上 下
30 / 51
2章 蒼穹の愛し子

12 先約

しおりを挟む

***


 かつて、彼らが大精霊と呼ばれる前の話だ。
 女神シュミネが最初に生み出した知的生命体。三柱同時に生まれ、まるで三つ子のように育った。現在は身体の成長も止まっているが、生まれたばかりのころは幼子の姿で無邪気に世界を飛び回った。青い空と豊かな大地、四季が巡る美しい世界は彼らの自慢でもあった。
 三柱の中で特にやんちゃだったのがビエントだ。人間が生まれてからも積極的に関わりに行き、快く手助けをした。アクアも彼女なりの考えのもと、より良い世界を創るために奔走していた。瘴気が満ち、シュミネが姿を消した今も根っこの部分は変わっていない。テラもまた同様に。
 世界が変わり、様子が明らかに変わったのはテラだ。
 昔はあんなに引っ込み思案で優しくて、虫も殺せないような少年だったのに。
 ふにゃりとした笑顔が、とても可愛らしい少年だったのに。


 赤い雷を空中で避けながらビエントは舌打ちをする。
 少し上に浮かんだテラは無表情にビエントを見下ろし、再び雷を編み出そうとする。

「お前さぁ、ほんとに何考えてるんだよ。会っていきなり攻撃してくるとか意味分からん」

 赤い雷に触れてしまったら終わりだ。あれは触れた者を束縛する力を持ち、瘴気の浄化を一時的に手伝い消耗しているビエントが食らえば抜け出す術はない。深紅の瞳は冷め切っており、温情は一切感じられない。

「そんなにあの偽神が大切かよ。我らが女神の力を受け継いだ娘を瘴気に焼いてまで……一体、何のために」
「――全ては、瘴気なき世界のために。いくら美しい人間がいようと、醜い人間がいる限りあの御方が解放されることはない。だからこその計画の修正だ。俺はもう、いたちごっこをするのを止めた」
「は? 偽神に瘴気の浄化を任せるんじゃなかったのか?」

 テラは緩く首を横に振る。

「人間の心を、消す」

 風がふいて、漆黒の髪を揺らす。かつて人間によって抉られた右目は永遠に消えない傷跡となっている。
 これまで無表情を保っていたテラの唇に冷え切った笑みが浮かぶのを、ビエントは戦慄と共に見守った。
 人間の心を消す?
 女神が愛するのは精霊と、人間達が紡ぐ色彩豊かな世界と歴史だ。フェリクスが語った馬鹿みたいな理想の世界――みんなが前を向いて、切磋琢磨をして、ぶつかり合いながらもきらきらと輝くような――こそが彼女の望み。それは人の心があって成せる夢物語。

「人間の営みがなければあの方が生きられないというのなら、奴らを生かしたまま統制してやればいい。考える力がないのなら、反乱する気も起きない上に瘴気も発生しない。まさに理想の世界ではないか」
「……」
「アクアはレガリアの器を害そうとした罪で消したが、お前なら俺の考えを理解してくれるだろう? ビエント、協力してくれないか」

 雷を消して手を差し出すテラに、ビエントは青漆の瞳を伏せる。
 考えるまでもなく、答えは出ている。
 ただ少し、感傷に浸っていただけで。
 だから、らしくもないしおらしい反応を諦めて、いつものように嗤ってみせた。

「んなモン、断るに決まってるさ」
「ほう?」
「なにせ、先約があるもんで――なァ!」

 あり得ないくらいにアホで馬鹿でちっぽけなあの人間が創り出す世界を見守ると。命尽きるまで、永遠に等しい時を見張ってやると先に約束してやった。
 あといつまでも見下ろされるのは腹立つんだよ、という意味を込めて両腕を大きく開いた。刹那、ビエントを中心にうっすらと緑がかった巨大な竜巻が巻き起こった。


***


 大精霊同士が争っている下で、階段の起動スイッチを切り替えたソフィアはひたすら走ってその場を離れようとしていた。テラの注意がビエントに向いている間に離れて様子を見ていたい。花畑に訪れた四人の中ではソフィアが立場的にも身体的にも最も動きやすい身だ。かといって大精霊の諍いに首を突っ込むことは出来ない。
 離れるにしても花畑は広く、隠れられる場所も見当たらない。テラに認識されないぐらいの距離を取れれば充分だったのだが、ついソフィアは脚を止めてしまった。
 エールの木から少し離れた位置で、しゃがみ込む黒い青年の姿があったのだ。
 あまりにも見覚えのありすぎる彼に、迷うこと無く駆け寄った。

「レイ……!」

 しゃがみ込んで肩に触れれば、布越しにもその体温が異常に高いことが伝わってくる。どうやら意識は朦朧としているようだったが、荒めながらもきちんと呼吸をしている。そのことにホッとして、ソフィアはレイの腕を自らの肩に回した。ここにいてはいけない。
 運ばれる衝撃で気がついたのか、レイはそっと顔を上げる。

「あ……ソフィア……?」
「乱暴な運び方でごめんなさい。でもここは危険だわ、貴方の立場がどうであれ離れるべきね」
「……」

 レイは爆発音が鳴り響く方を一瞥して、口を噤んだ。
 そして丘のようになっている花畑の下へ訪れた辺りで二人は身を低くする。ソフィアはレイの背をそっと撫で、眉をひそめた。

