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第一章 勇者の求婚
第六話 勇者の告白
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気を失ったニコが目を覚ましたとき、ニコの身体は包帯でぐるぐる巻きにされていた。息をするだけで喉や胸が痛んだし、指先ひとつ動かせない。周囲は消毒薬の匂いに溢れていて、そこが見慣れた城内の医務局であることに気づいた。
――生きている。
そのことが信じられなかった。ニコは黒焔帝との戦いで生き残ることが出来たのだ。
後から聞いた話では、王宮に強制転送されたハロルドと村人の様子から、ハロルドが魔族に襲われたことが王国軍に伝わったらしい。泣き叫ぶハロルドの要請と同僚の魔術師たちの嘆願もあり、派遣された援軍が到着したのは黒焔帝の強襲から数日後。当然、ニコは死んだものと思われていた。
しかし、ニコは生きていた。意識を失ったニコは自らが生やした木に守られ、精霊たちの与える魔力でなんとか生き延びていたという。森はその大半が焼け、村は跡形も残っていなかった。激しい戦闘の跡はあれど、そこに黒焔帝はいなかったらしい。
医務局に運び込まれたときのニコは全身が焼け爛れた状態で、それこそ生きているのが不思議なくらいの怪我だったと医務官に言われた。
通常、王国軍に属する魔術師は負傷すると治癒魔術師による治療を受けることが出来る。しかし、ニコの怪我は治癒魔術師の回復魔術を拒む呪いがかけられており、魔術による回復は見込めなかった。
最も傷がひどかったのは杖を握っていた右側だった。魔術を発動するために、黒焔帝に向けて杖を掲げていた右手は焼け落ちてなくなり、そこから続く右側の皮膚は深い火傷を負っていた。
おまけに戦いの中無理やり魔力を使ったニコは、体内に魔力を作る器官が大きく損傷してしまったらしい。目を覚ました数日後、神妙な顔をした担当医務官から、もう二度と魔術は使えないだろうと言われて、まあそうだろうな、と思った。
この世界の人間は誰しも魔力を持っている。その量に差はあれど、魔力を持たない人間など存在しない。魔力は命の源であり、生命維持に欠かせない力だった。
その魔力を生まれながらに多く作り出せるのが魔術師であり、過剰に作られる魔力を魔術に使うことが出来た。しかし、ニコはその「魔力を作り出す器官」が大きく傷ついているという。
黒焔帝の攻撃を受けながら転移魔術の発動。さらにはそこからの全魔力を使った極大魔術。つまりは、生命維持に必要な最低限の魔力まで魔術の発動に使ってしまったのがまずかったらしい。その上、ニコは精霊たちから与えられる魔力を使って、さらに魔術を行使した。普通、そこまですれば人は死ぬから、生き残った魔術師がどうなるかなんて前例がない、と呆れたように言われて苦笑するしかなかった。
命はなんとか取り留めたが、魔術師としてのニコはこのとき死んだのだった。
ハロルドがニコの見舞いに来たのは、ちょうどその説明を聞いているときだった。
寝台に横たわるニコにハロルドは泣きながら謝った。どうやら彼は自分のせいでニコが大怪我を負ってしまったと思ってしまったらしい。包帯で巻かれた右腕にそっと手を重ねて、ハロルドは涙を拭きながら王宮で勇者候補として保護され、そのまま養育されることが決まった、と言った。
それを聞いてニコは安堵の息を吐いた。なにせ、今回襲撃を受けたのはハロルドだけではなかった。同時多発的に七人の勇者候補の全てが襲われ、生き残ったのはたった三人。彼らの護衛に至っては、二度と魔術を使えないと言われたニコを含め、ふたりしか生き残ることが出来なかった。
その話を事前に知っていたニコの気がかりは、もちろんハロルドのことだった。彼の育った村は焼けた上に、黒炎の瘴気に侵されて人が棲むことが出来なくなってしまった。おまけに、護衛だったニコはこの有様だ。他の実力者たちも多くが死に、おそらくもう一度魔族の襲撃を受ければ王国は勇者候補たちを守り切れない。
ニコがいなくて幼いハロルドはどうするのだろう。それだけがニコの気がかりだった。
しかし、そのことに焦燥感を覚えていたのはニコだけではなかったらしい。国王は残った三人の勇者候補を王宮に囲い大切に育てることにした。女神の加護があるといっても、彼らはまだ十を少し過ぎただけの子どもでしかない。魔族が本気で殺しに来たら、呆気なく殺されてしまうほどの力しか持っていないのだ。
