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番外編 主を求めた犬の旅路 後編

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 それは、唐突にやってきた。

 嘆き。息ができなくなるほどの衝撃。
 グランシオを魔女を結ぶ主従の絆が伝えてきたのは、かけがえのない魔女の慟哭だった。

 その身に、どれほどの不幸が降り注いだのか。居てもたってもいられなかった。 

 すべてを配下に押し付ける形で放り出し、海を渡る。魔女を預けたはずの医者を訪ねれば、そのような患者は来てないという。
 混乱したまま、魔女を医者まで届けさせた運び屋に押しかければ、船から海に落ちたのだと答えた。
 
 薬で朦朧とした魔女が自ら甲板に赴くわけがない。大陸まで船内でじっとしていたはずだ。誰かが誘導でもしなければ。

 苛立ちと見せしめを含めて問い詰めてやれば、悲鳴交じりに男が白状する

「あんなのに大金を使うなどもったいない! 黙っていればわからないと思ったんだ……許してくれ……!」

 怒りのまま、手ひどく始末した。後になって時間を無駄に使ったと歯噛みしたものだ。

 なまじ魔女の感情が伝わるばかりに、無事だと思い込んでいた自分が愚かしい。
 この目でその姿を確かめるまで安心できない。

 こうして、グランシオの旅が始まったのだ。


◇◇◇◇◇

 大陸を移ってから、グランシオは魔女を探し求めた。
 魔女の力を追えば大体の場所がわかると思っていたが、彼女は力を使わなかった。力を使えば、王侯貴族にでも匿われることだとて可能だろうに。


 手がかりもなく魔女を探すのは、非常に焦れた。
 少しでも手がかりが欲しくて、吟遊詩人の真似事で金を稼ぎながら旅をする。
 魔女に纏わる古い歌を披露し、吟遊詩人が歌の題材として新たな魔女を探しているというように装えば、わずかばかりに魔女の情報が得られた。

「魔女ぉ? この辺じゃあ聞かねぇなあ」

 北方の酒場で顔を赤くした酔っ払いが応えると、周囲も次々に同じようなことを言う。この町は外れだとわかれば、淡々とその場を後にする。

 そうするうちにわかったのは、魔女は存在自体が稀である上、ひっそり大人しく暮らすことが多いということだ。
 そういう意味ではグランシオの魔女も同様なのだろうと納得した。

 魔女の噂を求め、小さな村や集落も漏らすことなく丹念に訪れる。一つの国を出るまでに随分時間がかかるが、万が一にでも見逃してしまったらと思えば、決して手を抜くことなどできはしなかった。


 そうしたある日、南方の酒場で古い魔女の歌を歌っていたときに意気投合したのは、グランシオから見て非常に珍しい存在だった。

 輝く金色の髪に宝石のような紫色の瞳。端正な顔立ちは美術品のような麗しさで、所作も表情の一つ一つに目を引くものがあった。

 それがただ姿形だけならば、グランシオは気に留めなかっただろう。何をしても目立つのは息が詰まりそうだな、暗躍するのには向かないな、くらいにしか思わない。

 だが、優雅に微笑むその青年には、底知れぬ物を感じさせる何かがあった。
 年齢はグランシオよりも大分年下だろうに、おそらくとても強い。正面から向かって勝てる想像がまったく浮かばないなど初めてのことだった。
 従者を連れていたので、貴族か、若しくは王族なのかもしれないと当たりをつけた。

 自分よりも強い人間に会うことなど滅多にないグランシオは、久方ぶりに楽しい気持ちで酒を交わした。
 魔女が見つからないことでたまった鬱々としたものがほんの束の間だが紛れた。 

 魔女の歌ばかりを歌うことを言及され、「魔女を探しているのだ」と打ち明けた。
 常ならば、「酔狂なヤツだ」「吟遊詩人としては良い題材だな」などと言われて終わるが、相手は神妙な表情をして、
『自分も魔女を探している』
と言い出した。

