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第十話 正妃の異変
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秋が深まり、もうすぐ冬だという季節に差し掛かった頃、アレクシスは体調を崩した。
エドワードはそれまでも頻繁にアレクシスの元を訪れていたけれど、寝台に寝付いてからはさらに足を運ぶようになった。
寝たままのアレクシスのそばに座り、手を取ったり何かを話しかけたりときに書類を読んだりと忙しそうだ。
「陛下」
「なんだ」
「お忙しいのでしたら、無理にお越しいただかなくても」
「別に、そこまで忙しくはない」
執務の大半をアルバートに押し付けたからな、と笑いながら言う。
それであの子は最近疲労困憊なのか、と息子の青白い顔を思い出して、アレクシスは苦笑した。
アルバートもアレクシスの体調を心配してよく見舞いに来てくれるが、ここ最近は彼の方が病人のような顔をしていた。
体調不良の原因は妊娠だ。これで六回目の出産になるけれども、前回の出産からは七年が過ぎている。つまり、そのときより七歳老いたということだ。
自分ではあまり実感がなかったが、やはり高齢出産というのは身体に負担になるらしい。後期のつわりや貧血がひどく中々寝台から出ることが出来ない日が続いていた。
そんな自分よりもよほど具合が悪そうだったアルバートの疲労の原因を聞いて、アレクシスはエドワードにどうかほどほどに、と苦言を呈することしか出来なかった。
しかし、アレクシスの言葉などどこ吹く風と言った様子でエドワードは朗らかに笑う。そして、横たわったままのアレクシスの腹をその大きな手で優しく撫でた。
「早く会いたいな」
「そうですね、でもまだまだ入っていてもらわないと困ります」
「それはそうだ。予定日まで、あとどれくらいだ」
「ひと月ほどでしょうか」
「そうか。それは待ち遠しいな」
もう名前も決まった。産着や赤子用の寝台など、産後の使うものの用意も済んでいる。
環境としては整っており、こちらの準備は万端だった。
いつ出てきても構わないな。なんて話して、ふたりで笑い合った。
そんなことを口にしたからだろうか。
その夜、アレクシスは産気づいた。いや、正確に言うと少し違う。大出血して産まざるを得なくなってしまったのだ。
アレクシスの体調は変わりがなかった。倦怠感と吐き気は相変わらず続いていて相変わらず食事はとれなかったが、それはいつものことだ。何も変わらない夜だった。
エドワードが退室し、そのままアレクシスは寝台の上で微睡んでいた。
しかし、じんわりとした腹の痛みで目が覚めた。気分がいつも以上に悪かったし、何か下半身が濡れているような気がする。何だろう、少し早いが破水という可能性も考えて、アレクシスは濡れた敷布に手で触れた。そして、その惨状にひどく驚いて目を瞠った。
そこには真っ赤に染まった自分の手のひらがあった。敷布が血で汚れている。慌てて身体を動かそうとすると、じゅわっとさらに出血する感覚があった。それともに腹の痛みは徐々に強くなっていく。
これまで五回の妊娠と出産をしてきたアレクシスだったが、こんなことは初めてだった。何か大変なことが起きている。そう思って、枕元に置かれた呼び鈴で必死に侍従たちを呼んだ。
突然の出来事に慌てふためく侍女たち。侍医や産婆がばたばたと出入りして、慌ただしい。
痛みと吐き気で視界がどんどん暗くなっていく。
「アレクシス……ッ!」
侍従たちが呼んだのだろうか。部屋に飛び込んできたのは、ひどく狼狽したエドワードだった。
怒声のような悲鳴のようなエドワードの声が部屋に響く。彼が声を荒げるところなど、もう十数年は聞いていないというのに。今はひどく取り乱して、ただひたすら大きな声でアレクシスの名を叫んでいた。
その癇癪を起した子どものような姿に、アレクシスは大丈夫だから……、と声をかけようとした。しかし、身体が鉛のように重たくて、指先ひとつ動かせない。唇も動かず、声も出なかった。
どうやら血を流し過ぎてしまったらしい。
瞼が重く開けていられない。視界は真っ暗で、もう何も見えなかった。
そんな中、誰かがアレクシスの手を握った。大きくて温かい手だった。
自分にこんな風に触れられる相手は限られているから、これはきっとエドワードなのだろう。馴染んだ体温と時折香る彼自身のアルファの香り。手の甲に、温かい何かが触れる。ぽたぽたと零れて、肌の上を伝っていくそれは、たぶん涙だ。
泣いているらしい彼をどうにか慰めたくて、冷たい手を必死に動かしてその手を握り返した。
「アレクシス!」
遠くでエドワードの声がする。
「へいか……」
大丈夫ですから、泣かないで。
必死で紡いだ声はエドワードに届いたのだろうか。掠れて聞くに堪えないひどい声だった。けれども、ちゃんと届いていたらいい。だって、エドワードが泣いている。それはアレクシスと彼が結婚して以来、初めてのことだ。
それくらい辛くて、悲しいことが彼の身に起きているのであれば、慰めなければ。
それが重責を担う国王の伴侶としてのアレクシスの役割であり存在意義だ。
