上 下
73 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

11 父子

しおりを挟む


「無事であったか」

 広い謁見室は豪奢なシャンデリアの光で照らされ、赤系統で統一された装飾品たちの美しさを際立たせている。しかし、その場にいる人間はたったの二人。人払いを済ませた空間にいるのは一組の父子だった。
 シアルワ王ゼーリッヒは白髪が交じった豊かな金赤の髪をゆったりとまとめ、その頭には職人が丹精込めて作った精緻な王冠を輝かせていた。黄金で作られたそれの中心には紫水晶が小さいながらも存在感を放っており、身体にはシアルワ王家伝統の色である赤銅色のローブを身に纏っている。息子と同じ色の慈愛に満ちた瞳がフェリクスを見下ろしている。
 その王が座す玉座の段の下にフェリクスは跪いていた。

「はい、陛下。フェリクス、只今帰還いたしました」
「そう畏まらなくとも良い。別に政治的な場ではないのだから」
「はい、父さん」

 柔らかい声にフェリクスは顔を上げ、立ち上がった。

「ラエティティアに行くのは久しぶりだっただろう。シエル殿は息災でおられたか」
「はい。以前プレジールを訪れたのは随分と前のことですが、相変わらず美しい街でした。シエルさんも変わりなくお過ごしのようでしたよ。暗殺組織の件についても調査に協力してくださるとのことでした」
「そうか。ソルテには一年の謹慎を言い渡し、監視も付けている。ラックも騎士団長に監視を怠らぬよう改めて伝えておいた。お前には護衛をつけている。安心して過ごすと良い」
「ありがとうございます、父さん」

 確かな息子である王子の名が氷のごとく冷たい声音で紡がれる。それはフェリクスの名を紡いだ瞬間に温かさを取り戻した。
 以前フェリクスに暗殺者を差し向けた犯人である第二王子のソルテ。城に帰ってきてからはまだ会っていないが、軟禁同然の扱いを受けているのだろう、とフェリクスは目を伏せる。命第一王子であるラックにも過去に殺されかけたことがある。それも苦い思い出だ。
 なるべく顔に出さないようにしながらフェリクスは父王を見上げる。今はまず聞きたいことを聞かなければならない。

「父さん。伺いたいことがあります」
「どうした、フェリクス?」
「この国に、脅迫のような……そんな知らせは届いていますか?」

 まず聞くべきはそこだろう。フェリクスはゼーリッヒを真っ直ぐに見つめた。

「いや。出かけ先で何かあったのか?」
「マグナロアで不審な人物に遭遇したのです。その人物がシャーンス襲撃を仄めかすようなことを言ったのを聞きました。虚言ならば良いのですが、念のため報告しておこうと思いまして」
「なるほど、理解した。報告に感謝する。騎士団長に伝え、警備を強化させよう」
「その役目は俺が。……もう一つ、伺いたいことがあります」
「なんだ?」

ゼーリッヒは柔らかい微笑みを浮かべてフェリクスの言葉を待っている。フェリクスはゆっくりと息を吸って、慎重に話を切り出した。

「神子についてです」
「……」
「シエルさんに聞きました。王家は神子の血と力を継いでいると。そして俺も例外ではないと。そこまでは良いのです。神子の力をむやみやたらに利用するわけにはいきません。成人の儀を迎えるまで秘密裏にするのは分かるのです。……俺が知りたいのは、それに関連した姉さんと精霊のことです」

 ゼーリッヒは笑みを潜め、僅かに眉を寄せた。

「姉さんを幽閉しているのは、神子の力があるからなのでしょうか。力が暴走してしまうことを恐れたからなのでしょうか。でもそれだと俺も同じようにしなければならないはず。恐れ多くも、質問させていただきます。……父さんは、精霊と何か契約をしていますか?姉さんに幽閉を強制するような、そんな何かを」

 シエル――ミラージュは神子である自分の身体を材料にラエティティア王国に危害を加えないよう精霊と契約していた。もしもシアルワ王国にも同じような契約があったのなら。
 思い切った質問であることはフェリクスも理解している。無礼な質問であることも理解している。しかし、どうしても聞きたかったのだ。どうして姉は幽閉されて、自分は自由なのだろう。