ハロルドに想いを告げられたのは、このときだ。
青い瞳に涙を溜めて、それでも背筋を伸ばしたハロルドはニコに「愛している」と言った。
「ずっとずっと好きだ。初めてニコが俺の手を握ってくれたときから、大好きだった。これからは俺がニコを守るから、絶対守るから、結婚して欲しい」
それはたった十二歳の少年の、幼い恋の言葉だった。
この頃のハロルドにはニコしかいなかった。親も兄妹も友人すらいないハロルドにとって、ニコは親であり兄であり、そしてたったひとりの親友だったはずだ。全てをニコから教わり、ハロルドの世界はニコ一色だった。
それを成長し性愛を意識する過程で、恋と勘違いすることなど年頃の少年にはよくあることのように思えた。けれどもそれを否定することはニコには出来なかった。
単純にハロルドの真っ直ぐな好意が嬉しかったのもある。しかし、それ以上にニコは自分が彼の世界の「全て」である自覚があった。おまけに目の前で彼のために命をかけたことで、その執着はよりいっそう強くなっている。そんな状況で唯一の相手に自らの恋心を否定されて、真剣なハロルドが平気でいられるわけがない。それが幼く無垢な気持ちであるならばなおさらだ。
だから、ニコは答えたのだ。
「ありがとう、ハロルド。気持ちは嬉しいよ。でも、今の俺はこんなだし、お前もまだ十二だ。もし、これからたくさん鍛錬して、たくさん魔術も覚えて……。ハロルドが俺より強くなって、それでも俺のこと好きな気持ちが変わらなかったら、……――もう一度、告白して欲しい」
頑固なハロルドがこれ以上、食い下がらないようにニコは言った。正直、喋るために唇を動かすのも喉を震わせるのも辛かった。目をそれ以上開けていられなかったニコは、このときのハロルドがどんな顔をしていたか見ていない。
もし見ていたならば、その後をもっと上手く立ち回れただろうか。ハロルドの恋心を諦めさせ、こんな死にかけの魔術師に執着しないように出来たのだろうか。
けれども、ニコは決してハロルドの気持ちを軽んじていたわけではなかった。真剣に受け止め、考えた結果の答えがこれだ。しかし、これから彼の世界が広がってニコ以外の人と触れ合い、ニコの教え以外を学ぶことでニコへの執着は薄れるだろうと思っていたことは事実だ。もしかしたら、幼い恋心などすぐに忘れるだろうと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
――生きている。
そのことが信じられなかった。ニコは黒焔帝との戦いで生き残ることが出来たのだ。
後から聞いた話では、王宮に強制転送されたハロルドと村人の様子から、ハロルドが魔族に襲われたことが王国軍に伝わったらしい。泣き叫ぶハロルドの要請と同僚の魔術師たちの嘆願もあり、派遣された援軍が到着したのは黒焔帝の強襲から数日後。当然、ニコは死んだものと思われていた。
しかし、ニコは生きていた。意識を失ったニコは自らが生やした木に守られ、精霊たちの与える魔力でなんとか生き延びていたという。森はその大半が焼け、村は跡形も残っていなかった。激しい戦闘の跡はあれど、そこに黒焔帝はいなかったらしい。
医務局に運び込まれたときのニコは全身が焼け爛れた状態で、それこそ生きているのが不思議なくらいの怪我だったと医務官に言われた。
通常、王国軍に属する魔術師は負傷すると治癒魔術師による治療を受けることが出来る。しかし、ニコの怪我は治癒魔術師の回復魔術を拒む呪いがかけられており、魔術による回復は見込めなかった。
最も傷がひどかったのは杖を握っていた右側だった。魔術を発動するために、黒焔帝に向けて杖を掲げていた右手は焼け落ちてなくなり、そこから続く右側の皮膚は深い火傷を負っていた。
おまけに戦いの中無理やり魔力を使ったニコは、体内に魔力を作る器官が大きく損傷してしまったらしい。目を覚ました数日後、神妙な顔をした担当医務官から、もう二度と魔術は使えないだろうと言われて、まあそうだろうな、と思った。
この世界の人間は誰しも魔力を持っている。その量に差はあれど、魔力を持たない人間など存在しない。魔力は命の源であり、生命維持に欠かせない力だった。
その魔力を生まれながらに多く作り出せるのが魔術師であり、過剰に作られる魔力を魔術に使うことが出来た。しかし、ニコはその「魔力を作り出す器官」が大きく傷ついているという。
