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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

12 殿下が惚れた人、そして平和な街

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「殿下なら山積みになってた書類を見て顔を引きつらせていましたよ」

 騎士の宿舎の隅っこで存在感を消そうと努力していたミセリアへ何の遠慮もなしにセラフィが話しかける。城であまり目立ちたくないらしいミセリアは邪魔をしてきたセラフィを睨み付けつつもきちんと応えてやる。

「そうか良かったな話しかけるなお前と居ると目立つ」
「いや、殿下にとっては良くないと思いますが。……別にいいじゃないですか。この時間帯には騎士達は出払ってますし、ミセリアは指名手配犯というわけでもないでしょう?」
「それはそうだが。でもここにはソルテとかいうやつもいるし、私は一度フェリクスに襲いかかった身でもある。フェリクスやお前が認めても周りの人間がどう思うか。今になって不安になってきた」

 愛用しているナイフを――もちろん刃は鞘の中だ――膝の上においてうじうじと考え込むミセリアへ、セラフィは苦笑しながら活を入れる。

「そんなこと気にしてどうするんですか」

 近くにあった椅子に腰掛ける。

「マグナロアでの夜、殿下に何か言われたんでしょう?『一緒に来てくれ、ミセリア』みたいな台詞を」
「……」
「図星ですね?まったく、お二人とも分かりやすいんですから。それで、ここに来るとミセリアが決めたのならそれで良いじゃありませんか。殿下が信頼している貴女であれば側に居たって誰も文句なんて言いませんよ」
「……」
「騎士団に入るなりメイドになるなり殿下の近くに居られる方法はあります。それはゆっくり考えればいい話です。やることがないのなら殿下の元へ行ってみてはいかがです?貴女が近くに居るだけで絶対に作業効率あがると思うんですよね」

 黙って話を聞いていたミセリアはようやく立ち上がる。無言のまま歩き出したミセリアをセラフィはにこにこと見送った。最後に一言だけ添えて。

「ミセリア、殿下のお部屋は反対側の扉からです」

 無言のまま方向転換したミセリアに吹き出しつつ、セラフィ自身も立ち上がって騎士の間を後にすべく扉に手をかけた。

「っ」

 唐突に目眩に襲われ、セラフィは壁に手をつく。こみ上げてくる咳にもう片方の手で口を覆う。
 少しの間咳き込んだあと、乱れた息を整える。酷い咳ではなかったためすぐに治まった。

「風邪、かな」

 気を付けないと、とため息をついて今度こそ騎士の間を後にした。


***


 階段を上っていると、上から金赤色の髪の男が下ってくるのが見えた。しかし、見慣れた王子のものではないと気付くとミセリアは視線を下に向けて俯いた。
 騎士二人に付き添われた、いや監視されているのであろう第二王子ソルテだった。ミセリアはすれ違いざまにチラリと顔をのぞき見る。

「――?」

 フェリクスと同じ石榴石の瞳。それが、酷く濁っているように見えた。
 つい足を止める。
 カツカツと靴の音を響かせながら階段を降りていく背中に、いつの日か見たはずの傲慢さはなかった。

(あの件でこっぴどく責められてしまったのか)

 それぐらいしか考えられない。しかし、どうにも違和感が拭えなかった。何も映していない虚ろな瞳に嫌悪感を覚える。
 ミセリアは首を振り、気を取り直してフェリクスの元へ向かった。
 扉をノックして返事を待つ。数秒後、眠そうな間延びした返事がきた。それを確認した後遠慮なく部屋に入る。
 日当たりの良い温かな部屋だった。白いレースのカーテンが揺れている。ミセリアの目的であるフェリクスはげっそりとした顔を浮かべながら書類と戦っていた。側にはメイド服を纏ったシェキナがいて、カップを三つ用意しているところだった。

「ミセリアだぁ……」

 フェリクスは披露困憊な様子で片手を挙げた。小指付近がうっすらと汚れている。長い間、書類に何か書いていたのだろう。

「ミセリアさん、でしたよね」
「ミセリアで良い。敬語もいらない」
「そう?了解。今ちょうどお茶を淹れた所だからゆっくりしていって。私はシェキナ。殿下のお付きをしているよ。よろしくね」
「ありがとう――あぁ。よろしく頼む」

