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外伝

セラフィ編 その手の温もりを 4

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「命令だよ」

 セラフィよりも少し背が高い第二王子は、ニヤニヤと笑いながら皮の袋を開けて見せた。中身はセラフィが予想していた通りの金貨だ。大量に詰め込まれている。これだけあれば一年は働かなくとも暮らせるだろう、というくらいの。

「それは?」

 セラフィはあえて問うことにした。目的は見え透いているが。

「賄賂。これをやるから働いて欲しいんだわ。どこの出身かもわからないお前だけど、これの価値くらいは分かるだろう?」
「まぁ、そうですね」
「内容は――」

 ソルテは革袋を閉じると、セラフィが片付けようと思っていたテーブルへと近づいた。おもむろにカップを持ち上げると、容赦なく床に叩きつけた。ガシャン。白磁のカップはいともたやすく割れ、その破片は四方へ飛び散る。

「こんな感じ?」

 ソルテは高級そうな革靴で床に落ちた破片を踏み潰す。ただでさえ細かくなっていた破片は砂のように砕けた。

「……」

 セラフィはその様を見て、視線をソルテの顔に戻した。
 まだ年若い少年だというのに、その表情は酷く下劣なものだった。
 セラフィはその表情に見覚えがあった。しばらく見ていなかったが、あの顔は――。

(精霊)

 炎に包まれた村の中、恐怖に震えながら見上げた顔もあのような表情を浮かべていた。あの顔に、家族も故郷も奪われた。セラフィは苛立ちをそっと押し殺す。

(でも、コイツは王族。無茶をして追い出されるのは勘弁して欲しい。――僕は、お金を稼がなきゃいけないから。強くならないといけないから)

 何も言わないセラフィを余所に、ソルテはフェリクスの部屋を好き勝手に荒らす。本棚から本を投げ出し、踏んでページを折る。クローゼットから服を引っ張り出して、それも踏む。

「ほら、こうやるんだ。あいつはむかつくから。これは天罰だ」

 ソルテは楽しそうに言う。昼間、フェリクスが浮かべていた楽しそうな表情とは正反対の笑顔だった。

「あ、そこの花はあいつがまた貰ってきたやつだろう?」

 セラフィの側にあったキンモクセイに気がついたソルテは、それに歩み寄る。

「なんだこれ。クッサイの」
「それは――」

 ソルテの手がキンモクセイに伸びたその時、反射的にセラフィはその手を掴んだ。
 なぜか、その花には触れてほしくなかった。この手が触れたら、儚い花は絶対に死んでしまう。
 動きを止められて不快に思ったのか、ソルテの顔が歪む。楽しそうだった声音から一転、剣呑な目つきでセラフィを睨み付ける。

「なんだよ。邪魔するなよ」
「……ソルテ様。先ほどから大きな音を立てすぎです。見回りの兵に見つかれば咎められるでしょう。お早くここから出て行ってください」
「はぁ?」
「早く」
「……ちっ。使えないやつだな」

 ソルテはそう吐き捨てると、素直に部屋から出て行った。どうやらさほど粘着質ではないらしい。そのことにホッとして、散らかった部屋をなんとかしようと思った矢先のことだった。
 バタバタと走る音がして、部屋の扉が勢いよく開かれた。そこには数人の兵士。そしてその後ろには、悲痛な表情を浮かべたソルテがいた。

「こ、この人がフェリクスの部屋を荒らしていたんだ! どうにかしてくれ!」
「はぁ?」

 完全な冤罪だ。とばっちりだ。
 ソルテに背を押されて部屋に入ってきた兵士は、兵舎で世話になった顔見知りだった。困惑した顔で近づいてくる。

「違います、僕は――」
「いいからそいつを捕まえて牢屋にぶち込んでくれ!」
「すまない、セラフィ」
「ちょ、えぇ?」

 兵士たちは遠慮がちにセラフィの腕を掴む。

「ソルテ様、後はお任せを。お部屋へ戻りください」
「分かった、頼んだぞ」

 兵士のうちの一人がそう言うと、ソルテは恐怖を滲ませた声で――といっても演技だが――返事をして、さっさと立ち去っていった。それを確認した兵士の一人が、セラフィに顔を寄せて耳打ちをする。

「すまない、セラフィ。君がなにもやっていないことは分かっているけれど、一度牢まで来てくれ。後で助けに行くから」
「……分かりました。あぁ、でもフェリクス様が戻られるまでにこの部屋、なんとかしておいてください。これではあまりにも不憫なので」
「善処しよう」

