花は咲く

柊 仁

文字の大きさ
上 下
30 / 33
中学生編

本音

しおりを挟む
「さぁ、準備はいいか!?」

「おぉーーーー!!」

 地響きすら起きそうな戸田さんの野太い掛け声に、子供達が元気よく呼応する。
 それに伴って、太鼓部隊のリズミカルな演奏が始まった。周りの喚声に負けないほど力強いその重低音はまるでハンマーで頭を殴られているようだった。

 こんだけ真後ろでやられると耳がおかしくなるのも時間の問題だな……。
 今僕たちは山車の最前列、つまり、運ぶために最も重要となる舵の部分にいる。僕らなんかにこんな所を任していいのだろうか。彩恵曰く、後ろにもちゃんと人がいるし、車輪がついてるからそんなに力はいらないということらしいが、絶対そんなことないだろ……こんな巨大な物人の手で運べるわけないって……。

 積もる不安にあせあせしていると、隣から彩恵が顔をのぞかせてきた。

「もしかして璃都くん、緊張してる?」

 からかい気味に聞いてくる彩恵だが、その瞳は何故かキラキラ輝きを放っていて、今から散歩に行くのが楽しみでたまらない子犬を彷彿とさせた。

「緊張する気にもならないよ……ここに来るだけでヘトヘトだったのに、今からこれを引っ張って村内一周なんて。しかも太鼓の音が耳元で聞こえてくるし、軽い拷問だよ。逆に君はよく平気な顔してられるね」

「えーだって年に数回のビッグイベントだよ? 楽しまずにはいられないじゃん。九戸の男なら祭り! ってね」

 お前は女だろというツッコミは懐にしまいつつ、代わりに僕は盛大なため息をついた。
 なんでこの村には脳筋しかいないのだろう……。

「お、もう出るみたいだよ」

 彩恵の目配せに釣られるように、僕は山車の下段で激しい音色を響かせる太鼓部隊の方に顔を向けた。皆子供ながら精一杯にバチを振りかざしている。
 もっともっとと戸田さんが鼓舞する度に、いくつもの重低音がヒートアップしていく。どうやらこれが出発が近づいている合図らしい。

 ようやく音に慣れ始めた頃だったのに、これ以上盛り上がらなくっていいって。震動がこっちまで来てるから……。

 ここにいる全ての人間のボルテージが上がっている中、一人リストラされたサラリーマンのような表情を浮かべる僕をよそに、ついにその時は来た。

「行くぞぉーーー!!」

 張り切りすぎたのか、戸田さんの声はすっかり掠れていたが、決して祭囃子の音に負けてはいなかった。そしてそれは山車を持つ僕ら、太鼓部隊の子供達、観客、会場全員の耳にしっかりと届いたことだろう。
 野獣のような雄叫びは、多くの人間の魂を呼び起こした。

「おぉーーーー!!」

 色彩豊かな巨大リヤカーが鈍い音を立てながらゆっくりと動き出す。

 しかし動き出したのも束の間、荷台の下に取り付けられた車輪が、その場でこれでもかと硬い黒土を掘り返して、深い窪みを作る。

 うわ、重……。

 腕に電撃が走る。
 予想もしなかった負荷に仰天しつつ、僕はさらに強く持ち手を握りしめ、棒になった足を踏ん張る。しかし、子供一人が力を込めたところでそう簡単に山車は前へと進まない。

「璃都くん頑張れ! こんな時こそ気合だよ気合! 声だせー!!」

 体力無尽蔵のモンスター彩恵も、さすがのこの重さには苦しんでいるようで、顔をしわくちゃにしながら小刻みに身体を震わせていた。

「声出せって言われてもそんな余裕ないよ……」

「いいから出すの! なんでもいいから頭に浮かんだ言葉を叫んでみて!」

 頭に浮かんだ言葉、頭に浮かんだ言葉……。
 僕は騒音でパンクしそうな頭をフル回転させて、脳内辞書から単語を必死に絞りだす。そうして数秒考えた挙句、なんとか出てきた言葉がこれだった。

「何度も何度も振り回すなー! 少しは僕のことも考えろこの脳筋女ー!」

 自分でもびっくりするほどに、大きな声が出た。
 地下深くに溜まった溶岩が爆発的に噴火するみたいに、身体中をモヤモヤが駆け巡って、一気に大気中へ雲散していく。
 これは解放感というのだろうか、すごくスッキリする。一瞬頭の中が真っ白になって、今自分がどこにいるのか、何をしているのかさえも忘れてしまう。こんな感覚初めてだ。静寂な無の境地にしばらく浸っていると、隣からのただならぬ視線にハッと我に帰った。

「へー。璃都くんそんなこと思ってたんだ」

「あ、いや、これは……」

 声を出そうとするが、肺の中の酸素が枯渇しているせいで思ったように弁解出来ない。

「別にいいよー。私だって自覚はあるし。好きでやってることだからね」

 少しいじけるように彩恵は肩をすくめて、トボトボと声を湿らせる。
 さすがに言い過ぎたかと僕はすかさずフォローを入れようとしたが、それよりも先に一転、彩恵はひまわりのような満面の笑みを浮かべた。

