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2章 蒼穹の愛し子
12 先約
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かつて、彼らが大精霊と呼ばれる前の話だ。
女神シュミネが最初に生み出した知的生命体。三柱同時に生まれ、まるで三つ子のように育った。現在は身体の成長も止まっているが、生まれたばかりのころは幼子の姿で無邪気に世界を飛び回った。青い空と豊かな大地、四季が巡る美しい世界は彼らの自慢でもあった。
三柱の中で特にやんちゃだったのがビエントだ。人間が生まれてからも積極的に関わりに行き、快く手助けをした。アクアも彼女なりの考えのもと、より良い世界を創るために奔走していた。瘴気が満ち、シュミネが姿を消した今も根っこの部分は変わっていない。テラもまた同様に。
世界が変わり、様子が明らかに変わったのはテラだ。
昔はあんなに引っ込み思案で優しくて、虫も殺せないような少年だったのに。
ふにゃりとした笑顔が、とても可愛らしい少年だったのに。
赤い雷を空中で避けながらビエントは舌打ちをする。
少し上に浮かんだテラは無表情にビエントを見下ろし、再び雷を編み出そうとする。
「お前さぁ、ほんとに何考えてるんだよ。会っていきなり攻撃してくるとか意味分からん」
赤い雷に触れてしまったら終わりだ。あれは触れた者を束縛する力を持ち、瘴気の浄化を一時的に手伝い消耗しているビエントが食らえば抜け出す術はない。深紅の瞳は冷め切っており、温情は一切感じられない。
「そんなにあの偽神が大切かよ。我らが女神の力を受け継いだ娘を瘴気に焼いてまで……一体、何のために」
「――全ては、瘴気なき世界のために。いくら美しい人間がいようと、醜い人間がいる限りあの御方が解放されることはない。だからこその計画の修正だ。俺はもう、いたちごっこをするのを止めた」
「は? 偽神に瘴気の浄化を任せるんじゃなかったのか?」
テラは緩く首を横に振る。
「人間の心を、消す」
風がふいて、漆黒の髪を揺らす。かつて人間によって抉られた右目は永遠に消えない傷跡となっている。
これまで無表情を保っていたテラの唇に冷え切った笑みが浮かぶのを、ビエントは戦慄と共に見守った。
人間の心を消す?
女神が愛するのは精霊と、人間達が紡ぐ色彩豊かな世界と歴史だ。フェリクスが語った馬鹿みたいな理想の世界――みんなが前を向いて、切磋琢磨をして、ぶつかり合いながらもきらきらと輝くような――こそが彼女の望み。それは人の心があって成せる夢物語。
「人間の営みがなければあの方が生きられないというのなら、奴らを生かしたまま統制してやればいい。考える力がないのなら、反乱する気も起きない上に瘴気も発生しない。まさに理想の世界ではないか」
「……」
「アクアはレガリアの器を害そうとした罪で消したが、お前なら俺の考えを理解してくれるだろう? ビエント、協力してくれないか」
雷を消して手を差し出すテラに、ビエントは青漆の瞳を伏せる。
考えるまでもなく、答えは出ている。
ただ少し、感傷に浸っていただけで。
だから、らしくもないしおらしい反応を諦めて、いつものように嗤ってみせた。
「んなモン、断るに決まってるさ」
「ほう?」
「なにせ、先約があるもんで――なァ!」
あり得ないくらいにアホで馬鹿でちっぽけなあの人間が創り出す世界を見守ると。命尽きるまで、永遠に等しい時を見張ってやると先に約束してやった。
あといつまでも見下ろされるのは腹立つんだよ、という意味を込めて両腕を大きく開いた。刹那、ビエントを中心にうっすらと緑がかった巨大な竜巻が巻き起こった。
***
大精霊同士が争っている下で、階段の起動スイッチを切り替えたソフィアはひたすら走ってその場を離れようとしていた。テラの注意がビエントに向いている間に離れて様子を見ていたい。花畑に訪れた四人の中ではソフィアが立場的にも身体的にも最も動きやすい身だ。かといって大精霊の諍いに首を突っ込むことは出来ない。
離れるにしても花畑は広く、隠れられる場所も見当たらない。テラに認識されないぐらいの距離を取れれば充分だったのだが、ついソフィアは脚を止めてしまった。