 シェキナに示された椅子に腰掛ける。丸テーブルに散らばった書類を適当にまとめ、シェキナはお茶の入ったカップをミセリアの前に置く。

「ミセリア~~」
「情けない声を出すな」

 さっきまで自分が悩んでいたことは顔に出さない。シェキナはくすくすと笑ってフェリクスの分もカップに茶を注いだ。

「セラフィから聞いていた通り。殿下がここまでふにゃふにゃになるなんてそうそうないことだよ?」
「……色々あって」
「それはそうだよね。殿下が惚れる女性なんて良い人に決まってる。話、してみたかったんだよね」
「そんなに簡単に信頼しても良いのか?こんな私を」
「今言ったばかりだよ?殿下が惚れてるし、それに……だからね」

 薄くリップが塗られた唇から覚えのある名前が紡がれたような気がしてミセリアはシェキナの方を見る。シェキナはにこにことしているだけで、聞き直しても答えてくれそうな雰囲気ではなかった。

「ほら見て、ミセリア」

 首を傾げていたミセリアへシェキナは微笑みかける。
 シェキナが視線で示す方を見ると、先ほどまでとは違い真っ直ぐな姿勢で、そして勢いよく筆を動かしている。目はなんだか据わっているような気はしなくもないが。
 セラフィが言っていたことは本当のようだ、とミセリアは苦笑いをした。

「この集中っぷりは凄い……。ねぇミセリア、しばらくここにいてよ。そうね、殿下の前だけど女子会でもしてよっか。親睦を深めたいなー」
「あ、あぁ……」

 こうしてフェリクスが仕事をしている傍ら、女性二人によるお茶会が始まった。


***


 涼しくなってきたとはいえ昼間の日差しは暖かい。シャーンスの人々は仕事をしたり洗濯物を干したり散歩をしたり、各々が穏やかな日常を送っていた。
 所々に色が付いた石が埋め込まれた道沿いをレイとシャルロットは歩いていた。
 大きな噴水がある広場、客で賑わう市場、比較的静かな住宅街。適当に駄弁って寄り道をしつつ歩くことのなんと楽しいことか。
 二人は噴水広場に戻ってベンチに腰掛ける。

「ここも素敵な街だね、レイ」
「そうだね」

 広場の近くにあった果物屋を営むおばちゃんから「お嬢さんかわいいね!リンゴ二つおまけしちゃうよ!お兄さんと一緒に食べな!」と貰ったリンゴをひとかじりする。ほどよく熟れていて美味しい。思わず緩む頬。なんとなく顔を見合わせて微笑み合う。

「この時間がずっと続けば良いのになぁ」
「私もそう思うよ。レイと一緒にいるとなんだかあったかくて幸せ」
「……ちょっと照れる、かも」
「本当のことだから」

 ぽつりと漏らした一言をシャルロットは聞き逃さない。本音をおどけて言ってみせると、レイは視線を彷徨わせた。くすくすと笑ってリンゴを一口。とても甘い。

「ねぇレイ」
「どうかした?」
「私ね、前よりはちゃんと強くなったよ」

 レイがシャルロットのことを特別に思ってくれていて、自分が危険な目に遭っても守ろうとしてくれる。だからもっと強くならなくちゃと努力して、その片鱗をつかみかけている。フェリクスが特訓している裏でシャルロットも奮闘していた。それもレイは理解している。

「知ってるよ。シャルロットが頑張ってくれていること」
「最初はあの力が怖いって思ったけどね、今は“あの約束”を果たすためと思えば怖くないの。もっと頑張るね、私」
「……ありがとう」
「ふふ。……ほんとに暖かい。眠くなっちゃいそう」
「寝る?」
「うん」

 白金の髪に覆われた頭がレイの肩にコツンとぶつかる。日差しによる眠気に身を任せて瞼を閉じようとしたその時、シャルロットは目を見開いた。
 視界の奥に見えた後ろ姿。一つに束ねた長い黒髪と白い白衣。シャルロット達がいるところよりは薄暗い路地裏へと姿を消していく。

「シャルロット?」

 はじかれたように立ち上がったシャルロットにレイが問いかける。

「お兄ちゃんが……ルシオラお兄ちゃんが今そこにいた気がするの」
「お兄さんが路地裏に?一緒に行ってみようか」
「うん、ありがとう」

 二人で慎重に路地裏へ歩み寄る。民家の壁に挟まれて日の光が届かない路地裏にあったのは――光る二つの丸だった。おまけにグルルル……といううなり声のようなものも聞こえる。いや、これは本物のうなり声だ。

「「……へ?」」

 そこにいる存在が獣であると気がついたのと同時に、それは二人に牙をむいた。
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