「でも、出せたじゃん。声」

 提灯の灯りに照らされた褐色肌に、綺麗に並んだ真っ白な歯が浮かぶ。
 屈託のない笑顔に、ドクンと胸の中で太鼓が鳴った。
 思い返せば、こんなにも大きな声で叫んだのはこれが初めてだった。それも心からの言葉で。今まで嘘に嘘を塗りたくってきた僕にとって、それがこの上ない経験で、まさに今の僕が求めていたもの。本音。

 叫ぶって、楽しい……。
 気づけば僕は笑っていた。

「……まだまだ、こんなもんじゃないよ」

「よし! その意気だ璃都くん!」

「おめえら! 力合わせろー! せーの!」

 戸田さんの合図に合わせて、もう一度拳に力を込める。

「オーエス! オーエス!」

 皆の声が一つに合わさる。山車を運ぶ僕らだけじゃない、周りで見ている人、屋台で遊んでいた人。ここにいる全員が、同じ掛け声を会場内に響かせた。

「オーエス! オーエス! オーエス! オーエス!」

 この掛け声が力となったのか、山車の重さに皆が慣れ始めたのか、微かに車輪が動き始めた気がした。

 ——よし、もう少しだ!

「動けぇえええええ!!」

「いっけぇええええ!!」

 その刹那、一気に身体が軽くなって、前へ倒される感覚に陥る。車輪が掘り返され続けた窪みからようやく抜けたのだ。

「や、やった……」

 思わず安堵のため息が漏れた。
 しかし山車が動いたからといって安心している場合ではない。勢いをつけた車輪は休む暇もなく前に進む。僕はただ物理法則に押されるままに歩数を合わせた。

「さぁ、ここからが本番だ! 九戸魂を村中に見せつけてこい!」

「おぉーーーー!!」



 ✳︎✳︎✳︎



 そこからのことはあまり覚えていない。
 唯一覚えているのは、僕も彩恵も無我夢中だったということだ。
 神社を出たところからすぐの大通りを抜けて、商店街、駅前、河川敷、住宅街、九戸村の隅から隅まで練り歩いた。
 どこへ行っても村は祭りムードで、懸命に山車を引く僕たちを熱い声援で迎えてくれた。でも、それ以上に僕も熱くなっていた。本当今日の自分はどうしてしまったのだろうか。神社に帰ってきた今でも、僕が本当にそれをやったということが信じられない。

 ふと空を見上げると、真っ黒なキャンパスを無数の星々がびっしりと埋め尽くしていた。
 闇夜に溶け込むように、近くに生えていた木に腰掛け、ただそれをボーッと眺める。

 ——綺麗だなぁ……。

 視線を落とすと、目の前では彩恵が瓶ラムネをクピクピと飲んでいた。
 鮮やかなスカイブルーの瓶の中で大きな気泡が行ったり来たりを繰り返している。ラムネがある程度の量まで減ると、彩恵は生き返ったと言わんばかりに、プハーっと盛大に息を吐いた。

「璃都くんも飲みなよ。おいしいよ?」

「疲れててそれどころじゃないんだよ……」

「飲んだら回復するかもよ。汗もかいたんだし、ほら水分補給水分補給」

「……」

 そこまで言うならと僕は地面に置かれたラムネ瓶を手に取る。
 山車に参加した子供には、一人一本自治会からラムネを貰えることになっている。身体中を酷使する辛い労働の中、これを貰えたことが唯一の救いだ。もしかして、彩恵はこれ目当てで僕を誘ったわけじゃ……。

