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夜明けの幻想曲 2章 異端の花守

28 白き翼

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 暗い場所で眠っていた。目を閉ざしていた。
 見たくなかったのだ。赤い炎。消えていく街。泣いて懺悔をする、この世で最も嫌いな王子の顔。そして、目元を真っ赤に染めた愛しい人の泣き顔。
 君と愛した花畑を守りたかっただけだった。君が幸せそうに微笑んでいる姿を守りたかっただけだった。
 それなのに、どうして勝手に身体が動いて――国を滅ぼすような真似をしてしまったのだろう。

 ――知っている。いつか話した精霊が僕を生かしてくれたこと。でも、それは僕が暴走してしまった理由ではない。僕が愛だと思っていた感情が酷く醜くて、独りよがりなものだったからだ。これは僕への天罰なのだ。
 だから目を閉じていよう。これ以上、この想いが大きくなってしまわないように。

『貴方はミラージュさんのことを愛していた』

 あぁ、その通りだ。僕は彼女を愛していた。

『ミラージュさんは今、危険な状態だ。でも、貴方なら助けることができる。そうだろう?』

 僕なんかにそんなことができるのだろうか。

『だから――起きてくれ、エール!!』
『このお花、――の髪の毛とそっくりな色をしているよね。……そうだ、この木の名前、私が決める!』

 名前を呼ばれた瞬間、少女の声が響いてきた。
 懐かしい。二人ともまだ小さくて、何もかもが楽しかったあの日のこと。すべてなかったことにしてあの日に戻りたいと、何度願ったことだろう。

『ふふ、この木の名前はね――』

 僕の髪を梳いて彼女は笑った。

『エール』
『助けて、エール』

 刹那、幸せそうな彼女の顔が歪み、泣き出しそうな表情になる。だめだ、僕はそんな顔が見たいのではないんだ。

「ミラージュ」

 唇が勝手に彼女の名前を紡ぐ。閉じたはずの目から涙が溢れる。
 このままでいいのだろうか。このまま彼女を危険にさらして、目を閉じたままでいいのだろうか。

『ごめんなさい、エール』
「違う。僕は、そんな悲しいことを言わせたくない」
『お互い逃げずに向き合うべきなのです』

 今度は少し高い少年の声。ほんのちょっぴり、僕に似ているような。そんな声が僕を諭していく。

『自分自身の罪と想いを』
「僕の罪と、想い――」

 僕は何をしたら償いになる?僕の想い、それはミラージュに笑ってもらいたいというもの。今のままでは叶えられない願い。
 目覚めれば、君はまた笑ってくれるだろうか。僕が作った花冠を頭に乗せてくれるだろうか。
 僕に何ができるのかは分からない。けれど、目を開いたら、君を救える?

『エール。君の美しい想いを僕に見せてくれ。力を貸してくれ。ミラージュを救いに行こう』

 今度はいつかの精霊の声。僕に語りかけてくれた変わり者の精霊。ついついミラージュへの想いを語ってしまっても、最後まで聞いてくれた精霊が僕に手を差し伸べてくれているのだろう。目を開けばそこにいる。そんな気がする。

『君はどうしたい?ミラージュを救いたくないのかい?』
「――そんなわけないだろう」

 僕はずっと閉じられていた瞼に力を入れた。閉じられてからどれほど時間が経ったのかは忘れてしまったけれど、今は一刻でも早くミラージュの笑顔が見たい。僕の心を揺さぶる声達は懸命に呼びかけてくれている。

「……僕は、ミラージュを救いたい。これまでも、これからも変わらないよ」
『なら、早く行こう。彼女は心の底から君を求めている』
「……うん。ありがとう、ゼノ。今行くよ」

 僕はまぶしい光を目にした。
 白い髪の精霊がこちらに手を差し伸べている。逆光で顔はよく見えない。
 僕は迷わずその手を取った。ゼノは空いた片方の腕で前を指さした。僕がその方向を見ると、金赤色の髪を持つ少年が大きな旗を振っている姿が見えた。「こっちに来い」と僕の進むべき道を示しているかのように。きっとあっちへ行けば、ミラージュの元へ行ける。なぜだか分からないけれど、今の僕にはそんな確信があった。

「ミラージュ――」

 彼女のために、前へ進もう。


***


 ゼノが目を閉じた。
 雰囲気が変わったゼノをフェリクス達は緊張しつつ見守っていた。
 刹那、少年が瞼を開いた。
 姿は変わらずとも分かる。彼がようやく目覚めたのだ。

「エール、さん」
「エールでいいよ。君が呼んでくれたんだね、ありがとう」

 フェリクスを見てエールは笑う。
 そしてすぐに風の壁を見やる。

「君の名前は?」
「フェリクスです」
「フェリクス君、どうか僕を導いてくれ。僕はどうしたらいい?」
「え?ええっと……」
「大丈夫、君なら出来る。君は僕をここまで導いてくれた旗手なのだから」

 信頼が籠もった言葉にフェリクスは息を呑む。ここでうだうだしている時間はない。気を引き締めてフェリクスは壁を見上げる。

「――上。この風、竜巻みたいな形をしている。だったら上が空いているかもしれない。貴方ならきっと飛べる」
「ありがとう」

 エールはふわりと微笑んで大きく頷き、翼を広げた。きっとゼノの援助もあるのだろう、その動きに迷いは一切なかった。高く飛ぶエールの姿は鳥のようだった。白い花びらが羽のようにも見える。
 フェリクス達は彼の力強い姿を見て自然と笑みがこぼれた。

 エールは大きく羽ばたいた。壁がなくなるほどに高く、高く飛んだ。
 下を見下ろすと、フェリクスが予想した通りにぽっかりと空間が空いていた。ここからなら壁の内部に――ミラージュの元へ行くことができるだろう。
 エールは一呼吸おいて急降下を始めた。
 嵐の中を飛んでいる気分だ。舞い散る白い花びらを吹き飛ばしながら降りていく。
 見えた。桃色の髪を揺らした少女が、精霊の腕の中で気を失っているようだ。精霊ビエントは自身の腕を魔術で軽く切っている最中のようだった。流れる血をミラージュの口に触れさせてはならない。

(エール、できる?)
「やってみせるよ、ゼノ」

 手には白い光の剣。剣なんて生前一度も使ったことはないが、ゼノの援助もあり“こうすればいい”という感覚がエールにはあった。

「ミラージュを……離せ!!」

 声が枯れるほど張り上げた叫び声に、ビエントが反射的に顔を上げた。今回は素直に驚いたらしく、青漆の瞳を見開く。
 エールは剣をビエントに突き刺すために構える。
 閃光のごとく突き進むエールがビエントと相まみえるまで一秒すらかからなかった。
 ドオン、という鈍く重い音とともに花びらと土煙が舞う。
 ビエントの結界も解かれ、嵐のような風が勢いをゆるめて消えていく。
 エールは愛しい人を両腕で抱きかかえていた。誰にも渡さない、傷つけない。そんな想いが、ぎゅ、とミラージュを抱きしめる腕からにじみ出ていた。

「信じてた」
「うん」
「助けに来てくれた」
「君が呼んでくれたから」
「エール」
「うん」
「会いたかった」

 愛しい人の流す涙は、悲しいものではなかった。
 エールも泣き出したい気持ちを必死に押さえて、微笑んだ。

「僕もずっと君を求めていた。ミラージュ」

 二人はお互いの存在を確かめ合うようにして触れる。肩を、頬を、髪を。そして、こつん、と額を合わせたのだった。
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