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13.独白告白

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ユアン王子が呟いた言葉を確かめることができず、その日の夕方を迎えた。

午前中は二人で庭の散策、ランチはいつものように食べやすいものを二人っきりで。午後はテラスでのんびりしたり、近くの王宮管理の牧場へと足を延ばしてみたり……。

うん、楽しかったよ。ランチも美味しかったし、牧場も色んな動物がいて触れ合えて楽しんだし……。

久しぶりに楽しいと感じていたと思う。

でも、でもさ。

楽しかったけど、二人きりになった瞬間のユアン王子の態度が甘くて甘くて溶けてしまいそうで……。コーラン様以外の使用人が近くにいるといつも通りだからこそ、そのギャップに頭が追い付かないの。

牧場でも馬の背中に乗る時は完璧なエスコート。私が落ちないように常に気遣ってくれているし、優しく声をかけてくれるし……。
馬も心なしか驚いていたんじゃないかな。

私の戸惑いなど感じているくせに、ユアン王子はそんなのお構いなしだ。

「一体なにが起こっているというの……」

別邸の自室へ戻ると、なんだかぐったりしてしまいソファーに倒れ込んでしまった。

それにユアン王子が呟いた言葉も頭から離れないでいる。
ただの聞き間違い? はっきりは聞こえなかったから空耳だったのだろうか。だとしたら、王子はあの時何を言ったのだろう。

「大丈夫ですか? お疲れですね。まぁあの王子様のお側にずっといらっしゃるのも気を張って疲れますよね」

リリーさんが気づかわし気な顔で紅茶を入れてくれる。

ん? どういうこと? と思ったが、使用人たちの前ではユアン王子は表情を無くした冷たい雰囲気をまとった王子のままだ。
私の前で豹変して甘くなるユアン王子を知らないのだろう。

「いや……、気を張るとはまた違くて……。ギャップというかなんというか……」

もごもごと話す私に軽く首を傾げるリリーさん。

「この後はお夕飯ですからね。夕飯はいつものシェフが地元の食材で腕を振るってくださいます。お昼はここの地元のシェフが作ってくださったんですよね? 恥ずかしがり屋だからと人払いされたとか。いかがでしたか?」
「え……? そうだったんですか?」
「はい、そう聞きましたけど?」

それを聞いて私が首をひねった。
地元のシェフ? そんな話は聞いていない。ランチメニューはいつもの食べやすいもので、味もいつもと同じとても美味しいものだった。特別に変わった感じは見られなかったけど……。

あとでコーラン様にでも聞いてみよう。

「あの、夕飯っていつもの様に部屋ですか? それとも食堂で?」
「食堂と聞いています」

ということは、使用人たちも側に控えるのだろうか?
いつもはマナーなど怪しまれないように部屋食べをしているが、場所的にもそう言うわけにはいかないのかな。
少し緊張するけど、だいぶ慣れたから大丈夫だとは思うけど……。

そんな心配をしていたが、ユアン王子は使用人たちも一緒に気軽に食べられるようにと、立食的な状態にして大皿の食事をいくつもテーブルに並べる様に言いつけたらしい。
そんなことは今まででもなかったことで、集められた使用人たちはみな戸惑いを隠せずに立ち尽くしていた。

「今回はいつも頑張っているみなさんへ、ユアン王子からの計らいです。楽しくワイワイと食事を楽しみましょう」

コーラン様の一声で皆がホッとした顔つきになる。

「驚きました。ユアン王子様がそんなことをなさるなんて思いもしませんでしたから、私たちクビになるのかと思ってしまいましたよ」

リリーさんの苦笑に私も微笑む。そう思っても不思議ではないだろう。 

「どういう風の吹き回しだろう」「王子様は体調でも悪いのか?」など囁かれてもいる。

当の本人は少し離れた場所の椅子に座って、気にした様子もなくのんびりワインなどを飲んでいた。

本当に今回のユアン王子はどうしたのだろう。明らかに違う。
でも、使用人たちを見るユアン王子の目が心なしか穏やかに見える。纏う空気が柔らかいもののようで、使用人たちもそれを感じるのかホッとしているみたいだ。

(あえてそうしているのかしら?)

ユアン王子の側へ行くと、目線を上げて「どうした?」と優しく問いかけてきた。

2人でいるときの声だ。

もちろん、使用人たちはそんな声を聞いたことがないのだろう。多くの人が目を丸くして振り返る。

「今日のユアン王子はお優しくてみんなが驚いております」
「たまにはいいだろう」 

たまにはではない。使用人たちには初めてのことだ。背中越しに戸惑っているのが大いにわかるし、それを見てコーラン様が笑いをこらえているのがよくわかる。

(キャラ変でもしたのかしら。それとも冷徹のままだと疲れた?)

