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7.お嬢様と私 サイラス視点①
⑥
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お嬢様は本来、天真爛漫な性格なのだ。
楽しいことが好きで、いたずら好きで、無邪気な人。
しかしそんなお嬢様が、十歳で第一王子の婚約者になったときから少しずつ変わり始めた。
リスベリア王国の第一王子であるジャレッド殿下と初めて顔合わせをしたお嬢様は、目をキラキラさせてお屋敷に帰って来た。
「サイラス、聞いて! 私、今日王子様に会ったのよ。金色の髪に青い目をしていて、絵本に出てくる王子様そのままなの! 私、将来あの人と結婚するんですって!」
お嬢様は両手を頬に当ててはしゃいだ様子で言う。初めて会った王子をいたく気に入った様子だった。
貴族の令嬢は基本的に結婚相手を自由に選べない。それならば、親が選んだ婚約者を気に入るのは大変幸運なことのはずだ。
お嬢様がその幸運に見舞われたことを、私は喜ばなければならない。
「そうなのですか。……よかったですね、お嬢様」
それなのに、胸が痛む。お嬢様が幸せそうなのに、ドロドロした嫌な感情に呑まれそうになる。
頬を赤らめて嬉しそうにしていたお嬢様が、こちらを見て急に真面目な顔になった。
「サイラス? どうしたの、何か嫌なことでもあったの? 元気がなさそうね」
「いえ、そういうわけでは」
「サイラスが落ち込んでいるのに、私ったらはしゃいでいてごめんなさい。そうだ、また楽しいお話を聞かせてあげるわね。執事長に頼んでくるから、ちょっとお休みしましょう?」
優しいお嬢様は、私が醜い思いを抱えていることなんてまるで気づかず、眉根を寄せて心配してくれる。
その顔を見て罪悪感が募った。私はただお嬢様の幸せだけを願うべきなのだ。
お嬢様とジャレッド王子がうまくいくよう、願わなければならない。
しかし、ジャレッド王子と婚約してからお嬢様はだんだんと笑顔を見せなくなっていった。
柔らかな笑顔はいつしか一分の隙もないような厳しい表情に代わり、いつも歌や物語が紡がれていた愛らしい唇からは、政治や王国の歴史といった模範的な話題しか出てこなくなる。
お嬢様は、常に気を張っている様子だった。
王太子の婚約者としてふさわしくあるように、淑女らしくない行動は決して取らないようにと。
お嬢様は欲しい物を言わなくなった。時折興味深げに着飾って楽しそうに街を歩く女の子たちを見ていても、すぐに目を逸らしてほかのやるべきことに取りかかろうとする。
家庭教師の授業から逃げ出そうとすることもなくなった。以前はしょっちゅう遊びたいからと部屋から抜け出していたお嬢様が、ほとんど休みなくスケジュールを詰め込まれても文句ひとつ言わない。
「お嬢様、無理をしていませんか? いつも大変頑張ってらっしゃいますし、少しくらい休まれても」
「私は王太子殿下の婚約者なのよ。休んでいる暇なんてないわ」
そう告げるお嬢様の顔は、緊張で張り詰めているようだった。本人が休まずやりたいと言っているのだから、それ以上何も言うことはできない。
私はただ悲しい気分でお嬢様の部屋を去る。
しかし、お嬢様がそこまで王太子の婚約者としてふさわしくあろうと努力しているにも関わらず、ジャレッド王子はまるで彼女を気にかけなかった。
お嬢様が高位貴族たちからプレッシャーをかけられていても知らんぷりで、無理なスケジュールで王妃教育を詰め込まれているのを知っても平然としている。
お嬢様が意地悪な貴族令嬢たちから、いつも厳しい顔をして可愛げがないと陰口を叩かれていたときも、そばで聞いていながら王子はへらへら笑っていた。
厄介なのは、それだけ無関心なのに機嫌のいいときにはお嬢様を散歩に連れだしたり、美しいと褒めたりすることだ。
「サイラス、今日はジャレッド様が私の桃色がかった髪は愛らしいって褒めてくれたのよ」
鏡をじっと見つめながら、お嬢様は笑顔で言う。
しかし、その笑顔はどこか歪んで見えた。
「それはよろしかったですね」
「ええ。何とも思っていない子に愛らしいなんて言わないわよね? ジャレッド様は、私のことちゃんと好きよね?」
「はい、きっと。ジャレッド殿下はお嬢様の婚約者なのですから」
そう答えたら、お嬢様は安心したように息をついた。
「そうよね、ジャレッド様の婚約者は私。カミリアなんて何とも思われていないはず……」
