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第一章 勇者の求婚

第一話 勇者との再会

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「好きだ、ニコ。七年前の約束を果たしてもらいに来た」

 確かにその金髪の青年はそう言った。
 見慣れた森の中にある、住み慣れた我が家。古すぎて何度も修復を繰り返した扉を開け放したまま、青年はもう一度「好きだ」とニコに告げる。

 幻聴ではない。もちろん、そこにいる青年も幻覚ではない。故に、彼の愛の告白は疑う余地もなく本物だった。揶揄うための嘘を伝えに来るには、この家は辺鄙なところにありすぎるのだ。
 けれども、好き、だなんて。
 その言葉の「音」は間違いなく耳に届いているのに、「意味」が理解出来なくてニコは首を傾げる。青年の言う「七年前の約束」も、青年が「誰か」も何となく分かった。けれど、でもやっぱり分からない。

「七年前の約束って、あれ、本気だったのか?」

 混乱する頭で何とかそれだけを返す。すると青年は唇を尖らせた。なんとも分かりやすく不機嫌そうな顔である。見覚えのない青年の見せたよく知った仕草。それを見て、ニコは確信する。その拗ねた顔をニコは確かに何度も見たことがあった。

「というか、よくここが分かったな」
「探したんだ。でも全然見つからないから、諦めて国王に頼んだ」
「……まじで?」

 聞けば、青年は魔王を倒した見返りとして国王にニコの居場所を訊ねたらしい。全国の魔術師たちが総力を挙げて探知魔術を使い、ようやく探し出せた、とハロルドは言った。
 何をしているんだ、勇者よ。というか、こんなところにいていいのか。否、いいわけがない。
 ニコと違って彼には彼を求める人が大勢いるし、やるべきことがあるはずだ。鳥が空にいるように、魚が川にいるように。彼の居場所は絶対にここではない。

「――ハロルド」

 呆れた気持ちで名前を呼べば、げんなりとしたニコとは対照的に青年はとても嬉しそうな顔をする。細められた青い瞳は夏の空よりも眩しく輝いていたし、金髪は陽光を溶かし込んだように煌めいている。
 女神に選ばれし光の勇者ハロルド。
 それが目の前の青年の名であり、肩書きである。

 その日、ニコは世界を救った勇者に求愛された。勇者とは実に六年ぶりの再会だった。





 ――勇者によって魔王が討伐されたらしい。

 ニコがそんな噂を聞いたのは、三日ほど前のことだった。
 久しぶりに出向いた村で、すれ違う人々が口々に噂する話を聞いた。
 曰く、世界を苦しめていた魔王を一か月ほど前に勇者が倒したらしい。勇者一行はすでに王都に凱旋して、王様から一生かかっても使い切れないくらいたくさんの褒美をもらったらしい。魔王討伐の功労者である勇者は、王女様との婚約を王様に認めてもらったらしい。――などなど。

 苦しい生活の中で聞いた久しぶりのよい知らせに、村人たちの顔は皆一様に明るかった。きっとこれから、生活がよくなる。無条件にそう信じ切っている村人たちにニコは苦笑する。
 魔王討伐という、国どころか世界の一大事が伝わってくるのに一か月もかかるあたり、ここがどれほど田舎か分かるだろう。

 魔王討伐に力を注いでいた王国は、確かにこれから内政に力を入れるのかもしれない。しかし、その恵みを受け取れるのは中央からだ。国の政策や支援は人口の多い王都の民から始まり、王都が十分に潤ってから徐々に末端へと広がっていく。末端も末端。地図にすら載っていないような小さなこの村が豊かになるのは、きっと何十年も先の話だろう。

 それでもニコは人々が浮かれる気持ちを理解することが出来た。
 だって、魔王がいなくなったということは、突然魔獣に襲われたり、魔族に街を焼かれたりする心配はなくなったということだ。それはこの国の人々にとって朗報以外の何ものでもなかった。

