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夜明けの幻想曲 1章 黄金蝶の予言者

7 夜華祭り

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 夜華祭り。
 シアルワ王国第三王子フェリクスの誕生祭が開催されて二日後に行われる祭り。昼間は広大なアズ湖の湖畔に沿って屋台が立ち並び、夜は光の花が夜空に咲き乱れる。その美しさは、精霊によって怯える人間たちにとって心を癒すものでもあった。
 そういうわけで、毎年シアルワ国内だけでなく、隣国ラエティティアからも多くの観光客が訪れる。
 今年も例によってアズ湖は人でごった返していた。
 誕生祭も人が多かったが、人の密集度では夜華祭りの方が凄まじい。
 ミセリアははしゃぐフェリクスの後ろでため息をついた。

「すっげえ!! 夜華祭りってこんな人が多かったっけ」

 外套に隠れていても分かる。彼の瞳には好奇心の光が瞬いていることだろう。
 セルペンスとノアものん気に辺りを見回している。

(私たちは、なんでここに来たのだろう)

 理由は明白、ミセリアが所属していた暗殺者組織を破壊するためである。
 ミセリアが知る限り、組織の拠点の一つはアズ湖の近くにある。あそこには知る人ぞ知る古代の遺跡がある。かなり大きなもので、地下に作られている。ミセリアは確認をしたことはないが、地下でアズ湖と繋がっている場所もあるらしい。遺跡は国の研究者たちも何故か認知していないらしく、組織の拠点として改装されたのだ。
 ミセリアが救いたいと願うケセラもまた、そこに捕らわれているはずだった。
 丁度夜華祭りもあるし、潜入する準備もできるだろうということでアズ湖にも来たわけだが、浮かれているのではないか。
 無自覚のうちに苛立ちが溜まっていく。
 時刻は午後の七の鐘を少し回ったころ。もうじき夜華祭りのイベントが始まる時間がくる。
 湖畔の所々に設けられた見物用の席は既に人であふれていた。今か今かと待つ観光客に、売り子が軽食やドリンクを売って回っているのが見て取れた。席に座りそびれた観光客はそれぞれで別のスポットを探し、持参したシートと敷いて座っていた。

「もうすぐ始まる! 少しだけ、少しだけ見ていってもいいか?」

 キラキラとした笑顔でそう問うフェリクスに、ミセリアは否定の返事をしようとした。

「少しだけだぞ」

 フェリクスという弟子(?)を取って師匠となったのが嬉しかったのだろうか。上機嫌にノアがミセリアよりも先に応えた。
 ミセリアは眉をひそめる。それに気づいたセルペンスが困ったように眉を下げる。

「ありがとう!」
「俺も一緒に行くから~」

 二人で湖畔ギリギリまで近づいていく。
 ミセリアの苛立ちが更に積み重なっていく。

(私は早く助けに行きたいのに)

 セルペンスがミセリアの肩を優しく叩く。そして無言のままフェリクスとノアの方へ歩いていった。
 彼らの背中を見つめていると、ドンッと鋭い破裂音がした。
 音がした方角――アズ湖の中心を見やれば、底に浮かぶ人口の小島からひゅるひゅると光の螺旋が空高く舞い上がっていった。
 やがてその勢いは落ち、ひたすら暗い夜空を彩る爆発を起こした。
 光の花。その表現は正しいものだと、ミセリアは実感することになった。フェリクスだけではない。ミセリアもまた、この美しい花を見たことがなかった。
 激しい音とは裏腹に、花が散る姿は儚いものだった。
 夜空に溶けるように光の粒子は消えていく。それを覆い隠すように新たな花が咲いていく。色は様々。確かに、美しい光景だった。
 空を見上げながらフェリクスの元へ近づいていく。
 その時、「きゃっ」と小さな悲鳴と共にミセリアの身体に軽い衝撃が走った。どうやら誰かとぶつかってしまったらしい。
 視線を若干下に向けると、見たことのない白金の髪を二つに分けて結った少女がよろめきながらミセリアを見上げていた。どこかで見たことがあるようなアホ毛がぴょこんとたっている。

