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外伝

セラフィ編 その手の温もりを 2

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 一言で言うのなら、辛い。
 芝の上に転がり込んでセラフィは思った。
 なんとか木剣を手に起き上がると、エルダーが厳しい視線をこちらに向けている。エルダーの右手にはセラフィと同じ木剣が握られている。セラフィがぜえぜえと息を切らせているのに対し、目の前の騎士団長は一切の乱れを見せない。大地に根ざした大木のように、どっしりと立っている。

「ほら、立て。早くかかってこい」

 城の兵士達がランニングをしながら二人の横を通り過ぎる。そのうちの何人かが心配そうにセラフィを見て、無言のまま走り去っていった。
 セラフィは立ち上がる。木剣の柄は手汗で湿って少し持ちにくい。与えられたシャツの裾で手を拭い、一つ息を吐く。
 ギロ、と子供にしては殺気の籠もった眼差しにエルダーは目を細めた。

「そうだ。自分が守りたい者を思い浮かべろ、自分の限界を出し続けろ。そうしないと、強さなんていつまでも手に入らないからな」


***


「お前さんやるなぁ!」

 バシバシと背をはたかれ、セラフィは咳き込んだ。セラフィの背を叩いた犯人である年若い見習い兵士は「ごめんごめん」と笑いながら謝る。

「あの団長の脳天に木剣を一発当てるなんてな! すげえよ、ほんと」
「……いえ。かすっただけです。団長さんに一撃を与えた、と言えるわけではありません」
「それでもすげーって。俺の所属してる部隊の隊長だって団長に一発も当てられないんだぜ?」

 見習い兵士はわしゃわしゃとセラフィの頭をなで回す。城に連れてこられてから丁寧に洗われた髪はあっという間にボサボサになっていく。セラフィは特に気にした様子もなく手入れを終えた木剣を棚に立てかけた。

「お前、将来大物になるよ。俺が保証する! 団長の後を継ぐかもな?」
「いえ、僕は戦闘能力さえ身につけばそれで充分なので」
「つれないなぁ。せっかく才能があるのに」

 ここは兵舎の一つ。城のあちこちに立てられた小さな小屋だ。兵士達はそれぞれの部隊ごとに小屋が与えられ、そこで寝泊まりをする。セラフィが連れてこられたのは一番優秀な成績を納めているという第一部隊の兵舎だった。セラフィはてっきりナルシストな連中が多いと思っていたが、意外にも気さくな兵士達が多かった。突然放り込まれたセラフィのことも全員が率先して世話を焼こうとする。セラフィにとって煩わしいが、せっかくの強くなるチャンスをふいにするワケにもいかない。

「ああ、そうだ。明日からは俺たちと一緒のトレーニングをするからな! 団長直々のトレーニングほどじゃないけど、厳しいから覚悟しておけよ?」
「はい」

 ニヤリと不敵に笑い、年若い兵士はセラフィの頭から手を離した。
 セラフィは小さく頷いてあてがわれたベッドの中に潜り込んだ。


***


 それから数ヶ月の月日が過ぎた。
 「王子を守ってみないか?」という謳い文句を言っていた団長だが、流石に子供を当てにする訳もなく、セラフィはトレーニングと雑用をする日々を過ごしていた。雑用の内容は、調理師に依頼された買い出しや兵舎の掃除、庭園の草むしりなどといった本当の雑用だ。しかし、働けば働くほど給料はきちんと払ってもらえる。セラフィに与えられた金庫の中には順調に金が貯まっている。
 黙々と働き、黙々と修行をするセラフィを周りの大人達は微笑ましく見守っていた。セラフィ自身はその視線を無視するように努めていたが。

「おい、セラフィ。少しいいか?」
「なんでしょう」

 ある日の昼間のことだった。木剣を構えて素振りをしていたセラフィの元にエルダーが近づいてきた。エルダーが声をかけてくる時は、直々に手合わせをしようと提案するときぐらいだ。しかし、今日はいつもと違って木剣を持っていない。腰のベルトには真剣、背には槍を背負っている。完全な仕事モードだ。