「そうか。シエル殿も余計なことをしてくれたな」
「父さん……」
「いや。お前やベアトリクスを精霊に差し出すようなそんな真似はしない。まして国を差し出すこともしない。ベアトリクスをああしているのも、あやつを守るためなのだ。そこだけはどうか、信じておくれ」

 ゼーリッヒの顔が悲しそうに歪む。目の当たりにしたフェリクスも父王と同じように眉を寄せた。親子だけあって顔立ちはよく似ている。もしもこの場に誰かがいたのならおう思ったことだろう。

「俺、父さんを信じています」
「そうか、ありがとうフェリクス。ありがとう」

 そう言うとゼーリッヒは玉座から立ち上がり、段を降りた。そしてフェリクスの前に立つと、皺が刻まれた手でフェリクスの頭を優しく撫でた。

「子供扱いして……」
「お前は私のかわいい子供だよ」

(父さんは優しいなぁ……少しでも疑ってしまうなんて、俺は)

 大きくて温かな手を払いのけることはせず、フェリクスは心から微笑んだ。


***


「お待たせ、シェキナ」
「はい。それじゃあ向かいましょうか」

 謁見から自室へ帰ってきたフェリクスは待機していたシェキナへ声をかける。シェキナはきっちりとメイド服を着込み、真っ直ぐに立って待っていた。その腰には鍵束が下がっている。
 セラフィは騎士団の間へ出かけていて、ミセリアもそれについて行っている。レイとシャルロットは二人で街へ散策へと出かけていった。
 フェリクスがシェキナをお供に向かうのは姉――ベアトリクスの元だった。
 人の目のない隠し通路を使って姉の居る塔へ向かう。
 いつものように階段を上り、いつものようにシェキナが声をかけ、鋼鉄の扉を開ける。いつもの、と言ってもフェリクスにとっては随分と久しぶりに感じる。
 第一王女が住まう部屋は、フェリクスの記憶の通り空気が淀み重苦しい雰囲気が漂っていた。
 天蓋付きベッドには部屋の主の長い髪が散らばっている。この部屋に響くのは本のページを捲る僅かな音だけ。

「姉さん、久しぶり。……元気にしてた、かな」

 慎重に話しかける。

「俺、しばらく出かけててさ、それで最近来られなかったんだけど。土産話も沢山あるんだ。今すぐにでも話したいんだけど、今日は時間もないから遠慮しておくよ。でも、近々話に来ようと思うから、そうしたら聞いて欲しいな」

 鉄格子がついた小さな窓からは夕陽の光が差し込んでいる。薄暗くなりつつある部屋にフェリクスは一歩入り込んだ。

「暗くなってきたね。明かりを付けるよ」

 木製のキャビネットの上に置かれたランプを手に取り、明かりを灯す。それをできる限りベッドに近づけて、そっと姉の顔を覗き込んだ。
 白い顔は本と向き合ったままでフェリクスとは合わない。長い髪で目元は隠れている。

「姉さん、変わりないようで良かった。じゃあ、俺帰るよ。また来るね」
「フェリクス」

 部屋から出るために出口へ歩み出したその時、姉は口を開いた。
 涼やかな声が耳に届いた途端、フェリクスの身体は金縛りにあったかのように動かなくなった。ドクン、と心臓だけが跳ねる。

「貴方が無事で良かった。……また、会いましょうね」
「ぁ……」

 なんとか喉から声を出そうとする。

「あ、ありがとう姉さん」

 若干引きつった声になってしまったが、なんとか返事をすることができた。シェキナも驚き、目を見開き瞬きをしていた。
 そしてフェリクスとシェキナは挨拶をして部屋から出て行った。

「良かったですね、殿下。殿下が離れている間、一言もお話されなかったんですよ」
「あぁ。この調子でもっと元気になってくれればいいんだけど」
「そうですね。私も力になれれば良いのですが」
「いやいや、シェキナも頑張ってくれてるよ。食事とか身の回りの世話とか」

 階段を下りながら二人は談笑する。二人分の足音が大きく響く。

「ふふ。殿下から仰せつかった役目ですから。それに私自身も姫様には普通の生活を送ってもらいたいと考えているので」
「シェキナもありがとう」
「いえいえ。……私だって殿下に救われた一人なのですから」
「ごめん。最後、あまり聞き取れなかったんだけど……」
「ただの独り言ですよ、殿下」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。

待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。 妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。 ……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。 けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します! 自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

処理中です...