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ユーシウス殿下の憂鬱な日常 1 

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 私の名はユーシウス。一応、ここフュレインの次期王位継承者だ。

 『一応』と私が言うには、すぐ下に優秀な弟が一人いることや、他にも王位継承権を持つ者がいるからだ。
 表面上は第一王位継承権を持つ者として相応しい振る舞いはできるが、私自身、争い事を嫌う臆病者だという自覚がある。
 私などが、本当に王位になどついていいものだろうかという長年の問いに、答えが出たためしはない。 

 そうして今日も、良く言えば穏やか、悪く言えば覇気がないと評される笑みを浮かべ、私は憂鬱さを隠すのである。


◇◇◇

 
 幸いなことに、兄弟仲は良好である。

 我が弟は、幼いころから、『ぼくは、お兄様のためにがんばりたいです』とはにかみながら良く口にしていた。
 あの頃の弟は、実に愛らしかった。

「兄上がわざわざ足を運んでくれたというのに、その程度の情報しか吐けないのか? こちらが既に掴んでいる情報に価値があるとでも? だとしたら随分と甘く見られたものだ」


 現在、私の目の前で、喜々として亡命希望者を追い詰めているのが、逞しく成長した我が弟レイヴェンだ。

 幼かった弟は、次期国王である私の為に何をすべきか懸命に考えた末、軍部を掌握することを目標にした。
 軍部における王族は基本的にお飾りなことが多い。戦場において士気を鼓舞する象徴であれば事足りるためだ。
 それと、どの国とも大きな諍いもなく、平和な時代が続いているせいもあると思う。

 しかしながら、弟はそれを良しとしなかった。
 
 弟なりに、平和に慣れ切った騎士たちの姿に思うところがあったのかもしれない。

 あるいは………一応隠していたつもりだが、私が争い事が苦手だということを感じ取っていたのかもしれない。

 どちらにせよ、目を潤ませながら、『ぼくがお兄様を守ります』と訴えてきた日は、我が弟のなんと愛らしいことかと身悶えしたものだ。

 真剣に我が身を案じてくれる弟をどうして私に止められただろう。

 その結果、小さく愛らしかった弟は姿を消し、逞しく、王族らしい傲慢さを身に着け、自信に満ち溢れた弟が誕生した。

 いや、兄思いなところは変わらないし、兄として、弟の気持ちも成長も嬉しいことには間違いないのだが。

 しかし、先ほどのような姿を目にすると、記憶の中の弟との差異に若干戸惑うのも事実。いつの間にか身長も追い抜かれてしまったしな。ぜんぜん気にしてなどいないが。
 ただ、自然と周囲をひれ伏せさせるような力を持つ弟に、私の憂鬱さが少し増すだけだ。


 ――――あと、これはあくまで亡命希望者への事情聴取であって、決して尋問ではないので、もう少し穏やかに話し合えないだろうか。 
 せめて、双方席に着いて対話をしませんかと提案したい。


 絨毯の上でぶるぶる震えているのは、ジニアギールから海を渡り、我が国へ亡命を望んできたかの国の貴族だ。

 海を隔てた隣の大陸ジニアギール。
 雪深く資源に貧しい土地で、いくつか国は存在しているが国交はほぼない。国政があまりに不安定で関わっても益がないためだ。
 一応、定期的に情勢を調査させるなどして気にかけてはいたが、それだけだった。

 ところが数年前、突如ジニアギールで大規模な争乱が起きた。かの国に潜んでいた諜報員も、何が何だかわからなかったそうだ。

 あちらは、国としてはかろうじて形を保っているようなのだが、海を渡り我が国に亡命を希望する貴族も出てきた。

 簡単に国を捨てるような貴族など懐に入れたくはないが、正面きってそうも言えないので、最低限対応せざるを得ない。

 それに、本当に深刻なのは、密かに海を渡ってくる者の方だ。
 金も身分も無く、生き延びるために死をも覚悟で逃れてくる者もいれば、裏稼業の者もいる。そういう者たちがこちらで基盤をつくる前にできるだけ把握しておきたい。

 こちらから攻め入れば、赤子の手をひねるようにかの国は手に入るだろうが、そこまでする旨味がまったくない。かといって、このまま放置すれば、我が国へと押し寄せてくる。

 難儀なものだ、と思わずため息を吐いたら、「兄上がお困りだろうがさっさと吐けコラァ!」「ひぃぃぃぃ!」などというやり取りが繰り出されることになった。



「申し訳ありません、兄上。あの者からは、後でしっかり有力な情報を引き出しておきますので」

 にやりと口角を上げた弟の姿を見て、尋問を受けていた貴族が気絶した。

「…………あれでも一応、庇護すべき対象となる可能性がある。あまりやりすぎてはならないよ」
「大丈夫です。噛みついてくるような気概など残しませんから」

 …………そういうことを言いたいのではないのだが。
 弟は、いつの間にこんなに好戦的になったのか。

 亡命を求める貴族たちは、本人はもちろんのこと家族や使用人、資産など、細かく調査した上で入国の是非を決定する。我が国にとって益が無いと判断されればジニアギールへ送り返す。
 我が国に残ってもらうにせよ、好き勝手してもらっては困るので、当分の間は監視生活を送ることになる。
 それが数年なのか、数十年なのかはまだわからないが。

