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外伝

シェキナ編 幸せの選択 2

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 その日は朝から忙しかった。
 短い期間に世話係から叩き込まれた作法のおさらいをしながら湯浴みと着替え、化粧を済ませる。そんなに着飾る必要はあるのだろうか、とうっかり愚痴をこぼせば初老の世話係は「もちろんです」と切り捨てた。城に行くのだから当たり前だ、と。聞けば母親が生きていた頃も、戦闘民族であった彼女を貴族という枠に馴染ませるために大変苦労していたらしい。逆に思い出話を聞く羽目になり、シェキナは苦笑いをしながら沢山書き込まれた自分の手帳へと視線を落とした。家族愛のような愛が感じられる語りだったため、心地よい気分になれた。
 しばらく時間が経つと、シェキナは自分でも驚く程に変身していた。
 カナリア色が鮮やかな、膝丈のパーティードレス。十代前半という、まだ年端もいかない少女であるため露出度はさほど高くなく、可愛らしさを追求したデザインとなっていた。何層にも重なったチュール生地がスカート部分をふんわりとさせている。足下は低いヒールがついたドレスと同じ色のサンダル。エナメル素材のため品もあるように見える。栗色の髪はサイドをゆるく編み込み後ろへ回され、白い造花とパールが散りばめられた髪飾りで留められている。

「よくお似合いですよ、シェキナ様。世の中の殿方は皆あなた様のことを好かれるでしょうね」

 世話係は額に浮かんだ汗を満足げに拭った。
 一方のシェキナはというと「これが私……?」と鏡を覗き込みながらくるくると回ったりした。ドレスの裾が舞い上がる様が見ていて楽しい。精霊に捕らわれていた頃には考えられなかったことだ。嫌がっていた日とは言え、着飾ることがこんなにも楽しいことだとは思っていなかった。

「さて、お時間ですよ。存分に楽しんできてくださいね」


***


 初めて訪れた巨大城は、馬車の窓から覗くと予想以上に大きかった。てっぺんは遙か彼方。夜が近づき暗くなっているせいもあるだろうか、うっすらと霞んで見えた。

「さぁ、着いたよ。広間はこっちだ」

 夜会服に身を包んだ父がシェキナの手を引いて歩き出す。荘厳な雰囲気に圧倒されつつ、黙って着いていく。
 よくパーティーが開催されるという広間は名前の通り圧巻の広さを誇り、豪奢なシャンデリアが輝きを添えていた。楽団が優雅な曲を流し、花で飾られたテーブルには城で働くメイド達が軽食を並べているところだった。それももう少しで終わりそうだ。
 広間には既に客人たる貴族達が集まっており、各々話に花を咲かせている。見栄や政治、金、子供のこと――実際には花とは呼べない内容だったが、雰囲気に飲まれているシェキナは気がつかない。彼女の目には煌びやかなものばかりが映っている。
 しばらく父親にくっついていると、楽団の音楽が止み、奥から一人の男性が現れた。頭を金色の冠で飾ったその男性が何やら言葉を発したところで再び演奏が始まる。パーティーの始まりを告げる挨拶だったらしいが、頭に入ってこなかった。

(ど、どうしよう。眩しすぎて……頭が痛い……)

 全てが初めての経験であるシェキナにとって、会場にあるもの全てが強すぎる輝きに見えた。始めこそ興奮していたが、次第に目が疲れて頭痛まで引き起こす始末となっていた。

「と、父様……私、頭が痛いから少し外に出てもいいかな?」
「な、なんだって? 医者を呼ぼう」
「いいの、眩しくて目が疲れてしまっただけだから。そこのバルコニーにいるね」

 父親に笑顔で手を振り、シェキナは空いていたガラスの扉からバルコニーへと出る。そっと扉を閉じれば、音楽も人々の声も静かになる。夜風が涼しい。手すりにもたれかかって項垂れていること数分。近寄ってきた少年の気配に気がつくことができなかったシェキナは、軽く肩を叩かれただけで盛大に驚いた。

