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第一章 マッチングアプリ

第二話

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「それで、相田さんはどうしたんですか」

 なんて、少しわざとらしいかな、と思いつつも訊ねる。
 多季の問いにそれまで嵐丸の方を気にしつつも淀みなく話していた沙也加が口ごもった。そして、少し逡巡してまた話し始める。

「……近頃、私の周りで変なことが起こるんです」
「変なこと?」
「飼っている猫が病気になったり、仲のいい友だちが怪我をしたり。ひとつひとつは小さなことで、私自身にはあまり関係がないんですけど、あまりに続くので心配になって」

 なんか、どこかで聞いたことのある話だな、と思う。そういえば、「大川さん」も似たような相談内容だった。

「相田さんは大川さんと親しいんですか?」
「麻友とですか? はい。仲良しだと思いますよ」

「大川さん」はどうやら麻友、という名前らしい。

「もしかして、ずっと一緒にいたりします?」
「そうですね。同じ大学の同じ学部で、科も同じなので取っている授業もほとんどが被っていますから」
「なるほど」

 ふむ、と頷いた多季に沙也加が続ける。

「麻友は自分が撮った心霊写真が原因だったから、もう大丈夫だって言うんですけど……」
「一週間前、大川さんが持ち込まれた写真のことですね」
「はい。こちらでお祓いしてもらったと」

 言われて、多季はぎくりと肩を揺らした。しかし、沙也加にそれを悟られないように、いつもどおりの笑みを張り付けてそのとおりです、と神妙な顔で頷いた。
 嵐丸が口を手で隠したままで、にやりと笑う。
 確かに、沙也加の言うとおり、多季は麻友の持ち込んだ「心霊写真」を燃やした。(まぁ、燃やしたのは嵐丸であるが)しかし、あれは燃やしても燃やさなくても、何の影響もない偽物でしかなかった。
 故に、沙也加の言う「身の回りの変なこと」とは無関係だ。
 しかし、実のところこういう相談は少なくはない。むしろ、この神楽宮陰陽探偵事務所に来る相談事の大多数は勘違いや思い込みで、多季や嵐丸の手を煩わせるようなものはほとんどなかった。麻友はそのいい例である。

「大川さんが大丈夫だと言っても、相田さんには気がかりがあると」
「そうなんです。実は、五日前にうちの祖母が階段から足を踏み外しまして。最初は捻挫で済んで、ああよかったねと言っていたんです。けれど徐々に状態が悪化して、もう寝たきりになってしまって……」
「寝たきり」
「悪いのは足だけのはずなのに、今は昏睡状態で……。もう高齢なので、年なのだと言われればそうなのかもしれませんが」

 それで、自分もお祓いをした方がいいのではないか、とここを訪れたらしい。
 その話を聞いて、多季はじっと沙也加を見る。確かに彼女の言う「悪いこと」は大川よりもずっと具体的で身近だ。

「失礼ですが、怪我をした大川さんのご友人って」
「私と麻友の共通の友人です」

 沙也加の返事を聞いて、多季は再度なるほど、と頷いた。
 彼女の言うことは全てが真実だろうと思う。おまけに沙也加の予測は「大当たり」で、むしろ怪我をしたという彼女たちの友人は、麻友の写真のせいではなく沙也加の影響でそうなったはずだ。
 多季はじっと沙也加を見つめた。その目には、沙也加には見えていないものが映っていた。彼女の可愛らしいワンピース姿のほっそりとした肢体に、べったりと纏わりつく黒い靄のようなもの。――「呪詛」だ。

 呪詛は円を描くように彼女を包み、中心にいくにつれて濃くなっていた。
 多季は沙也加が事務所に入ってきたとき、その姿にひどく驚いてただ言葉を飲み込むことしか出来なかった。
 なにせ、ぱっと見る限りの沙也加は、真っ黒な靄が歩いているようにしか見えなかったのだ。
 彼女の身の回りに起こる「不吉なこと」は十中八九この呪詛が原因だろう。
 その「呪詛」の大元。――「それ」を多季はじっと目を凝らして見つめる。隣の嵐丸も同じように「それ」を見ているのが分かった。

「なぁ、その首飾り。いつ頃、誰からもらったん」
「え?」

 突然口を開いた嵐丸がそれ、と指さしたのは沙也加がつけているネックレスだった。
 細い首にかかったそれは、繊細な金色の鎖と鎖骨の中心で輝く赤い宝石でできていた。赤い石は多季の親指の爪くらいの大きさがあって、蛍光灯の明かりを受けてきらきらと輝いている。宝飾品に疎い多季が見ても分かる、なかなか高価そうなネックレスだ。
 沙也加に纏わりつく「呪詛」は、そのネックレスに嵌められた赤い石を中心にとぐろを巻くように広がっていた。