――だから、大丈夫です。
遠のく意識の中でそれだけを考えていた。
アレクシスが意識を保てたのはそこまでだった。
エドワードはそれまでも頻繁にアレクシスの元を訪れていたけれど、寝台に寝付いてからはさらに足を運ぶようになった。
寝たままのアレクシスのそばに座り、手を取ったり何かを話しかけたりときに書類を読んだりと忙しそうだ。
「陛下」
「なんだ」
「お忙しいのでしたら、無理にお越しいただかなくても」
「別に、そこまで忙しくはない」
執務の大半をアルバートに押し付けたからな、と笑いながら言う。
それであの子は最近疲労困憊なのか、と息子の青白い顔を思い出して、アレクシスは苦笑した。
アルバートもアレクシスの体調を心配してよく見舞いに来てくれるが、ここ最近は彼の方が病人のような顔をしていた。
体調不良の原因は妊娠だ。これで六回目の出産になるけれども、前回の出産からは七年が過ぎている。つまり、そのときより七歳老いたということだ。
自分ではあまり実感がなかったが、やはり高齢出産というのは身体に負担になるらしい。後期のつわりや貧血がひどく中々寝台から出ることが出来ない日が続いていた。
そんな自分よりもよほど具合が悪そうだったアルバートの疲労の原因を聞いて、アレクシスはエドワードにどうかほどほどに、と苦言を呈することしか出来なかった。
しかし、アレクシスの言葉などどこ吹く風と言った様子でエドワードは朗らかに笑う。そして、横たわったままのアレクシスの腹をその大きな手で優しく撫でた。
「早く会いたいな」
「そうですね、でもまだまだ入っていてもらわないと困ります」
「それはそうだ。予定日まで、あとどれくらいだ」
「ひと月ほどでしょうか」
「そうか。それは待ち遠しいな」
もう名前も決まった。産着や赤子用の寝台など、産後の使うものの用意も済んでいる。
環境としては整っており、こちらの準備は万端だった。
いつ出てきても構わないな。なんて話して、ふたりで笑い合った。
そんなことを口にしたからだろうか。
その夜、アレクシスは産気づいた。いや、正確に言うと少し違う。大出血して産まざるを得なくなってしまったのだ。
アレクシスの体調は変わりがなかった。倦怠感と吐き気は相変わらず続いていて相変わらず食事はとれなかったが、それはいつものことだ。何も変わらない夜だった。
エドワードが退室し、そのままアレクシスは寝台の上で微睡んでいた。
しかし、じんわりとした腹の痛みで目が覚めた。気分がいつも以上に悪かったし、何か下半身が濡れているような気がする。何だろう、少し早いが破水という可能性も考えて、アレクシスは濡れた敷布に手で触れた。そして、その惨状にひどく驚いて目を瞠った。
そこには真っ赤に染まった自分の手のひらがあった。敷布が血で汚れている。慌てて身体を動かそうとすると、じゅわっとさらに出血する感覚があった。それともに腹の痛みは徐々に強くなっていく。
これまで五回の妊娠と出産をしてきたアレクシスだったが、こんなことは初めてだった。何か大変なことが起きている。そう思って、枕元に置かれた呼び鈴で必死に侍従たちを呼んだ。
突然の出来事に慌てふためく侍女たち。侍医や産婆がばたばたと出入りして、慌ただしい。
痛みと吐き気で視界がどんどん暗くなっていく。
「アレクシス……ッ!」
侍従たちが呼んだのだろうか。部屋に飛び込んできたのは、ひどく狼狽したエドワードだった。
怒声のような悲鳴のようなエドワードの声が部屋に響く。彼が声を荒げるところなど、もう十数年は聞いていないというのに。今はひどく取り乱して、ただひたすら大きな声でアレクシスの名を叫んでいた。
その癇癪を起した子どものような姿に、アレクシスは大丈夫だから……、と声をかけようとした。しかし、身体が鉛のように重たくて、指先ひとつ動かせない。唇も動かず、声も出なかった。
どうやら血を流し過ぎてしまったらしい。
瞼が重く開けていられない。視界は真っ暗で、もう何も見えなかった。
そんな中、誰かがアレクシスの手を握った。大きくて温かい手だった。
自分にこんな風に触れられる相手は限られているから、これはきっとエドワードなのだろう。馴染んだ体温と時折香る彼自身のアルファの香り。手の甲に、温かい何かが触れる。ぽたぽたと零れて、肌の上を伝っていくそれは、たぶん涙だ。
泣いているらしい彼をどうにか慰めたくて、冷たい手を必死に動かしてその手を握り返した。
「アレクシス!」
遠くでエドワードの声がする。
「へいか……」
大丈夫ですから、泣かないで。
必死で紡いだ声はエドワードに届いたのだろうか。掠れて聞くに堪えないひどい声だった。けれども、ちゃんと届いていたらいい。だって、エドワードが泣いている。それはアレクシスと彼が結婚して以来、初めてのことだ。
それくらい辛くて、悲しいことが彼の身に起きているのであれば、慰めなければ。
それが重責を担う国王の伴侶としてのアレクシスの役割であり存在意義だ。
――だから、大丈夫です。
遠のく意識の中でそれだけを考えていた。
アレクシスが意識を保てたのはそこまでだった。
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