「一体、あれから貴方に何があったの? どうしてこんなに苦しそうに……」
「俺は、大丈夫。ここにはちょっと用事があってね。それより、ソフィアからビエントを説得することって出来たりする……?」
「無理よ、かの王様じゃあるまいし。あの中に突っ込めっていうの?」
「だよね……」

 青白い顔で苦笑して、レイは何やら考え出した。
 同意にソフィアも考える。彼の言う用とは、十中八九『永久の花』だ。それを取りに来たところでビエントの妨害が入ったのだろう。少し前までは腹が立つ精霊だったが、約束通りこちらの味方をしてくれたことには感謝しなければならないと目を伏せる。
 残念ながらレイの頼みを聞くことは出来ず、出来るならば彼自身をこちら側へ連れ戻したいところなのだが。
 どう声をかけるか迷っていると、一際大きな爆発音が轟いた。
 そちらを見ると、今まさにエールの木が倒れそうに大きく揺れているところだった。そこから上に視線を向けると、遠目ながらも状況がなんとなく読める。

「……ビエントが、押されている」

 当然と言えば当然だ。万全なテラと始めから消耗しているビエント。一対一だと、確かに分が悪い。

「ソフィア。シャルロットたちはどこに?」
「……」
「聞き方を変えるよ。あの争いに巻き込まれる場所にはいる?」
「……巻き込まれることはないと思うわ。ただ、テラが勝てば必ず鉢会う位置にいる。そうすれば彼らは全力で抵抗するでしょうね」

 慎重に言葉を選ぶ。テラを止めるのに今現状最も現実的なのは、レイからテラに声をかけてもらうことだ。
 レイの根底にはシャルロットの存在が根付いている。直接頼むよりも間接的に思考を誘導させた方が得策だ。彼らが抵抗すれば、テラは武力行使に出るだろうと暗に示せば彼はちゃんと気付いてくれる。随分と、聡い子だから。
 もちろん、テラを止めることでレイ自身の目的を妨害するつもりだというソフィアの意図も。

「実力行使しかなさそうだね」

 セピア色の髪の下、僅かに眇めた瞳が一瞬だけ赤く染まったのは気のせいだろうか。

「――大丈夫。まだ、いける」

 小さな深呼吸の後、レイは右腕を水平に払った。
 ふいに、大精霊たちが動きを止める。否、止めるというよりは止められた。
 まるで宙に浮かぶ精緻なモニュメントのようだ。互いに攻撃をしようとする姿勢で制止しており、その不自然な光景にソフィアは声を出すことも出来なかった。
 刹那、レイが落ち着き始めていた呼吸を大きく乱したことによって我に返る。慌てて肩を抱き留め、身体が倒れ込んでしまうのを防ぐ。

「レイ、これは……」
「見ての、通りだよ」

 どこからどう見ても衰弱しているくせに、弱々しくも優しかったはずの青年はソフィアの手をそっと振り払って立ち上がる。赤かったように思われた瞳は蒼く、澄んでいた。
 歩き出す背中を追いかけようとして、腕すら伸ばせないことに気がついた。
 原因はレイだ。漠然とそう思った。
せっかく人の身で生を謳歌出来るはずの青年が、自らの自由と引き換えに神の座に殴り込もうとしているのは――その強い意志が哀しいほど伝わってくる。
 人と精霊の自由を直接制御している時点で、既に人の域を外れてしまっていることも。痛みがまだ人としての生き方を繋ぎ止めていてくれても、それすら乗り越えて。

「もう最終段階まで来た」

 遠ざかる。

「後は、」

 その先はもう、聞こえない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

妹しか愛していない母親への仕返しに「わたくしはお母様が男に無理矢理に犯されてできた子」だと言ってやった。

ラララキヲ
ファンタジー
「貴女は次期当主なのだから」  そう言われて長女のアリーチェは育った。どれだけ寂しくてもどれだけツラくても、自分がこのエルカダ侯爵家を継がなければいけないのだからと我慢して頑張った。  長女と違って次女のルナリアは自由に育てられた。両親に愛され、勉強だって無理してしなくてもいいと甘やかされていた。  アリーチェはそれを羨ましいと思ったが、自分が長女で次期当主だから仕方がないと納得していて我慢した。  しかしアリーチェが18歳の時。  アリーチェの婚約者と恋仲になったルナリアを、両親は許し、二人を祝福しながら『次期当主をルナリアにする』と言い出したのだ。  それにはもうアリーチェは我慢ができなかった。  父は元々自分たち(子供)には無関心で、アリーチェに厳し過ぎる教育をしてきたのは母親だった。『次期当主だから』とあんなに言ってきた癖に、それを簡単に覆した母親をアリーチェは許せなかった。  そして両親はアリーチェを次期当主から下ろしておいて、アリーチェをルナリアの補佐に付けようとした。  そのどこまてもアリーチェの人格を否定する考え方にアリーチェの心は死んだ。  ──自分を愛してくれないならこちらもあなたたちを愛さない──  アリーチェは行動を起こした。  もうあなたたちに情はない。   ───── ◇これは『ざまぁ』の話です。 ◇テンプレ [妹贔屓母] ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング〔2位〕(4/19)☆ファンタジーランキング〔1位〕☆入り、ありがとうございます!!

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

処理中です...