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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
31.5 霧の中で/血の妙薬
しおりを挟む「どこまで進んでも霧だらけ。やっぱり精霊絡みだろうなぁ」
大きなため息をついてクロウは肩をすくめる。それを聞いたシャルロットが分かりやすく顔を青ざめさせた。
「どどど、どうしよう! ここから出られなくなっちゃったら……」
「まぁ大丈夫だろうよ。多分足止めしたかっただけだろうから」
「何を根拠にそう言うんだい?」
ぷるぷると震えているシャルロットの頭をぽんぽん叩くクロウには、焦っている様子などどこにもない。それを不審に思ったレオナが問いかければ、面倒くさそうに返される。
「この煙だか霧だか分からないものは大精霊アクアのものだろう。俺はこれを見たことがある、ほぼ間違いない。アクアは無駄が嫌いな奴だ、俺たちをここに閉じ込めてしばらく何もしてこないのはおかしい。この部屋にはフェリクス達もいるんだろう? 多分用があるのはそっちさ。俺たちは邪魔だから来るなってだけだと思うぜ」
「アンタ、どうしてそう言い切れるんだい? まさか」
クロウは「どうしてだろうな」と意味深そうな笑みを浮かべる。二人が疑心暗鬼に陥ってしまってもおかしくはない場面だが、彼の予想とは違う方向へレオナの感情は揺れ動いたようだった。
背の高いクロウの肩をがっしりと掴み、僅かに潤んだ瞳で見上げられる。ぎょっとしたクロウに対して向けられたのは彼への心配だった。
「アンタもそうなんだね、情報屋――いや、クロウ。よくここまで頑張ってきたんだねぇ……」
「え、えっと……おう。どうも」
一瞬だけ視線を合わせてクロウは頷いた。次いで背中をバシバシと叩かれ、どう反応するべきか困る。チラリとシャルロットを見れば、彼女は彼女で何かを察したらしく、余計なことは言うまいと口を閉ざして両手を組んでいる。二人の関係者であるセラフィやソフィアがイミタシアであることを知っているせいだろうか、察しは良いようだ。
「それじゃあ、何もせずじっと待っていれば良いってことかい?」
「多分。少なくとも俺たちを殺そうとかそういった事はしてこないはずだ。かと言って俺たちにできることは待つことくらいだ」
「分かった。信じて待つよ」
***
気絶した騎士や従者たちを集めてあちこちに横たえ、容態を確認し終えたセルペンスは小さくため息をついた。ベッドの数は足りないため床に寝て貰っている状態だが、重傷を受けている者はいないため大丈夫だろう。気絶しているだけなため大した治療は必要なかった。
そこへ、ドタドタと騒がしい足音。ノアだ。
「兄ちゃん、急患急患!! シェキナとセラフィ!!」
「え……?」
騎士団長エルダー、そしてソフィアとレイに連れてこられた仲間の姿を見て軽く目を見張る。気丈で強い二人が青ざめた顔でセルペンスの前へと連れてこられる。
大きな傷は見当たらないものの、荒い息を吐き出しているセラフィが鋭い眼差しをセルペンスに向ける。
「僕は、いいから、まずはシェキナを。あとセルペンス、治療した後でいいから話したいことが……」
「あ、あぁ。分かったよ。だからこれ以上しゃべらないで、まずはじっとしていて。すぐに行くから」
あまりにも強い眼光に逆らえずセルペンスはシェキナの元に向かう。こちらも大きな外傷はなさそうだった。どちらかと言えば、シェキナを連れてきたエルダーの傷が大きい。縄で緩めに縛られた彼女は完全に気を失っており、目覚める気配はない。
シェキナを柔らかな絨毯の上に横たえたエルダーはセルペンスに向き合って状況を説明する。それを聞きながら脈や瞳孔を確認し、異常がないことを確信したセルペンスは次にエルダーの傷を診る。急所は外れているため治療するのに特に問題はなさそうだ。
エルダーはエメラルドグリーンの光を物珍しげに見つめている。
「傷がこんなに早く癒えるとは……貴殿は一体?」
「俺については口外しないでくださいね。少し事情がありまして」
「そうか、失礼した。……すまないが、セラフィも診てやってくれ」
「はい。お任せを」
薄い笑みを浮かべてセルペンスはエルダーの治療を終える。もう傷跡も残っていないはずだ。