エールの木から少し離れた位置で、しゃがみ込む黒い青年の姿があったのだ。
あまりにも見覚えのありすぎる彼に、迷うこと無く駆け寄った。
「レイ……!」
しゃがみ込んで肩に触れれば、布越しにもその体温が異常に高いことが伝わってくる。どうやら意識は朦朧としているようだったが、荒めながらもきちんと呼吸をしている。そのことにホッとして、ソフィアはレイの腕を自らの肩に回した。ここにいてはいけない。
運ばれる衝撃で気がついたのか、レイはそっと顔を上げる。
「あ……ソフィア……?」
「乱暴な運び方でごめんなさい。でもここは危険だわ、貴方の立場がどうであれ離れるべきね」
「……」
レイは爆発音が鳴り響く方を一瞥して、口を噤んだ。
そして丘のようになっている花畑の下へ訪れた辺りで二人は身を低くする。ソフィアはレイの背をそっと撫で、眉をひそめた。
「一体、あれから貴方に何があったの? どうしてこんなに苦しそうに……」
「俺は、大丈夫。ここにはちょっと用事があってね。それより、ソフィアからビエントを説得することって出来たりする……?」
「無理よ、かの王様じゃあるまいし。あの中に突っ込めっていうの?」
「だよね……」
青白い顔で苦笑して、レイは何やら考え出した。
同意にソフィアも考える。彼の言う用とは、十中八九『永久の花』だ。それを取りに来たところでビエントの妨害が入ったのだろう。少し前までは腹が立つ精霊だったが、約束通りこちらの味方をしてくれたことには感謝しなければならないと目を伏せる。
残念ながらレイの頼みを聞くことは出来ず、出来るならば彼自身をこちら側へ連れ戻したいところなのだが。
どう声をかけるか迷っていると、一際大きな爆発音が轟いた。
そちらを見ると、今まさにエールの木が倒れそうに大きく揺れているところだった。そこから上に視線を向けると、遠目ながらも状況がなんとなく読める。
「……ビエントが、押されている」
当然と言えば当然だ。万全なテラと始めから消耗しているビエント。一対一だと、確かに分が悪い。
「ソフィア。シャルロットたちはどこに?」
「……」
「聞き方を変えるよ。あの争いに巻き込まれる場所にはいる?」
「……巻き込まれることはないと思うわ。ただ、テラが勝てば必ず鉢会う位置にいる。そうすれば彼らは全力で抵抗するでしょうね」
慎重に言葉を選ぶ。テラを止めるのに今現状最も現実的なのは、レイからテラに声をかけてもらうことだ。
レイの根底にはシャルロットの存在が根付いている。直接頼むよりも間接的に思考を誘導させた方が得策だ。彼らが抵抗すれば、テラは武力行使に出るだろうと暗に示せば彼はちゃんと気付いてくれる。随分と、聡い子だから。
もちろん、テラを止めることでレイ自身の目的を妨害するつもりだというソフィアの意図も。
「実力行使しかなさそうだね」
セピア色の髪の下、僅かに眇めた瞳が一瞬だけ赤く染まったのは気のせいだろうか。
「――大丈夫。まだ、いける」
小さな深呼吸の後、レイは右腕を水平に払った。
ふいに、大精霊たちが動きを止める。否、止めるというよりは止められた。
まるで宙に浮かぶ精緻なモニュメントのようだ。互いに攻撃をしようとする姿勢で制止しており、その不自然な光景にソフィアは声を出すことも出来なかった。
刹那、レイが落ち着き始めていた呼吸を大きく乱したことによって我に返る。慌てて肩を抱き留め、身体が倒れ込んでしまうのを防ぐ。
「レイ、これは……」
「見ての、通りだよ」
どこからどう見ても衰弱しているくせに、弱々しくも優しかったはずの青年はソフィアの手をそっと振り払って立ち上がる。赤かったように思われた瞳は蒼く、澄んでいた。
歩き出す背中を追いかけようとして、腕すら伸ばせないことに気がついた。
原因はレイだ。漠然とそう思った。
せっかく人の身で生を謳歌出来るはずの青年が、自らの自由と引き換えに神の座に殴り込もうとしているのは――その強い意志が哀しいほど伝わってくる。
人と精霊の自由を直接制御している時点で、既に人の域を外れてしまっていることも。痛みがまだ人としての生き方を繋ぎ止めていてくれても、それすら乗り越えて。
「もう最終段階まで来た」
遠ざかる。
「後は、」
その先はもう、聞こえない。
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