どちらにせよユアン王子が変わったのは目に見えている。
それをどう受け入れられていくかだろう。

「ここに連れてきた使用人たちは、長年仕えてくれた信用ある者たちばかりだ。俺の振る舞い一つで何か変わるとは思えん」

私の前での完全なる甘さはないが、言葉の端箸や声に優しさを感じる。
涙ぐんでいる使用人たちもいてユアン王子の言葉がどれほど響いたのかがよくわかるのだ。

「そうですか。それなら私も安心です」

フフっと微笑むとユアン王子も目を柔らかくする。

その後、私も使用人たちに交じって気軽に食事をしたが、皆誰もが気遣いある優しい者ばかりであった。
ユアン王子が信用しているというだけはある。

「ジュアナ様、これは地元野菜で作られた肉野菜煮でございます。とても美味しくできたんですよ。ユアン王子様は子供の頃からこれがお好きだったんです」

シェフが嬉しそうに目を細めながら説明してくれる。

「本当だ! とても美味しいです! シェフは本当に腕がよろしいんですね。毎食、とても楽しみにしているんですよ」
「ハハ、ありがとうございます。ただ、昼食だけは私が作った物ではございません」
「他の方が作られているのですか?」

疑問を口にすると、シェフは少し気まずそうな顔をした。

「えぇ……。たぶんですが。私ども厨房の者はその時間は休憩をいただいておりますので詳しくは……」

どうもはぎれが悪い。
首を傾げると、シェフがこっそりと小声で教えてくれた。

「その方が作られる時は、ジュアナ様と王子様が昼食をとられる時です。それ以外は私どもが作っておりますが……。その、一度だけその方が作られているお姿を拝見したことがあります」

さらにシェフは声を落とした。

「ユアン王子様だったんですよ」
「え? 厨房に居たのが?」
「はい。サンドウィッチを作っておられました。しかも手際よく……」

シェフの話に言葉を失う。

ちょっと待って……。ということは、あの二人のランチの時はいつもユアン王子が食事を作ってくれていたということ!?

一体どうして……!?

「ユアン王子様はとても器用な方ですからね。昔、戦地訓練に参加された時、ユアン王子様が食事担当の時はとても美味しかったと聞いたことがあります。もしかしたらですが、料理がお好きなのかも……」

シェフは柔らかい笑みをこぼす。

「あ、このことは内密にお願いいたしますね。私がお姿を拝見したなど知れたらどうなる事か……」
「もちろんです。教えてくださりありがとうございます」

そうお礼を言いつつも、少し胸がドキドキしていた。
だって、今までのあの食べやすい食事は王子自らが作ってくれていたということ。なんで? 私のために? それともただ食べやすい食事が作りたかっただけ? 料理が好きなの? だからあんなに紅茶を入れるのが美味いの?

聞きたいことがたくさんある。でも、それは今聞けない。

もし、私のためだとしたら……?

そう考えると、胸の奥がじんわりと温かく満たされる感じがした。

嬉しい。もし、私のために作ってくれたのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

ユアン王子をチラッと振り返る。
私の視線に気が付くと目を和らげた。

あぁ、どうしよう。ドキドキと心臓がうるさい。この感じに覚えがある。でも、ずっと目をそらしてきた痛みとうずきだ。

エルマ、わかっているでしょう?
私はジュアナお嬢様の代わり。本気で王子様を好きになってはいけない立場。もし正体がバレたら、処刑される身なのだから、本気になっても辛いだけなのかもしれない。

でも……。

この胸のときめきをどうにも止めることは出来なかった。

その夜。

入浴を済ませてリリーが下がると、部屋の扉が叩かれる音がした。

「はい。リリーさん? 忘れものですか?」

そう言いながら扉を開けると、そこにはユアン王子が立っていた。

「ユアン王子……」
「少しいいか?」
「はい……」

夜の訪問に胸がどきんとなる。コーラン様はあんなことを言っていたけれど、実際こうしてユアン王子は部屋を訪問してきた。
その意味が分からぬほど、私は子供ではない。

どうしよう……。

夕飯時とは違う胸の苦しさが押し寄せる。緊張、怖い、不安……。
もしも押し倒されてそう言う雰囲気になったら……。

私は本当のことを言わねばならない。だって、王室に貴族ではない血が混じるわけにはいかないでしょう?

ユアン王子をソファーに座らせ、ミニキッチンで紅茶を入れる。

「ユアン王子ほど上手ではありませんが」

そう言いながら出す私の手は微かに震えていたかもしれない。ユアン王子はその手をじっと見つめていた。

「いや、とてもうまいよ。良く手慣れているな」
「えぇ、まぁ……」

ずっと使用人としてジュアナお嬢様に紅茶を入れていた。慣れているのは当然である。

どのタイミングで打ち明けようか。そこを間違ってはいけない。いや……、間違ったとしても辿る末路は一緒か。

私が俯いていると、ユアン王子の視線を感じた。

「どうした? 何かあったか?」
「あ、いえ……」

これから起こること、それを想像して恐怖感が襲ってきている。ユアン王子は穏やかだというのに、私一人が青い顔をしているに違いない。

「ユアン王子がいつもと違うので戸惑っているだけですわ」

誤魔化すようにそう言うと、ユアン王子は苦笑した。

「そう見えるだろうな。さっきも、コーランから使用人室では俺の話で大盛り上がりだったと報告が来た。明日は槍が降るのではないかと」
「当然です。今まで冷徹の王子と呼ばれていたお方の、笑顔や柔らかい雰囲気を感じているのですから」
「まぁな」

