのだ。以前までならそんなこと分からなかった。

 メアリーはエドガーの中にひっそりと隠れる孤独を愛おしく思った。そして孤独を恐れる心に寄り添いたいと思った。
 自分がそれを癒す存在になりたかった。

「ご主人様……いえ、エドガー様。私は…………私はエドガー様がいいんです。あなたじゃなきゃ、いけないんです」

 自然と口から言葉が溢れ出す。
 それは、限りなく凝縮された本心で――。

「――――――そう。………………君は物好きだよね。でも、君みたいな人を好きになった僕も相当物好きの部類に入るけど」

 エドガーはいつものように笑った。
 メアリーの心が伝わったのかは分からない。でも、彼の様子は心なしか愉しげで。

「まあ、せいぜい僕が飽きないようにたくさん泣いてね」
「はいっ!」

 メアリーは変わらないいつも通りの彼を見て、返事をした。


 泣き虫メイドははれてご主人様の婚約者になった。きっとこれからも思う存分苛められることだろう。
 高慢で、鬼畜で、意地悪なご主人様だけど、それでもメアリーは今日も幸せだった。

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