 余計な疑問は捨てて、代わりにラムネを流し込む。
 甘い爽やかな香りが、乾ききった喉を潤す。キンキンに冷えていたせいか、いつもより炭酸が強く感じた。

「今日はどうだった?」

 彩恵が僕の隣に腰掛ける。気のせいか、顔と顔の距離が近い。

「とにかく疲れた。喉がらがら」

「あははっ、確かにいっぱい声出してたもんね。あんな璃都くん見たことないよ」

「僕も見たことない。何か変なことしてなかった? 大丈夫?」

「……」

「なんで黙るんだよ。ここはツッコむところだろ」

「いやだって、璃都くんが冗談言うと思わなかったから……」

 あまりに意外だったのか、彩恵は目をぱちくりさせてこちらを見つめる。
 普段見ることのない視線と正面に向き合ったせいで、徐々に恥ずかしさが込み上げてきた。

「ごめん。忘れて……」

「忘れなーい。健兄に言っちゃおーっと」

 跳ねるように立ち上がる彩恵の背中を僕は目で追う。
 ちらほらと消えかけてきた提灯の微かな灯りが、人型のシルエットを形作った。

「ねぇ。璃都くん」

「……何?」

 シルエットは数秒沈黙したのち、左右にゆらゆらと揺れた。

「璃都くんは私といて、楽しくない?」

 自信なさげに飛んでくるその言葉を聞いて、僕は少し前のことを思い出す。

『何度も何度も振り回すなー! 少しは僕のことも考えろこの脳筋女ー!』

 まだ根に持ってたのか……。

「そりゃまぁ……楽しいよ」

 そういうのはあまり気にしないタイプと思ってたけど、彩恵も案外気にするんだなぁ。

「本当に?」

「本当に」

 訝しげな視線に返した僕の言葉は、紛れもない本心だった。
 確かに彩恵といると疲れるし、嫌なことも多かったかもしれないけど、それと同じくらい楽しいこともあった。
 川で遊んだことも、海で魚を釣ったことも、全て彼女がいたから出来た経験だ。もちろん今日だって、身体の疲労面で言えば今にも殴ってやりたいくらいだけど、楽しいという感情に間違いはない。その気持ちに嘘はつきたくなかった。

「……そっか」

 彩恵は僕から一歩遠ざかる。背中を向けられているため、その表情は見えない。

「私ね、不安だったんだ。璃都くん、最近になってようやく笑ってくれるようになったけど、時々思い詰めたように急に真剣な顔するから。本当は私といるの嫌なんじゃないかって」

 風鈴のような吐息が、湿った大気に漏れる。一度言葉を区切って、彩恵は続けた。

「でも、安心した。山車を運んでる時の璃都くんの顔見たら、そんな心配吹き飛んじゃった。過去に何があったのか私には分からないけど、私は今の璃都くんを見ていたい。本当の君を、見ていたい」

 ガラス玉のように透き通った目がゆっくりとこちらへ振り返る。細く艶やかな黒髪が夜風になびいた。

「これからも一緒にいてね」

 その時だった。まるで彩恵の言葉が合図であったかのように、夜空に大輪の花が咲いた。胸を強く叩かれているような炸裂音が辺り一帯に響く。
 それをきっかけに、次々と細高い音が打ち上がり、色とりどりの花が上空で光っては消え、光っては消えを繰り返す。

「わぁ……花火だ!」

「これが……」

 花火を生で見たのはこれが初めてだった。正直ここまでの迫力とは思ってもみなかった。星々で埋め尽くされていたキャンパスをカラフルな発光色が塗り重ねている。

「見て見て璃都くん花火だよ!」

 彩光が放たれる度、はしゃぐように夜空を眺める彩恵の横顔が映る。

 周りの観客も皆彩恵と同じように顔を上げ、「おぉー」と歓声を上げる人もいれば、花火を静かに楽しむ人もいた。

 ここにいる全員の視線が上を向いている中、何故か僕は目の前の少女に目を奪われていた。
 初めて見る花火よりも、見慣れているはずの彼女にどうしても見入ってしまう。

 高く整った鼻筋、くるりと巻かれたまつ毛、健康さを物語るさくらんぼ色の唇。よく見なければ気づかない彼女の大人びた顔のパーツが、花火の光に照らされている。

「……綺麗だ」

「ん? 何か言った?」

 ポツリと呟いた言葉は、彩恵には聞こえていなかった。どうやら花火の音に助けられたようだ。

「この花火毎年やってるんだけどね、私のお父さんも打ち上げに関わってるんだよ。さっきの広場のすぐ隣で打ち上げてるの。知ってた?」

「へー。だからこんなに迫力あるのか」

「そうそう。でもまだまだこんなもんじゃないよ。ラストにどでかいの来るんだから! 時間的にもうそろそろかな」

 そう言って彩恵は近くの時計塔を指さす。

「あ! 来た!」

 彩恵の声に釣られるように、今度こそ僕は上空を眺めた。

 口笛のような音が上がり、先程のものとは比べ物にならない爆音が鳴る。

 その衝撃と同時に巨大なピンクの線が夜空を覆い尽くした。

「九戸名物、しだれ桜!」

 光の雨は曲線を描き、まるで流星群のように四方八方に降り注いだ。

 花火はキラキラと残光を残して消えていく。
 スケールのデカさ故、散りゆく様は少し儚い。

 終わった後の謎の虚無感に襲われながら、僕は元通りになったキャンパスを眺め続けた。

「終わっちゃった、ね……」

「……」

 空気中に残った火薬の匂いが鼻を掠める。
 気づけば、会場内の提灯の灯りは全て消えていた。楽しい時間もこれでお開き。別れは突然に訪れる。

 一度枯れた花はもうしばらくは咲くことはないのだろうと、夜空に思いを馳せて煙の流れを見送った。

「楽しかったなぁ……」

 侘しく吸い込んだ空気は、淡い夏の香りがした。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

私と継母の極めて平凡な日常

当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。 残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。 「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」 そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。 そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

処理中です...