3 / 26
番外編 主を求めた犬の旅路 後編
しおりを挟む
それは、唐突にやってきた。
嘆き。息ができなくなるほどの衝撃。
グランシオを魔女を結ぶ主従の絆が伝えてきたのは、かけがえのない魔女の慟哭だった。
その身に、どれほどの不幸が降り注いだのか。居てもたってもいられなかった。
すべてを配下に押し付ける形で放り出し、海を渡る。魔女を預けたはずの医者を訪ねれば、そのような患者は来てないという。
混乱したまま、魔女を医者まで届けさせた運び屋に押しかければ、船から海に落ちたのだと答えた。
薬で朦朧とした魔女が自ら甲板に赴くわけがない。大陸まで船内でじっとしていたはずだ。誰かが誘導でもしなければ。
苛立ちと見せしめを含めて問い詰めてやれば、悲鳴交じりに男が白状する
「あんなのに大金を使うなどもったいない! 黙っていればわからないと思ったんだ……許してくれ……!」
怒りのまま、手ひどく始末した。後になって時間を無駄に使ったと歯噛みしたものだ。
なまじ魔女の感情が伝わるばかりに、無事だと思い込んでいた自分が愚かしい。
この目でその姿を確かめるまで安心できない。
こうして、グランシオの旅が始まったのだ。
◇◇◇◇◇
大陸を移ってから、グランシオは魔女を探し求めた。
魔女の力を追えば大体の場所がわかると思っていたが、彼女は力を使わなかった。力を使えば、王侯貴族にでも匿われることだとて可能だろうに。
手がかりもなく魔女を探すのは、非常に焦れた。
少しでも手がかりが欲しくて、吟遊詩人の真似事で金を稼ぎながら旅をする。
魔女に纏わる古い歌を披露し、吟遊詩人が歌の題材として新たな魔女を探しているというように装えば、わずかばかりに魔女の情報が得られた。
「魔女ぉ? この辺じゃあ聞かねぇなあ」
北方の酒場で顔を赤くした酔っ払いが応えると、周囲も次々に同じようなことを言う。この町は外れだとわかれば、淡々とその場を後にする。
そうするうちにわかったのは、魔女は存在自体が稀である上、ひっそり大人しく暮らすことが多いということだ。
そういう意味ではグランシオの魔女も同様なのだろうと納得した。
魔女の噂を求め、小さな村や集落も漏らすことなく丹念に訪れる。一つの国を出るまでに随分時間がかかるが、万が一にでも見逃してしまったらと思えば、決して手を抜くことなどできはしなかった。
そうしたある日、南方の酒場で古い魔女の歌を歌っていたときに意気投合したのは、グランシオから見て非常に珍しい存在だった。
輝く金色の髪に宝石のような紫色の瞳。端正な顔立ちは美術品のような麗しさで、所作も表情の一つ一つに目を引くものがあった。
それがただ姿形だけならば、グランシオは気に留めなかっただろう。何をしても目立つのは息が詰まりそうだな、暗躍するのには向かないな、くらいにしか思わない。
だが、優雅に微笑むその青年には、底知れぬ物を感じさせる何かがあった。
年齢はグランシオよりも大分年下だろうに、おそらくとても強い。正面から向かって勝てる想像がまったく浮かばないなど初めてのことだった。
従者を連れていたので、貴族か、若しくは王族なのかもしれないと当たりをつけた。
自分よりも強い人間に会うことなど滅多にないグランシオは、久方ぶりに楽しい気持ちで酒を交わした。
魔女が見つからないことでたまった鬱々としたものがほんの束の間だが紛れた。
魔女の歌ばかりを歌うことを言及され、「魔女を探しているのだ」と打ち明けた。
常ならば、「酔狂なヤツだ」「吟遊詩人としては良い題材だな」などと言われて終わるが、相手は神妙な表情をして、
『自分も魔女を探している』
と言い出した。
なるほど、それで魔女の歌を歌うグランシオに寄って来たのかと合点がいく。
青年が探しているのは、黒目黒髪で、男よりも年上の魔女なのだそうだ。
「ずっと探しているのですが、中々会えなくて…………」
そう言って伏せた紫色の瞳に、恋い焦がれているかのような苦悩を見つけて僅かに目を瞠る。
どうやらこの青年は、魔女に懸想しているようだった。
恋だの愛だのというのは、正直なところグランシオにはピンとこない。
よくもまぁ、そんなことで騒ぎ立てるものだと思う程度だ。
彼の中でただ一つ、燦然と輝くのは主人たる魔女への忠誠心。
記憶の中の主は、小さくて軽くて、そして人形のように愛らしい。けれど時折、ふとした瞬間にうっすらと表情を変えるのだ。
真っ白な雪を見上げるとき、あたたかいスープを口に含ませたとき、懐に抱き込んで冷たい風から守るとき、そして、グランシオが人を殺したとき。
追っ手を殺した際、怯えている少女に気づいたとき、己の身が穢れきっていることを突き付けられた気がしてグランシオは動揺した。
そこからは、細心の注意を払った。接触は必要最低限に。彼女に自分の穢れが移らないように――――――――――けれどそのせいで、グランシオは誤った。