「ひゃあ!!」
「あ、ご、ごめん。驚かせてしまったかな」

 振り向くと、そこには金赤色の髪と石榴石の瞳が綺麗な少年が立っていた。質の良いブラウスと赤銅色のズボンを纏ったその少年は謝った後ににこりと笑った。

「一人でいたから、どうしたのかなと思って」
「あ、その……体調が優れなかったからここにいただけで」
「そう……ここにいると楽になる?」
「えぇ。ここはそんなに眩しくなくて涼しいから」

 すっかり混乱してしまった頭ではこの少年が誰であるか聞くという選択肢が浮かばない。見覚えはあるのだが思い出せない。父親が持ってきた写真の中の誰かだろう、ということにしておいてシェキナは作り笑いを貼り付ける。

「無理はしないで良いよ。本当に体調が悪くなったら言ってね」
「ありがとう……情けないよね、一応貴族なのにこんなザマで」
「君はここ初めてなんだろう? 慣れないうちはみんなそうだよ」
「あれ、初めてなのバレてた……?」

 少年はくすくすと笑う。

「だって君、今まで見たことなかったから。そうだ、名前を聞いておかないとだね。俺はフェリクス。君は?」
「えっと、私はシェキナ。……フェリクス?」

 つい先日聞いたばかりの名前だということをようやく思い出した。よくよく考えれば、この少年はパーティーの始まりを告げたあの男性と全く同じ色彩を持っていた。そしてクロウは少年の名を口にしていたではないか。フェリクス殿下、と敬称までつけて。
 さぁ、と全身から血の気が引いていくのを感じる。一国の王子に対して敬語も使わず話してしまうとは。なんたる不敬をはたらいてしまったのか、と今更ながら後悔する。どこぞの貴族の嫡子だから適当にあしらってしまおう、という魂胆が見透かされていたらどうしようと分かりやすく慌てる。

「あ、あの、申し訳ありません、私、殿下になんて口を……!!」
「いや、そこは全然気にしなくても。むしろそっちの方が自然体で嬉しいな」
「ひぇぇ……有り難き幸せ……」
「あはは、何それ」

 ついつい漏れてしまった泣き言にフェリクスが笑っていると、再びガラスの扉が開かれてもう一人少年が姿を現した。

「あ、いたいた殿下。捜しましたよ……ん?」

 少しだけ伸びた黒髪を頭の後ろで結った少年が、綺麗な翡翠の瞳でシェキナを見る。フェリクスを置いてけぼりにして見つめ合うこと数十秒。少年少女は同時に口を開いた。

「「もしかして」」
「シェキナ?」
「セラフィ?」

 見間違えるものか。離れ離れになってから少し時間が経ち、お互い服装も違えど苦楽を共にした仲間を忘れているはずがない。シェキナは顔見知りである黒髪の少年セラフィに詰め寄った。

「どうしてアンタがこんなところに……」
「セラフィ、知り合い?」
「ええとですね……僕が殿下と出会う前の友人です。久しぶりに会ったので驚きました」

 フェリクスにぼかしながら説明し、次いでシェキナに向かって胸を張って答える。

「僕はあの後殿下に拾っていただけたんだ。今は騎士団で修行中」
「うっそ、あのセラフィが城で働いてたの!? 気がつかなかった……」
「そうか、クロウが言ってたのはシェキナのことだったんだ」

 一人納得したように頷いているセラフィに首を傾げれば、それを見て教えてくれた。

「この間クロウが来てさ、次のパーティーに城で働きたいって女の子が来るからどうにか頑張ってくれと……」
「あんなに自信満々に出ていった癖に頼み方は雑だったのね」

 呆れていると、話についていけなかったらしいフェリクスが割って入ってきた。当たり前だ、彼はシェキナたちの事情を知らないのだから。

「えっと、どういうことかな」
「お願いがあるんです、フェリクス様」

 こうなったら流れに乗ってしまえ、と腹をくくる。フェリクスに向き合って、シェキナは勢いよく頭を下げた。

「私をこのお城で働かせてください!!」
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