上 下
49 / 87
7.お嬢様と私 サイラス視点①

しおりを挟む
 お嬢様は本来、天真爛漫な性格なのだ。

 楽しいことが好きで、いたずら好きで、無邪気な人。

 しかしそんなお嬢様が、十歳で第一王子の婚約者になったときから少しずつ変わり始めた。

 リスベリア王国の第一王子であるジャレッド殿下と初めて顔合わせをしたお嬢様は、目をキラキラさせてお屋敷に帰って来た。

「サイラス、聞いて! 私、今日王子様に会ったのよ。金色の髪に青い目をしていて、絵本に出てくる王子様そのままなの! 私、将来あの人と結婚するんですって!」

 お嬢様は両手を頬に当ててはしゃいだ様子で言う。初めて会った王子をいたく気に入った様子だった。

 貴族の令嬢は基本的に結婚相手を自由に選べない。それならば、親が選んだ婚約者を気に入るのは大変幸運なことのはずだ。

 お嬢様がその幸運に見舞われたことを、私は喜ばなければならない。


「そうなのですか。……よかったですね、お嬢様」

 それなのに、胸が痛む。お嬢様が幸せそうなのに、ドロドロした嫌な感情に呑まれそうになる。

 頬を赤らめて嬉しそうにしていたお嬢様が、こちらを見て急に真面目な顔になった。

「サイラス? どうしたの、何か嫌なことでもあったの? 元気がなさそうね」

「いえ、そういうわけでは」

「サイラスが落ち込んでいるのに、私ったらはしゃいでいてごめんなさい。そうだ、また楽しいお話を聞かせてあげるわね。執事長に頼んでくるから、ちょっとお休みしましょう?」

 優しいお嬢様は、私が醜い思いを抱えていることなんてまるで気づかず、眉根を寄せて心配してくれる。

 その顔を見て罪悪感が募った。私はただお嬢様の幸せだけを願うべきなのだ。

 お嬢様とジャレッド王子がうまくいくよう、願わなければならない。


 しかし、ジャレッド王子と婚約してからお嬢様はだんだんと笑顔を見せなくなっていった。

 柔らかな笑顔はいつしか一分の隙もないような厳しい表情に代わり、いつも歌や物語が紡がれていた愛らしい唇からは、政治や王国の歴史といった模範的な話題しか出てこなくなる。

 お嬢様は、常に気を張っている様子だった。

 王太子の婚約者としてふさわしくあるように、淑女らしくない行動は決して取らないようにと。

 お嬢様は欲しい物を言わなくなった。時折興味深げに着飾って楽しそうに街を歩く女の子たちを見ていても、すぐに目を逸らしてほかのやるべきことに取りかかろうとする。

 家庭教師の授業から逃げ出そうとすることもなくなった。以前はしょっちゅう遊びたいからと部屋から抜け出していたお嬢様が、ほとんど休みなくスケジュールを詰め込まれても文句ひとつ言わない。


「お嬢様、無理をしていませんか? いつも大変頑張ってらっしゃいますし、少しくらい休まれても」

「私は王太子殿下の婚約者なのよ。休んでいる暇なんてないわ」

 そう告げるお嬢様の顔は、緊張で張り詰めているようだった。本人が休まずやりたいと言っているのだから、それ以上何も言うことはできない。

 私はただ悲しい気分でお嬢様の部屋を去る。


 しかし、お嬢様がそこまで王太子の婚約者としてふさわしくあろうと努力しているにも関わらず、ジャレッド王子はまるで彼女を気にかけなかった。

 お嬢様が高位貴族たちからプレッシャーをかけられていても知らんぷりで、無理なスケジュールで王妃教育を詰め込まれているのを知っても平然としている。

 お嬢様が意地悪な貴族令嬢たちから、いつも厳しい顔をして可愛げがないと陰口を叩かれていたときも、そばで聞いていながら王子はへらへら笑っていた。

 厄介なのは、それだけ無関心なのに機嫌のいいときにはお嬢様を散歩に連れだしたり、美しいと褒めたりすることだ。


「サイラス、今日はジャレッド様が私の桃色がかった髪は愛らしいって褒めてくれたのよ」

 鏡をじっと見つめながら、お嬢様は笑顔で言う。

 しかし、その笑顔はどこか歪んで見えた。

「それはよろしかったですね」

「ええ。何とも思っていない子に愛らしいなんて言わないわよね? ジャレッド様は、私のことちゃんと好きよね?」

「はい、きっと。ジャレッド殿下はお嬢様の婚約者なのですから」

 そう答えたら、お嬢様は安心したように息をついた。

「そうよね、ジャレッド様の婚約者は私。カミリアなんて何とも思われていないはず……」

 鏡をじっと見つめながら、お嬢様は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

真実の愛がどうなろうと関係ありません。

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令息サディアスはメイドのリディと恋に落ちた。 婚約者であった伯爵令嬢フェルネは無残にも婚約を解消されてしまう。 「僕はリディと真実の愛を貫く。誰にも邪魔はさせない!」 サディアスの両親エヴァンズ伯爵夫妻は激怒し、息子を勘当、追放する。 それもそのはずで、フェルネは王家の血を引く名門貴族パートランド伯爵家の一人娘だった。 サディアスからの一方的な婚約解消は決して許されない裏切りだったのだ。 一ヶ月後、愛を信じないフェルネに新たな求婚者が現れる。 若きバラクロフ侯爵レジナルド。 「あら、あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」 フェルネの曾祖母シャーリンとレジナルドの祖父アルフォンス卿には悲恋の歴史がある。 「子孫の我々が結婚しようと関係ない。聡明な妻が欲しいだけだ」 互いに塩対応だったはずが、気づくとクーデレ夫婦になっていたフェルネとレジナルド。 その頃、真実の愛を貫いたはずのサディアスは…… (予定より長くなってしまった為、完結に伴い短編→長編に変更しました)

【完結済み】婚約破棄致しましょう

木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。 運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。 殿下、婚約破棄致しましょう。 第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。 応援して下さった皆様ありがとうございます。 リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。

下げ渡された婚約者

相生紗季
ファンタジー
マグナリード王家第三王子のアルフレッドは、優秀な兄と姉のおかげで、政務に干渉することなく気ままに過ごしていた。 しかしある日、第一王子である兄が言った。 「ルイーザとの婚約を破棄する」 愛する人を見つけた兄は、政治のために決められた許嫁との婚約を破棄したいらしい。 「あのルイーザが受け入れたのか?」 「代わりの婿を用意するならという条件付きで」 「代わり?」 「お前だ、アルフレッド!」 おさがりの婚約者なんて聞いてない! しかもルイーザは誰もが畏れる冷酷な侯爵令嬢。 アルフレッドが怯えながらもルイーザのもとへと訪ねると、彼女は氷のような瞳から――涙をこぼした。 「あいつは、僕たちのことなんかどうでもいいんだ」 「ふたりで見返そう――あいつから王位を奪うんだ」

お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です> 【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】 今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

処理中です...