「そういえば、地下牢で面白いことを聞きました」

 今しがた出たばかりの貴族用の牢と異なり、地下牢には犯罪者が繋がれている。その中には、ジニアギールから密入国してきた者も多い。

「ジニアギールの二つ名持ちをこちらで見かけたというので、少し調査させてみようかと思います」

 二つ名持ちは、大層な実力者の証でもある。優秀な人材を手に入れることは国力にも繋がるので、「そうか」と短く答え、頷いた。

 その後、目撃された二つ名持ちは、ジニアギールで“狂刃”と呼ばれる男だと報告を受けた。
 恐ろしく剣の腕が立つそうで、一緒に報告を聞いていたレイヴェンは、「良い手駒になりそうです」と嬉しそうにしながら去って行く。

 私たちの叔父は、有能な人間を自分の傍付きにしたがる方だ。派閥だのなんだのと色々あって、それほど接触する機会はないのが、血筋とでもいうのか、レイヴェンは少し叔父に似たのかもしれない。


 ◇◇◇


 執務の合間の休憩には、茶を嗜みつつ簡単な書類に目を通すことにしている。重要書類ではなくとも、一応確認しておく必要はある。

「ベイラー、だと…………」

 書類に書かれた二つ名持ちが働くというパン屋の名に、私は衝撃を受けた。

 ここ最近、美味しいパンを売ると噂の店ではないか!

 なんでも、噂の出所は第二騎士団らしい。
 第二騎士団は、貴族社会の中でいうとその地位はやや低い。数は多いが、下位貴族の子息で構成されていて、活動するのが城下であるためだ。

 かくいう私の周囲は高位貴族の騎士で編成される近衛で固められている。城下を担当する彼らとは距離が遠い。
 直接会話できるとすれば団長くらいだが、そもそも用があればレイヴェンが対応するので私が接触する機会はほぼない。

 故に、真偽のほどは明らかではないが、噂によればベイラーパン屋のパンは、柔らかくて白くて美味しいらしい。ほんのり甘いという話もある。

「なんといったか…………カツサンド? が美味いとか…………」

 実のところ、私は美味しいものが好きだ。大好きだ。
 しかし、王族たるもの、そのような感情を表に出すべきではない。

 好悪を周囲に曝け出せば、王族に気に入られるためだけに無理を強いたりする者がでてくる。貴族たちは常に王族の言動に目を光らせているし、我々には秘密を持つということが非常に難しい。無用な争いを避けるならば、好みなど無いと思われた方が余程楽だ。

 例えば普通に、「あの店のパンを食べてみたい」などと口にしたとしよう。そこに他意はなく、言葉以上のものなどまったく求めていないのだが、素直に誰かがパンだけを買ってきてくれるということにはならない。

 誰が献上するかで争うのは勿論、深読みして斜め上な暴走を始められる可能性もある。

 私には理解しがたいことで、予測不能だ。それでいて、『ユーシウス様の為にやりました』と言ってくるので始末に負えない。想像しただけで気分が落ち込む。


 そういうわけで、大げさだと思われるかもしれないが、言動には極力気を付けている。

 しかし正直なことを言えば、美味しい物は食べたい。すごく食べたい。

 父の母も公務に忙しく、弟が生まれたばかりだった頃、日々淡々と教育を受けていた私を、当時の護衛騎士が連れ出してくれたことがある。
 それまで煌びやかな王宮しか知らなかった私は、人々の活気づいた生活の場の何もかもが目新しかった。そうして、屋台で出される粗末だけれど熱い食べ物に感銘を受けた。王宮で口にする毒味を終えたやや冷めた料理とはまったく違っていた。それが、私の中には強く根付いているのだ。

 密かに気になっていたパン屋の名が出てきたことに、私は少し動揺していたし、興奮もしていた。

「…………様子を見るという名目で、どうにかならないものかな…………」

 書類を手に、小さく呟いたが、すぐに無理だなと結論付ける。
 無理を通せばどこかに歪みが出るもの。大義の為ならば歪みとて時に必要であろうが、これはそこまでするほどではない。



 溜息をき、私は執務に戻ったのだった。




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