まだ、言えない

怜虎

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6.Music festival.-吉澤蛍の場合-

CM撮影

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マンションの下で待っていた鷹城の車に乗り込むと、今日の予定を聞きながら目的地へと向かう。

川辺での撮影になるらしく、防寒具を用意と言われていた事に納得する。

10月末ともなると、川や海があれば寒さも増すだろう。

寒いのは苦手だ。

かと言って暑いのも好きじゃない。


目的地に近づくに連れ景色も大分変わり、出発から一時間半程で撮影場所に到着する。

夏場はバーベキューをするのに良さそうな川辺で、周辺の景色は見渡す限り山だ。

勿論、時期も時期なので遊びに来ている人は居らず閑散としている。

まさに貸切状態。

それを狙っての時期外れの撮影なんだろう。


一時間半とはいえ、座りっ放しは得意じゃない。

広い所で体を伸ばしたくて車の外に出たが、予想を超える寒さに結局身を縮こませた。


「そんなに寒い?」

「寒い。まだ暑い方が良い」


暫く待機する覚悟でいると、意外にも直ぐに呼ばれる。

監督に挨拶をするとそのまま今日の撮影のコンセプト等の話を聞く。

今日は防水機能に特化した腕時計のCM撮影。

水に触れる機会の多い夏や、スポーツをする人をターゲットにした製品で、そのイメージモデルにナナツボシが選ばれた。

メインである腕時計も受け取ると、監督は撮影の準備と言ってその場を離れていった。

その間に衣装に着替え、川辺で待機する。


前日の雨のせいか、川の流れも少し早い。

湿気が多く、ひんやりとする空気が漂っている。

屈んで川に触れてみると水温は低く、遊びに来ていたとしてもはしゃいで川遊びなんて気にはなれない冷たさだ。


衣装は夏物ではあるものの、撮影が始まっても川に入ることはなかった。

カメラの前だから流石に嫌な顔はしないが、異常に寒さを感じる今日はなるべく、これ以上体温が下がる様な事や格好をしたくないとこっそり思っていたから、内心ほっとしていた。

撮影も終盤。

監督の映像チェックの間、暫しの待機。


16時過ぎには空もオレンジ色になり、風は昼間よりも冷たく感じた。

寒さは増す一方で、心做しか頭もぼーっとする。

足場の決して良いとは言えない砂利や石の上で、探りながら川に入らないギリギリを歩く。

目を凝らしても流れる川は歪んでいて、深さがあるかどうか分からない。


「こけるなよ」

「大丈夫だよ、子供じゃないんだから⋯ ぅわっ!?」


咄嗟に近くにいた秋良の裾を掴んでしまい、バシャンという音と共に2人して川の中に倒れ込む。

秋良の体の上に倒れ込む様な体制で太腿まで水に浸かっていた。


地面に着くまでの間に秋良が反対の手を掴んで、体が回転するようにぐっと力を入れてくれたお陰で、そこまで濡れずに済んだが、秋良は尻もちをついて腰から下は川の中だ。


「蛍、大丈夫?」

「秋は?!」

「俺は大丈夫」

「⋯ ごめん、言われた傍から」


「2人共、折角だからそのまま何カットか貰おうかな」

「すいません、予定にないことをしてしまって⋯ 」


最後は事故で川に落ちてしまうという失敗で終わったが、今日の水温で川に入る事を迷ったという監督の要望に応える事が出来たのだから結果良しとしよう。


「OK!これで終了です。お疲れ様でした!
直ぐに着替えちゃって。風邪引くからね」

「はい、ありがとうございました」

「ありがとうございました!」


監督の声が掛かると、タオルを持ったスタッフ達が近寄って来る。

受け取ったタオルを体に巻きながら、車の停めてある方に向かうと、意外な人物に声を掛けられた。


「お疲れ様。久しぶりだね」

「佳彦さん?どうしてここに?」

「この企画、実は僕が担当してるんだよ。
部下がイメージモデルの候補にナナツボシを挙げていて、面白いかなと思ってゴーサイン出したんだ。
蛍、なかなか様になってたじゃないか。秋良くんは、流石だね」


楽しそうに説明する佳彦を見ながら、秋良はまだ驚いている様だった。


半月という短い期間で、個別にではあるが親子で仕事が出来てしまった。

4人で食事をした時、みんなで仕事するのが夢だなんて話したことが、もう半分は叶ってしまったのだ。

4人で一緒に、というのもそう遠くはない話なんだろう。


「あれ?蛍⋯ 」


そう言って佳彦は蛍の首元に触れる。


「なっ、何?!」

「熱あるんじゃないか?」



─びっくりした。

キスマークでも付いていて、指摘されるのかと思った⋯


熱か。

そう言われれば熱っぽい気がする。



続いて秋良にも、おでこに手を当てられる。


「本当だ。ちょっとあるかも。ずっと寒いって言ってたしな⋯ 取り敢えず早く着替えようか」

「うん、早く行っておいで」

「うん、行ってくる」

「あとこれ」


佳彦に手渡されたものを反射的に受け取って、今度こそ車に向かう。


「何それ?」

「うーん⋯ ああ、下着だ」


新品のパッケージを空け、ひとつ取り出すと残りを秋良に渡す。


「用意良いな、佳彦さん。蛍の事は何でもお見通しだ?」

「ごめん、俺がボーっとしてたから秋まで川に入る事になっちゃって」


秋良は気にするなと笑った。


車に戻って着替えを済ませると、シートに体を預ける。

撮影も終わり、馴染みのある服に着替えた事で気が抜けたのだろうか。

先程よりも体温が上がってきているのが分かった。


「蛍、大丈夫か?」

「うん⋯ 」

「ちょっと俺、鷹城の所に行ってくる。寝てて良いからね」


頭を撫でてから秋良は車から出て行った。

移動する秋良を窓越しに目で追ったが、視界から外れた所ですぐに意識は途切れた。



「う⋯ ん」

「起きた?」


目を開けると、秋良の背中にいた。

ボーっとする意識の中でもいる場所は認識できる。

車の中にいたはずだが、マンションまでおぶってきてくれた様だ。


「ごめん、俺着いたの気付かなかった。降りるね」


地面に降りると体はいつも以上に重く感じた。

少しふらつくと、直ぐに手が伸びて来て支えてくれる。


「おっと⋯ 良かったのに。もうすぐ着くし」

「いや、流石に重いでしょ」

「大丈夫だよ、蛍くらいなら」


部屋の扉は直ぐそこで大した距離ではないのに、まるで重病人の様に支えられてやっと、辿り着く。


秋良が扉を開けると、フラフラしながら靴を脱ぎ終える。

部屋に上がると、突然体が宙に浮いた。


「ちょっ⋯ 大丈夫だって」

「大人しくしてろ。フラフラしてる」


こんな時は、の定番のお姫様抱っこをされていたが、ボーっとする頭ではそれ以上の抵抗はできなかった。
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