黒焔帝の攻撃を受けながら転移魔術の発動。さらにはそこからの全魔力を使った極大魔術。つまりは、生命維持に必要な最低限の魔力まで魔術の発動に使ってしまったのがまずかったらしい。その上、ニコは精霊たちから与えられる魔力を使って、さらに魔術を行使した。普通、そこまですれば人は死ぬから、生き残った魔術師がどうなるかなんて前例がない、と呆れたように言われて苦笑するしかなかった。
命はなんとか取り留めたが、魔術師としてのニコはこのとき死んだのだった。
ハロルドがニコの見舞いに来たのは、ちょうどその説明を聞いているときだった。
寝台に横たわるニコにハロルドは泣きながら謝った。どうやら彼は自分のせいでニコが大怪我を負ってしまったと思ってしまったらしい。包帯で巻かれた右腕にそっと手を重ねて、ハロルドは涙を拭きながら王宮で勇者候補として保護され、そのまま養育されることが決まった、と言った。
それを聞いてニコは安堵の息を吐いた。なにせ、今回襲撃を受けたのはハロルドだけではなかった。同時多発的に七人の勇者候補の全てが襲われ、生き残ったのはたった三人。彼らの護衛に至っては、二度と魔術を使えないと言われたニコを含め、ふたりしか生き残ることが出来なかった。
その話を事前に知っていたニコの気がかりは、もちろんハロルドのことだった。彼の育った村は焼けた上に、黒炎の瘴気に侵されて人が棲むことが出来なくなってしまった。おまけに、護衛だったニコはこの有様だ。他の実力者たちも多くが死に、おそらくもう一度魔族の襲撃を受ければ王国は勇者候補たちを守り切れない。
ニコがいなくて幼いハロルドはどうするのだろう。それだけがニコの気がかりだった。
しかし、そのことに焦燥感を覚えていたのはニコだけではなかったらしい。国王は残った三人の勇者候補を王宮に囲い大切に育てることにした。女神の加護があるといっても、彼らはまだ十を少し過ぎただけの子どもでしかない。魔族が本気で殺しに来たら、呆気なく殺されてしまうほどの力しか持っていないのだ。
ハロルドに想いを告げられたのは、このときだ。
青い瞳に涙を溜めて、それでも背筋を伸ばしたハロルドはニコに「愛している」と言った。
「ずっとずっと好きだ。初めてニコが俺の手を握ってくれたときから、大好きだった。これからは俺がニコを守るから、絶対守るから、結婚して欲しい」
それはたった十二歳の少年の、幼い恋の言葉だった。
この頃のハロルドにはニコしかいなかった。親も兄妹も友人すらいないハロルドにとって、ニコは親であり兄であり、そしてたったひとりの親友だったはずだ。全てをニコから教わり、ハロルドの世界はニコ一色だった。
それを成長し性愛を意識する過程で、恋と勘違いすることなど年頃の少年にはよくあることのように思えた。けれどもそれを否定することはニコには出来なかった。
単純にハロルドの真っ直ぐな好意が嬉しかったのもある。しかし、それ以上にニコは自分が彼の世界の「全て」である自覚があった。おまけに目の前で彼のために命をかけたことで、その執着はよりいっそう強くなっている。そんな状況で唯一の相手に自らの恋心を否定されて、真剣なハロルドが平気でいられるわけがない。それが幼く無垢な気持ちであるならばなおさらだ。
だから、ニコは答えたのだ。
「ありがとう、ハロルド。気持ちは嬉しいよ。でも、今の俺はこんなだし、お前もまだ十二だ。もし、これからたくさん鍛錬して、たくさん魔術も覚えて……。ハロルドが俺より強くなって、それでも俺のこと好きな気持ちが変わらなかったら、……――もう一度、告白して欲しい」
頑固なハロルドがこれ以上、食い下がらないようにニコは言った。正直、喋るために唇を動かすのも喉を震わせるのも辛かった。目をそれ以上開けていられなかったニコは、このときのハロルドがどんな顔をしていたか見ていない。
もし見ていたならば、その後をもっと上手く立ち回れただろうか。ハロルドの恋心を諦めさせ、こんな死にかけの魔術師に執着しないように出来たのだろうか。
けれども、ニコは決してハロルドの気持ちを軽んじていたわけではなかった。真剣に受け止め、考えた結果の答えがこれだ。しかし、これから彼の世界が広がってニコ以外の人と触れ合い、ニコの教え以外を学ぶことでニコへの執着は薄れるだろうと思っていたことは事実だ。もしかしたら、幼い恋心などすぐに忘れるだろうと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
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