魔女のためだと言い聞かせ、彼女の傍を離れてしまった。
次こそは間違わない。離れたりせず、陰ながら見守るのだと決めている。
小さな平穏を欲した、彼女の望みのままに。
そこには、どこぞの男と家庭をつくるという可能性も含まれる。
無論、グランシオの目に適う相手でなければならない。
温厚で、しかし芯があって、主人だけを一途に大切にし、当然余所見など許されない。
財力はあった方が良いが、自分の仕事にかまけて主人を寂しがらせてはいけない。
家の仕事を主人任せにすることなく、協力し合える人間。
後は、グランシオよりも強いこと。
これが最低条件だ。
「そのような人はあまりいないと思いますが…………」
グランシオの話を聞いて困ったように微笑む青年は、性格もよさそうだしグランシオよりも強い。しかし、その心に既に想う人間がいるので論外だ。
だから安心して酒を酌み交わせる、と思いかけて、自分の思考にやや首を傾げた。
しかしちょうど別の話題を振られ、明確な答えが出る前に疑問は霧散した。
「数日ここに宿をとりますので、機会がありましたらまたご一緒しましょう」
そう告げられた、翌日のことだった。
町を歩いていたグランシオは、ふと視界に何かが引っかかった気がして立ち止まる。
見回す先にあるのはありふれた風景でしかない。そこに住まう人間が集い歩き生活しているだけ。グランシオからすれば有象無象のどうでもよい光景。
何が気になったのか、ハッキリとしない感覚に首を傾げたその瞬間。人が行き交う隙間を縫うように、突然視界に飛び込んできた後ろ姿。
人と人の合間に見える頭は、随分と低い位置にあった。足取りに合わせて一つに束ねた黒い髪が軽やかに動く。
その後ろ姿が人の波の向こうに消えてしまうまで、グランシオは呆然とその場に立ち尽くした。
ハッと我に返り、一歩足を踏み出すも時すでに遅し。いや、それ以前に思うように体が動かない。手足が震え、思考も儘ならないことを素直に認めるも、感情は波立ったままだ。
日の当たらない建物の影に入る。ヒヤリとした空気に煮えた頭が僅かに冷えて、自分が大量に熱を発していることに気づかされた。
目元に腕を押し付ける。それは単に汗を拭うための動作だったが、視界を遮ったことで鮮やかに先ほどの光景が脳裏によみがえった。
間違いない。彼女だ。
ようやく見つけたというのに、その姿を追うどころか見失ってしまった。予想外の失態。
いや、一応動こうとはしたのだ。けれど、人の波にのまれる直前に垣間見えた横顔を目にして、動けなくなったのだ。
ちらりと見えたのは、白い肌と小さな鼻。何か楽しい物を目にしたのか、健康的な色合いの唇は薄く笑みを浮かべていて、黒い瞳は優しく細められていた。
記憶の中の主と同じであるのに重ならないその姿。衝撃を受けた。当たり前だ。だが。
「…………なんだこれ…………」
どくどくと音を立てる胸の辺りを握りしめ、グランシオは初めての感覚に戸惑っていた。
「……久しぶりに目にしたせいか………………?」
自問するも答えなど出ない。わからないことだらけだ。それなのに、心は満たされている。
胸が詰まるとは、なるほどこういうことかと実感を持って知れた。
彼女の装いは旅のそれではなかった。大きな荷物を抱えてもいない。歩きなれた様子にこの辺りに生活の拠点があるに違いない。
冷静さを取り戻した後は早かった。人の良い笑みを張り付けて、あちこち聞き込んで回る。
「あぁ、そりゃあ多分ベイラーさんのとこの子だよ」
そうして知れたのは、養い親だった老夫婦の死後、ひとりでパンを焼く少女の話だった。養い親が死んだという時期と魔女の慟哭を感じた時期が重なる。けれど、先ほど見かけた彼女から悲しみは感じなかった。
立ち直ったのか、と理解すれば、あの慟哭を直に感じ取った者として感嘆のため息が出た。
探し人が見つかったことを、折よく会えたあの青年に告げれば、偽りなく祝福してくれた。
気を良くしていたその時、青年の従者が会話に割り込んでくる。
「あなたの魔女は、どのような力をお持ちなのですか?」
瞬時に、浮かれていた頭が冷えた。
――――――なんだコイツ魔女に興味があるのか。グランシオの魔女に。会いたいのか会うつもりなのかよく見れば女好きのしそうな整った顔をしている会ってどうするつもりだその力を知って何を求める魔女が求めるのは平穏ならばそれを侵すモノは排除す――――――
「ロワン、やめなさい」
青年が従者を諫め、背で庇うようにグランシオの前に立った。
「申し訳ない。彼は私の魔女が見つからないことに焦れているだけなんです」
グランシオとしても、青年とやり合って時間を無駄にしたくはない。一刻も早く魔女の元に行きたかったから。