「あ、あの。ごめんなさい」
「いや。私こそ不注意だった。すまない」

 謝る少女にミセリアも謝る。前を見ていなかった自分も悪いと自覚はしている。
 少女はぺこりと頭を下げると、足早に走り去っていく。反射的に視線で追うと、少女は軽食を持っているセピア色の髪の青年に近づいていく。彼が連れらしい。
 視線をフェリクスの方へ戻すと、彼は一心に美しく彩られた夜空を見上げていた。
 その表情にどこか陰りが見えたような気がして、ミセリアに溜まっていた苛立ちは少し引っ込んだ。

(少しだけなら。お姉ちゃんも許してくれる、はず)


***

 フェリクスはキラキラと消えていく花々を見つめて、そして目をそらした。フェリクス自身にも理由は分からなかったが、何故か切なくなった。
 ゆっくりと後ずさりをしても、空を見上げている同行者たちは気づかない。
 フェリクスはこっそりと人込みを抜け出し、人の少なくなった露店へと向かった。
 様々な売り物が並べられている。アズ湖に到着したころよりも数が少なくなっている様子を見ると、売れ行きは好調らしい。
 とある装飾品店に目を付け、フェリクスは足を止めた。
 空からの光を浴びて、そのどれもが光り輝いて見えた。
 フェリクスは王族だから、職人がたくさんの金と時を費やして作った装飾品の数々を知っているし、持ってもいる。それも美しい出来栄えだったが、この露店の装飾品も違った味わいがある。
 予算は少ないはず。それでも一生懸命作ったのだろう。
 客人に気が付いた露店の主人が、空から目を離してフェリクスの方を向いた。

「いらっしゃい。どうだい? こいつらも夜華に負けないくらい綺麗だろう?」

 無精ひげを生やした親仁が、人の好さそうな笑みを浮かべた。

「おすすめはある?」

 フェリクスが問うと、主人は迷うことなく一番前に陳列されていた一つのペンダントを指さした。皮で出来た細い紐に、色のついたガラスを組み合わせて花の形にした飾りがついている。

「これだよ。俺がガラスを加工して、娘が組み合わせたんだ。親子の合作さ」
「へえ」

 そっとペンダントを手に取る。ずっしりとした重みがあった。よく見たら花弁の形が不ぞろいだし、精密に作られているわけではない。しかし、ガラスはよく磨かれているし、花弁同士の接続も丁寧にされている。どこか温かみのある、そんなペンダント。
 フェリクスは想像する。このペンダントが輝く先を。
 ペンダントを気に入ったフェリクスは、ポケットから財布を取りだした。

「いいペンダントだと思う。これ、買うよ」
「おっ、いいねえ兄ちゃん。娘も喜ぶよ」

 値札に書かれた分の代金を支払うと、主人はからかうような調子で笑った。

「兄ちゃんはそいつをどうする気かい? 自分でつける?」

 フェリクスは、いないことにされている家族の姿を思い浮かべながら首を横に振った。

「家族へのプレゼント」
「そうかい。きっと喜ぶぜ」
「ありがとう。娘さんによろしく伝えておいて」

 主人に軽く挨拶をして、フェリクスは先ほどまでいた場所に戻るべく歩き始めた。黙って離れてしまったことを申し訳なく思いながら、歩調を早める。
 さほど離れていなかったため、同行者たちの後姿はすぐに見つけられた。
 さりげなく混ざろう、と思い近づいていくと、上を見上げていたミセリアがふいにフェリクスの方を向いた。

