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中学生編
緑風
しおりを挟む季節は初夏、辺り一帯に満開に咲いていた桜も新緑の葉に姿を変え、来たる猛暑に向けての準備を着々と進めていた。
梅雨明けということもあってか空は雲一つない青空で、てっぺんで鋭く光る太陽がやかましく和室までその光を届けている。
僕はそれを半身で浴びながら、座敷机に置かれた熱々の甘茶を一口啜る。
「美味しいかい?」
「うん」
座敷机の向こうから飛んできた掠れ声に僕は小さく頷き返す。
「……」
あの日から一ヶ月以上が経った。
彩恵に言われて始めてみた散歩も結局二週間程度で終わってしまったが、僕にしては相当頑張った方だと思う。
全てはあの日、源三さんの家での出来事、非現実的な光景が毎日のように脳裏によぎって、いてもたってもいられなかったから。自然と彼の家の方面ばかりに足が動いていたこともきっとそのせいだ。
とはいえあれから彼らがどうしているのかは僕には分からない。
ただ一つ知っているのは、あの桜の木は切り倒されていなかったということ。
季節のせいで姿は違えど広大な庭に立派にそびえ立つ樹木は、遠くからでもはっきり見ることが出来た。
源三さんはあれからも、礼華さんと、彼女との短くて長い思い出を守り続けているんだ。
それを知れただけで僕は満足だし、もう一度彼らに近づこうとは思わない。
たとえ残された時間は短くても、今まで無くしていたものを取り戻した彼らには礼華さんとのまた新たな日常が待っているから。
そこに部外者の僕が干渉してしまったらきっと邪魔してしまうに違いないだろう。
他人の人生に踏み込むということはその人を傷つける覚悟があるのと同じで、とても簡単に出来ることじゃない。
人と関わることがどれほど怖くて、どれほど難しいものか。それを自ら体験した僕だからこそ、これ以上彼らを後退させない為に一歩距離を置くんだ。
だがこんなものただの美談なのではないかとふと思ったりもする。
本当は心のどこかで逃げたいと思っていたのではないか、初めて人に感謝されたことへの羞恥心、疑心が自然と彼らとの距離を遠のかせているのではないか。そんなつまらない疑念が僕の中に存在していることを意識するのと同時に、結局は自分の為にしか動けない、昔と何も変わらない今の僕に、心底失望した。
一体彼らと僕の、何が違うのだろう……。
「ここでの生活には慣れたかい?」
手元を見つめたまま動かない僕をのんびりとした表情で眺めていていた幾ばあは、続けて僕に取り留めもない質問を投げかけてきた。
「……まあまあかな。どこに何があるかは大体分かってきたけど方言とかはまだ全然慣れない」
「へっへっへ。無理ねぇべ。あと何年か住めば理解出来るようになるんでねぇの」
「何年って……」
こんな所に何年も住んでたら僕の身が持たない……。
「ところで、璃都は学校の場所は知っとるんか」
「え、いや、知らないけど……」
「んだばちょっくら見に行ってみたらどうだべ。別に早く学校に行けって言ってるわけでねぇけど、雰囲気くらいは知っておいた方がいいんでねぇの」
「……」
……とうとうこの話が出てしまった。
その言葉が他人の口から出てくるのをまるで昔から危惧していたかのように僕は、お茶を啜りながら悠長に話す幾ばあから少しだけ下に目を逸らした。
確かに幾ばあの言うことはもっともだけど、やっぱり怖い。
もし向こうの生徒と、彩恵とばったり鉢合わせてしまったら一体彼らにどんな顔をすればいいのだろう。
今の僕のまま行ったとして、昔と一体何が変わるというのだろう。
そんな危険を冒してまでまだ入学出来るかも決まっていない中学校に行く必要性を、僕は一ミリも感じない。
それでも全く興味が無いという訳ではない、このままではいけないことも分かってる。でも、ただ単純に怖いだけなんだ。
僕を軽蔑する周りの白い目が、どす黒い影にまみれた本心が再び目の前に現れるのが――。
「気が向いたら行く」
僕は何の計画性もないやり過ごしの言葉で、幾ばあの提案を横に流した。
すると幾ばあは僕の顔をじっと見つめた後何を思ったのか、吐息交じりの微笑みを残してゆっくり頷いた。
「……そうかい」
「……」
彼女のしわだらけの苦笑を目の前にして僕は何とも言えない気持ちになったが、その感情から目を逸らすように手元にある湯吞みをもう一度握って、すっかりぬるくなった甘茶を小さく啜った。
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