「これ、ですか?」

 沙也加がネックレスにそっと手を当てる。その様子を見て、嵐丸は暗い色の瞳でひたりと彼女を見つめた。

「そう。いつ、誰にもらったん?」
「誰って、恋人です。もらったのは、三か月くらい前でしょうか」

 ――恋人、三か月、と多季は沙也加の言葉を口の中で反芻する。

「同じ大学の方ですか?」
「いいえ、社会人の方で」
「社会人? どこで出会った、どんな人ですか?」

 多季の問いに沙也加は少し恥ずかしそうに頬を染めた。

「どんなって、素敵な人ですよ。出会いはマッチングアプリです」
「今どきですね」
「そうですね。うちは女子大なので出会いといったらそういうのが多いです」
「はぁ、なるほど」

 沙也加の言葉に多季は感心したように言った。
 多季と嵐丸も大学生で沙也加とは同世代だが、諸事情あり「恋人探し」とやらはやったことがなかった。ネット社会の昨今では、こうしてネットで恋人を見つけるのが普通らしい。

「相手の仕事は?」

 嵐丸が淡々とした様子で問う。その冷たい声音に沙也加は戸惑った様子を見せた。

「仕事、は……、会社員だと聞いています」
「どんな顔をしとる? 顔立ちはどんな感じや。髪は長いんか?」
「え、えっと?」
「なんで答えられへんのや? プレゼントをもろたてことは、本人に直接会ったことがあるんやろう」
「会ったことはあります、でも、あれ?」

 嵐丸の怒涛の質問に沙也加はしきりに首を傾げている。
 その困惑しきった様子を見て、多季は沙也加に言う。

「顔が、思い出せない?」
「顔が……」

 呆然と沙也加が頷いた。それを見て、やはりな、と確信する。

「名前は覚えとるか?」
「名前は、鈴木さんです。鈴木……下の名前が……」

 分からない、と呟いた沙也加は顔面が蒼白だった。彼女自身どうして恋人の顔も名前も思い出せないのか分からないのだろう。

「そのネックレスをもろたとき、相手に何て言われた?」
「それは……、確か、君に似合うだろうから、着けていて欲しいって」
「肌身離さんと?」
「そうです。ずっと肌身離さず着けていてって言われました」

 沙也加の答えに嵐丸はふうん、と頷いた。綺麗な二重の瞳を眇めて、彼女を――否、ネックレスを見ていた。そして人差し指を沙也加に向ける。

「あんたの身の回りで起こっとるやつ、原因はそれやで」
「え?」

 嵐丸の指先は沙也加――否、彼女が大切そうに握りしめた胸元のネックレスを指していた。

「その首飾りを何とかせんと、『呪い』は収まらん。とりあえず、今日はそれ置いて帰り」

 詳しく時間をかけて調べてみる必要がある、と続けた嵐丸の言葉に沙也加は「呪い……」と小さく呟いた。
 当然、いきなりそんなことを言われた沙也加は、白い顔をさらに真っ白にして目を見開いている。客観的に考えれば、こんな怪しさ満点の事務所で初対面の男に高価なネックレスを寄越せと言われたのだ。そんなのどう考えても詐欺である。

 (人の不安に付け込んで、宝飾品奪い取るやつな……)

 おまけに不躾にそんなことを言った男は白に近い金髪をした、異様に顔のいい男だ。それこそ結婚詐欺師とかしていそうなひどく怪しい風体をしている。
 自分が彼女の立場であったら、まず信じない。
 そう思った多季は慌てて沙也加と嵐丸の間に割って入る。

「その可能性があるという話です。昔から古い宝石などは呪い、と言いますか、悪いものを溜め込む性質があるんです。うちの所長は、そのネックレスが相田さんに悪い影響を与えている可能性があるので、ぜひ当社で調べさせてもらって浄化をしたいと」
「ネックスレスを……、ですか?」

 多季の取りなしに沙也加は態度を少しだけ和らげた。しかし、それでも彼女の顔には半信半疑とはっきりと書かれている。
 その気持ちは分かるし、すぐに信じてしまう方がどうかしているとも思う。けれども、残念なことに嵐丸の言うことは真実だし、あのネックレスは確かに呪詛の媒体になっていた。

「そうや。早くせんと、あんたのばあさんは間違いなく死ぬし、たぶん影響受けるんはばあさんだけじゃ済まん」

 それは本物や、と言う嵐丸に沙也加は困惑した様子で口を開く。

「ネックレスに悪いものが憑いているってことですか?」
「憑いているというか、まぁ端的に言えばそんな感じです」
「お祓いをしたら、返してもらえるんですよね」

 縋るように言った彼女に、嵐丸はその流麗な眉を顰めた。

「それはやってみんと分からん」

 その言葉に沙也加の目が不安そうに揺れる。
 しかし、嵐丸の言葉に嘘も偽りもない。ゆるぎない嵐丸の態度に根負けしたのは沙也加の方だった。
 震える指先でネックレスを外し、そっとテーブルの上に置く。
 禍々しい黒い靄が、沙也加の身体からぞろりと離れた。

「では、またこちらからご連絡を差し上げますね」

 名残惜しそうにネックレスを見つめる沙也加を事務所から追い出すべく声をかける。
 彼女は多季に促されて、後ろ髪を引かれる様子でようやく腰を上げたのだった。



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