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しおりを挟む「飯と風呂。お前どっち先にすんだ?」
一通り掃除を終えて、ナツオが問いかけると、リリヤはびくっと肩を震わせ、ぶるぶると頭を振る。
「あ? なんだ? いらねえのか? 食わねえとでっかくなれねえぞ」
「違う、そっちじゃない!」
ぎゅうっ、と綻びたコートの襟首を握りしめているリリヤを見て、やっとナツオはリリヤが何を嫌がっているのか理解した。
「ああ、風呂が嫌いなのか」
再び大げさに体を震わせたリリヤは、あっと言う間に駆けだして、食器棚の影に隠れる。
その様は、まるで水をかけられた猫のようで、おかしくなってしまう。けれどここで、甘やかすわけにはいかない。その汚い体で布団に入られるなんて、どちらかと言えば綺麗好きの部類のナツオには我慢がならない。それに、この様子じゃ今までも風呂を拒絶していたのか、どことなくリリヤの体は匂うのだ。
「そんな小汚ねぇまんまじゃ布団に入れねえぞ! お前、何かくせぇんだよ!!!」
「なっ――! 臭いって失礼だよ、ナッちゃん!!」
ナツオの酷い言い草に、リリヤは猛然と抗議する。
「元々ヴァンパイアは風呂に入る習慣なんてないし、匂いがするとしたら、餌である人間たちを誘き寄せるフェロモンのようなもので、クサイなんて言われる筋合いは――」
「ああもう、うるせえ!! これ以上駄々こねやがるなら、あの中突っ込んじまうぞ!」
ナツオが指差したのは、部屋の隅の壁に立てかけてある大きな棺桶だ。
仕事の度に持ち歩いているそれは、今は若干不気味なインテリアとして部屋の奥に鎮座している。リリヤはそれを見ると、さっきとはまた違った意味で体を縮こまらせた。
あの夜——ナツオがリリヤを引き取ると決めた日。
ナツオは村の前で待機していたムトの目を欺く為、この棺桶を使った。退魔用の特殊な鎖で頑丈な石棺を封じてしまえば、中に魔物が潜んでいようとも、妖気がムトに感付かれることはない。
リリヤの了承を得ることもなく、乱暴に棺の中にリリヤを突っ込んで、港町まで戻ってきたナツオだったが、どうやらこの棺桶の中の暗さと、息苦しさがリリヤのトラウマになってしまったらしい。
それ以来、リリヤは何かとこの棺桶を恐れている。
「あの中い、やだ……でも、お風呂もイヤ」
「……ったく、仕方ねえな……」
「え、ちょっとナッちゃん!?」
じたばたと暴れる体を掴みあげて、ナツオは奥のバスルームを目指す。
アパートの外観と比べれば、随分と新しいバスルームは、ナツオが唯一拘った場所でもある。
地域によっては、シャワーだけで満足する人も多いが、ナツオはきっちりバスタブに湯を張って、ゆっくり風呂を愉しむタイプだ。風呂に入れば嫌なことは大概忘れられるし、仕事が入った日などはこびりついた血や泥を念入りに落とさないと気が済まないのだ。
バス、トイレ付に拘ったせいで、予算的に少しばかり部屋が質素になってしまったと言えなくもない。
その代わり充分な広さと、ナツオの長身もすっぽり沈める大きなバスタブがある。
湯は、実はこの部屋についてすぐに溜めておいた。掃除が済んだらすぐに、汗と埃を洗い流す為だ。
さっきリリヤにどっちを先にするかと訊いたのは、一応共同生活をする上での形式的なことにすぎない。ナツオは最初から、風呂が先だと決めている。
「こら! リリヤ、暴れんな!!」
「やだ! くそっ、離せよ! ナッちゃんのえっちー!!!」
匂いの元はこれなんじゃないかと思わせる、ボロ布のようなコートを剥ぎ取り、シャツとパンツも下着ごと抜き取ると、洗濯籠の中に入れる。
「もう、ほんっと……いやだ、って、ナッちゃん、助けて」
「大丈夫だから。俺も一緒に入ってやる。何も怖くねえって」
「怖くなんてない!! そうじゃないって! 俺達には風呂なんて必要ないんだってば!!」
そういう種族なんだから、と喚き散らすリリヤの首根っこを押さえたまま、ナツオも衣服を脱いだ。
「ひっ……」
露わになったナツオの肌に、見上げていたリリヤが怯えたような悲鳴をあげる。
「ん? なんだ?」
不思議に思って顔を覗きこんでみると、リリヤは顔を真っ赤にして、大慌てで俯く。そして、「ナッちゃんのデカちん!! 早く前隠せよ!!」
急に怒鳴ったかと思うと、あれだけ嫌がっていた風呂の中へと、ばしゃーんとわざとお湯を撒き散らしながら飛び込んだ。
「ぶ、わっ……、お前な、水飛ばすんじゃねえよ! つか、汚れ落としてから入れ。きったねえな」
体と髪を一度に、上からシャワーをかぶって手早く洗い終えたナツオは、リリヤの後を追う。
ナツオのサイズに合わせて選んだ湯船は案の定リリヤには大きすぎて、リリヤはバスタブの端を必死の形相で掴みながら、目をぎゅうっと閉じて溺れそうになる恐怖に耐えている。
床に付かない足がぱたぱたと湯の中を彷徨っている。
その様子があまりに哀れだったので、ナツオは仕方なくリリヤを湯から取り上げると、まずは自分が湯に入り、中途半端に立てた膝上にちょこんとリリヤを乗っけてやった。
「これなら怖くねえか?」
「――まあ」
「そうか」