青年からの謝辞を受け入れ、その証とでもいうように、それまで集めた魔女と思しき人物の情報を青年に渡した。グランシオにはもう不要のものだ。
そのうちのどれかに、彼が探す魔女の情報があるかもしれない。青年は喜んでそれを受け取った。
パン屋へと向かったグランシオは、店の外から主の姿を見かけては身悶えしたり、客に向けられる笑顔にギリギリするなどして、陰ながらじっとり主を見守っていた。
そこへ、男の客と何やら揉めている気配を感じ取り、いい加減我慢が効かなくなっていた下僕はついにその扉に手をかけることになる。
その時のグランシオは、直接主と対峙して言葉を交わす威力というものをまったく考慮していなかった。
大きく瞠った黒い瞳がグランシオを映す。小さな唇からグランシオの名がこぼれ落ちる。
彼女の中に、グランシオが欠片でも存在したのだと理解した瞬間に、当初の『見守る』という決意は脆くも崩れ去った。
…………許されるなら、束の間で良いから、そばにいたい。
そんなささやかな願いを秘めて、少し強引に押しかけたのだけれど。
もうちょっと、あと少しだけ、と自分に許すうちにどんどん深みに嵌り、抜け出せなくなる未来が待ち受けているなど、この時の彼は想像もしていなかったのだ。
嘆き。息ができなくなるほどの衝撃。
グランシオを魔女を結ぶ主従の絆が伝えてきたのは、かけがえのない魔女の慟哭だった。
その身に、どれほどの不幸が降り注いだのか。居てもたってもいられなかった。
すべてを配下に押し付ける形で放り出し、海を渡る。魔女を預けたはずの医者を訪ねれば、そのような患者は来てないという。
混乱したまま、魔女を医者まで届けさせた運び屋に押しかければ、船から海に落ちたのだと答えた。
薬で朦朧とした魔女が自ら甲板に赴くわけがない。大陸まで船内でじっとしていたはずだ。誰かが誘導でもしなければ。
苛立ちと見せしめを含めて問い詰めてやれば、悲鳴交じりに男が白状する
「あんなのに大金を使うなどもったいない! 黙っていればわからないと思ったんだ……許してくれ……!」
怒りのまま、手ひどく始末した。後になって時間を無駄に使ったと歯噛みしたものだ。
なまじ魔女の感情が伝わるばかりに、無事だと思い込んでいた自分が愚かしい。
この目でその姿を確かめるまで安心できない。
こうして、グランシオの旅が始まったのだ。
◇◇◇◇◇
大陸を移ってから、グランシオは魔女を探し求めた。
魔女の力を追えば大体の場所がわかると思っていたが、彼女は力を使わなかった。力を使えば、王侯貴族にでも匿われることだとて可能だろうに。
手がかりもなく魔女を探すのは、非常に焦れた。
少しでも手がかりが欲しくて、吟遊詩人の真似事で金を稼ぎながら旅をする。
魔女に纏わる古い歌を披露し、吟遊詩人が歌の題材として新たな魔女を探しているというように装えば、わずかばかりに魔女の情報が得られた。
「魔女ぉ? この辺じゃあ聞かねぇなあ」
北方の酒場で顔を赤くした酔っ払いが応えると、周囲も次々に同じようなことを言う。この町は外れだとわかれば、淡々とその場を後にする。
そうするうちにわかったのは、魔女は存在自体が稀である上、ひっそり大人しく暮らすことが多いということだ。
そういう意味ではグランシオの魔女も同様なのだろうと納得した。
魔女の噂を求め、小さな村や集落も漏らすことなく丹念に訪れる。一つの国を出るまでに随分時間がかかるが、万が一にでも見逃してしまったらと思えば、決して手を抜くことなどできはしなかった。
そうしたある日、南方の酒場で古い魔女の歌を歌っていたときに意気投合したのは、グランシオから見て非常に珍しい存在だった。
輝く金色の髪に宝石のような紫色の瞳。端正な顔立ちは美術品のような麗しさで、所作も表情の一つ一つに目を引くものがあった。
それがただ姿形だけならば、グランシオは気に留めなかっただろう。何をしても目立つのは息が詰まりそうだな、暗躍するのには向かないな、くらいにしか思わない。
だが、優雅に微笑むその青年には、底知れぬ物を感じさせる何かがあった。
年齢はグランシオよりも大分年下だろうに、おそらくとても強い。正面から向かって勝てる想像がまったく浮かばないなど初めてのことだった。
従者を連れていたので、貴族か、若しくは王族なのかもしれないと当たりをつけた。
自分よりも強い人間に会うことなど滅多にないグランシオは、久方ぶりに楽しい気持ちで酒を交わした。
魔女が見つからないことでたまった鬱々としたものがほんの束の間だが紛れた。
魔女の歌ばかりを歌うことを言及され、「魔女を探しているのだ」と打ち明けた。
常ならば、「酔狂なヤツだ」「吟遊詩人としては良い題材だな」などと言われて終わるが、相手は神妙な表情をして、
『自分も魔女を探している』
と言い出した。