横たわらずに壁にもたれかかるセラフィに近寄る。連れてきたレイは部屋の隅まで引き下がり、大人しく立っている。一方ソフィアはセラフィの横で愁眉を寄せ、ただ黙って座り込んでいる。
「何があったの?」
軽く容態を確認しつつソフィアに尋ねれば、普段クールな彼女にしては珍しく震える声で答えが返ってくる。と言っても良く聞けば震えていると分かるだけで、彼女をよく知らない人間からすれば感情を覗き見ることは難しい声音だ。
「王子の暴走に巻き込まれていたから少し活を入れただけよ。特に怪我もさせていないし、肺を傷つけるようなこともしていない。彼も自傷している様子はなかったわ。けれど突然吐血した。呼吸も安定していないみたい」
「そう」
横たえていないのは吐血により気道が塞がれてしまうのを防ぐためだろう。それを察する。セラフィの胸の辺りに手を添えて力を発動させる。目に見えない内臓の治療でも、なんとなく状態は察することができる。セラフィの肺の様子を探れば、どうやらボロボロになっているようだった。これは日々の積み重ねによるものであり、ソフィアのせいでないことは明らかである。それを精神的に参っているらしい彼女に伝える。
「これはソフィアのせいではないよ。セラフィが気づかないうちから肺がこうなり始めていたみたいだから」
「そう……」
それでもソフィアの表情を覆う暗さは消えることはない。
いくらか血の気を取り戻した顔を上げ、セラフィが瞬く。
「ありがとう。しゃべりやすくなったよ」
「あぁ。でも無理はしないで。上辺を回復させただけに過ぎないから、無理をすればまた吐血するよ」
「了解。まったく、いつの間にやら不便な身体になってしまったね」
困ったように笑って、口元に残った血の痕を拭う。そして声を潜めてセラフィは語る。
「伝えたいことがある。順を追って話すよ」
真っ直ぐに見つめられ、思わず背筋を伸ばす。沈黙することで先を促した。
「少し前から体調は優れなかったのは分かっていたんだ。その理由もさっき確信した。――シャーンス襲撃が始まってしばらくしてからのことだ。ケセラに似た女の子に刺された」
「ケセラに……?」
「そう。僕たちがあの場所にいた時の――八年前の彼女と瓜二つだったように見えた。その辺はシェキナに聞いても同じことを言うと思うね。それで、だ。その女の子は僕にこう言った。『貴方の血は妙薬だ。哀れな精霊の犠牲者たちを元にもどしてあげられる。ただし、それをできる時間はそんなにないけれど』みたいなことをね」
「それって、つまり」
「考えたよ、シェキナの痛覚が戻ってきた理由を。あの女の子が言うことを照らし合わせてもこれしか考えられなかった。――僕の血を体内に入れれば、イミタシアから人間に戻れる。これが僕のイミタシアとしての力だ」
静かな寝息を立てているシェキナを見やる。
「外で彼女も怪我をしていた。そして僕も怪我を負った。多分その時に傷口から僕の血が入ったんだろうね。この仮説が本当ならば、みんなが苦しんできた代償も消せるかもしれない」
表情もなく固まってしまっているセルペンスの横でソフィアは疑問に思っていた。
どうして笑っていられるの?
セラフィの顔には笑みが浮かんでいた。翡翠の双眸を僅かに細めて、拭ってもなお血が残る薄い唇はゆったりと弧を描いて。見つけられないでいた無くし物を見つけて安心した子供のような無垢な微笑みが。
「あぁそうだ、その女の子についてなんだけど――」
お構いなしに話を切り替えようとするセラフィを見ていられなくて、ソフィアは何も言わないままに立ち上がる。それには流石に口を閉ざして驚いた様子の彼から逃げるようにしてソフィアは退室した。
誰も居ない、暗いだけの廊下に出てすぐ扉へともたれかかる。
かつて苦楽を共にした仲間から逃げるようにして八年間生きてきた。それでも、それでも彼等のことを嫌うなんてことは決してなく。むしろ心配しない日なんてなかった。
もう会えない仲間もいる。代償に苦しみながら、いつ壊れてしまうか分からない日々を送っていくのだと思っていた。それが変わらないのだと思い込もうとしていた。
けれど違うのだ。
精霊の血を入れて変貌してしまった身体。唯一その様子が見られなかった彼もやはり例外ではなかった。
(あの言葉が本当だとするならば)
――彼に残された命の炎は徐々に弱くなっているということだ。
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