「何を買ったんだ」
「なんだ。ちょっと離れたこと気づいていたのか」
「知らないうちに攫われでもしたら困る。……で?」
「少し、土産物を……と思って」

 手にしたペンダントを見せる。空から降り注ぐ光に反射してキラキラと光っていた。
 ミセリアはそれを一瞥して、フェリクスへ視線を戻した。

「土産物を買ってどうする。お前は今帰れないというのに。兄へでも渡すのか?」

 う~ん、と小さく唸ってから、フェリクスは笑った。ミセリアの嫌味が届いているのか分からないくらいに、ふんわりとした笑みだった。

「兄さんとは別に渡したい人がいて……。ホントは食べ物のつもりだったんだけど、それも難しそうだから」

 ミセリアが僅かに目を見開いた。

「物の方が、いつ城に戻っても大丈夫だと思ってさ。それに、これ、きっと良い土産話にもなると思うんだ」
「そう、か。土産話……」

 ミセリアがふむ、と考え込む素振りを見せる。

「お姉ちゃん……」

 小さな呟きはドン、という大きな音に阻まれてフェリクスに聞こえることはなかった。
 フェリクスが注目したのは声よりも、音だった。
 違うのだ。先ほどまで鳴り響いていた夜華を打ち上げる音ではない。そうでなく、なにかが砕けて爆発したような、不快な破裂音だ。
 とっさに湖の中心を見やれば、小島から赤い炎が揺らいでいるのが確認できた。小島にいた数人の人間が水に飛び込み、逃げようと泳ぐ姿も見える。

「な、なんだ……?」

 観客の困惑が感じられるどよめきが、アズ湖を包み込んでいた。
 どよめきは、一瞬にして阿鼻叫喚の嵐になった。
 湖を泳いでいた一人の男が、何かに引っ張られたかのように水面に姿を消したのだ。残りの人間たちも、また一人、一人と悲鳴を上げながら消えていく。瞬く間に水面は無人となり、人が消えた場に救出へ向かう人の足も止まる。
 フェリクスの前に立ち、水面を凝視していたノアが、ふいに叫んだ。

「湖から離れろ!!!」

 フェリクスや周囲の人間たちが状況をうまく呑み込めず、動きが止まった一秒ほど後に、湖が大きく揺れた。
 夜空の色を取り込んだかのように黒い水面が盛り上がり、水の中から現れたのはこれまた黒い触手のようなもの数十本。水に濡れてぬらりとテカリを見せるそれは、生き物、というよりは無機質な機械のように無駄な動きはしない。
 フェリクスの感想は、あながち間違ってはいなかった。
 上昇を続ける触手の根本が見えたのだ。触手と同じ黒の……なんと形容すべきかフェリクスには思いつきもしない。真っ黒で、巨大な、ざっくりと言えばドーム状の機械らしきものが水面に浮上した。その機械らしきものの背中から触手が生えている。一部がチカチカと光っていることから、機械であることは間違いないはずだ。

「あんな機械、見たことないぞ……」

 そう、ここ数十年の間に開発が進められていた“機械”。掃除機、オーブンなどといった日常的なものしか知らない。それすらも貴族たちが持つくらいで普及は進んでいないはずだった。
 フェリクスは知らない。この機械がどんな機能を持つのかを。それは、湖にいる誰もが同じだった。
 ふいに、触手が揺らいだ。
 人々がピクリと反応したがもう遅い。
 触手たちは一斉に湖畔にいる人間たちに襲い掛かった。その速さは尋常ではない。
 逃げ惑う人々の腕、首、脚、腰などに巻き付いては湖に引きずり込んでいく。どうやらドーム状の機体の中が終着点のようだ。
 引きずり込まれていく人間たち。それは無差別で、老若男女等しく触手が連れ去る対象となっているようだった。
 驚いていたフェリクス達にもそれは襲い掛かる。
 ノアとミセリアがとっさに武器を抜き、切りかかるものの、触手はなぜか切れなかった。ぐにゃりとたゆんで後退するだけだ。

「ダメだ、ここは離れるべきだ!」

 セルペンスが叫ぶ。彼に引っ張られて、フェリクスはようやく我に返った。

「でも! みんなが!」
「戦えない俺たちがいたって何もできない!!」

 押し黙るフェリクスは、悔しさと恐怖に顔を歪ませながらもセルペンスに着いていく。
 今フェリクスにできることは、何もなかった。
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