ユアン王子は困ったような笑みを浮かべたままだ。
きっと今までもこんな風な表情を見せることはそうなかったのかもしれない。

「俺はずっと呪いにかかったままだったから」
「呪い?」
「王子たるもの、国民には舐められたところを見せてはいけない。隙を見せたら王族としての気品が劣る。笑顔なんてもっての他だし、いつでも他者を切れる冷徹さを持ち合わせなければならない。そう教え込まれてきた」

そう話しながら遠くを見つめるユアン王子の目線が鋭くなる。
何かを思い出しているのかもしれない。

「少しでも使用人と親しくしていると叱責が飛んだ。王子らしく振舞え、舐められるな、他者にも自分にも厳しくあれ。笑顔など絶対に見せるなと言われて、黙って従って来たんだ。その時の習慣や刷り込みが俺に染みついている」
「それは国王陛下からの教えですか?」

ユアン王子は軽く話しているが、想像するとかなり縛り付けられた幼少期だったのだろう。
全てを敵のように感じ、本当の自分を見せられない。孤独だったのかもしれない。そしてそのまま育ち、冷徹の王子と呼ばれ人に心を開けなくなった。

「いや……。母親だ」
「女王陛下……」

今は亡き女王陛下は、国民は滅多にその姿を見たことがない。ただ、国王陛下をしのぐほど冷たく無慈悲だったと聞いたことがある。

そしてふと思い出した。

以前、国王陛下に面会をした時、陛下はユアン王子に《出来損ないの女の息子》と罵ったのだ。

あれはどういう意味だったのだろう。

「女王陛下はどうしてそこまで厳しくされたのでしょう?」
「母上は男爵家の娘で地位も低かったんだ。父親が遊びで手を付けたが俺という子供ができた為、本来父親には侯爵家の娘という婚約者がいたが、それを破棄して母上と結婚した。母上は自分が劣っているという劣等感から、俺には厳しくなったようだ」

なるほど、それであの言葉か……。

私からしたら男爵家も貴族ではあるが、貴族社会の中では末端。王族に嫁げる身分ではなかったのだろう。
そう思うと、私などただの平民なのだが。

「母上は俺にすら笑いかけたことはない。常に叱責され、厳しく育てられた。甘えたこともない。唯一、心を許せるのはコーランだけだった。素を見せられるのも」
「それが今になってどうして?」

どうして突然、こんな話をするようになったのだろう?

今までのユアン王子なら絶対にこんな話をしなかっただろう。どうして突然?

その疑問が頭から離れない。呟くように聞くと、ユアン王子が振り返る。

「お前に出会ってから……」
「私ですか?」
「お前に優しくしたいと思ったし、笑顔にしたいと思った。甘やかしたいし、喜んでもらいたい。こんな気持ちを持ったのは初めてだった」
「え……」

穏やかで、かつ熱のこもった視線から目が離せない。

「お前を取り巻く環境が少しでも良くなるなら、俺は呪いから目を背け、使用人にも他者にも冷徹の仮面を外すことができる」
「今日一日でそれを感じていたんですか?」

そう問いかけると、ユアン王子は少し照れたように微笑んだ。

「前からコーランには呪いから解放されるよう言われていたんだ。もう縛り付けるものはないと。でもいまさらと思っていたし、恥ずかしさもあってできなかった。冷徹と呼ばれた方が都合も良かったしな。でも、お前がいるとその気持ちがなくなっていくんだ」

ユアン王子の正直な心を打ち明けられて、私は切なさと胸の苦しさで泣きそうになった。
こんなに大切な話をして、私を想って変わろうと努力してくれているのに……私はユアン王子を裏切る。

「使い分ければいいのです。ユアン王子が本当に信頼できる者の前だけ仮面を外せばいい。冷徹の王子はあなたを守る鎧でもあるのですから」

そう話すと、ユアン王子はジッと私の目を見つめ、「そのとおりだな」と呟いた。

「俺はそんなお前が好きだ」
「ユアン王子……!」

あぁ、神様。どうしたらいいでしょうか。

私もこのお方がとても好きです。

私を好きだと言ってくれたことが涙が出そうに嬉しくてたまりません。

黙っていられるのならば、このまま正体を明かさずに黙っていたい。

でも……。

ユアン王子が好きなのは「ジュアナお嬢様」です。私「エルマ」ではない。

そっと大きくて温かな手が頬に触れる。顔が近づくのを私は拒否などできなかった。何されるのかわかっているのに、体が受け入れたいと願っている。

ユアン王子の唇が私のそれに触れた瞬間、頬に一筋の涙がこぼれた。


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