「お前に頼みたいことがある、俺の部屋に来てくれ」
「はい」

 セラフィは素直に頷いて、エルダーの誘導通り彼の住まう兵舎へ向かう。エルダーの自室に招かれ、椅子に座るように言われる。エルダーの部屋は質素だが、今まで使ってきたのであろう武器が壁に飾られていたりと興味深い。しかし、まだ昼餉前の時間にカーテンが閉められていることには違和感をおぼえた。

「セラフィ、フェリクス殿下のことを覚えているか?」
「はい」

 リンゴをもらった時は貴族の少年だろうと思っていたが、まさか王族だとは思いもしなかった。不敬罪で捕まらなくて良かった、というのがセラフィの本心だが口には出さない。

「頼みたいこと、というのは殿下の事でな。お前に話し相手を頼みたいんだ」
「はぁ。僕に殿下のお相手が務まると思えないのですが。他に適任者がいるのでは?」
「それがなぁ……少し訳ありでな、殿下の話し相手は普通の子供じゃあ出来なさそうなんだ。お前ならできるかもしれないと思ってな」
「どういうことです?」
「フェリクス殿下には兄王子が二人いることは知っているな?」
「はい」

 先日面倒見の良い年若い兵士に聞いたことだ。シアルワ王国には三人の王子がおり、上からラック、ソルテ、フェリクスという名だ。どういう訳かは分からないが、現王ゼーリッヒは第三王子であるフェリクスを次期王にするつもりらしく、上二人の兄王子はフェリクスを快く思っていないという噂がある、ということまで聞いた。

「ラック様とソルテ様がどうも手を回しているらしくてな、フェリクス様への嫌がらせが相次いでいるんだ。話し相手の親に賄賂でも渡しているんだろうな。フェリクス様は特に気にしていないようだが……」
「なるほど。身元不明の僕ならそんなことは起きないと」
「正直に言えばそういうことだ。ラック様とソルテ様から直接嫌味を言われたりはするかもしれないが……一日でいい、試してはくれないか?」

 セラフィはエルダーが何か隠し事をしているかのように感じた。ただの直感であるため確信したわけではない。
 しかし、断る理由もない。金がもらえればそれでよかった。

「大丈夫です。引き受けます。それで、話し相手とは具体的に何をするのですか?」

 堂々と言い切った。エルダーは少し驚いたようだが、嬉しそうに笑った。

「ありがとう、いいやつだな。それでは、具体的な内容を教えよう」


***


 次の日。セラフィは朝から浴場につれていかれ、全身さっぱりと洗われた後に肌の手入れをされたり香水をふりまかれたりと、メイド達に好き放題やられていた。「これがいい」「あれがいい」などメイド達は心から楽しそうに服を選び、セラフィに着せては別の衣装をあてがったりした。まるで着せ替え人形だ。
 たっぷりと時間をとったあと、できあがったのは“どこからどう見ても貴族の少年”といった格好だった。髪は丁寧に梳かれ――しかし、アホ毛だけはどうにも直らなかった――、白色の絹のシャツに紺色のズボン。靴もよく磨かれている。セラフィは若干引いたが、メイド達は満足そうに頷いていたため文句は言えなかった。
 部屋から出て、エルダーの前に行くと彼は吹き出す寸前の顔をしていた。ムッとした顔をすると、さらに変な顔になる。修行の時とは違った雰囲気だ。数ヶ月の間世話になっただけあって絆されそうになるが、いつかは去るべき場所。セラフィは精一杯感情を抑え込んだ。
 フェリクスの私室は数ある塔の最上階。長く続くらせん階段を上るのは少し骨が折れる。
 やっと辿り着き、エルダーが扉をノックする。
 しかし、返事はない。

「殿下? 入りますよ?」

 エルダーが扉を開けると、そこは綺麗に整えられた広い一室があった。本も文具も服もきちんと片付けられ、花瓶には咲いて間もないであろう花が生けられている。バルコニーに出るための大きな窓は開け放たれ、レースのカーテンが風に揺らめいている。そして、その部屋に金赤の髪を持つ少年はいない。

「セラフィ」
「はい」
「探しにいくぞ」
「はい」
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