リリヤが大人しくなったのに満足して、ナツオは深く湯船に沈む。その拍子にまた湯に浸かりそうになったリリヤはあたふたとシズオの膝を掴んで上によじ登る。余程水が苦手らしい。
「なんでそんなに嫌がるんだよ。ネコか」
「言っただろ。ヴァンパイアは風呂に入る習慣が無いんだって! 誰だって初めてのことは怖いだろ」
コイツ風呂初めてだったのかよ、と顔を顰めるナツオに、リリヤは「何か誤解してるようだけど」と、頬を不満げに膨らませる。
「汚い訳じゃないんだからね。俺達が風呂に入らないのは必要がないから。洗わなくなっていつだって生まれたままの清潔さを保てるように出来てんだよ。何度言わせるんだよ!」
「へいへい。そのわりには、手前クセェけどな」
「だからそれがおかしいって言って――」
また妙な屁理屈を捏ねられそうだったので、ナツオは再びリリヤの首根っこを掴んで、今度はバスタブの外の大き目の洗面器の中にリリヤを座らせる。そうしてコックを捻ると、思いっきりリリヤの頭上からシャワーを浴びせた。
「わっ……ちょっ、いきなり何! 怖い! やだ!目に入る! 痛い! ナッちゃん、痛い!」
大騒ぎしながら逃げようとするリリヤを掴んで引き寄せる。バスタブから半身乗り出した形でシズオは手のひらに全身用のシャンプーを、ポンプ数回分乗せる。
手のひらを擦り合わせ、泡立てると、リリヤの脇の下に手を入れ、胸、手の先、足の先、と丁寧に指の腹で洗ってやる。
「く、すぐったいナッちゃん……ふはっ」
「ちょっと我慢しろ。こら、だから暴れんなって」
羽根は水を弾く性質らしく、リリヤの意思と関係なくピチピチと動くそれは何度もナツオの顔に水滴を飛ばした。
羽根の根っこにも指を差し入れ綺麗に洗う。そんなところ触られたことがない、と不安げにしていたリリヤは、それでも何度も手のひらで撫でるようにしてやれば、やがて気持ちよさそうに目を細めた。
ほんの少し迷った末に、股の内側の部分にも手を回す。まだ小さな性器に触れようとした時は、流石に自分でやると止められたが、それ以外の場所に関してはリリヤは結局はナツオにされるがままになっていた。
あまりの出来事に抵抗すらまともに出来なかったのかもしれない。
身を捩るリリヤの全身を隈なく撫でまわす。素肌に触れてみて改めて、柔らかな肌だと思う。ぷにぷにの肉質は触れば心地よく、洗い終わって泡を落とす時には、この時間が終わってしまうのが残念な気すらした。
再び、抱きかかえて湯の中に入ると、真っ先に口から出たのは「屈辱だ」の一言だった。
「はぁ? 何がいっちょ前に屈辱だよ。湯船に足もつかねえガキがよ」
ピンっとおでこを人差し指で弾いてやると、思ったより衝撃があったのか「いたっ」と涙目になったリリヤが睨みつけて来る。相当に力加減をしてやったのだが、やはり魔物とは言え子供には少し強かったようだ。
「年上ぶって偉そうにしてられるのも今のうちだよ。ナッちゃんの年なんて、あっという間に追いついちゃうんだからね」
「あ?」
「俺達ヴァンパイアは年の取り方が人間とは違う。餌を取るのに最も適した時期——つまり青年期が一番長いんだ。だからあっという間に大人になる」
「なるほど。確かに子供のヴァンパイアってのは、教科書にも載ってなかったな」
授業の時に渡された魔物図鑑のヴァンパイアの項目を、うろ覚えで思い出してみると、そのどれもが大人の資料だった。そもそもヴァンパイアの生態は謎に包まれていることが多く、元々情報が少ないので気にしていなかったが、あれは子供の時期が短いせいでその間の彼らの情報を得られなかったせいだったのか、と今更合点がいく。
「だろ? 俺達は成人するまでにいくつかの段階を得るんだ。まず赤ちゃんの頃。生まれたてで言葉も喋らず、何もできない状態。これが恐ろしく短い。大体生れてから一年でいきなり俺くらいに成長する」
「マジか!?」
「そうだよ。だから俺は、この世に生まれ落ちて五年くらい。今の姿になって、四年だね」
これには流石に驚いた。
へぇ、と素直に感嘆の声を漏らすナツオに、リリヤは得意げに、ふふん、と鼻を鳴らす。
「で、ここからがもっと凄い。俺達は幼少期をすぎると、あとはほんの一瞬だ。月が満ちて欠けるその間の二週間ちょっとの間で、一気に大人にまで成長する。それで、俺は丁度今年がその周期なんだ」
「あー、ってことはなんだ? お前もうすぐ大人になんの?」
「うん」
にっこりと嬉し気に頷いたリリヤと対照的に、ナツオはどこかがっかりした気分になる。もちろん、いつかはリリヤが大人になることは分かっていたが、それがこうも早く来るとは思いもしなかった。
小さい子供だと思えばこそ可愛げもあるが、これで大人にでもなられたらと考えると、嫌な予感しかしない。
「と言っても、完璧な大人になるには儀式が必要なんだけど……」
意味深に笑みを深くしたリリヤは、「まあそれはまた今度ね」と話をうやむやにしてしまう。
「心配しなくても、あと一週間程度はこのままだよ」
「たった一週間かよ」
存外不満げな声に、リリヤは一瞬目を丸くして、
「ナッちゃんって……ショタコンなの?」
大真面目に訊いて来たから、取りあえず一発殴っておいた。
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