 なるほど、それで魔女の歌を歌うグランシオに寄って来たのかと合点がいく。


 青年が探しているのは、黒目黒髪で、男よりも年上の魔女なのだそうだ。

「ずっと探しているのですが、中々会えなくて…………」

 そう言って伏せた紫色の瞳に、恋い焦がれているかのような苦悩を見つけて僅かに目を瞠る。
 どうやらこの青年は、魔女に懸想しているようだった。

 恋だの愛だのというのは、正直なところグランシオにはピンとこない。
 よくもまぁ、そんなことで騒ぎ立てるものだと思う程度だ。

 彼の中でただ一つ、燦然と輝くのは主人たる魔女への忠誠心。

 記憶の中の主は、小さくて軽くて、そして人形のように愛らしい。けれど時折、ふとした瞬間にうっすらと表情を変えるのだ。

 真っ白な雪を見上げるとき、あたたかいスープを口に含ませたとき、懐に抱き込んで冷たい風から守るとき、そして、グランシオが人を殺したとき。

 追っ手を殺した際、怯えている少女に気づいたとき、己の身が穢れきっていることを突き付けられた気がしてグランシオは動揺した。 

 そこからは、細心の注意を払った。接触は必要最低限に。彼女に自分の穢れが移らないように――――――――――けれどそのせいで、グランシオは誤った。
 魔女のためだと言い聞かせ、彼女の傍を離れてしまった。

 次こそは間違わない。離れたりせず、陰ながら見守るのだと決めている。

 小さな平穏を欲した、彼女の望みのままに。

 そこには、どこぞの男と家庭をつくるという可能性も含まれる。

 無論、グランシオの目に適う相手でなければならない。
 温厚で、しかし芯があって、主人だけを一途に大切にし、当然余所見など許されない。
 財力はあった方が良いが、自分の仕事にかまけて主人を寂しがらせてはいけない。
 家の仕事を主人任せにすることなく、協力し合える人間。
 後は、グランシオよりも強いこと。
 これが最低条件だ。

「そのような人はあまりいないと思いますが…………」

 グランシオの話を聞いて困ったように微笑む青年は、性格もよさそうだしグランシオよりも強い。しかし、その心に既に想う人間がいるので論外だ。

 だから安心して酒を酌み交わせる、と思いかけて、自分の思考にやや首を傾げた。
 しかしちょうど別の話題を振られ、明確な答えが出る前に疑問は霧散した。

「数日ここに宿をとりますので、機会がありましたらまたご一緒しましょう」

 そう告げられた、翌日のことだった。

 町を歩いていたグランシオは、ふと視界に何かが引っかかった気がして立ち止まる。
 見回す先にあるのはありふれた風景でしかない。そこに住まう人間が集い歩き生活しているだけ。グランシオからすれば有象無象のどうでもよい光景。

 何が気になったのか、ハッキリとしない感覚に首を傾げたその瞬間。人が行き交う隙間を縫うように、突然視界に飛び込んできた後ろ姿。

 人と人の合間に見える頭は、随分と低い位置にあった。足取りに合わせて一つに束ねた黒い髪が軽やかに動く。

 その後ろ姿が人の波の向こうに消えてしまうまで、グランシオは呆然とその場に立ち尽くした。

 ハッと我に返り、一歩足を踏み出すも時すでに遅し。いや、それ以前に思うように体が動かない。手足が震え、思考も儘ならないことを素直に認めるも、感情は波立ったままだ。

 日の当たらない建物の影に入る。ヒヤリとした空気に煮えた頭が僅かに冷えて、自分が大量に熱を発していることに気づかされた。

 目元に腕を押し付ける。それは単に汗を拭うための動作だったが、視界を遮ったことで鮮やかに先ほどの光景が脳裏によみがえった。

 間違いない。彼女だ。

 ようやく見つけたというのに、その姿を追うどころか見失ってしまった。予想外の失態。
 いや、一応動こうとはしたのだ。けれど、人の波にのまれる直前に垣間見えた横顔を目にして、動けなくなったのだ。