 魔王が君臨していたこの百年以上、世界を蹂躙する魔族のせいで、人の命は驚くほど軽かった。極悪非道。冷酷無比。戯れに人を殺し、街をひとつ跡形も残さず消す。その行動に意味など一切なく、人の力では到底叶わぬ災害のような存在。それが王国の敵対する魔王という存在だった。
 そんな魔王がいなくなったことは、間違いなくめでたいことだ。

 人々は歌い、踊り、口々に魔王を倒した勇者ハロルドを賞賛する。
 勇者ハロルドは筋骨隆々の逞しい若者だという。身体は小山のように大きく、腕を一振りするだけで暗黒竜を倒すほどの腕力を持ち、指をかざすだけで疾風を巻き起こすという。
 女神より与えられし聖剣カリバーンを携えたその姿は民衆に大人気で、こんな田舎町でも絵姿を見ることが出来た。昨日くらいから村に出回り始めたそれに描かれているのは、精悍で雄々しい姿の美丈夫だ。それを見て、ニコは引き攣れた口の端を上げる。

 ――あの泣き虫が、ずいぶんと大きくなったものだ。

 かつて、ニコの前でめそめそ泣いていた小さな男の子。春の日射しに輝く金髪は愛おしく、煌めく青い瞳は未来への希望で溢れていた。
 彼の少年は今、どうしているだろう。幸せだろうか。どこか痛いところはないだろうか。
 久しぶりに思い出してしまい少しだけ気になったけれど、もうニコには彼の現状を知ることは叶わない。かつて一度だけ交わった彼とニコの道は、これから先二度と交わることのないのだから。

 懐かしい少年の記憶を大切に抱いて、ニコは勇者の英雄譚に耳を傾けた。村人の話ではどうやら勇者はたったひとりでキュクロプスの大軍を殲滅したらしい。それはさすがに話を盛りすぎだろう、と心の中で突っ込みつつ、ニコは最低限の日用品を買って村を後にした。



 ニコの家は寂れた小さな村から少し離れた森の奥にあった。黒の森と呼ばれるその森は、珍しい薬草や木の実が採れる。ニコはそれらを採集し、薬にして細々と生計を立てていた。
 住んでいる小屋は元々木こりが使っていた山小屋で、古くなって廃棄されたものにニコ自ら手を入れたのだ。全身火傷の痕だらけの上に、右手のないニコにとって大工仕事は重労働だった。けれども別に急ぐ作業でもない。薬草作りの傍ら、のんびりと家の修復をして徐々にニコ好みの住みやすい家に設えた。

 住めば都と言うけれど、人どころか獣すらいない森の奥でも住んでしまえば本当に何とかなるものだ。蓄えはないし贅沢も出来ないけれど、それでもニコは静かに、穏やかに暮らしている。
 ニコの住む小屋には小さな暖炉がある。暖炉は竈も兼ねていて、上から鍋や薬缶が吊るせるようになっている。ニコはその竈を料理にも使うし、薬作りにも使う。

 取って来て乾燥させた薬草を細かく刻んだり、磨り潰したりしたものを鍋で煮たり、茹でたりするのだ。薬草ごとに薬効が違い、混ぜ合わせ方や処理の仕方で効果の出方も変わってくる。
 ニコはそれらの作業を休憩を挟みつつ、鼻歌を歌いながら行っている。一日、薬を作り続ける日もあれば、薬草採取だけの日もある。もちろん何もしない日もあるし、薬草を取りに行って日向ぼっこだけして帰ってくるときだってあった。

 昔はもう少し忙しかったが、ここ六年ほどはずっとこんな生活をしていた。
 七年前、大怪我を負ってからニコは無理できない身体になってしまったのだ。昔出来ていたことのほとんどが出来なくなってしまったニコには、この静かな小屋でのんびりと薬を作ることくらいしか出来ない。だから、きっとこれからもずっとこの森の中でひとり、穏やかに暮らしていくのだろう。――そう思っていたのに。


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