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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
11 父子
しおりを挟む「無事であったか」
広い謁見室は豪奢なシャンデリアの光で照らされ、赤系統で統一された装飾品たちの美しさを際立たせている。しかし、その場にいる人間はたったの二人。人払いを済ませた空間にいるのは一組の父子だった。
シアルワ王ゼーリッヒは白髪が交じった豊かな金赤の髪をゆったりとまとめ、その頭には職人が丹精込めて作った精緻な王冠を輝かせていた。黄金で作られたそれの中心には紫水晶が小さいながらも存在感を放っており、身体にはシアルワ王家伝統の色である赤銅色のローブを身に纏っている。息子と同じ色の慈愛に満ちた瞳がフェリクスを見下ろしている。
その王が座す玉座の段の下にフェリクスは跪いていた。
「はい、陛下。フェリクス、只今帰還いたしました」
「そう畏まらなくとも良い。別に政治的な場ではないのだから」
「はい、父さん」
柔らかい声にフェリクスは顔を上げ、立ち上がった。
「ラエティティアに行くのは久しぶりだっただろう。シエル殿は息災でおられたか」
「はい。以前プレジールを訪れたのは随分と前のことですが、相変わらず美しい街でした。シエルさんも変わりなくお過ごしのようでしたよ。暗殺組織の件についても調査に協力してくださるとのことでした」
「そうか。ソルテには一年の謹慎を言い渡し、監視も付けている。ラックも騎士団長に監視を怠らぬよう改めて伝えておいた。お前には護衛をつけている。安心して過ごすと良い」
「ありがとうございます、父さん」
確かな息子である王子の名が氷のごとく冷たい声音で紡がれる。それはフェリクスの名を紡いだ瞬間に温かさを取り戻した。
以前フェリクスに暗殺者を差し向けた犯人である第二王子のソルテ。城に帰ってきてからはまだ会っていないが、軟禁同然の扱いを受けているのだろう、とフェリクスは目を伏せる。命第一王子であるラックにも過去に殺されかけたことがある。それも苦い思い出だ。
なるべく顔に出さないようにしながらフェリクスは父王を見上げる。今はまず聞きたいことを聞かなければならない。
「父さん。伺いたいことがあります」
「どうした、フェリクス?」
「この国に、脅迫のような……そんな知らせは届いていますか?」
まず聞くべきはそこだろう。フェリクスはゼーリッヒを真っ直ぐに見つめた。
「いや。出かけ先で何かあったのか?」
「マグナロアで不審な人物に遭遇したのです。その人物がシャーンス襲撃を仄めかすようなことを言ったのを聞きました。虚言ならば良いのですが、念のため報告しておこうと思いまして」
「なるほど、理解した。報告に感謝する。騎士団長に伝え、警備を強化させよう」
「その役目は俺が。……もう一つ、伺いたいことがあります」
「なんだ?」
ゼーリッヒは柔らかい微笑みを浮かべてフェリクスの言葉を待っている。フェリクスはゆっくりと息を吸って、慎重に話を切り出した。
「神子についてです」
「……」
「シエルさんに聞きました。王家は神子の血と力を継いでいると。そして俺も例外ではないと。そこまでは良いのです。神子の力をむやみやたらに利用するわけにはいきません。成人の儀を迎えるまで秘密裏にするのは分かるのです。……俺が知りたいのは、それに関連した姉さんと精霊のことです」
ゼーリッヒは笑みを潜め、僅かに眉を寄せた。
「姉さんを幽閉しているのは、神子の力があるからなのでしょうか。力が暴走してしまうことを恐れたからなのでしょうか。でもそれだと俺も同じようにしなければならないはず。恐れ多くも、質問させていただきます。……父さんは、精霊と何か契約をしていますか?姉さんに幽閉を強制するような、そんな何かを」
シエル――ミラージュは神子である自分の身体を材料にラエティティア王国に危害を加えないよう精霊と契約していた。もしもシアルワ王国にも同じような契約があったのなら。
思い切った質問であることはフェリクスも理解している。無礼な質問であることも理解している。しかし、どうしても聞きたかったのだ。どうして姉は幽閉されて、自分は自由なのだろう。