 ちらりと見えたのは、白い肌と小さな鼻。何か楽しい物を目にしたのか、健康的な色合いの唇は薄く笑みを浮かべていて、黒い瞳は優しく細められていた。

 記憶の中の主と同じであるのに重ならないその姿。衝撃を受けた。当たり前だ。だが。

「…………なんだこれ…………」

 どくどくと音を立てる胸の辺りを握りしめ、グランシオは初めての感覚に戸惑っていた。

「……久しぶりに目にしたせいか………………?」

 自問するも答えなど出ない。わからないことだらけだ。それなのに、心は満たされている。
 胸が詰まるとは、なるほどこういうことかと実感を持って知れた。

 彼女の装いは旅のそれではなかった。大きな荷物を抱えてもいない。歩きなれた様子にこの辺りに生活の拠点があるに違いない。
 冷静さを取り戻した後は早かった。人の良い笑みを張り付けて、あちこち聞き込んで回る。

「あぁ、そりゃあ多分ベイラーさんのとこの子だよ」

 そうして知れたのは、養い親だった老夫婦の死後、ひとりでパンを焼く少女の話だった。養い親が死んだという時期と魔女の慟哭を感じた時期が重なる。けれど、先ほど見かけた彼女から悲しみは感じなかった。
 立ち直ったのか、と理解すれば、あの慟哭を直に感じ取った者として感嘆のため息が出た。

 探し人が見つかったことを、折よく会えたあの青年に告げれば、偽りなく祝福してくれた。

 気を良くしていたその時、青年の従者が会話に割り込んでくる。

「あなたの魔女は、どのような力をお持ちなのですか?」

 瞬時に、浮かれていた頭が冷えた。

 ――――――なんだコイツ魔女に興味があるのか。グランシオの魔女に。会いたいのか会うつもりなのかよく見れば女好きのしそうな整った顔をしている会ってどうするつもりだその力を知って何を求める魔女が求めるのは平穏ならばそれを侵すモノは排除す――――――

「ロワン、やめなさい」

 青年が従者を諫め、背で庇うようにグランシオの前に立った。

「申し訳ない。彼は私の魔女が見つからないことに焦れているだけなんです」

 グランシオとしても、青年とやり合って時間を無駄にしたくはない。一刻も早く魔女の元に行きたかったから。
 青年からの謝辞を受け入れ、その証とでもいうように、それまで集めた魔女と思しき人物の情報を青年に渡した。グランシオにはもう不要のものだ。
 そのうちのどれかに、彼が探す魔女の情報があるかもしれない。青年は喜んでそれを受け取った。

 パン屋へと向かったグランシオは、店の外から主の姿を見かけては身悶えしたり、客に向けられる笑顔にギリギリするなどして、陰ながらじっとり主を見守っていた。

 そこへ、男の客と何やら揉めている気配を感じ取り、いい加減我慢が効かなくなっていた下僕はついにその扉に手をかけることになる。

 その時のグランシオは、直接主と対峙して言葉を交わす威力というものをまったく考慮していなかった。
 大きく瞠った黒い瞳がグランシオを映す。小さな唇からグランシオの名がこぼれ落ちる。
 彼女の中に、グランシオが欠片でも存在したのだと理解した瞬間に、当初の『見守る』という決意は脆くも崩れ去った。

 …………許されるなら、束の間で良いから、そばにいたい。


 そんなささやかな願いを秘めて、少し強引に押しかけたのだけれど。

 もうちょっと、あと少しだけ、と自分に許すうちにどんどん深みに嵌り、抜け出せなくなる未来が待ち受けているなど、この時の彼は想像もしていなかったのだ。

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