 セラフィは諦めた。騒いだところでどうにかなるわけではないし、後で出られるのならそれで構わない。

「では、どうぞ連れて行ってください。できるだけ早めに出られると嬉しいです」


***


 牢は、やはり想像通り暗くてじめじめとした地下に作られていた。窓のない石造りの壁の一枚は鉄格子になっている。牢の中は簡易ベッドと便所のみ。とはいえ、冤罪であるからだろうか、簡易ベッドの上には柔らかいクッションと毛布が用意されていた。
 セラフィはベッドに腰掛け、クッションを抱きしめながら待っていた。

(まったく、面倒なことに巻き込まれたなぁ。第二王子の評判が地の底で助かったけど)

 しかし、迎えがすぐに来ることはなかった。よくは分からないが、手続きが遅れているとのことだった。ベッドに腰掛けて待つこと数日。食事を運んでくる兵士は申し訳なさそうに毎日謝る。セラフィにとって、それはどうでもいい行為だったが。
 数日後、パタパタと階段を駆け下りる音が聞こえた。湿った壁に反響してやけに大きく聞こえる。

「セラフィ~~!!」
「殿下、走ると滑ってしまいます!」
「で、でも……うわ!」
「殿下!!」

 聞こえてくる会話から、下りてくる二人の様子は簡単に想像できた。数十秒後、無傷なフェリクスが顔を覗かせたことから転ぶには至らなかったようだ。
 セラフィを迎えに来たのはフェリクスとエルダーの二人だった。フェリクスは泣きそうな顔で、エルダーは申し訳なさそうな顔でセラフィの顔色を窺う。

「セラフィ、今出すから……」

 フェリクスはエルダーから黒い鍵を受け取ると、鉄格子に取り付けられた錠前を外した。そして扉を開くと、なんの戸惑いもなく牢の中へ入ってくる。エルダーは鉄格子の前で待機している。

「セラフィ、ごめん」
「どうしてフェリクス様が謝るのですか? 何も悪くないのに」
「ううん。俺なんかに関わってしまったから……」
「いえ。関係ありませんよ。これっぽっちもね」

 実際にフェリクスが謝る必要性はゼロだ。何も悪くないのに謝罪を要求するほどセラフィは落ちぶれてはいない。そんなことをしたら、自分が汚れてしまうような気がして。ただでさえ、村を焼き払われた後に精霊によって浴びせられた悪意で血は汚れたものになってしまったのに。せめて心だけは、綺麗なままでいたかった。

「セラフィ。あのキンモクセイを守ってくれてありがとう」
「?」
「兄さんは、俺が何かを貰ってくると必ず壊してしまうんだ。だからキンモクセイが無事だったのを見て確信したよ。セラフィが守ってくれたんだって」
「いえ、僕は何も――」
「セラフィにその気がなかったとしても、結果として守られたんだからお礼くらい言わせて。――ありがとう」

 大輪の花。そう形容するにふさわしい笑顔がそこに咲いた。太陽の日差しをたっぷりと浴びた花。心が洗われる、そんな輝きを放つ花。
 セラフィは一瞬言葉に詰まって、そしてなんとか口を開いた。

「どう、いたしまして」
「あ」

 フェリクスは目を丸くして、再び嬉しそうに笑った。

「鍛えるまでもなかったなぁ。セラフィ、ちゃんと笑えてる」
「え」

 セラフィは反射的に自分の頬に触れるが、本当に笑えていたかよく分からない。首を傾げると、フェリクスは可笑しそうにセラフィの両手に両手を重ねる。セラフィの顔を挟み込む格好だ。

「前言撤回。いつも笑えるようになるまで、もう少しかかりそうだな」
「そうですかね……」
「きっとそう。――そうだ、いつまでもここにいたら駄目だね、早く出よう」

 はい、と頬から離れた手が差し出される。
 子供らしい柔らかそうで、けれど小さな手にセラフィは吸い寄せられるようにして己の手を伸ばした。
 きゅ、と優しく力を込められて引っ張られる。フェリクスに手を引かれ、セラフィは暗い牢から出た。その様子をエルダーは微笑ましそうに見ている。
 見張りの兵士からも敬礼を受けつつ、地上への階段を一歩ずつ上っていく。やがて扉の前まで辿り着き、フェリクスがそれを開いた。
 地上は、とても明るかった。
 セラフィはふと思い出した。
 数ヶ月前のこと。ただ真っ白なだけだった――それでも、セラフィや仲間達の故郷や家族を奪った精霊の居座る――城から逃げ出したあの日のこと。確かにともに苦しみ、ともに逃げ出そうとした仲間ではあったけれど、セラフィが外に出たとき、隣には誰もいなかった。みんなはぐれてしまった。そこからは一人で逃げるしかなかった。
 今はその時と何もかもが違う。セラフィの手は温かい手で包まれていた。

 ホッとした。

(――あぁ、もしかしたら僕は)

 このあたたかさを求めていたのかもしれない。
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