「そうか。シエル殿も余計なことをしてくれたな」
「父さん……」
「いや。お前やベアトリクスを精霊に差し出すようなそんな真似はしない。まして国を差し出すこともしない。ベアトリクスをああしているのも、あやつを守るためなのだ。そこだけはどうか、信じておくれ」
ゼーリッヒの顔が悲しそうに歪む。目の当たりにしたフェリクスも父王と同じように眉を寄せた。親子だけあって顔立ちはよく似ている。もしもこの場に誰かがいたのならおう思ったことだろう。
「俺、父さんを信じています」
「そうか、ありがとうフェリクス。ありがとう」
そう言うとゼーリッヒは玉座から立ち上がり、段を降りた。そしてフェリクスの前に立つと、皺が刻まれた手でフェリクスの頭を優しく撫でた。
「子供扱いして……」
「お前は私のかわいい子供だよ」
(父さんは優しいなぁ……少しでも疑ってしまうなんて、俺は)
大きくて温かな手を払いのけることはせず、フェリクスは心から微笑んだ。
***
「お待たせ、シェキナ」
「はい。それじゃあ向かいましょうか」
謁見から自室へ帰ってきたフェリクスは待機していたシェキナへ声をかける。シェキナはきっちりとメイド服を着込み、真っ直ぐに立って待っていた。その腰には鍵束が下がっている。
セラフィは騎士団の間へ出かけていて、ミセリアもそれについて行っている。レイとシャルロットは二人で街へ散策へと出かけていった。
フェリクスがシェキナをお供に向かうのは姉――ベアトリクスの元だった。
人の目のない隠し通路を使って姉の居る塔へ向かう。
いつものように階段を上り、いつものようにシェキナが声をかけ、鋼鉄の扉を開ける。いつもの、と言ってもフェリクスにとっては随分と久しぶりに感じる。
第一王女が住まう部屋は、フェリクスの記憶の通り空気が淀み重苦しい雰囲気が漂っていた。
天蓋付きベッドには部屋の主の長い髪が散らばっている。この部屋に響くのは本のページを捲る僅かな音だけ。
「姉さん、久しぶり。……元気にしてた、かな」
慎重に話しかける。
「俺、しばらく出かけててさ、それで最近来られなかったんだけど。土産話も沢山あるんだ。今すぐにでも話したいんだけど、今日は時間もないから遠慮しておくよ。でも、近々話に来ようと思うから、そうしたら聞いて欲しいな」
鉄格子がついた小さな窓からは夕陽の光が差し込んでいる。薄暗くなりつつある部屋にフェリクスは一歩入り込んだ。
「暗くなってきたね。明かりを付けるよ」
木製のキャビネットの上に置かれたランプを手に取り、明かりを灯す。それをできる限りベッドに近づけて、そっと姉の顔を覗き込んだ。
白い顔は本と向き合ったままでフェリクスとは合わない。長い髪で目元は隠れている。
「姉さん、変わりないようで良かった。じゃあ、俺帰るよ。また来るね」
「フェリクス」
部屋から出るために出口へ歩み出したその時、姉は口を開いた。
涼やかな声が耳に届いた途端、フェリクスの身体は金縛りにあったかのように動かなくなった。ドクン、と心臓だけが跳ねる。
「貴方が無事で良かった。……また、会いましょうね」
「ぁ……」
なんとか喉から声を出そうとする。
「あ、ありがとう姉さん」
若干引きつった声になってしまったが、なんとか返事をすることができた。シェキナも驚き、目を見開き瞬きをしていた。
そしてフェリクスとシェキナは挨拶をして部屋から出て行った。
「良かったですね、殿下。殿下が離れている間、一言もお話されなかったんですよ」
「あぁ。この調子でもっと元気になってくれればいいんだけど」
「そうですね。私も力になれれば良いのですが」
「いやいや、シェキナも頑張ってくれてるよ。食事とか身の回りの世話とか」
階段を下りながら二人は談笑する。二人分の足音が大きく響く。
「ふふ。殿下から仰せつかった役目ですから。それに私自身も姫様には普通の生活を送ってもらいたいと考えているので」
「シェキナもありがとう」
「いえいえ。……私だって殿下に救われた一人なのですから」
「ごめん。最後、あまり聞き取れなかったんだけど……」
「ただの独り言ですよ、殿下」
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