なるほど、それで魔女の歌を歌うグランシオに寄って来たのかと合点がいく。
青年が探しているのは、黒目黒髪で、男よりも年上の魔女なのだそうだ。
「ずっと探しているのですが、中々会えなくて…………」
そう言って伏せた紫色の瞳に、恋い焦がれているかのような苦悩を見つけて僅かに目を瞠る。
どうやらこの青年は、魔女に懸想しているようだった。
恋だの愛だのというのは、正直なところグランシオにはピンとこない。
よくもまぁ、そんなことで騒ぎ立てるものだと思う程度だ。
彼の中でただ一つ、燦然と輝くのは主人たる魔女への忠誠心。
記憶の中の主は、小さくて軽くて、そして人形のように愛らしい。けれど時折、ふとした瞬間にうっすらと表情を変えるのだ。
真っ白な雪を見上げるとき、あたたかいスープを口に含ませたとき、懐に抱き込んで冷たい風から守るとき、そして、グランシオが人を殺したとき。
追っ手を殺した際、怯えている少女に気づいたとき、己の身が穢れきっていることを突き付けられた気がしてグランシオは動揺した。
そこからは、細心の注意を払った。接触は必要最低限に。彼女に自分の穢れが移らないように――――――――――けれどそのせいで、グランシオは誤った。
魔女のためだと言い聞かせ、彼女の傍を離れてしまった。
次こそは間違わない。離れたりせず、陰ながら見守るのだと決めている。
小さな平穏を欲した、彼女の望みのままに。
そこには、どこぞの男と家庭をつくるという可能性も含まれる。
無論、グランシオの目に適う相手でなければならない。
温厚で、しかし芯があって、主人だけを一途に大切にし、当然余所見など許されない。
財力はあった方が良いが、自分の仕事にかまけて主人を寂しがらせてはいけない。
家の仕事を主人任せにすることなく、協力し合える人間。
後は、グランシオよりも強いこと。
これが最低条件だ。
「そのような人はあまりいないと思いますが…………」
グランシオの話を聞いて困ったように微笑む青年は、性格もよさそうだしグランシオよりも強い。しかし、その心に既に想う人間がいるので論外だ。
だから安心して酒を酌み交わせる、と思いかけて、自分の思考にやや首を傾げた。
しかしちょうど別の話題を振られ、明確な答えが出る前に疑問は霧散した。
「数日ここに宿をとりますので、機会がありましたらまたご一緒しましょう」
そう告げられた、翌日のことだった。
町を歩いていたグランシオは、ふと視界に何かが引っかかった気がして立ち止まる。
見回す先にあるのはありふれた風景でしかない。そこに住まう人間が集い歩き生活しているだけ。グランシオからすれば有象無象のどうでもよい光景。
何が気になったのか、ハッキリとしない感覚に首を傾げたその瞬間。人が行き交う隙間を縫うように、突然視界に飛び込んできた後ろ姿。
人と人の合間に見える頭は、随分と低い位置にあった。足取りに合わせて一つに束ねた黒い髪が軽やかに動く。
その後ろ姿が人の波の向こうに消えてしまうまで、グランシオは呆然とその場に立ち尽くした。
ハッと我に返り、一歩足を踏み出すも時すでに遅し。いや、それ以前に思うように体が動かない。手足が震え、思考も儘ならないことを素直に認めるも、感情は波立ったままだ。
日の当たらない建物の影に入る。ヒヤリとした空気に煮えた頭が僅かに冷えて、自分が大量に熱を発していることに気づかされた。
目元に腕を押し付ける。それは単に汗を拭うための動作だったが、視界を遮ったことで鮮やかに先ほどの光景が脳裏によみがえった。
間違いない。彼女だ。
ようやく見つけたというのに、その姿を追うどころか見失ってしまった。予想外の失態。
いや、一応動こうとはしたのだ。けれど、人の波にのまれる直前に垣間見えた横顔を目にして、動けなくなったのだ。
ちらりと見えたのは、白い肌と小さな鼻。何か楽しい物を目にしたのか、健康的な色合いの唇は薄く笑みを浮かべていて、黒い瞳は優しく細められていた。
記憶の中の主と同じであるのに重ならないその姿。衝撃を受けた。当たり前だ。だが。
「…………なんだこれ…………」
どくどくと音を立てる胸の辺りを握りしめ、グランシオは初めての感覚に戸惑っていた。
「……久しぶりに目にしたせいか………………?」
自問するも答えなど出ない。わからないことだらけだ。それなのに、心は満たされている。
胸が詰まるとは、なるほどこういうことかと実感を持って知れた。
彼女の装いは旅のそれではなかった。大きな荷物を抱えてもいない。歩きなれた様子にこの辺りに生活の拠点があるに違いない。
冷静さを取り戻した後は早かった。人の良い笑みを張り付けて、あちこち聞き込んで回る。
「あぁ、そりゃあ多分ベイラーさんのとこの子だよ」