鏡をじっと見つめながら、お嬢様は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
楽しいことが好きで、いたずら好きで、無邪気な人。
しかしそんなお嬢様が、十歳で第一王子の婚約者になったときから少しずつ変わり始めた。
リスベリア王国の第一王子であるジャレッド殿下と初めて顔合わせをしたお嬢様は、目をキラキラさせてお屋敷に帰って来た。
「サイラス、聞いて! 私、今日王子様に会ったのよ。金色の髪に青い目をしていて、絵本に出てくる王子様そのままなの! 私、将来あの人と結婚するんですって!」
お嬢様は両手を頬に当ててはしゃいだ様子で言う。初めて会った王子をいたく気に入った様子だった。
貴族の令嬢は基本的に結婚相手を自由に選べない。それならば、親が選んだ婚約者を気に入るのは大変幸運なことのはずだ。
お嬢様がその幸運に見舞われたことを、私は喜ばなければならない。
「そうなのですか。……よかったですね、お嬢様」
それなのに、胸が痛む。お嬢様が幸せそうなのに、ドロドロした嫌な感情に呑まれそうになる。
頬を赤らめて嬉しそうにしていたお嬢様が、こちらを見て急に真面目な顔になった。
「サイラス? どうしたの、何か嫌なことでもあったの? 元気がなさそうね」
「いえ、そういうわけでは」
「サイラスが落ち込んでいるのに、私ったらはしゃいでいてごめんなさい。そうだ、また楽しいお話を聞かせてあげるわね。執事長に頼んでくるから、ちょっとお休みしましょう?」
優しいお嬢様は、私が醜い思いを抱えていることなんてまるで気づかず、眉根を寄せて心配してくれる。
その顔を見て罪悪感が募った。私はただお嬢様の幸せだけを願うべきなのだ。
お嬢様とジャレッド王子がうまくいくよう、願わなければならない。
しかし、ジャレッド王子と婚約してからお嬢様はだんだんと笑顔を見せなくなっていった。
柔らかな笑顔はいつしか一分の隙もないような厳しい表情に代わり、いつも歌や物語が紡がれていた愛らしい唇からは、政治や王国の歴史といった模範的な話題しか出てこなくなる。
お嬢様は、常に気を張っている様子だった。
王太子の婚約者としてふさわしくあるように、淑女らしくない行動は決して取らないようにと。
お嬢様は欲しい物を言わなくなった。時折興味深げに着飾って楽しそうに街を歩く女の子たちを見ていても、すぐに目を逸らしてほかのやるべきことに取りかかろうとする。
家庭教師の授業から逃げ出そうとすることもなくなった。以前はしょっちゅう遊びたいからと部屋から抜け出していたお嬢様が、ほとんど休みなくスケジュールを詰め込まれても文句ひとつ言わない。
「お嬢様、無理をしていませんか? いつも大変頑張ってらっしゃいますし、少しくらい休まれても」
「私は王太子殿下の婚約者なのよ。休んでいる暇なんてないわ」
そう告げるお嬢様の顔は、緊張で張り詰めているようだった。本人が休まずやりたいと言っているのだから、それ以上何も言うことはできない。
私はただ悲しい気分でお嬢様の部屋を去る。
しかし、お嬢様がそこまで王太子の婚約者としてふさわしくあろうと努力しているにも関わらず、ジャレッド王子はまるで彼女を気にかけなかった。
お嬢様が高位貴族たちからプレッシャーをかけられていても知らんぷりで、無理なスケジュールで王妃教育を詰め込まれているのを知っても平然としている。
お嬢様が意地悪な貴族令嬢たちから、いつも厳しい顔をして可愛げがないと陰口を叩かれていたときも、そばで聞いていながら王子はへらへら笑っていた。
厄介なのは、それだけ無関心なのに機嫌のいいときにはお嬢様を散歩に連れだしたり、美しいと褒めたりすることだ。
「サイラス、今日はジャレッド様が私の桃色がかった髪は愛らしいって褒めてくれたのよ」
鏡をじっと見つめながら、お嬢様は笑顔で言う。
しかし、その笑顔はどこか歪んで見えた。
「それはよろしかったですね」
「ええ。何とも思っていない子に愛らしいなんて言わないわよね? ジャレッド様は、私のことちゃんと好きよね?」
「はい、きっと。ジャレッド殿下はお嬢様の婚約者なのですから」
そう答えたら、お嬢様は安心したように息をついた。
「そうよね、ジャレッド様の婚約者は私。カミリアなんて何とも思われていないはず……」
鏡をじっと見つめながら、お嬢様は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
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