そうして知れたのは、養い親だった老夫婦の死後、ひとりでパンを焼く少女の話だった。養い親が死んだという時期と魔女の慟哭を感じた時期が重なる。けれど、先ほど見かけた彼女から悲しみは感じなかった。
立ち直ったのか、と理解すれば、あの慟哭を直に感じ取った者として感嘆のため息が出た。
探し人が見つかったことを、折よく会えたあの青年に告げれば、偽りなく祝福してくれた。
気を良くしていたその時、青年の従者が会話に割り込んでくる。
「あなたの魔女は、どのような力をお持ちなのですか?」
瞬時に、浮かれていた頭が冷えた。
――――――なんだコイツ魔女に興味があるのか。グランシオの魔女に。会いたいのか会うつもりなのかよく見れば女好きのしそうな整った顔をしている会ってどうするつもりだその力を知って何を求める魔女が求めるのは平穏ならばそれを侵すモノは排除す――――――
「ロワン、やめなさい」
青年が従者を諫め、背で庇うようにグランシオの前に立った。
「申し訳ない。彼は私の魔女が見つからないことに焦れているだけなんです」
グランシオとしても、青年とやり合って時間を無駄にしたくはない。一刻も早く魔女の元に行きたかったから。
青年からの謝辞を受け入れ、その証とでもいうように、それまで集めた魔女と思しき人物の情報を青年に渡した。グランシオにはもう不要のものだ。
そのうちのどれかに、彼が探す魔女の情報があるかもしれない。青年は喜んでそれを受け取った。
パン屋へと向かったグランシオは、店の外から主の姿を見かけては身悶えしたり、客に向けられる笑顔にギリギリするなどして、陰ながらじっとり主を見守っていた。
そこへ、男の客と何やら揉めている気配を感じ取り、いい加減我慢が効かなくなっていた下僕はついにその扉に手をかけることになる。
その時のグランシオは、直接主と対峙して言葉を交わす威力というものをまったく考慮していなかった。
大きく瞠った黒い瞳がグランシオを映す。小さな唇からグランシオの名がこぼれ落ちる。
彼女の中に、グランシオが欠片でも存在したのだと理解した瞬間に、当初の『見守る』という決意は脆くも崩れ去った。
…………許されるなら、束の間で良いから、そばにいたい。
そんなささやかな願いを秘めて、少し強引に押しかけたのだけれど。
もうちょっと、あと少しだけ、と自分に許すうちにどんどん深みに嵌り、抜け出せなくなる未来が待ち受けているなど、この時の彼は想像もしていなかったのだ。
1
お気に入りに追加
501
あなたにおすすめの小説
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃
紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。
【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。
今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます
神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。
【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。
だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。
「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」
マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。
(そう。そんなに彼女が良かったの)
長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。
何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。
(私は都合のいい道具なの?)
絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。
侍女達が話していたのはここだろうか?
店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。
コッペリアが正直に全て話すと、
「今のあんたにぴったりの物がある」
渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。
「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」
そこで老婆は言葉を切った。
「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」
コッペリアは深く頷いた。
薬を飲んだコッペリアは眠りについた。
そして――。
アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。
「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」
※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)
(2023.2.3)
ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000
※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)
【完結】公女が死んだ、その後のこと
杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】
「お母様……」
冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。
古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。
「言いつけを、守ります」
最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。
こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。
そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。
「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」
「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」
「くっ……、な、ならば蘇生させ」
「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」
「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」
「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」
「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」
「まっ、待て!話を」
「嫌ぁ〜!」
「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」
「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」
「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」
「くっ……!」
「なっ、譲位せよだと!?」
「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」
「おのれ、謀りおったか!」
「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」
◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。
◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。
◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった?
◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。
◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。
◆この作品は小説家になろうでも公開します。
◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!
この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。
レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。
【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。
そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。